「結婚も出産もしたくない人はどう感じるか」そして父になる Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
結婚も出産もしたくない人はどう感じるか
『そして父になる』(2013)
劇中で昭和40年代以降は、赤ん坊の足の裏に名前を書くなどして防備して、今はほとんどないような事が説明されているが、赤ん坊取り違えによって起きた物語である。DNA鑑定のシーンが出てくるが、これは取り違えによってなされるが、他にも男女の乱交によって、誰が本当の子供かわからないところから鑑定になったりするのは、芸能人がそれをしてワイドショー沙汰になったりもした。男女の乱交問題も現代の日本社会がもっと問題視すべき点だが、この映画では、取り違えられた男の子二人は小学校入学半年前の時期らしく、それぞれの夫婦(福山雅治と尾野真千子の夫婦役と真木よう子とリリー・フランキーの夫婦役)が、どちらの子供をそれぞれが引き取るかという話になっていくだろう。6歳くらいまで大事に育ててきた思い出と、血のつながっていると言われてきたが遺伝子を引き継いだ実の子と。6歳くらいまでも育ててしまうと、簡単に取り換えなおす気にはなれない。ぶっちゃけて言えば、取り換えた後も、夫婦二組と子供二人も定期的に会うなどして、気軽に出来ないのかという考えもありそうなものだが、感情はそう簡単なものではないだろう。筆者に子供がいない現在、この気持ちは私に強くはわからないだろう。二つの家庭は、子供連れで一緒に会う。子供たちは取り違えなんて知らないし、それぞれの二人と、リリー演ずるほうは2人他にいて、一緒に遊び始める。二つの家庭のキャラクターの違いも経緯に作用するが、福山は育ての子も実の子も両方引き取ろうとする。友人の弁護士役が田中哲司。実物は仲間由紀恵と再婚して双子の父親になったばかり。この映画は現在の5年前。双方の夫婦と福山側の弁護士と病院担当者と、リリー側の弁護士もか、話し合いを持ち、どうしていくのかみていく。ただ、現在の日本人の中には、結婚もいらないし子供もいらないとする個人主義者が増えたようなイメージがあるから、この映画では、そういう場合よりも夫婦もクリアしているし、子供だって取り違いがなければクリアしていた段階の人達だった。子供を交換して様子をみるが、福山側は都会のエリートの生活。リリー側はかなり田舎の個人商店、育て上げられてきた雰囲気がまるで違う感じなのだ。ただ、6歳頃の子供なら、だんだん新たな環境に適応していくような気もする。でも何か大変な異文化体験な気もする。リリー側は放任的だが、福山側は習い事などもさせていて、気持ちが複雑かも知れない。リリー側は食事も豪快だが、福山は、実の子に箸の持ち方から教えようとする。だが子供は別に拒否もせず、教わる。適応、再適応は子供の年齢にもよるだろう。この作品が6歳頃に子供を設定したのは、年齢によっても、家族の考え方によっても、経過が違ってくるだろう。電車での母と子の陰影とか、福山が「壊れたヒーターも直してもらおうか」というセリフなども、なにか思わせる。福山役のエリートサラリーマンのキャラと、リリーのそれとの違いが考えさせる。福山役が二人の子供を引き取ろうとするところでいざこざが生じる。リリーのセリフ、「負けたことのない奴は人の気持ちがわからないんだな」。この映画は福山役のようなエリートサラリーマンがどうこの事件によって変化していくかというのもあるのか。そして、裁判の現場になる。取り違えたと思われる看護師も出廷していたが、そこで看護師が幸福そうな一流企業の赤ちゃんに嫉妬して、
わざと取り換えたという。私には書ききれないが、時効の問題や、それぞれの取り違えられた人達がどう考えるかなど細かい。考えさせられる。福山役の実家も出てきて、父親役の夏八木勲が存在感を出しているが、この映画の放映年に亡くなっていたのか。父親は血で似てくるから、早く交換して相手の家族と会わなくなることをアドバイスする。そう簡単に行かないという福山役に、後で、
夏八木役の後妻役の風吹ジュンが、育てていると血以上に親密化するようなことを福山役にいう。
夏八木、風吹と、渋い演技だ。雲空のシーンが少し入ったり、細かい工夫だ。エリート人間もいろいろとそれによって言われるシーンも多い。エリート対庶民、社会的有能対非有能という部分も
是枝作品には意識されているのか。取り換えたくない気持ちを残しながらも、取り換え違えられた二人は交換されて、それぞれ血のつながったほうへ向かう。別れの辛さを言葉なしに演技で表す。
これは是枝監督のカンヌ最高賞記念に新たに監督が編集して民放テレビで放映されたのを録画しておいたのをみたものである。本当にその後はそれぞれ会わないほうが良いのかどうかは私にはなんとも言えない。それぞれの父親、母親が、友情のようなものも感じさせていたりした。個性はあるものの、誰もが悪人ではなかった。映画の宣伝でもみられた、双方の家族全員での記念写真のシーンになった。実の子がやってきた段階も、これまでの躾の違いから親子とも大変かも知れないが、それぞれの躾をはじめる。福山役が風吹役の義母と電話で会話するシーンも泣かせる。福山側に戻った子供が元のリリー家にいってしまうのだが、福山役が連れ戻す。寝ている子の前で夫が妻に、昔同じことをしたんだと語るシーンは深いものを感じるシーンだ。福山役の男は社会的にはエリートだが、基本的に不器用なのに、器用なリリーの家で育った息子がだんだん親子に慣れていくシーンはかなり泣ける。それからも複雑でデリケートな親たちの心情が映される。その後も思い出すことでの泣かせるシーンなど、連続する。そしてまだ複雑な関係性が描かれる。もう涙が止まらなくなる。そして、別に会ってはいけないということもなかった。不器用なほうと器用なほうと、それぞれ補完し合っているようにも思えた。育ての親というテーマもあるが、それでも結婚も出産も子育てもしたくないという人がいるという側面を間接的に垣間見させる。