ジャンゴ 繋がれざる者のレビュー・感想・評価
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西部劇ではない
さすがタラちゃん、西部劇を自分の世界に引ずり込んで西部劇にしませんでした。
相変わらず大スターをみっともない死に方させるし、音楽に入れ方は小ばかにしてるし、画面はどぎついし、ただ、PFやIBよりタラ色は低いような気がします。嫌いな人も多いでしょうが天才であることはたしかです。
単なる映写機を担いだ映画少年なのかは「スタートレック」で結論が?
タイトルバックが
彼のオマージュだらけの一環としても
私の大好きな「続・荒野の用心棒」
の懐かしい音楽だったので、
何故か意味も無く冒頭から期待が高まった。
しかし、残念だったのは彼の中期の作品
「キル・ビル」「イングロリアス…」同様、
上手さが導入部で終わってしまい、
後は後味の悪い暴力と大殺戮シーンを
待つだけになってしまったことだ。
さて、「イングロリアス…」では、
映画館主がドイツ大佐に復讐を遂げない
という首尾一貫しないストーリー展開に
彼の安易な脚本を否定せざるを得なかった
が、流石にアカデミー脚本賞を得たこの作品
では、序盤の伏線通りに
ジャンゴは妻を救出はしてくれた。
しかし、そのための屋敷での大殺戮の後に、
彼が捕らわれてからの妻の救出劇までは
余りに御都合主義過ぎて、
これで本当にアカデミー脚本賞?
と首をかしげざるを得ない
不自然極まりない強引さだ。
よほど対抗馬が無かった、受賞には
幸いな年だったのかなと想像してしまった。
また、「キル・ビル」
「イングロリアス・バスターズ」
もそうだったが、無駄に長かったり、
不要なエピソード多過で、冗長過ぎる。
黒人奴隷問題について、
ディカプリオ演じる荘園農主の狂気が、
当時の普遍的な人物像との匂わしで
充分なのだが、必要以上の殺戮シーンが、
逆にこの作品の社会的意義を喪失させている
ように思える。
他にも、白人に寄り添う黒人老執事の登場も
他の映画作品でも頻繁に描かれる人物像で、
何ら目新しい訳でも無い。
彼にとっては奴隷問題も単なる映画を
盛り上げる一要素に過ぎないのだろうか。
ところで、
「イングロリアス…」ではブラピ、
この「ジャンゴ…」ではディカプリオ、
だから「ワンス…」ではステップアップして
二人の共演なのか、と
これも意味も無く妙に納得していた。
タランティーノはこの作品でも、
まだまだ撮影機を担いだ映画少年レベル
だが、その後、映画作家として、
それなりの成熟があって、
彼の魂の叫びが聞こえたかに感じた
「ワンス…」が生まれたと信じたい。
それが本当かどうかは、
噂される彼の最後の作品「スタートレック」で、
その答えを聞くことにはなりそうだ。
かなり心配ではあるが。
監督が、、あらら
西部劇が苦手で今までスルーしていた。でも観てみよう。観たら面白かった。
馬車の上でボヨンボヨンとゆれる歯🦷、笑える。白頭巾強盗団のシーンがタランティーノ作品らしく、3時間近い映画で特に無くてもいいような場面なのに、箸休めのようにゆるく笑える場面を挟んでいる。残虐なシーンばかりじゃ疲れちゃうからちょうど良い。
この映画の死因はほとんど銃の撃ち合いだけど、そんなに撃たなくても、肉片飛び散ってるじゃん!とやっぱり痛々しい😖
主役じゃ無いのに、ディカプリオの存在感はやはり凄い!完全に悪役になりきってきて、💀での場面でテーブルを叩いた弾みでグラスで手を切ったのはアクシデントだったらしい。でも中断せずにそのまま演じて、ジャンゴの妻の顔に血をなでつけたのはアドリブらしい。やっぱり凄いわあ!ディカプリオのキレるシーンは「華麗なるギャッツビー」の時に、この人凄いわぁと感心したけど、血管キレそうでほんとに怖い。しつこいけど、やっぱりこの人凄いっ❗️
悪い奴はみんな死ぬところはやっぱりスッキリするし、最後の方で監督が特別出演してるところもなんか嬉しい。木っ端微塵になっちゃったけど!
"It's me, baby"
きゃあぁ。かっこよすぎか。
長かった、、けど、よかった。
ブリュンヒルデって、あれだっけ。ワルキューレ?すいません、オペラは生半可な知識しかない、、 怖いもの知らずのジークフリートが寝顔を見て、「生まれて初めて怖いと思う」っていう、あれだっけ。後で調べます。
イングロリアス・バスターズ(部分的に観た)はナチスドイツがテーマだけど、それに出てたらしいクリストフ・ヴァルツが、ドイツ人だけれどもユダヤ人をいじめるドイツ人としてではなく、いじめられてる黒人を助ける人間として登場するっていうのが面白いですよね。
で、よくよく聞けばその黒人の嫁の名は「ブリュンヒルダ」。ドイツ系の人間に仕えててドイツ語も話せる。人って、同郷とかに弱いもんねー。これは、縁を感じちゃうよね。
賞金稼ぎと元奴隷が、反発しながらも互いに認め合い、最後は協力し合って互いの目的を遂げる――みたいな、勧善懲悪で最後はみんなハッピー、みたいな映画だったら他にもあり得そうなんだけど、そこはタラちゃん。一筋縄ではいきませんねぇ。でも、現実ってそんなもの。いや、それにしちゃジャンゴの強さは現実離れしてるけどねw
美しいじゃない。ブリュンヒルダ、めっちゃチャーミングだしね。映画ぐらい、夢見たいよね。
あとタラちゃんはやっぱり音楽がいい。ワルキューレの冒頭?もかかってたし。
本作ではなぜ棺桶を引きずらないのか? その意味は何か?
ジャンゴとは、1966年のマカロニウエスタンの名作「続荒野の用心棒」の原題
本作の主題歌はそれと同じものの英語バージョン
タイトルの赤い文字も、続くタイトルバックも書体をとても良く似せてあります
なる程今度はマカロニウエスタンのオマージュか
キル・ビルでヤクザ映画でやったような作品だと思わせます
しかし、観終わったあとの感動はそんな程度の映画じゃない、何十年に一度の名作を観たという感動です
テーマはもちろん人種差別への抵抗です
主人公を黒人に設定したのはなぜ?
なぜドイツ人の歯医者が主要登場人物なのか?
そもそも、なぜジャンゴという題名なのか?
本作には棺桶を引きずるガンマンも、機関銃も登場しません
しかし明らかに本作は、1966年のジャンゴのリメイクです
そのオリジナル作品に隠されてあったテーマを表に出してみせたリメイクなのです
その隠されていたテーマこそ人種差別への抵抗です
まずジャンゴという名前に注目しなければなりません
「Dは発音しない」という台詞があるほどクドいぐらい名前に注意をさせていることに気付かないとなりません
単にマカロニウエスタンのオマージュだろだけでは監督の謎かけに答えられません
ジャンゴという有名人は、マカロニウエスタンの主人公だけではありません
世界的には戦前から戦後すぐにかけて活躍した伝説的ジャズギタリストのジャンゴ・ラインハルトが連想されるのです
そのジャンゴという名前はロマ族、すなわち今では差別用語として使われなくなったジプシー
その言葉で「覚醒」という意味だそうです
つまりその名前はロマ族の人間であると言うことが明確なのです
ジプシーという言葉がなぜ差別用語なのか?
それは不可触賤民という意味が語源であるからです
ジャンゴ・ラインハルトは、そのロマ族の旅芸人の一座の両親の間に生まれ、そのギターもロマ族の音楽の影響が濃厚であるのです
ラインハルトという姓はドイツ風ですが、彼は旅の空のベルギーで生まれ、その後パリ周辺の各地で育ったそうです
なぜドイツ人の歯医者が登場するのか?
なぜ彼はキャビン付きの荷馬車で移動するのか?
あの歯の模型がバネで揺れる荷馬車を見て気付かないとなりません
これもタランティーノ監督の謎かけです
あれはロマ族の旅馬車を連想させるものです
旅芸人の家を兼ねた馬車です
つまりドクター・キング・シュルツは本当はロマ族だと言っているのです
ドイツ人という設定は、ラインハルトを連想せよとの意味だと思います
なぜロマ族がアメリカにいるのか?
自由の国、アメリカだからです!
ロマ族の一部の人々は差別の厳しい欧州大陸から逃れて来たのです
なぜオリジナル版のジャンゴが棺桶を引きずるのか?
それは新大陸アメリカに於いてもなお蔑視の視線をむける連中への怒りを封印した象徴に外ならないからです
だから機関銃は棺桶の中から登場するのです
オリジナル版の人種差別の対象はメキシコ人に対してでした
ほとんどの西部劇には黒人は存在すらしていないのです
そこまで無視されていたのです
だから本作の主人公は黒人なのです
前半あのように執拗なまでに、露悪的な程に黒人差別の実態を吐き気がするほどまでに描写するのはそれ故にしているのです
アメリカの最大の人種差別は黒人への差別なのですから、これを直視しなくてどうする!
そのようなタランティーノ監督の強い意志を感じます
オリジナル版の悪人の親玉ジャクソン少佐に相当するのは、本作では農園主のカルビン・J・キャンディです
なぜキャンディという名前?
白人からすれば南部の豊かな農園主の甘い思い出だろうだからです
「風と共に去りぬ」の世界への郷愁に対する当てつけです
レオナルド・ディカプリオは惚れ惚れするほど見事にこの悪人を大袈裟に演じています
それであることで人種差別の異常性が誰の目にも視覚化されているわけです
妻のブルームヒルダへのひたむきな愛は、オリジナル版の死んだ恋人メルセデスへの無念を晴らそうとするジャンゴの純愛から由来しているのです
ドイツ語を話す、ドイツ風の名前はそのメルセデスから来たものに違いありません
本作は「続・荒野の用心棒」のリメイクとして、痛快なマカロニウエスタンの娯楽作品であるだけでなく、オリジナル版が内包していた、それこそジャンゴが引きずる棺桶の中に隠されていた、メキシコ人や女性だけにとどまらず、全ての人間を抑圧し差別する者への反発と反撃という真のテーマを取り出して表側にして高らかに主張しているのです
だから本作には棺桶は不要なのです
棺桶の中に隠すことはないのです
差別への抵抗は正当防衛なのですから
本作のジャンゴは機関銃は使いません
持って生まれた才能と鍛錬の努力で、機関銃並みの戦闘力を獲得するのです
そして、奴隷の立場に安住して差別される体制を守ろうとする黒人に対しても戦うのです
ただ抗議すだけでは駄目だ
戦う為の実力を身につけろ
そして今の立場で安住するなと言うことです
ドクターシュルツは我慢出来なかったと拳銃を撃ちます
彼こそがジャンゴです
新大陸アメリカの自由平等博愛の夢を実現させようとして撃ったのです
オリジナル版のジャンゴはその為に戦ったのです
ジャンゴとはロマ族の言葉で「覚醒」という意味です
彼は覚醒したからこそ撃ったのです
タランティーノ監督が俳優として出演しています
昔劇団にいたから自分もやりたくなった?
それもあるでしょう
でも本当は演出意図の一環だと思います
このような映画を撮っている自分だって、先祖はこうだったのだろう
だからこの映画を観る白人も、有色人種もあなた達全員が無関係ということはないのだ
そういう意図で出演しているのだと思います
現在2021年の早春です
アメリカ大統領選は終わり、心配された内戦の危機は去りました
BLMの過激な運動には懐疑的な視線でニュースを視ていました
しかし今違う視線でBLM運動を振り返っている自分がいます
彼らはジャンゴだったのだ
棺桶から機関銃を出した人々だったのだ
そのような視線に変わっているのです
何十年に一度の傑作に間違いありません
数々の映画賞を受賞するのは当然のことです
負の歴史をぶっ飛ばす映画ならではの無双劇
黒人奴隷制度が過酷さを増す1858年を舞台に、黒人奴隷のジャンゴと賞金稼ぎのドイツ人歯科医シュルツの2人がジャンゴの妻ブルームヒルダを救うため、残虐非道な領主カルビンキャンディのもとに向かう姿を描いた、クエンティンタランティーノ監督渾身の西部劇。
長年西部劇への憧れを公表し続けていたタランティーノ監督が放つ3時間に迫る超大作で第85回アカデミー賞において作品賞を含む5部門にノミネートし、助演男優賞と脚本賞の2部門を受賞、さらには第70回ゴールデングローブ賞でも同2部門を受賞するなど批評的な面で絶賛され、興行収入の面でもタランティーノ監督作品内で過去最高を記録するなど興行成績の面でも評価の高い作品である。
中でもタランティーノ監督前作の『イングロリアスバスターズ』での妙演も記憶に新しいクリストフヴァルツ演じるドクターキングシュルツの存在感が前作にもまして絶妙で、生死問わず賞金首を狙う冷酷無比な面や仕事の都合で同行を依頼したジャンゴの射撃の腕と愛する妻を救いたいという心意気に胸を撃たれ、元黒人奴隷の身であったジャンゴを相棒のように、時には彼の師のように、彼の父のように、一人の人間として敬意を払い平等に扱おうとする姿にハンスランダ大佐とまた違った正義心も兼ね備えた人間性も感じさせ、3年という短い期間で2度のオスカー受賞という快挙も納得の名演をみせた。
また2人のターゲットとなる極悪非道の人種差別主義者のカルビンキャンディ演じるレオナルドディカプリオの吐き気を催す邪悪な存在も必見だ。
どう見ても作中で最も悪人なのだが、当時の法は犯していない為、賞金首のように銃殺してしまうことが出来ない厄介な立場の上、奴隷同士を戦わせるマンディンゴという悪趣味な行為を心底楽しんでいて、自分の行為がどれだけ異常かを理解していないほどドス黒い悪役であるのに、その初登場時の姿に嫌悪感よりも期待感が増してしまうのが彼のすごいところである笑。
しかも中盤から終盤にかけての出演で実際のところ1時間そこらしか登場していないのに記憶に焼き付くあのイヤな笑顔笑。
2010年代のディカプリオは正統派な主人公よりクセのある役が多かった気がするが今作は特にその傾向が強かった気がする笑。
1時間弱のシュルツとジャンゴの賞金稼ぎの日々、さらに1時間超のキャンディランドの非人道的な凄惨な出来事の数々、そしてバレた2人の企み、激怒したキャンディと不本意な結末とキャンディに対する嫌悪感が爆発したシュルツの子どものようなマウントの取り合いの先に訪れる血飛沫多量の銃撃戦は見ものだ。
タランティーノ印の水気の多すぎる、まるでトマトが破裂したようなまさに血の海の惨劇でショッキングの映像であるに違いないのに特に何もグロさも感じない、段々と感性が鈍くなってくるのがタラ映画の凄いところだ笑。
マンディンゴの存在などの歴史的な正確さは曖昧な点もあるが、当時の黒人が白人も劣っているという考えが当たり前に流行していた風潮の中で黒人奴隷の出自であったジャンゴが白人を一網打尽にするという「ありえなさ」が映画的な面白さを引き出しているようであまり日本人に馴染みのある話ではないかもしれない。
しかし終盤20分のジャンゴの無双劇は笑ってしまうほど爽快だったし、大爆発した屋敷を目の前にして笑う彼は最高にクールでまさにヒーローそのものに見えた。
触れてはいけないタブーとも言える歴史を見事エンタメに昇華させたタランティーノ監督の悪趣味ながらも素晴らしい手腕に感服笑。
ニヤニヤが止まらない
マニアすぎて天才になっちゃった映画オタクが、思う存分遊びまくったら面白い映画ができちゃった、という感じ。
もう、最初の曲が流れ始めたところからニヤニヤニヤニヤ。
その凝りっぷりと、肉片のふっ飛ばしっぷりが、痛快でした。
3時間を超えても飽きない会心作
これは文句なしの快作でしょう。
予告編でストーリーの内容はほぼ語り尽くされているわけですが、それでもハラハラドキドキ、時にエグく、血しぶきドヒャドヒャの娯楽作でした。
黒人に対する尋常ではない仕打ちを繰り返してきた白人というものへの怒り成分も、もちろん入っているのかも知れませんが、まあこういう映画を見てしまうと、日本人ってほんと善良で良心的な民族なんだよね、と、妙な安心感を抱いたり……。
3時間以上、楽しんでしまいました。
奴隷から自由人になったジャンゴ~🎶
映画館鑑賞が叶って嬉しい!髭で早撃ちのヴァルツかっこいい!早撃ち&二丁拳銃のジャンゴかっこいい!ディカプリオ上手い!頭蓋骨話の後、テーブルをバーンと叩いた左手が血だらけなのは今日初めて気がついた!フランコ・ネロが奴隷同士を戦わせる賭けの場面に居たこともイタリア語でけしかけ応援してたことも初めて気がついた!音楽もすごく良い。配信で見た時は奴隷制度や残酷さゆえに「悲しい」という印象が強かった。でも映画館だと笑える箇所がずっと増えてすごく楽しかった!満喫しました!(2022.7.9.)
クリストフ・ヴァルツが、とにかく素晴らしかった。彼のドイツ語は柔らかくて優しく、高速の決断で撃つピストルが真逆の早撃ちでかっこよかった!加えて相変わらず優雅で怖くてシビアな役。ドイツ語、フランス語、イタリア語も散りばめていて慇懃無礼な嫌らしさが素敵💕ジャンゴを見つけ早撃ちを教えフリーマンと名付け、演技の重要性も伝えジャンゴは素早く学び応えた。ジャンゴはどんどん賢くかっこよくなる。
シュルツが、「エリーゼのために」のハープ演奏を辞めさせようとしたシーンは胸に刺さった。奴隷を複数の犬に襲わせた残虐な場面を思い出していた時だ。ベートーベンを聞くなんてできない。
オープニングからタランティーノのジャンゴ愛が溢れていた!フランコ・ネロがジャンゴと話す場面はオマージュ溢れ良かった。ジャンゴに名前を聞き「ジャンゴ、Dは発音しない」。その答えに満足するネロ。ミニスカートの女の子をメルセデスと呼ぶ。フランコ・ネロのジャンゴの亡き恋人の名前!
そして、ジャンゴの妻の名が、Bruenhildであることにはっとさせらた。ゲルマンの古めかしい名前。ドイツ人ならすぐさまニーベルンゲンのお話を思い出す。彼女がジャンゴを見て失神する場面は笑ってしまった。あの時代の白人女性のパロディ?Bruenhildという名前を持った女は決して失神などしない!ジークフリートが彼女を救うんだよ、と話してくれたシュルツ。ジャンゴがジークフリートになり彼女を救い出した。
幌の上のでかい歯がブラブラ動いている様子や、白頭巾で目が隠れる、よく見えない、もう嫌だ!の場面は長屋の若い衆がワイワイやってる落語みたいで笑ってしまった。
音楽、全てがヴァラエティに富みタランティーノ選曲、素晴らしかった。イタリア語の美しい歌もあって嬉しかった。
タランティーノ監督の西部劇
以前に後半から観て印象に残った作品だったので今回は始めからちゃんと観る。
ドイツ人歯医者の演技も重厚かつ軽妙で達者。
レオナルド・ディカプリオも悪役を熱演。よく
やっている。銃撃シーンもかなりの迫力。
最後に爽快感すら感じる作りにタランティーノ
らしさを感じた。
ラストで超すっきり。
黒人奴隷が自由を与えられて賞金稼ぎに、しかも南部一と称されるほどの銃の名手。この設定だけでもう中二病患者にはたまりません。
R15指定の映画のためスプラッタな表現がやや強いですが、だからこそ銃撃戦が絵になります。黒人奴隷が残酷な方法で殺されたりするシーンがあるので耐性がない方は注意。
リアルで嫌なことがあってストレスが溜まってる。そんな方におすすめの映画です。
彼のような偽善者の白人に西部劇を撮らせるより、黒人や先住民や女性に撮らせた方がよほどマシだ。
タイトルにも書かれてある通り、本作品を見るより、黒人監督が撮った「マグニフィセント・セブン」の方が数倍も面白いし、第一、健全な描写であり、娯楽作品である。
まともに、マニュフェスト・デスティニーもフロンティア・スピリットも理解していない、歴史書も読まないような、「オタク」に面白い西部劇を作れる筈がない。
先住民の立場も奴隷として当時生きた黒人の苦労もその過去の映画作品からの表層的な面しか、なぞらない者に分かる訳がない。
「マカロニ・ウエスタン」ばかり見るのでなく、タランティーノはちゃんと歴史書に目を通せ。
そして、南北戦争の子孫と思しき両南北部の生き残りの方々から語録を受け取れ。
そして、本国では一番禁句なNワードを連発した罪を犯した愚行に対し、黒人の観客にタランティーノは土下座せよ。
そして、元ネタ作者である「セルジオ・コルブッチ」氏に、作品の知名度とイメージに完全に泥を塗り、汚した「功罪」に対し、やはり土下座して贖罪せよ。
この監督は、現実にはサミュエル・ジャクソン他の黒人のキャストやスタッフ共演者には表向き、俺は君たちの味方だよというアクションや愛想を「社交辞令」で振りまいて、彼らを騙しているのだが、劇中でものの見事に黒人を「獣以下」「家畜並みの存在」として、その汚く、執拗に何度も連呼する「Nワード」のセリフを言わせしめ、ジャンゴを通して、表現している。
彼が援護する黒人の正当性と映像の本編の黒人の描かれ方がものの見事に乖離し、矛盾している。
暴力に対しもっとひどい暴力でマジョリティーである白人に復讐している。
果たして、この一連の被支配者からの反逆を白人たちは見て自分たちがこれまで黒人やマイノリティーに対して犯してきた数々の不平等の機会や待遇に対し、反省し述懐するのだろうか?
こういうやり方はかえって「火に油を注ぐ」というか、黒人はやはり危険な生き物だと再認識させてしまうのではなかろうか?
いくら、フィクション、映画の中とは言えど、これらの描写を信じてしまうマジョリティーも少なからず存在すると思うのだが。
これら、一連の描写を撮るにあたって、タランティーノは本当に彼ら「黒人」の味方なのかと、疑問視してしまう。
実際、本作品は本国在住のアフリカ系アメリカ人たちから作品として酷評され大ブーイングを掲げられている。
嘘だと思うなら、今すぐYoutubeへ飛んで「django unchained 」で検索してみると良い。
最も、タランティーノファンからすれば、信じ難い事実ではあるが、耳の痛い忠告という事も念頭に入れておいて貰いたい。
表現の自由という「自由」も、それらはあくまでも、表現のモチーフにされた相手の立場を代弁したものであるという事を。
そして、それは、本当にモチーフが心から望んだ結果を招いているのかを。
その結果から鑑みると、残念ながらこの作品はトンデモ作品である。
全くの逆効果であり、黒人と白人の分断を更に煽っている。
本作品の存在そのものが人種間の分断を煽り、黒人の地位を脅かせ、誤解させる基になっていると考えられ得る。
黒人も白人同様「人間というものはシロもクロも黄色も関係なく、本来、その存在はすべてが汚い物だ」という誤った「人間みな平等に悪だ!」という性悪説の精神を喧伝し、その歪んでひねくれた感性で茶化しあげ、彼が独自に持つ一種の「ニヒリズム」と「唯物史観」だけがこの物語の根底に流れる。
実際、その後のタランティーノは一連の「Black Lives Matter運動」をそう感じ、実に「シニカル」にアメリカ社会の分断を傍観しているに違いない。
いや、笑っているのかもしれない。
彼の作品を見て、苦痛に顔を歪ませる観客の反応を楽しむかのように。
こんなに腐った連中がアメリカのメディアの表舞台に立って、さも偽善者ぶってマイノリティーのご機嫌を取っているのだから、一向に黒人の地位や質が上がるわけがない。
黒人に必要なのは銃の腕前ではなく、白人と同程度の「教養」と「学識」である。
其の為の「教育」が必要である。勿論、産業に直結した実学である。 そして、哲学である。
そして、真に平等な労働条件の平等性とそれらに説得性を持たせる州全体をまたぐ法整備の拡充である。
ところが、この作品では、黒人の「反知性」だけを故意にクローズアップ・増幅し、黒人がさも危険視されるように描かれてある。 悪いのは、何も白人だけでなく、「黒人」も悪いのだと。
そんな事、人間なのだから生物学上、当然ではないか!
では、白人の優位性が認められるなら、オバマのような黒人の優位性も評価されて然るべきである。
少なくとも、自分は現政権より、前のオバマ政権の方を人道的見地から高く評価している。
本当は、本作の主人公の黒人もむやみやたらに銃をぶっ放すのではなく、聖書でも片手に、その一説でも唱えながらやむなく銃を抜く等いささか銃撃する事さえ躊躇うような表現にでもしておけばよかったと思う。
更に不味い事に、タランティーノの自説や趣味嗜好を庇うように、現実の生活でもこんな偽善者野郎に忖度し、同調するサミュエル・ジャクソンのあまりの「人の良さ」「善人ぶり」はどうかしている。
君は、この顎のひしゃげた白人から「被支配者代表のスポークスマン」「エージェント」として、担がれ、利用されているだけなんだよと老婆心でもサミュエルに進言してあげたい。
タラに同調する行為はまさに「利敵行為」であり、同族(黒人達)に対する裏切り行為なのだと。
頼むから、目を覚ましてくれよ!と
だから、本来ならば、こういうデリケートな社会問題は白人が先導して作るのでなく、スパイク・リーとか、もっと辛口で信頼性の置ける黒人のアーティストにハリウッドは仕事を委ねるべきなんだ。
オバマ元大統領みたいなね。
もしくは、マイケル・ムーアみたいなちゃんと、マイノリティーの厚生福祉の問題まで提唱してくれる善良で教養ある真面目な白人が作り手としては最適なんだ。
こういう好戦的で武力や暴力優先で全てを片付けようとするおめでたい短絡思考派のマジョリティー(彼の先祖であるイタリア系白人も含める)がメディア側に立ち、狂暴で間抜けな黒人のイメージを意図的に作り上げ、無垢で無知な大衆を洗脳せんとする現在のアメリカ社会を見れば、分断自体、白人が作り出し、煽り、暴動を深めているとしか考えられない。
この物語を見ていると、そう感じざるを得ない。
まったく、解決手段があまりにも「短絡的」だ。
勿論、目玉である表現描写のアクション自体もお粗末極まりない。
バック・スピン・ショットとかロード・エイジェント・スピン等おおよそウエスタンには付き物の「ガンプレイ」の華麗さが全然足りていない。
銃撃やガンプレイの表現自体もアクションに何の一ひねりもなく、ただ銃をぶっ放し、無駄に血糊の量を増やすだけで、俳優に努力をさせないし、持ち味を生かさせていない。
これでは、本家本元の「用心棒シリーズ」で定評のあったフランコ・ネロの「真昼の用心棒」で見せた「宙返り回転撃ち」やジュリアーノ・ジェンマが「南から来た~」や「星空の~」で見せた「曲撃ち」の方がよほどファンサービスに徹して、カッコよかった事か。
マカロニウエスタンはかつてはむしろ上記のようなカッコいいい「ガンプレイ」のアクションを見せ場にしていたのが慣習であり、目玉であり、ヒットするのは大概ポスターに曲撃ちの技名を製作者側とは別に勝手に配給会社がキャッチコピーして宣伝していた。
それだけに、数多くの俳優が変わった「ガンプレイ」をマカロニ作品群で披露したものだ。
ところが、本作品では、俳優にろくにガンプレイもさせず、ただ、ライフルや拳銃を一発撃つだけで簡単に悪漢が身体から火と血を流して倒れてくれる。
せっかく、デカプリオを出演させているのだし、彼はクイック&デッド(1995年)で、ジーン・ハックマン相手に華麗なる「ファストドロウ」を披露して、実際ガンプレイ・テクニックも十分過ぎる位素養もあるし、見せ場も提供出来るはずなのだが、なぜか、彼にもガンプレイは封印させている。
マカロニの真骨頂はガンプレイなのだから、少なくともHoward DabyやJoey Dillon等現在でも活躍するファストドロウの名手に監修でもさせておけば、もっと「cool」で「テクニカル」な「ガンプレイ」の楽しさをお客に堪能させる事が出来たはずだと思うのだが。
もっとも、僕をゲンナリさせている表現は銃撃戦で相手にヒットした際、無駄に血が多過ぎる。
娯楽やエンタメにしては、この血の量が多過ぎると、見る人にとっては大変「心臓」に悪い。
実際問題、銃撃戦ではあれほど多量の血が流れない。
タランティーノの作品はどれもそうだが、血糊の量が必要以上に多いので、少し、抑え気味にして、観客にもう少しという所で止めておくぐらいでエンタメ作品としてはちょうど良いと思うんだが。
本作の銃撃戦も無駄や冗長さ・クドさが際立ちすぎる。
「スカーフェイス」等のギャング映画や「仁義なき戦い」のような日本のやくざ映画じゃないんだから、連射して、必要以上に悪役を蜂の巣にする必要もない。
もっと爽やかに「ワン・ショット ワン・キル」(一撃必殺)のヒット(相手の体に着弾させる)だけで十分だと思う。
カウボーイらしくもっとスマートにダンディズムにさりげなく演出してほしいのだが……。
自分の世界の絵(映像)の撮り方しか興味がない御仁のようだ。
全く、ナンセンスの極みだし、露悪趣味過ぎる。 スプラッターの趣向しかこの監督は頭にないのか?
お客は鮮血が見たいわけじゃない。 華麗なるカウボーイのガンプレイが見たいのだ。
こういう訳で、この監督、全く、御客の潜在ニーズもヒトの心理も心得ていないし、関心がないらしい。
全編、自分の趣味だけ、自分が好きなカットと見せ場だけ。
タランティーノは、趣味も嗜好も偏向過ぎて、彼が描く人間観もアメリカ人としての「アイデンティティー」もすべてが歪んでいる。
マカロニウエスタンばかりでなく、もっと「大西部への道」「大いなる西部」「西部開拓史」等の少しクラシカルで真面目な「アメリカの正統派の西部劇」それもガンファイトが少ない出演者のセリフが多い作品群も多く視聴し、趣味をもっと健全に広く保つべきだ。
あまりにも、短絡的で単純な人間像を描き続ける愚行をこの監督は相も変わらずどんなに年数を重ねてもこれでもかと繰返す。
それこそ「暴力」しか解決手段がないかのようにこれでもかゞと同じ表現手法しか見せ場を作らない。
現実の人間像とは程遠いような、全く思慮深くもなく、只々、暴力と残忍な報復しか考えられないお粗末な人間像しか描かれていない。
なので、彼の作品では出演者のセリフに全く共感できない。
彼の脚本には「知性」も「教養」も全く感じ取れない。
ただゞ、血と阿鼻叫喚とナンセンスで殺人の後でさえ、人を人とも思わないセリフのオンパレードだ。
登場人物は、絶対的なリアリティーの欠如だらけのキャラクターばかり。
こんな「ヘイトフル」な連中にどこをどう共感し、彼らに理解を示せというのか?
こういう人間に憧れでも抱かせたいのか、勝負に勝てばどんな卑劣で残忍な手段でも甘んじて受け入れろという正義へのアンチテーゼを広めたいのか?
最後に一抹でも良いから、少しは敵に情けをかけるとか、後味に「希望」であるとか、ある程度の「ファンタジー」を感じさせてくれれば自分もこれほど酷くこの監督を批評しないで済むのだが。
正直、彼の作風は「嫌い」だ。
私は、ニヒリズムでもなく唯物論者でもないので、この作品の視聴は、B級西部劇としても最も最下層にカテゴライズされ、下品極まりなく、見るに堪えない。
したがって、人には決してすすめない。 問題作である。
最後に、「Black lives matter」運動の急先鋒で吊るしあげられる映像作品の代表格として本作品は徹底的にマイノリティーから糾弾され、叩かれるべきだ。
何も考えずに見たい
何も考えなくていいです。このカッコ良さに酔いしれればいいんです。
確かに南北戦争前のアメリカですので、差別についてどうこう考えたくなる気持ちもわかります。でももうそんなことどうだっていいくらいカッコいい。監督を確認せず見ましたが、納得のタランティーノでした。パルプフィクションやキルビルに通じる魅せ方ですね。
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