戦場(1949)
劇場公開日:1950年10月6日
解説
MGMの製作部長となったドーリー・シャーリーが自ら製作に当り「鉄のカーテン」のウィリアム・A・ウェルマンが監督した1949年度作品。共同製作者のロバート・ピロッシュが脚本を書き撮影はポール・C・ヴォーゲル、音楽はレニー・ヘイトンと新進気鋭のスタッフを揃えているほか、出演者も「ママは大学一年生」のヴァン・ジョンソン、「帰郷(1948)」のジョン・ホディアク、「芸人ホテル」のジョージ・マーフィー以下、リカルド・モンタルバン、マーシャル・トンプソン、ジェローム・コートランド、ドン・テイラー、デニーズ・ダーセル等の新人が起用されている。
1949年製作/アメリカ
原題または英題:Battleground
配給:セントラル
劇場公開日:1950年10月6日
ストーリー
1944年のクリスマスも間近の頃。米国第百一空挺師団のI大隊の兵隊は、ベルギーのバストーニュで、優勢なドイツ群の包囲をうけ苦戦していた。ジャーヴィス、ホーリー、ロドリゲス、「ポップ」、レイトン、アブナーたちは、ウォルウィッツ曹長の指揮する同じ小隊の仲間だった。クリスマスの1週間前この小隊は秘密命令の中にバストーニュに着き、ドニーズと呼ぶ娘のいる一家に宿営した。ホーリーは直ぐにドニーズと仲良くなったが、翌朝は更に前進命令を受けて、砲弾を浴びながら森の敵陣のすぐ前に塹壕を構築しはじめた。雪と寒気の中での仕事は思うようにはかどらず、しかも、濃霧のたちこめるバストーニュ付近は味方の飛行機の援護も受けられなかった。彼等は味気のない携帯口糧で腹を満たし、敵の攻勢を支えていた。しかし夜中秘かに味方陣地内に降下した独軍の落下傘部隊の撹乱戦術のため、何人かの兵隊が斃された。砲弾の唸音に精神錯乱状態に堕って壕より飛び出したベッツが死んだ。ロドリゲスも敵戦車に両足を轢かれた。ウォルウィッツ曹長も貫通銃創を受けて後退し、小隊はホーリーが指揮をとることとなった。霧は依然として晴れなかった。兵隊たちは絶対的な気持ちに襲われながらも応戦を続けた。翌朝は更に猛烈な独軍の攻撃が加えられたが、小隊の手榴弾による反撃により、独軍の小部隊を捕虜とした。その代りアブナーを失った彼等は交替の部隊に陣地をゆずって、バストーニュに引きあげた。兵隊たちはドニィズと再会して歓び合ったが、一夜の休養の後、前線に引きかえさなければならなかった。戦闘は依然はげしく続いた。百一空挺師団の兵隊の疲労はその極に達しているものの如くだった。独軍の軍使が降伏を勧告に来たが、もちろん交渉は物別れに終わった。独軍は包囲の鉄環をじりじりと狭めはじめた。彼等の総攻撃は火蓋を切って放たれたその時、霧の裂け目から機影が見えたかと思う暇もなく、独軍の陣地に機銃掃射を行なった。待ちに待った米空軍の出動だった。炎上する独軍戦車を見ながら、空挺師団は総員奮い立った。救急物資が輸送機から投下され、地上増援軍も相ついで到着した。1週間にわたる苦戦はいま、ところをかえて、独軍が最後力をふりしぼったルントシュテット攻勢はここに挫折の止むなきに至ったのだった。苦戦を終えたホーリー、ジャーヴィスたちは生涯に忘れることのできないクリスマスをバストーニュの街でむかえたのだった。
スタッフ・キャスト
- 監督
- ウィリアム・A・ウェルマン
- 脚本
- ロバート・ピロッシュ
- 原作
- ロバート・ピロッシュ
- 製作
- ドア・シャリー
- 撮影
- ポール・C・ボーゲル
- 音楽
- レニー・ヘイトン
- アソシエイト・プロデューサー
- ロバート・ピロッシュ
受賞歴
第22回 アカデミー賞(1950年)
受賞
脚本賞 | ロバート・ピロッシュ |
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撮影賞(白黒) | ポール・C・ボーゲル |
ノミネート
作品賞 | |
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監督賞 | ウィリアム・A・ウェルマン |
助演男優賞 | ジェームズ・ホイットモア |
編集賞 | ジョン・ダニング |
第7回 ゴールデングローブ賞(1950年)
受賞
最優秀助演男優賞 | ジェームズ・ホイットモア |
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最優秀脚本賞 | ロバート・ピロッシュ |