生ける屍(1929)

解説

ロシアのメジラブポム社とドイツのプロメトィス社とが提携し故文豪レフ・レオ・N・トルストイ生誕百年祭記念に製作した映画で、原作はレオ・N・トルストイの書いた同名の戯曲。ソビエト映画の中堅である「メッス・メンド」「悩める土地」の製作者であるフョードル・オツェプ氏が脚色、監督の任に当たっている。主役を演じるフセヴォロド・プドフキンは「母(1926)」「聖ペテルスブルグの最期」「アジアの嵐」の監督者として名のある人、特にレオ・N・トルストイを記念するために俳優として出演、他にマリア・ヤコビニ嬢、ナタ・ワチナゼ嬢、グスタフ・ディースル氏が助演している。キャメラは前記ブドオフキンの大作を撮影したアナトリー・ゴロブニヤ氏が担当している。(無声)

1929年製作/ドイツ・ソ連合作
原題または英題:The Living Corpse Der lebende Leichnam

ストーリー

モスクワ正教会の高等宗教会議所の司教に会って自分の悩める問題を解決しようとする男フヨードル・プロターソフ(フェージャ)は数年前に貞淑な妻リーザと結婚し、既に子までもあったが、最近モスクワに帰って来たヴィクトル・カレーニンが妻とは古い恋仲であったことを知り自分を犠牲にして二人の幸福を図ろうとして悩んでいる。司教は彼に、法律が許す結婚の三つの条件--即ち夫婦の一方が五年間行方不明の場合。結婚に対して生理上に欠陥ある場合。及び証拠のある姦通の場合--を示すが、これ等の条件の一つをも実行出来ないフェージャにとっては終に解決の途が与えられない。彼の帰途を擁して離婚訴訟専門の悪党アルチェミエフが現れ、極く簡単な離婚の方法として、作りごとの姦通の方法を教えるがフェージャは断然これを斥ける。リーザはカレーニンを愛してはいるが貞淑な妻としてフェージャに背こうとはしない。カレーニンもこれを知って、ただ共にフェージャの身の上を案じ煩っている。フェージャはジプシーの集落に身をひそめる。そこで可憐なジプシー娘マーシャと相知り深く愛し愛される仲となる。けれど彼はその愛を精神上の高さに置き決してマーシャの貞操にふれようとはしない。 カレーニンはリーザに頼まれて、フェージヤを迎えに来るがフェージヤは最早や家に帰らない。アルチェーミフはフェージャの財産に目をつけ再び離婚手続きの誘惑に来る。終にその手段にとりかかろうとするが最後の瞬間に於いて実行の勇気を失い逃げ去る。フェージャは友人の画家ペトウシコーフから譲りうけたピストルで自殺を図るがやはり実行出来ない。ジプシー娘のマーシャは彼に一策を授けモスクワ河で投身自殺したように見せかけることに成功する。リーザは夫の死骸を確かめに来たが警察の屍体収容室の恐ろしい空気に卒倒し、ただ呆然と検案書に署名する。フェージャはかくて生ける屍となった。彼は次第にどん底の生活に落ちていく。未亡人となったリーザは服喪期を終えてカレーニンと結婚する。しかし酒場で、生ける屍フェージャを見つけたアルチェーミエフは彼の秘密を囮としてカレーニンより大金を詐取しようとするがフェージャの断固たる拒絶に遇うや警察官を呼びフェージャを逮捕させる。事件の関係者はモスクワ地方裁判所の予審に召喚された。法律と人道の闘いである。フェージャは熱誠をこめて自分達の正当性を主張し、お互いに満足して平和に暮らしている人と人との関係に強いて罪悪を見出して不幸を醸し出す法律というものの矛盾不備を痛烈に論難する。しかし判決に期待されるものが、一番よく行って教会での懺悔とリーザとの復縁であり一番悪く行って自分とリーザとのラベリア追放であることを知るに及んで終にピストルで自分の心臓を射って斃れる。

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