こんな私じゃなかったに
劇場公開日:1952年8月7日
解説
製作は「お景ちゃんと鞍馬先生」の小倉武志。雑誌『平凡』に連載の北条誠の原作から、「栄冠涙あり」の池田忠雄が川島雄三と共同で脚色し、「娘はかく抗議する」に次いで、川島雄三の監督したものである。カメラは「郷愁」の西川亨である。出演者の顔ぶれは、「母の山脈」の宮城千賀子、「新婚の夢」の水原真知子、「現代人」の山村聡のほか、川喜多小六改め川喜多雄二の松竹入社第一回出演で、他に坂本武、北龍二、日守新一、桜むつ子、神樂坂芸妓でコロムビア歌手のはん子などである。
1952年製作/88分/日本
配給:松竹
劇場公開日:1952年8月7日
ストーリー
自由大学理学部の応用化学教室に学ぶ女子学生村田千秋は学内でも才媛で知られていたが、その姉昌子は元芸者で、今は踊りの師匠をしていた。昌子には、出征中、生木を割くようにして別れさせられた横山武との間に貢一という子があり、父親真吉と一緒に田舎に住まわせてあった。千秋は姉が二世帯の生活を見る上に、自分の学費まで負担していてくれる苦労を思い、日頃好意以上のものを感じ合っていた同じ教室の清水寿人があっさり金持の娘と政略結婚をしてしまったのを機会に、姉の昔の朋輩お龍の家から夜はアルバイトで芸者に出ることにした。千秋も、もちろん姉に劣らぬ踊りの名手であった上に、彼女の持つ知性が人気を呼んで、流行っ子となったが、やがてそれが学内で噂されはじめた。その噂に一番心をいためたのは、彼女に好意を持つ天文学教室の山下欽一であった。ある夜千秋は矢島という客と知り合い、その人柄に好意を持ち、酔ったまぎれに結婚してくれと放言した。昌子は千秋のアルバイトを知って心痛の余り山下を訪ねて相談するが、その山下から紹介された矢島は、その昔の横山武だった。千秋は矢島が姉に苦労をさせていた男と知ると、憤激するが、昌子と別れさせられたのは武の全然知らなかったことだとわかった。貢一を中心に十年ぶりの再会をよろこぶ姉たちの姿を見て、千秋の眼にも涙があった。七夕祭の夜天文学教室の望遠鏡を仲良くのぞく若い二人は千秋と山下であった。