シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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とりあえず皆で行こう!
一時は(ずっと?)どうなる事かと思ったが、無事完結。まずはそこを寿ぎたい(笑)
『Air/まごころを、君に』の経験が生きてるというのが最初の感想。
性急になりすぎず、エンタメとしての爽快感を維持しながらテーマに切り込んでいる感じ。
映像の素晴らしさ、セルフオマージュの巧みさは流石。
大げさでなく、日本アニメ史に残る名作が生まれたという事だろう。
とはいえ、TV放映時から追いかけてきた自分個人としてはモヤる部分があったのも確か。
もちろん、積年の「思い入れ」があるので「何を出されてもモヤる」可能性が高いのは自覚しているが…綾波の扱いはもう少しなんとかならなかったのか。
綾波に関しては『序』『破』の流れとの乖離を感じてしまうなー
あと、「1000人レベルの共同体で農業」って!(笑)
「理想郷」のビジョンがそれなんだーという脱力感はあった。
正直、あの辺の展開は(必要性は理解できるものの)苦痛で、「このまま終わったらどうしよう…」と不安を抱きながら見ていましたよ、もう。
この辺は完全に個人的な趣味問題なので、評価には関係ないと思うけど。
最後に、
一言でいうとマリの映画だった!(笑)
この辺りは庵野監督の誠実さの表れだと思って高く評価してるんだけど、僕は。
既存のキャラだけではエヴァは終われない、似た結果になってしまうから、今までにいなかったタイプの個性を投入するという事でしょう。
実際、コアメンバーであるシンジ、アスカ、ミサトの行動はTV、『Air/まごころを、君に』、あと本作で大筋は変わっていないのだから。これはスゴイことだと思うのですよー
やはり世界の中心で愛を叫んだケモノ
長く感じるほど中身の濃い、濃すぎる映画でした。
フィナーレに相応しく、大人になったという言葉が、
角が取れて丸くなった姿という意味で言うならば、
庵野秀明総監督が「大人になった」とも言うべきことなのかと。
なぜなら、ストレートに伝わるメッセージがあったから
ただ言葉にせずとも、絵で伝える
表現者たる自覚は忘れずに、ただわかりやすく
暖かく伝えていた。
リピートという意味に見出されること、
本当に生涯の作品なんだろうなと。
Redo. という表現も過去ありましたが、
全ては作品を咀嚼する側へのメッセージか。
やはり作品を複雑にする用語は照れ隠しにしか見えず、
本心はやはり愛を叫んでいるとしか僕には受け取れない。
ただ、今回は大きく違ったのは、愛の見方が変わっているということ。
どこかにcodaがあり、一曲が終わった感じ。
その曲のタイトルは「エヴァンゲリオン」
A面B面があるカセットが象徴的に使われるのもそれが故のことか。
自分はラフマニノフのピアノ協奏曲が大好きで、何度もリピートしますが、没入していると、そこに広がるのは「想像の」世界。どこかしら似ている気もする。
長調では花畑と木漏れ日を想像し、短調では凍てついた大地を想像する。
そこに入り込み、想像を重ねると行き着く世界は二次元と頭の知識(言葉)か。
今回の映画は目も頭も疲れますが、どこか愛という温かみを感じ、エヴァにしてはなかった何かがある気がします。
これまで見てきた人は是非に。
さようなら全てのエヴァンゲリオン。
スタッフ・キャストの皆さん、ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。
今作を見る前に、『序』・『破』・『:Q』・『Air/まごころを君に』、を改めて映画館で鑑賞したうえで初日に4DXで観に行きました。最初観終わったとき、「庵野監督はやっぱりすごいなぁ。でもうーん、よくわからんかった。」という感じで、別の日にもう一回見に行きました。
二回目はIMAXで鑑賞しました。一連の流れはわかっていたので余裕をもって鑑賞しました。それでもよくわからなかった。そして14日に再びIMAXで鑑賞してきました。三回目はパンフレットを読んだうえで鑑賞しました。パンフに書いてあるところを注意して観てみるとアニメーションの迫力や声優さんの演技が一段と熱が伝わりました。
結論として、やっぱり庵野監督はすごい人だなぁと改めて実感できました。前半は日本の原風景中心で田植えや銭湯といった、第三村の生活環境が詳しく描かれており、今までのエヴァとは雰囲気がガラッと変化していました。農作業しているレイや成長したケンスケとほぼ全裸のアスカが同居していて、新鮮な気持ちで観ることができました。
個人的にお気に入りのシーンはシンジくんがルアーのリールを巻いているカットが好きです。ルアーのハンドルが回転している描写がものすごく滑らかに表現されています。必要のないカットだと思ったけど、総監督のこだわりが伝わってきました。
後半は庵野ワールド全開、といった感じではないでしょうか。戦艦同士の砲撃戦や特撮がふんだんに盛り込まれており、総監督の趣向がエヴァの世界観とうまく調和していました。個人的にはミサトさんの部屋でエヴァ同士の戦闘がかなりツボにはまりました。
この後に起こる最後のインパクトに私は最初ポカーンといった感じで呆然し、最後にはシンジくんが線画になったときは頭が混乱しました。三回目観たときはシンジ君はあの時、自分の存在が消えると分かったうえでの行動だったと考えました。
そして、最後にシンジ君は「他者を信じる」ことができ、成長した姿を見られてホッとしました。
正直エヴァを全く知らない人がこの作品をみてもよくわからないと思います。でも25年の歴史が詰まった映画なので、初見の人でも一度は見てほしい作品です。
つい最近Dolby Cinema版を観てきました。正直IMAXを超えています。線の一本一本が鮮明で色鮮やかなアニメーションでビックリしました。ケンスケのメガネが意外と分厚かったり、作中の文字がクッキリと見えて観やすい!!サウンドも申し分なし、シン・エヴァでDolby Cinemaのすごさがわかりました。ありがとう、エヴァンゲリオン!!
君の名は。を認めているというメッセージが含まれているのでは?
面白かった、いや面白かったと言わざるを得ないだろう。100点満点で採点すると、86点となった。これは自分基準で★4.5(★5が最高)となる。
感想に入る前に、目次と自分のエヴァ視聴歴および『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(以下、『シン・エヴァ』)について参照した情報を書いておきたいと思う。
まず自分のエヴァ視聴歴であるが、「旧エヴァTV版」はなぜか最終話だけリアルタイムで見て、20年後に9話くらいまで(シンジとアスカが初めて共闘し、息を合わせて使徒を倒すところあたり)見た。「新劇場版」の『序』は半年前の2020年夏ごろ、『破』・『Q』は公開直前である2021年3月6・7日に視聴。そのため「旧劇場版」は未視聴であるし、漫画版も未読である。
次に参照した情報について書くと、映画本編以外ではパンフレットだけである。
では目次を以下に記す。なおこの感想は、全体で5000文字ほどである。
1.採点と内訳
2.『新世紀エヴァンゲリオン』として伝えたいこと
3.役割的な意味での「マリを追加した理由」
4.旧エヴァからのファンへの真なる感謝(≠ファンサービス)
5.もし次に庵野秀明に語ってほしいテーマがあるとすれば、それは「認め合う事」
6.『君の名は。』を、つまり新海誠を認めているというメッセージ
かなりの文章量であるため自分として重要な段落を書くなら、「1、3、6」となる。
1.採点と内訳
最初に書いた86/100点の内訳を記す。なおこの配点は自分が映像作品を採点するときに用いているものだ。(ちなみにこの配点での最高点 = 自分が一番好きな映画 = 『君の名は。』は95点である。)
■『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』86点
物語:14/20
人物:19/20
音楽:15/20
演技: 5/ 5
哲学: 5/ 5
主題: 5/ 5
映像: 5/ 5
総合:18/20
▼物語基礎点:15(かなり良い)
全体としてわかりやすく作られていたと思った。自分がエヴァに抱いていた印象は「宗教的な用語を多用するがその意味は明かさないなどの、投げっぱなし系」であったが、『シン・エヴァ』ではテーマをしっかり説明し、理解しやすくしている印象を持った。おかげで新劇だけ見たような自分であっても理解できたと考えている。
以下、基礎点からの加点減点。
-2:第3村での展開が冗長に感じた。いや、アヤナミレイ(仮称)(以下、別レイ)が居場所を見つけたりシンジが回復するための時間であることは理解できるが、それでも長く感じた。
+1:第3村の展開は別レイの喪失を印象付けるためだけの演出と思っていたが、鑑賞後にここでの展開が「社会」の必要性を描いているのだと思ったこと。
▼人物基礎点:20(最高)
どのキャラクターも魅力的であり、かつ心情を吐露してくれる場面もあったため理解しやすかった。とりわけゲンドウとアスカの心情描写がわかりやすくて良く、完結編に相応しい描き方であったと思う。
以下、基礎点からの減点。
-1:ミドリ(ピンク髪かつ厚ぼったい唇の、軽いキャラした女隊員)が少し不快なキャラクターであるため
▼総合基礎点:15(かなり良い)
物語と人物部分で書いたように、完結編として申し分ない作品だと思う。しかしながら個人的には、鑑賞後の心地よさ(≒カタルシス)がそこまであるわけではなかった。わかりやすく作ってくれた分、疑問点や不明点、謎に思う部分もあまりないため再度観ようという気にはなっていない。そのため基礎点は15点とした。
【印象的なシーン】
その1.別レイが活動限界を迎えて液化する場面。それまでの牧歌的な雰囲気が一変して一気に引き込まれた。
その2.ミサトが銃弾からシンジをかばって被弾するものの、「シンジくんの全責任は艦長の名において私がすべて負う」のように宣言したところ。ミサトのシンジに対する信頼(≒愛情)が表れていて、軽く涙ぐんだ。
その3.ラストカットにて主題歌『One Last Kiss』の歌いだしが流れてきた瞬間。
以下、基礎点からの加点。
+1:ラストシーンの心地よさとハッピーエンド感
+1:圧倒的な映像美
+1:神木隆之介の起用理由と推測しているコト(これについては段落6.にて触れる)
2.『新世紀エヴァンゲリオン』として伝えたいこと
『シン・エヴァ』いや『新世紀エヴァンゲリオン』として庵野秀明が伝えたかったことはたった1つであるように思う。それは「自分の殻に逃げ込むな。傷つくのを覚悟の上で他者に近づけ。人との繋がりが一番大事なのだから」だ。これはシンジの言動、情動および行動と、ゲンドウの過去およびそこから発生した動機から読み取った。
人は一人では生きられない。正確に言うなら、他者と関わって社会を形成してこそ人間として生きられる。だからニアサードインパクト後のセカイにおいても、そんな状況下で形成されたシャカイ(=第3村)を描いていたのではないかと思う。そしてこれは、ヒトが生きていくには社会が必要ということを示しているのではないか。ひいては社会を無視している「セカイ系」への間接的な反論ではないだろうか。そう自分は感じた。
3.役割的な意味での「マリを追加した理由」
新劇の特徴としてマリの追加がある。ではなぜ追加したのか?と考えてみた時、次の2点の役割を持たせたかったからでは、と考えた。
3-1.戦闘的な役割
戦闘的な役割としては、アスカを戦線離脱させても問題ないようにする、ということだと思う。『シン・エヴァ』では開幕からタイトルコールまではマリひとりで戦っているが、これだってマリがいなければ描けない戦闘だ。この戦闘そのものにはあまり意味がないと思うが、マヤとその部下たちとの関係性を描くためには必要なシーンだ。またアスカはこの時、シンジ達とともに放浪したのちに第3村に滞在する必要があるのだから、その意味でもマリがいた方が良い。
そして戦闘的にもっとも重要なのはシキナミタイプの生アスカにアスカが取り込まれたあとで、すなわちここでアスカを戦線離脱させてもエヴァパイロットが存在している状態で物語を紡ぐことができる。そのためのマリなのだと思う。
3-2.物語的な役割
物語的な役割としては、シンジとアスカを「くっつけないため」と考える。ここで重要なのは、シンジとマリがくっつくことではない。それは後付けというか消去法的に決まることであって、一番の役割はシンジとアスカをくっつけないことだ。
『シン・エヴァ』クライマックスでのアスカ回想シーンで描かれる通り、アスカが求めているのは恋人というより父親に近い存在である。これは、シンジが成長する前に求めていたのが恋人ではなく母親であることと対比されている。だから新劇においてシンジとアスカがくっつくことはないのである。しかしシンジとレイが結ばれることもまたない。レイは母親であるところのユイとニアリーイコール、または妹になるかもしれなかった存在であるため、結ばれることは禁忌である。
だがそうするとヒロイン2人ともが主人公と結ばれないこととなり、世界は救われてもシンジが救われた気がしない。そのためのマリなのである。
はっきり言ってしまうがアスカまたはレイに比べると、マリとシンジが共有した時間は薄く短い。またマリはゲンドウとユイと同級生であることから、生きてきた年数がかけ離れているとも思う。しかし肉体年齢的には、エヴァの呪縛から同時に解放されたシンジとマリはほとんど同じであるし、精神年齢的には成長後シンジはゲンドウを超えているだろう。もちろんマリの精神年齢も成熟しているため、その意味ではベストカップルと言える。
以上が、自分が考える「マリを追加した理由」である。
4.旧エヴァからのファンへの真なる感謝(≠ファンサービス)
パンフにある通り、旧エヴァから25年の月日が経った。旧エヴァ放送当時に思春期であった人は今、アラフォーになっているということだ。そして旧劇を含む旧エヴァは、いわばバッドエンドであると周りから聞いている。世の多くの人はバッドエンドよりハッピーエンドを望むだろう。その意味で旧エヴァファンはやるせなかったことと推察する。代わりの物語を求めた人もいただろう。しかし新劇の所信表明にて庵野秀明が断言した通り、"この12年間エヴァより新しいアニメはありませんでした。"という状況だったのだ。つまり、旧エヴァファンは「エヴァの呪縛」によって時間を止められていたのだ。
そんな中で始まった新劇。『序』『破』での盛り上がりとは裏腹に『Q』では鬱々とした展開になり、また空白の時間が8年以上続いたため旧エヴァファンは不安だったのではないだろうか。しかし公開された『シン・エヴァ』は、ご存知の通りきれいにまとめたハッピーエンドであった。旧TV版の各回タイトルを高速で流した場面などは、旧エヴァファンにはたまらないものだったのではないだろうか。
自分がはっきりとわかったシーンはこのTVタイトル部分だけであったが、それらを盛り込んだのは「ファンサービス」などという軽いモノではないと考える。ではなにか。それは旧エヴァからのファンへの「真なる感謝」なのではないだろうか。そして『シン・エヴァ』によって、旧エヴァからのファンは「エヴァの呪縛」から解放されたことだろう。彼らの時間はようやく動き出したのだ。
5.もし次に庵野秀明に語ってほしいテーマがあるとすれば、それは「認め合う事」
『新世紀エヴァンゲリオン』として伝えたいことは段落2.にて書いた通りだが、これは中高生に向けたメッセージであり現代で生きるための第一歩と言えるだろう。では第二歩はなんであろうか。
それは「認め合う事」と考える。「認め合う事」はLGBTQに代表される性的マイノリティに対してもそうであるし、世代ごとの人数差から生じる世代間理解においても大事なことなのではないだろうか。
庵野秀明が次に何を語るのかは存じ上げないが、もし「認め合う事」を語ってくれるなら期待して待ちたいと思う。
6.『君の名は。』を、つまり新海誠を認めているというメッセージ
『シン・エヴァ』を観ていて、自分はなぜだか『君の名は。』を想起していた。覚えている限りで挙げると以下の4点となる。
6-1.別レイに対するシンジのセリフ「君の名前は?」
6-2.エヴァが先にやっていた「音楽を流しながら日常を切り抜きで描く」見せ方の使用
6-3.第3村という農村で繰り広げられる「エヴァっぽくなさ」
6-4.ラストシーンの社会人シンジの声を神木隆之介(=『君の名は。』の主人公である立花瀧役)に任せたこと
ここからは完全な推測となるが、庵野秀明は『君の名は。』を、つまり新海誠を認めているのではないだろうか。
段落4.にて引用した言からもわかる通り、庵野秀明は新しいアニメを求めていたが1995年~2006年までの12年間では現れていなかった。しかしついに現れたのが『君の名は。』(2016年公開)だったのではないだろうか。
上で挙げた4点のうち、客観的に見て明らかなのは「6-4.ラストシーンの社会人シンジの声を神木隆之介に任せたこと」だ。緒方恵美が社会人シンジの声を出せないとは思えない。ではなぜこんな大役を神木隆之介に任せたのだろうか。客寄せパンダ?いや違うだろう。むしろ旧エヴァファンからは反感を買うはずだ。もちろんそんなことを庵野秀明が想像できないとは到底思えない。ではなぜか?
そう考えた時に自分が結論したのが、庵野秀明は『君の名は。』を、つまり新海誠を次世代のアニメ監督として認めているということだ。そして新海誠にバトンを渡すことを示すために、批判を承知で神木隆之介を起用したのではないか。ちょうど宮崎駿が『風立ちぬ』で庵野秀明を主演に起用したように。
自分は、そう考えている。
終劇。
長きに渡ったエヴァが、延期に延期を重ねたエヴァがやっと終わりを迎えた。
最終章に相応しい映画だったと思う。
シンジの葛藤、レイの成長、そして物語の進み方も良かった。相変わらず理解力の低い俺には分からないところが多々あったけれど、ほっこりしたし、バトルも迫力あったし、レイもアスカも可愛かったし、まぁいい終わり方だし、先のことはあまり映像化しないのもいいと思う。 とりあえずお疲れ様。ありがとう。
今の時代
冒頭の市街戦など、やはり戦闘シーンはド派手な迫力で、縦横無尽な動きやスピード感は見応えがありました。
心理ドラマの面では、人との触れ合いでシンジが心を開いてゆく、綾波が人間性を獲得してゆく、といった成長の流れは、「序」「破」の流れを繰り返しているかのように感じました。
しかし、今回は学校や組織といった枠組みの中でなく、自然の中で働く人々の中で、大人としてリアルに生きるということを意識させられます。
また、村で生活する人々の描写は、やはり今の時代、現実の災害からの復興を連想せざるを得ません。
政府からの支援はなく、反乱軍的な組織からの支援で生活を維持しているというのも、考えさせられます。
権力者的な人物が混乱を引き起こして、自分のエゴの為に邁進しているというのも、なんだか。
個人的には、良い人ばかりの村の描写は理想的過ぎるような気もしましたが。
14年の間に色々あったということのようではありますが。
理想や希望を描いているということでしょうか。
クライマックスは、予想通りというか期待通りというか、メタな演出で楽しめました。
アニメーションの作り物の空間から外に出るような、しかし、アニメーションの世界を消し去る訳ではなく、そのまま現実に繋げてゆくような。
エヴァが無くても良いような世界というのが、孤独に閉じこもる空間としてのアニメーションが無くても良いような現実世界、という意味合いにも感じました。
アニメーション世界に閉じこもるのではなく、現実にもきちんと目を向けるべきというような。
ストーリーとしては、基本皆いい人で理想的にまとまったという印象です。
最後のシンジの変わり様は違和感もあるような、テレビ版では学園ラブコメアニメの世界線だったのが、今風の爽やか青春アニメの世界線にシフトしたのかというようにも感じました。
とは言え、現実への希望を感じさせるラストは良かったと思います。
神話となった作品
長期に渡り愛された作品であり、都度ファンから物議を醸した作品が遂に終わりました。
私の予想を覆して、今まで見てきたファンの為に答えを合わせをしてくれたなと思いました。その辺は賛否両論ありそうとは思いますが、庵野監督が次の世代にエヴァを託したのだと感じました。
1番の良かったところは、シンジくんの成長を遂に見れたことです。それに尽きると思います。現実を受け入れず、毎回逃げていたシンジくんが父親と向かい合ったのは感動しました。
また、其々の問題を抱えた人々は成長が見れて良かったです。綾波は人の心持ち、アスカは頼れる人を見つけ、ゲンドウは妻を見つけ、ミサトさんは復讐ではなく守るものの為に戦い、リツコさんは愛を捨てゲンドウを断ち切り、カヲルくんは自身の幸せを見つけました。随所に旧劇場版との決別が描けてていて良かったです。
(マリの存在に関して)
殆ど答え合わせをしたのに、あえて新劇で初参加のマリだけを謎のままに残したのは素晴らしいと思いました。
マリはゲンドウの大学時代のよしみのようなので、実年齢はゲンドウたちと同じでありながら、見た目はチルドレンたちと同じ、つまり唯一大人と子供の間にいる存在です。だから、シンエヴァの重要人物となったのだと思います。
また、大学時代のニックネームから、エヴァの生みの親(神の子の母)であり、補完計画反対派(叛逆者)であったのではと考えています。
ラストの終わりで、マリが突然中心になったのは、全てを知っている存在であったから唯一シンジくんを救える立場であったと思います。
(4本の槍に関して)
映画の途中で槍がロンギヌスとカシウス以外に2本出てきましたが、あれは現実と虚構を表すのかなと勝手に思いました。私だけのイメージではロンギヌスが死、カシウスが生だったので、後半に現実と虚構の話になったのが理解出来なかったので、もう2本の槍がそうなのだと解釈しました。
また、最後の方は虚構から現実になっていくのが強かったので、皮肉を込めて私たちファンを現実に引き戻す意味も込められているのかと思いました。
(エヴァの呪いに関して)
新劇から追加されたエヴァの呪いは、どっち付かずの状態の象徴かと思いました。カヲルくんや綾波は使徒と人間、アスカは子供と大人というように真ん中にいることを指していたのかなと思いました。(マリは色々と狭間にいる存在として扱われてると感じます)
(まとめ)
エヴァは今回で完結となり日本のアニメ界として、永遠に残る作品となりました。この先も語り継がれる物語(神話)になったのだと思います。最高の作品と同じ時代にいれたことを感謝したいと思います。
良い結末だった
最初の綾波の「〇〇って何?」シリーズが可愛かった。それに答える委員長が優しいお母さんみたい。
壮大なプロジェクト。難しいこの話をよく綺麗にまとめたなぁと妙に感心してしまいました。
最後にはみんな幸せな結末になって良かった。ゲンドウも。ユイと会えて一緒に…良かったね。
ラストの曲に合わせた映像に涙が出そうでした。
大人になってからのシーンで、向こう側のホームに綾波とカヲルらしきカップルが…!
あんなにメンタル弱くてコミュニケーションが上手く取れなかったシンジが、普通の男性になっていた。マリとのやり取りが微笑ましかったし、爽やかな晴れ晴れとした終わり。
こんな薄っぺらな感想ですが(笑)
長いけどあっという間。
観て良かったです。
おまけ
作中に監督の奥さん(安野モヨコさん)の「おチビさん」が絵本として登場して、夫婦の作品共演ですね。
ラストの絵コンテ?というのかな?あまりアニメや漫画に詳しくなくて申し訳ない。アニメ映像になる前の鉛筆画のような状態の映像も、遊び心があった。この監督が昔手がけた「彼氏彼女の事情」の漫画をアニメに混ぜていた部分を思い出しました。
ぶっちゃけ理解できなかったが……面白い!!
「理解できないけど面白い映画」ってありますよね。よく例に挙げられる作品としては「2001年宇宙の旅」とか。私にとって、この「エヴァンゲリオン」シリーズはまさにその「わかんねーけど面白い」作品の典型で、難解なストーリーが全く理解できなくてもド派手なアクションと圧倒的な映像美で観ているだけで面白い作品です。「新劇場版」に関しては、一作目の「序」以外の二作に対しては「わかんねーけど面白い」っていう評価をしています。もちろん昨今ではブログやYouTubeなどの媒体で、多くのエヴァファンが様々な考察を行って、難解なストーリーを分かりやすい解説を公開してくれていますので、鑑賞後にしっかり調べれば内容を(ある程度は)理解できるんですが、鑑賞後は本当にチンプンカンプンなんです。それでも「間違いなく面白かった」と思えるほど、このシリーズには言葉で表現できないような強いパワーがあります。
私はアニメ版や旧劇場版は未鑑賞です。漫画版を読んで新劇場版を観た程度ですので、そこまで熱心なエヴァファンというわけではありませんが、それでも前作「Q」から9年間待たされていたので、「待望の」って感じで鑑賞いたしました。
結論。やっぱりわかんねー。けどめちゃくちゃ面白い!!
やはり神話や哲学を織り込んだような難解な内容ではありましたが、四半世紀続いたシリーズの完結としてはこれ以上ないほどに良かったと思えます。主人公のシンジだけでなく、レイもアスカもカヲルもミサトもゲンドウも、全てのキャラにしっかりフォーカスした「終劇」になっていたように感じます。前作「Q」が残していった数々の謎もしっかり解決して完結していましたので、それも素晴らしかった。ラストシーンも素晴らしかったし、ラストにちょっとだけ出てくるゲスト声優も違和感なく素晴らしかったし、私の好きなマリは本作でも胸が大きくて良いオンナで最高です。本当は☆5評価したいくらい感動したんですけど、やはり難解な内容故に理解できない部分もあって、ちょっと不完全燃焼というか、物語は綺麗に終わったのに理解できない部分があるせいでイマイチ「終わった~!」って感じがしない。まだ解説動画や他の人のレビューを観ていない状態なので、色んな方の解説を読んだら評価が上がるかもしれませんね。
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前作「Q」の続きからストーリーは始まる。ネルフに反旗を翻した葛城ミサト(三石琴乃)率いる組織「ヴィレ」は、コア化により住民が死滅したパリの街にいた。パリの街を浄化してネルフパリ支部が残した資源を回収するための作戦行動中、その作戦を阻止しようと碇ゲンドウ(立木文彦)率いるネルフのEVAが大群で押し寄せてくる。エヴァンゲリオン改8号機を操るマリ(坂本真綾)がEVAの大群に立ち向かう。一方シンジ(緒方恵美)、アスカ(宮村優子)、レイ(林原めぐみ)の三人は、ニアサードインパクトを生き延びた人々が集う第三東京村へとたどり着く。そこには14年の月日が経ちすっかり成長した、かつてのシンジの同級生であるトウジ(関智一)とケンスケ(岩永哲哉)の姿があった。
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新劇場版は冒頭から戦闘シーンで始まることが非常に多いですよね。めちゃくちゃカッコいい戦闘シーンが冒頭に出てくることで、観客の興味は一気に惹きつけられます。
前作「Q」でシンジによってニアサードインパクトが発生していたことが明かされたため、第三新東京市にいた高校の同級生などは亡くなったのかと思っていましたが、本作の序盤で生きていたことが判明。これだけで私は普通に泣きそうになりました。トウジもケンスケも生きてるし大人になってるし立派になってて子供もいて、感動のシーンです。シンジはニアサードインパクトの責任を感じて人と接しないようにしているがトウジもケンスケもアスカもレイも結構グイグイ来る。彼らの優しさへの感謝と罪悪感の狭間で押しつぶされそうになっているシンジの気持ちは理解できます。
新劇場版から登場した新キャラクターであるマリがここまで活躍するとは思っていませんでしたね。私はアニメ版を観ていない、新劇場版からエヴァに入った新参者ですので、古くからのファンの方と比べれば新キャラのマリはすんなり受け入れられたと思います。しかしここまで積極的に戦闘に参加し、活躍し、最後はシンジとくっつく(?)ことになるとは完全に予想外でした。ラストでしっかり成長したキャラクターを描くことで「ループからの脱出」を表現し、実写とアニメが融合したような演出で「日常に戻った」という表現をしたかったように感じます。私個人としてはこれ以上ない綺麗で完璧なラストだったように感じます。
庵野監督もこれでようやくエヴァの呪縛から解放されて、ラストに登場した宇部市(監督の地元)にいったん帰ったりしてゆっくりするのかなーとか勝手に想像してしまいます。「平穏な日常に戻った」のはシンジたちだけじゃなく庵野監督自身もそうなんでしょうね。過去に庵野監督は「エヴァの主要キャラクターは自分の人格の一つ」とおっしゃっていたらしいので。
とにかくこの作品の素晴らしさを言語化するなんて絶対無理です。とにかく劇場で鑑賞してください。そしてエヴァについての解説を動画やブログであげている古参のファンや有識者がたくさんいらっしゃいますので、そちらをしっかりご確認ください。「よくわからなかったな」で終わらすにはあまりにも勿体ないストーリーがあるはずです。
オススメです!!!!!!!!!
ありがとう
開演前のピリピリした感じは、ここまで費やした時間の終わりが目の前に近づいていたからだろうか。
コロナ禍で伸び伸びになっていたのも、なんとなくぽいなぁ〜と思ったり。。
最初の戦闘シーンの激しさからの、沢山の?!?!?!が、「あーいまエヴァンゲリオン見てんだなぁーそいやぁ最初に見た時もこんなだったなぁー」と思ったり。なんか色々と思い出したり。
死ぬまでに終わって良かった。
長い間の楽しみが終わりました。
ありがとうエヴァンゲリオン。
さようならエヴァンゲリオン。
最終回!25年かけて完結させたエヴァンゲリオン
先ず25年という歳月をかけても、ちゃんと完結した事がスゴいと思います。「25年」って書くと数字でしかないけど、オギャアと生まれた赤ちゃんが立派な成人になる年月。単純に長いですよねぇ。
んで、公開初日の8日から7日間の累計で動員219万人だったらしいです。比較を上げると日本の都市で4番目に人口の多い名古屋市が約229万人です。もちろん一人で複数回観た人もいるでしょうし、そのまんまの数字じゃないにせよ、それだけ多くの人達が楽しみに待ってて映画館まで足を運んだって事ですよね。単純にスゴいですよねぇ。
という訳で「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」です。
冒頭のパリでの戦いにアツくなって。
第三村の生活のシーン(特にアヤナミ)にほっこりして。
ラストのバトルでドーン!っと攻めるアスカに「オオ!」っとなりながらも、やっぱりダメだったのに「またかぁ」っとガックリして。
ミサトさんの大人としての落とし前の付け方に心意気を感じて。
そして色んな酷い目に合いながらも最後には立派に成長したシンジ君に「良かったね」っと思いました。
最終的に物語の意味がわかったかどうかは甚だ怪しい所ですが(マイナス世界って結局何?っとか、シンジ君がエヴァンゲリオンがいない世界を作ったのはいいけど、それまでエヴァンゲリオンのいた世界の人達はどうなったの?っとか)、もうその辺りは考えるな、感じろの世界でしょう。多分頭の良い人がアレコレ考察してくれるはずです。何はともあれ全部のキャラクターの物語をきちんと完結させてあって良かったです。
人の優しさに気が付いて立ち直ったシンジ君は鬱病になって回復した監督自身の投影ですよね。本作は庵野監督が今までより色濃く投影されてたと思います。第三村の昭和の風景といい、最後に出身地である宇部新川駅を出す所といい、きっとそれが庵野監督の元風景であり、監督の郷愁の念を感じずにはいられません。これまでのエヴァンゲリオン、というより庵野監督の人生の総決算と言った感じでした。
色んな事がありながら、色んな事をを言われながらも作り上げたちゃんとした最終回。庵野秀明監督、そして(詳しくなくて申し訳ないですが)スタッフの方を含め、ずっと支えて応援して、何十時間も人生を費やしたファンの皆さんもお疲れ様でした‼️
これからは文字通り「エヴァンゲリオンのいない世界」。また次の面白い世界を探す旅の始まりですね✨
再鑑賞
2021/6/12
入場者特典にひかれて。前日譚コミックが入場者特典だったのですが、破とQとの間の物語というよりQの直前のお話だったのでちょっと思ってたのと違いました。
でも2回目の方が戦闘シーンとかの状況を良く理解できて面白かったかも?
終劇。
最初に私のエヴァ歴をここに書いておくと、エヴァをちゃんと見たのはここ数年の話で、見始めるまでエヴァはもう終わってるアニメだと思ってたし、なんならアニメ版を見始めてシンジがうざすぎて1回見るの辞めたぐらいな感じ。そんなやつが見てもめっちゃ面白かった。
.
アニメ畑は全く詳しくないし、いくらでもYouTubeで考察動画は上がってると思うのでエヴァに関して私が何か言うことは特にないが、とりあえずめちゃくちゃエモかったということだけ言っておく。
.
特に、途中撮影セットのような描写になったり、アニメシリーズからの映像がフラッシュ映像で流れたり、メタ演出大好き人間としてはあそこめっちゃ好きだったな。撮影が終了してもう撤収作業に入ってるようなあの撮影所の描写で、1番あぁもうエヴァ終わるんだって私は悲しくなった。
.
レイ、アスカが死ぬ(?)シーンも過剰に泣かそうという演出をしてなくて、ちょっと距離を置いたような感じもすごく好き。
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庵野監督のやっとエヴァンゲリオンという呪縛から解放される、という心の声が聞こえてくるような雰囲気が全編に漂っていて、本当に心からお疲れ様です。
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あとは、前半アスカに誰か服を上げてください(笑).
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真希波・マリ・イラストリアス
2021年3月16日
映画 #シン・エヴァンゲリオン劇場版:||
(2020年)鑑賞
テレビ版から約25年、劇場版の序からも10年以上経過している状況でこのシリーズを終わらせるのは難しったと想像できる
日常、自然、再生とかを散りばめ、親子愛や家族愛で締めくくるとは!
まさか大人になるとは思わなかった!
現実に負けたエヴァンゲリオン
アニメ映画としてはクォリティの高い作品です。求めていたエヴァというと。物語としては綺麗にまとめて文句が無いのでしょうが、だから評価も悪くない。でも、悪くないだけで、すごく良いわけでない。僕にとって。
主語が大きいとアレなので、小さな主語で。
僕が、当時感じたエヴァというのは、バブル不況にかっこよくない大人に世紀末に嫌な事件にオカルトブームの中の混沌とした現実の中で、子供だって生きづらさを感じ取っていました。それは人との摩擦のせいだよとも気付かせてくれ、共感できる主人公が、世界に翻弄されて行くのです。はてはこの世界はどうなってしまうんだ?(世紀末)を一緒に体験してくれる存在でした。
旧劇は、現実に帰れというメッセージ性ばかり言われますが、正直、良くわからんがみんなが一つになるよりは、辛くても割り切って生きてく方がマシじゃねえ。とシンプルに納得できるものでした。理解できないというよりは、まあそんなものだよね。という気持ちのほうが強かった。
そしてやっとシンのお話、サードインパクト後の世界では、人々はシンプルに達観してしまっています。世界が滅んだ世界なら、そりゃシンプルになりますよね。現実もはやく滅んでほしいものです。でも、現実は滅ぶことはないので、あの世界に生きる彼らは強く、今の僕らと一緒に悩み苦しんでくれる存在ではなくなってしまいました。
カオル君が言うようにシンジ君は立ち直ってしまいます。代わりに、僕らの共感者として名乗り出てくれたのがゲンドウ君。
気持ちは分かるけどさ、ぶっちゃけお前に共感できるメンタルの人いないって。愛しいの人のために世界を天秤にかけるってヒロイズムすぎる子供すぎるよ。シンジに大人になったとか言ってる場合じゃないよ。俺らの現実は、世界を壊す槍もないし、好きな人のために世界をまきこめるほどわがまま許されてないんだよ。日々フラストレーションためながら、マスクしてお行儀よく世界が終わらないこと祈って良い子してるんだよ、大人。
そして、子供もなんですよね。そう思ったとたんに、シンジ君は大人になってるように感じなくなります。周りの都合で大人を演じさせられてるだけです。涙を流せないなんて、子供しか言わないよ。大人は泣くんだよ。まるで、大人の都合でマスクをつけさせられ、満足に友達と遊ぶこともできず、不安や変わりゆく世界の中で、良い子を演じさせられてる子供にオーバーラッピングしちゃうのです。
いやいや、自分捨てて世界なんて救わんでくれ。世界なんてぶち壊しちゃえば良いんだよ!!シンジ君。こんな世界壊してほしかったよ!!子供たちが無理に大人になんてならなくて良い世界がはやく帰ってきてほしいものです。
映像の作り込みだけでも観る価値有り
思春期・ヤマアラシのジレンマ・孤独への葛藤の物語。
かつて第3次アニメ革命を起こしたエヴァンゲリオンが帰ってきた。そして完結した。
変わらずみる人を選ぶと言うかエヴァらしいと言うか…エヴァに耐性が無い人には辛いかも知れません。ストーリーの解釈は色々あると思いますが、主人公たちの14歳で止まった時が葛藤と成長を経てラストで時が進み未来に向かっていく姿をみることができ感無量でした。待った時間だけファンが考察し、語り、それぞれのエンディングを思い描いていた作品だとも思うので賛否両論も極端な感想もあるとは思います。しかし私は満足です。
おめでとう!ありがとう!さらば!
終わらせることだけを目指した映画
「エヴァQ」から8年強。Qの正当な続編であることはいうまでもなく、テレビシリーズから続く「恒例化したエヴァ」を終わらせるための映画。
ひとことで考察するなら、映画内に存在する複雑、奇形化した「語りうるエヴァ」を登場人物たちに全てを無理矢理押し付け、各々の物語を主観的、あるいは客観的に語らせ、ある意味で終わらせることにより、「作品としてのエヴァ」を完結させた映画。
ベタベタなメタフィクションを持ってして、キャラクターたちによる、がんじがらめになった毛玉の中から、一本ずつ糸をといていくさまは、期待を裏切られた感は否めないものの、物語としては一応成立はしている。
つまりこの映画、結局はキャラクター達の物語でした、みんなの期待するエヴァはどこにもありませんでしたと白状しているのだ。
結果として、エヴァという得体のしれないものはせいぜい作品を象徴する、ある種のシンボルマークに過ぎなかった。
一方で、アクションシーンに関しては度肝を抜かれた。
オープニングでは、赤く染まったパリの街を背景に、オブジェがこれでもかと自由自在に飛び回る。
もはやどの距離にもどの角度にもオブジェを動かすことができることをさまざまと見せつけられた。
画面すら余裕で飛び超えてくる迫力満点の動きのすさまじさはここ最近のアニメーションでは味わえなかった映像美としての「動」であったことは認めざるを得ない。
でもまあ二回目は飽きたし、あまりにビュンビュン動き回るものだから目で追いづらく、しかもめちゃくちゃ光るから捉えづらい。迫力だけが取り残されて、本来大きくて重いものが、ちゃっちぃものに見えてしまったのは、自分の目が慣れていないからなのか。
まあ欠点は目につくものである。そんなことよりも復興の街を描いたところがこの映画で最も評価できるところなのだ。あれがなければエヴァに希望も何もあったもんじゃない。
そして自然。あれだけ自然を蔑ろにしてきたはずの庵野がキャラクターをうまく自然に組み込み、映画として守られるべきものを見事に表現し、美しい時間を演出した。
あの街での生活を一生描いていて欲しかったものの、やはり終わらせるための映画として、エヴァは動き出してしまった。しかもシンジ君の豹変ぶりは如何に。自然に興味なしのアスカ。唯一街に溶け込んだレイでさえ浮きっぱなし。自然だけを描写していればいいものの、不器用な予感だけで全てを無かったことにしようとするのはいかがなものか。
まあ結果的には紆余曲折した物語の中で、キャラクターそれぞれの道があることを示すベタな展開は久しく忘れていたし、00年代から用いられてきた、アニメとしての本来のおもしろさを味わえただけでもこの映画は見る価値はあるのではないでせうか。
遂に終劇!!
当時シンジくんたちと同じぐらいの自分も30代の後半に入り、遂に終劇。相変わらず何やってるかよくわからないけれど、やっと心落ち着けるゴールになったと思えた。ゲンドウがシンジの中にやっとユイを見つけ、カヲルくんがループから解放され、レイがエヴァのいらない世界を探し、アスカの心もサルベージされ、シンジくんは巻き戻しも再構成もないエヴァのいらない世界で生きていく。うん。良かった。そしてしっかり歳をとっているトウジとヒカリ、そしてバリカッコよくなっているケンスケ。それぞれがちゃんと大人になっている世界…あれ?あの世界線と最後の世界線はどうなってんだ?と思うけどきっとみんな幸せです!
そう言えばマキって結局何なんだっけ?
少年から大人へ
それぞれが辿ってきた「序」からの14年という想いと感情を描き、碇シンジがその想いを受け止め、それをどの様に還すのかを描いた作品だと思います。
世界(社会)はそれほど悪いもんじゃないってことかな。
ただし「序」「破」「Q」を観ないと意味が分かりません。
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