雲右衛門とその妻

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解説

谷屋充原作『桃中軒雲右衛門とその妻』から「お兄哥さんとお姐さん」の辻久一が脚色、「雨の九段坂」の安田公義が監督した人情もの。撮影は「のこされた子とのこした母と」の竹村康和。

1962年製作/88分/日本
配給:大映

ストーリー

明治三十年代、自由民権運動が挫折したあとの保守的ムードを敏感にキャッチ、武士道を鼓舞して時代の寵児となった浪曲師桃中軒雲右衛門こと吉川繁吉。その彼にも長い不遇の時代があった--。横浜の寿亭、三河屋梅車は舞台をおりるや相三味線をつとめた妻おはまを、三味線の調子が高かったとバチで撲る。それを弟子の繁吉がかばったことから、おはまは秘かに繁吉に出稽古をつけてやるようになった。しかし、このことは師匠の梅車に知れ、激しい怒りを買った。繁吉はおはまに迷惑のかかるのを恐れ一座を出奔しようとするが、おはまは弟子に稽古をつけられないようでは芸道はヤミだと梅車に反発、繁吉には出奔を思い止まらせた。が、梅車は土地の顔役に頼み、繁吉のもとに出稽古にきていたおはまを拉致させようとした。乱闘の末、おはまと繁吉は逃げ出し、流浪の旅に出た。大阪にきた二人は知人の京山文円を訪ねたが、梅車への義理があるからと素気なくされた。仕方なく大道で門付をしていると、繁吉の兄弟子梅枝に会い、昔のことを口汚くののしられ足蹴にされようとした。そこを壮士風の男・小見山東天に助けられ、彼の紹介で二人は九州の黒洋社総裁神山護を訪ね、後援を約束された。繁吉は桃中軒雲右衛門と改名、日露戦争の勝報に湧く民情に乗って名声をあげた。そんなある日、かつて貧乏暮しに愛想をつかして去った先妻お久が一子稲太郎を連れてきた。繁吉はおはまの胸中を考え、心を鬼にして母子を返すや、東天の誘いを受け沼津、横浜へ行き、ついに歌舞伎座からの出演を求められた。が、おはまは喀血、看病の甲斐もなく死んだ。数日後、歌舞伎座では繁吉の名調子が語られた。

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映画レビュー

4.0富士より高いものってなんだか知ってるかい?それは雲だよ。

栗太郎さん
2019年11月28日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

浪曲(玉川奈々福・曲師沢村豊子)とのコラボで鑑賞。

明治なってから生まれた芸能、浪花節。今でいう浪曲。中興の祖と言われる桃中軒雲右衛門と、その妻お浜。現実の桃中軒の肖像は残っていて、これまた男前だが、どこか山師にも見える。由比正雪はこんなんじゃなかったか?と思わせる風貌だ。
二人のいきさつからその全盛までを描いたこの映画、「浪花節」を地で行く、人情味あふれるその生き様。演じる三波春夫自身が浪曲師だっただけあって、いやあ節回しがうまいこと。声もいい。面構えもいい。桃中軒とは変わった名だなと思っていたが、旅廻りのときに情けをかけてもらった弁当屋の屋号だったとは知らなかった。その謂れさえもまた泣ける。逃げた女房との再会の場面もまた泣ける。情け、情け、情け、情け。情けばかりの人生。だけど、決してへりくだらず、弱音も吐かず、自分の芸を高めていこうという向上心は捨てたりしない。実に男っぷりがいい。
当時の小屋や寄席の雰囲気もまたよし。

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栗太郎
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