尼寺博徒
劇場公開日:1971年9月7日
解説
由緒ある尼寺を舞台に厳しい戒律の中で繰り広げられる尼僧たちの姿態を描く。脚本は「緋牡丹博徒 お命戴きます」の大和久守正。監督は久しく映画から遠のいていた村山新治。撮影は「やくざ刑事 恐怖の毒ガス」の中島芳男がそれぞれ担当。
1971年製作/86分/日本
原題または英題:Nun at Casino
配給:東映
劇場公開日:1971年9月7日
ストーリー
盆一筋に生きてきた父徳次郎に、幼ない頃から仕込まれた春子は一人前の女胴師に成長した。だが、徳次郎が浜松の中尾組の賭場で、賭場荒しを三人斬り、刑務所入りしたことから、春子は恋人の中尾組代貸吾郎と別れて尼寺に入ることになった。吾郎も事件の責任をとって三年の所払いとなった。それから三年。春子は春愁と名を変え、郊外の由緒ある尼寺、信修庵に暮していた。春愁は、庵主の覚えもめでたく、彼女から信修庵の後継者にとまでいわれるようになった。本山大覚寺の実権を握る宗務総長の覚英は、壇家総代の土建屋水野に手引きされ、西条組の賭場に出入りし、信修庵の修復費を使い込んでしまった。西条は、かねがね信修庵の士地に目をつけ、密かに水野と組んで機会を伺っていたのだった。春愁は改修の認可がのびのびになっている事情を確めに、大覚寺に出かけた。追いつめられた覚英は、僧正と庵主の実印を無断で使用、信修庵を担保に借用書を偽造し、西条から金を借り受けたが、それもすぐ博奕で失ってしまった。西条は大覚寺僧正に二千万円の借用書をつきつけた。返済できない場合は、尼寺売買の権限をいっさいまかせなければならなかった。覚英は、大覚寺の老木に首を吊って死んだ。庵主が尼寺を手放そうと決心した日、再会した吾郎から、徳次郎の死の知らせがもたらされた春愁は今日限りで寺を出たいと申し出た。そして、最後の頼みとして、西条組に托す権利書を自分にまかせてくれと願い出た。白鞘のドスをひとふり墨染めの衣の下に隠すと春愁は寺を去った。そして、西条に二千万円の借用書と尼寺の権利書を賭けて、サシの勝負を申し入れた。勝負は一瞬にして決まり、西条らはドスで春愁に襲いかかった。その場に飛び込んできた吾郎の助けを得て、春愁は西条を追いつめた。