オープニング近く、調律中のピアノの横にメロトロンと思われる物体。 生水が危ない国や地域の冷凍庫(上部にスライド式の蓋がある)のような白いアレです。 The Spider From Mars のメンバーではないサポートキーボーダーが使用。 ビートルズ、キングクリムゾンなど主に60年代のアーティストたちの音楽制作には欠かせなかったアイテムがグラムロックでも多用されていたようだ。
70年代前半、イギリス病だのなんだのかんだのを言われていたらしいけれど、今よりはるかに未来は明るかったんだろう。こんなこと言っちゃ世も末とはわかっているが「昔は良かったんだね」と言いたくなる。きっとホントに世も末なんだろう。 デヴィッド・ボウイにとって80年代以降は余生だよな、やっぱり、ということを確認するには良い映像と思います。メイジャートムはジャンキーだった、と元も子もないことを歌ってみたり(Ashes to Ashes)、ジャンキーでヨレヨレになってる過去の自分と共演してみたり(Blue Jeanの短編フィルム)、ファンのお姉様たちの神経を逆撫でし続けたわけで、それがなんで「逆撫で」になるかという、「逆撫で」の根拠が本フィルムとも言えよう。こんなとんでもないロックスターを愛してしまったら、のちのデヴィッド・ボウイなんて例えヤクが抜けて健康になってたとしても別人よね、歯並びだって違うし、と吐き捨てる理由もわかろうというもの。
・正直に書くが、年代的に私にとっての最初のデヴィッド・ボウイとの出会いは「レッツ・ダンス」である。 非常に好きなアルバムで、車にも常に常備してあるが、発表当時は賛否が分かれた記憶がある。 特に、否定派の方々は今作でも披露された「スペイス・オディティ」から始まった1970年代のデヴィッド・ボウイを愛する人たちが多かったと記憶する。 何で、そんなに非難するの?と”ロッキング・オン”を読みながら思ったモノであるが、その後、カート・コバーンのアンプラグドで彼が爪弾いた”The Man Who Sold the World"を聴き、ビックリして徐々に遡ってデヴィッド・ボウイを聞いて行くと、何となく分かる気がした。
■その他 近年の映画では、80年代ロックが良く使われている。 印象的なのは、 ・”デヴィッド・ボウイ”の「レッツ・ダンス」の劈頭を飾る”モダン・ラヴ”を効果的に使った「フランシス・ハ」・・・”モダン・ラヴ”は他の映画でも頻繁に使用されている。例えば、韓国映画「スイング・キッズ」でのダンス・シーンは、忘れ難い。 ・”キュアー”の「Head on the Door」の同じく劈頭を飾る、”イン・ビトゥイーンズ・デイ”を全面的に使ったフランソワ・オゾン監督の「Summer of 85」 ・”ザ・ヴァーブ”の名曲”Bitter Sweet Symphony"を予告編とラストで使ったグザヴィエ・ドラン監督の「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」 等である。 各監督が、好きなんだろうなあ・・。
けれど、リドリー・スコット監督の「ハウス・オブ・グッチ」の予告編で軽やかに流れた”ブロンディ”の”ハート・オブ・グラス”は本編では使われなかったが、グッチ一族の破滅を暗喩したように使用されていたし、 現代のポップ・カルチャーに君臨するビリー・アイリッシュは、007の最新作に新曲を捧げ、邦画の「真夜中乙女戦争」で”Happier Than Ever"を実に効果的に二宮健監督が使用している。