江戸の顔役
劇場公開日:1960年3月13日
解説
島田一男の原作を、安田重夫・山根優一が脚色し、「かくれた人気者」の酒井欣也が監督した河内山宗俊の捕物帖。「抱寝の長脇差」の倉持友一が撮影した。
1960年製作/89分/日本
原題または英題:Modern Moneymaking
配給:松竹
劇場公開日:1960年3月13日
ストーリー
河内山宗俊が吉原にくりこんで大散財した挙句、無一文で附馬をお供に舟宿「花仙」に帰ってくると、弟分の直次郎が、目明しの金蔵と下っ引の三次に追いかけられて飛びこんで来た。直次郎は札差し三河屋の娘お菊に惚れていた。彼が三河屋へ忍びこんだ時、三河屋吉右衛門が殺されており、積った雪の上には「お春」という文字が読まれた。逃げ出した直次郎は、通りかかった金蔵に追われてやって来たというのだ。金蔵を追い出した河内山は、直次郎と三河屋へ行った。そこで、吉右衛門が近頃奥山の見世物小屋へ出かけるということを聞いた。二人は早速奥山の見世物小屋へ出かけた。一座の花形お春が、舞台で綱渡りの最中、綱が切れて死んだ。そのお春の守袋から「浜田蔵人、深川染葉の子お春」という臍の緒書が出た。客の騒ぎの中に、この事件に冷笑を投げかけている侍と、さらにこの侍の様子をうかがっているお高祖頭巾の女があった。お春の綱に何者かが刃物を入れていたことから、綱の手入れをする清七に疑いが向けられた。ところで、浜田蔵人は今の勘定奉行・伊丹蔵人だった。吉右衛門は蔵人と友人だったのだ。この事件は蔵人の用人神子頼母と妻のお由良の陰謀だった。蔵人の養子縫之助とお由良の妹勝代の縁組をすすめるため、邪魔になるお春を殺したのだ。清七が殺された。吉右衛門、お春を直接手にかけたのは、彼らに頼まれた清七だったが、用が足りると殺されたのだ。河内山の大芝居で彼らは捕えられた。