2012年という、少し前の作品である。
自分は今まで、安田弁護士のことを知らなかったが、映画館はほぼ満席で、関心の高さを伺わせた。
一言で「死刑弁護人」と言っても、様々なケースがあって、事案は決して同じではなかった。
自らの罪を認めていながら、不幸な生い立ちと、死刑廃止を訴える死刑囚。
死にたいと語る、“心身喪失”気味の無期懲役囚。
弟子に犯罪を命令したことを否認する、新興宗教団体のボスの死刑囚。
詐欺師ではあるが、殺人は否認する死刑囚。
マスコミの報道“だけ”見れば、決して“弁護に値しない”被告たちである。
安田弁護士は、映画の時点で、刑事・民事合わせて50件以上を抱えていたが、そのうち8件が死刑案件だという。
“真理”や“司法の正義”や“人権”を求めるのであれば、死刑案件である必要はない。
「新宿西口バス放火事件」では、頼まれてもいないのに、自ら出かけていったらしい。
もはや「反権力」の領域すらも超えた弁護活動だ。
活動の根本には、「死刑廃止」の思想があるようだ。
それが実現できないから、“次善手段”として、死刑にさせないように法的に抵抗しているように見える。
だから、冤罪や“更生”の可能性は無いと言っていい、オウム事件の麻原彰晃でさえ、弁護の対象となる。
「(麻原は)自分はやっていないと言い続けたから」と。しかし、安田弁護士自身、どれだけ麻原の言葉を信じていたのだろうか?
最後まで観て、「光市母子殺害事件」に限らず、「死刑廃止」のために活動していると批判されても仕方ないところがあるように思わざるを得なかった。
冤罪の疑いのあるケースは別として、(特に死刑判決を望む)被害者の遺族にとっては、たまったものではないだろう。
しかしその一方で、誰もが見放すような案件にも敢然と立ち向かって、単純な善悪を超えた“法による最後の砦”として活動している姿には、敬意を払わざるを得ない。
「和歌山毒カレー事件」の林眞須美被告は書く、「日本には先生しかいません」と。
このドキュメンタリーは、そういう“究極の弁護士”の姿を、克明にとらえている。
結論は、観る者に委ねられている。