かくて自由の鐘は鳴る

劇場公開日:

解説

「白魚」に次ぐ熊谷久虎製作監督作品。脚本も熊谷監督が「白魚」のコンビ西島大(さらばラバウル)と共に書いている。撮影は「春雪の門」の山崎安一郎。出演者は昨年米留学を終えて帰朝した六代目菊五郎の息子尾上九朗右衛門(以前「群盗南蛮船」50に映画出演したことがある)、「女の園」の東山千栄子、「さらばラバウル」の中北千枝子、「第二の接吻」の二本柳寛、「花と龍 第一部」「花と龍 第二部」の佐々木孝丸などのほか、東静子と宝田明の二人の新人が出演している。

1954年製作/98分/日本
配給:東宝
劇場公開日:1954年6月1日

ストーリー

嘉永六年アメリカのペルリが浦賀に来航し開国か攘夷か国内の与論払騰していた頃、九州大分中津の奥平藩の貧しい侍の子である福沢諭吉は貧苦と闘いつつ漢学の勉強に恵念していた。彼にとり自らの出世をはばむ封建制度は親の仇の如く憎かったが兄三之助のすすめで長崎へ行き蘭学の研究をしようと決心した。そこでの苦学生活も他人のねたみのため彼は江戸に出ようとしたが、大阪に転勤していた兄を頼り緒方洪庵の塾に入り蘭学を学ぶことになった。そこには真剣活溌な書生々活があり、大村益次郎の政治を離れて学問はないという説と諭吉の主張する学問の独立とは常に対立した。だが塾生の蘭学研究の熱意は一様に旺盛だった。安政三年九月故郷中津で兄が死んだので諭吉は残された借財を整理し家督も相続しなければならなかった。その後彼は大阪に再遊し更に蘭学研究を続けたが同郷の者すべての反対にも拘らず唯一人彼を勇気づけたのは母であった。安政五年秋江戸奥平藩邸に開かれた蘭学塾に教授として招かれた彼は同学の岡本周吉と共に上京し講義を始めた。これが慶応義塾の草始である。その頃徳川幕府により結ばれた五カ国条約で長崎横浜函館の三港が開かれた。見学のため諭吉はある日横浜に赴いたが今や英語の知識なくしては何もならぬと悟りそれ以来英語の学習に異常な努力を傾けることになった。翌安政六年彼は機会を得て桑港へ渡り見聞を広め帰朝後江戸に当時唯一の英学塾を開いた。文久元年彼は再び外遊し帰朝後は故郷に錦を飾ったが常に老いたる母への孝養を忘れぬ彼でもあった。だが一方攘夷論も抬頭し彼の身辺も屡々危うくなった。妻錦の姉は洋学者たる諭吉に離縁を迫り国学派の連中は諭吉を売国奴として命を狙っていた。だが諭吉の信念は常に確固としていた。慶応四年上野に於おける官軍と彰義隊との戦争が始まりその砲声は彼の創始した慶応義塾の中に迄轟いた。だが諭吉は塾生達の騒ぐ中に動ずる色もなくウエーランドを講じていた。

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