アイアン・スカイ : 映画評論・批評
2012年9月25日更新
2012年9月28日よりTOHOシネマズ六本木ヒルズほかにてロードショー
人も映画もすべて編集=権力によって白にも黒にもなる
ティモ・ブオレンソラ監督作「アイアン・スカイ」は、たとえば1970年代に作られていれば、「エル・トポ」から「ロッキー・ホラー・ショー」まで、サブカルチャー深夜族を作り出した<ミッドナイト・ムービー>にぴったりの映画として、やんやの喝采を浴びただろう。ちょうどベトナム戦争敗走後のアメリカで、この映画の女性大統領の「われわれがこれまで勝利したと言えるのはナチスだけよ」という台詞に観客はどういったシニカルな反応を示したか? ナチス先発隊の円盤が着地するのが、ニューヨーク郊外の密造マリファナ畑というのも<ミッドナイト・ムービー>のお約束に近い。
ともかく、オバカ映画スレスレのブラック・コメディ。ナチスはジャズ的なもの、黒人的なものを<退廃、劣悪>として嫌悪したが、月面着陸した飛行士が黒人だった(これはアメリカ大統領の選挙対策人気とり)というのがこの映画の秀逸な発想である。ナチスの健全・健康・優越思想が、そのまま、アメリカ選挙戦の演説草稿となって、熱狂を呼び覚ますあたり、<戦時下>の大統領となることへの病んだ憧憬ともどもわれわれがこのところ目にし耳にする世界状況に認識はぴたりと当てはまる。アーリア系白人にされた黒人の右手が否応なく、ハイル……と上がるあたりは、キューブリック「博士の異常な愛情」であり、ヒトラー賛美短編と化したのが、チャップリンの「独裁者」だ。人も映画もすべて編集=権力によって白にも黒にもなるのである。
(滝本誠)