鉄砲伝来記
劇場公開日:1968年5月18日
解説
高野悦子の原案から「陸軍中野学校 開戦前夜」の長谷川公之がシナリオを執筆、「悪名十八番」の森一生が監督した歴史に題材を取った悲恋もの。撮影は「眠狂四郎女地獄」の森田富士郎。
1968年製作/108分/日本
原題または英題:The Saga of Tanegashima
配給:大映
劇場公開日:1968年5月18日
ストーリー
天文十二年八月二十五日の朝、種子島近海を烈しく襲った台風のために一隻の大船が種子島西之浦に漂着。種子島時尭は早速異国人を館に招き、日本語の分る明の五峰を介しポルトガル船船長ピントオと語り合った。その時、彼が披露した鉄の捧が、轟然と火を吐き、遠くの石燈籠を撃ち砕いたのには、武勇で鳴る時尭も唖然とするのみだった。金百両で時尭はこれを買うとすぐ、刀工の八坂金兵衛に模造を命じた。金兵衛は弟子の作次と共に鉄砲造りに邁進しだが、二度三度失敗し、筒元が破裂して重傷を負った。加えて大切な預りもの鉄砲まで盗まれてしまった。絶望に暮れる金兵衛は切腹をはかったが、娘若狭の発見が早く一命を取り止めた。父おもいの若狭はピントオを訪ねた。堺の貿易商橘屋又三郎から彼がもう一挺持っていると聞いたからだ。ピントオは若狭の熱意にほだされて、護身用の鉄砲を貸し与え、金兵衛の怪我の手術までした。若狭はこの南蛮人の優しいおもいやりに感動し、二人の心は急速に近づいていった。全快した金兵衛はピントオ、若狭の厚意に見守られ、幾多の困難を克服した。やがて、御前試射の日がきたが、その日はピントオ帰国の日でもあった。いまは、彼の子を身籠もっている若狭もポルトガルへ渡ろうとしたが金兵衛の頑固な反対に彼女は全てを諦めた。金兵衛はさらに若狭の友だちお種に因果を含ませ、胎児をも始末しようと薬をもったが、若狭のピントオを想う心情にうたれ、それだけは認めざるを得なかった。やがて金兵衛は、織田信長に招かれ堺に出、又三郎の世話で刀工たちに鉄砲造りの技術を伝えた。そんなある日、工場が爆発し焼跡から昔盗まれた鉄砲がでてきた。又三郎の正体を知った金兵衛は故郷に帰った。翌年春、若狭を迎えるために再びピントオがやってきた。だが、彼を待っていたのは息子若海をかばい崖へ落ちて死んだ若狭の遺骸だった。ピントオは悲しみに泣きぬれ、この上は若海をと申し出た。身を刻まれる思いでその言葉を聞いた金兵衛は静かに頷いた。それから数日後、はるか水平線の彼方に船影が没したあとも動こうとしない老人の姿があった。