生木が立枯れていくごたる
劇場公開日:1976年4月15日
解説
岩波映画で演出をやっていた42歳の岡田道仁が、各地のカネミ油症の未確認患者を探訪した自主製作の記録映画。製作費は、岩波映画をやめた時の岡田の退職金が元になっている。岩波映画の先輩の土本典昭から影響を受けたという岡田のいままでの作品には、「日大2・15闘争」(昭和45年)や「説得」(共同・49年)などがある。撮影の塚本公雄は、歌人の塚本邦雄の甥で、日本大学の映画学科の出身。日大闘争の時に闘争の支援に来ていた岡田は、日大全共闘の映画班のメンバーとして「映画日大闘争」(43年)「続・映画日大闘争」(44年)のカメラを回していた塚本と知り合った。山崎佑次の「アイヌ・シタッピリ」(47年)のカメラを回したのも塚本である。カメラは、レンタルのアリフレックスと小川プロから借りたエクレール。録音機は、ソニーのカセット・テープレコーダー。イーストマン・コダックのフィルム約七時間分を使用。撮影は47年10月から48年6月にかけて、とびとびに行なった。撮影地は、「カネミ倉庫株式会社」のある北九州市の小倉、それに福岡市、山口県の岩国市と大島と美禰市、佐賀県の唐津市と武雄市と嬉野町、長崎県五島列島の福江島と奈留島。カネミ油症の患者は、認定患者が約千八百人。未認定患者は、その四倍くらい。岡田の推定によると、患者総数は全部で十五万人くらいになるのではないかということである。製作にあたっては、「カネミ油症を告発する会」、各県の「カネミ油症の患者を守る会」、「カネミ油症東京連絡会」、岩波映画の有志の協力があった。(16ミリ)
1976年製作/143分/日本
配給:その他
劇場公開日:1976年4月15日
ストーリー
※本作はドキュメンタリーのためストーリーはありません。