シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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母の愛を見た
私は、序が話題になった頃、エバのテレビ版をレンタルで見ました。そして、序、破、Qを観て、最近この最終章を観るために、再度、序、破、Qを観ました。
エバは、昔からですが良く意味のわからない、理解が出来ない部分があり、そう言う所は深く考えないようにしています。
でも、一つだけ私が信じていた事、エバンゲリオンを好きで見続けた理由は、シンジの母ユイが、科学者として、死を克服し神に近づく為エバンゲリオン初号機を作り、自ら初号機と融合してコアとなった。
だから、初号機は、シンジとしかシンクロしない。
初号機には母の想いがある!と言う点です。
なので、映画Q、そして今回の映画を観ていて疑問が湧いてきました。
ユイは、ゲンドウと同じくイカレタ人だったのか?
ゲンドウのねじ曲がった愛と解釈がこんな事にしてしまったのではないのか?
でも最後に、シンジと入れ替わり自らエバに刃を貫いた。もうここで涙が溢れ出しました。
やっぱりユイには、母としての心があった!
途中少しだらける所はありましたが(シンジが落ち込んでいる所)総集編として、皆んなのそれぞれの生き様を見られて、ロボットの切なさも見られて、大人になったシンジ君も見られて良かったです。
監督さんの鬱病が治ったみたいで、ホッとしました。
失礼m(_ _)m
(鬱病と言うのは、特にTV放送された内容を見て、原作者は鬱病なのではないか?と思ったからです。)
どう頭で処理すりゃいいのかね
観るつもりなかったが、なーんにもみたいものがなかったので
ながいので躊躇しましたよ、それで実際ながく感じた
中盤なんだか、この世界の片隅に みたいな綾波レイみたいなコ?ののどかな場面にはシラケまくったし、最後円環のことわりとか言ってなかったか?おいおい
アクションシーンは派手なもののなんだかパシフィックリム とかトランスフォーマ
みたいなねえ
あと、マリとかいうメガネの女?なんなんだこいつは、にゃーじゃねーよ、痛すぎるわ
いちばんイラついたのはエンディングよ
また、実写使ってやがりますよ しかも
宇部市言うたら庵野監督の地元だろ?
なんなんだよ、どうしろっての
これを高く評価しちゃう日本アニメ、日本映画を本気で心配するわ
上映まえの公開予定で、シンウルトラマン
の予告やってたが、大丈夫かねえ
まあ、ぶっちゃけどうでもいいんだが
安心して現実逃避して、考察にひたれるそれが日本のアニメ その代表作たるエヴァもやっと終わったとはいいことだなあ
鑑賞後部屋掃除したくなる
エヴァをこんなに爽やかな気持ちで観終わることができるなんて意外。ここまで目眩のする長い時間を途中の批判に耐えながら、これ以上広げられないくらい広げた風呂敷を回収して終わらせたことにまず感嘆します。エヴァを観てきた人ならエンドロールの間、自分の人生やら青春やらを振り返り重ねあわせながら感慨深くなると思います。本当に少年が新約聖書の神話になり大人になり物語が終焉し、そして物語が始まりました。美しい最後の曲が余韻で残ります
一つの愛の神話の完成
ほとんどの物語は語られ尽くしていて、オリジナルなものは自分の人生だけ、と語った庵野監督。完結編を観終わって初めて、エヴァは父親、母親、監督自身の愛情の関係性と葛藤を聖書(私は児童向けの本を読んで知っていたので助かった)に寄せて描いた成長物語だったのだ、と理解した。全てのキャラクターやエピソードが綺麗にそこに集約されていた。
それにしても、この圧倒的なスケール感!ストーリーも構図も!
長いエンドロールも納得だった。
おとしまえ
とてもじゃないが、1回観ただけでは良し悪しの判断がつきそうにない。
全シリーズ観てはいるものの、記憶は遥か彼方に埋没していて、序から順に一気見した方が良いように思う。
先ずは設定が理解しきれないし、冒頭から暫くは「あー、こんなんだったっけ?」てな具合で、軌道修正にある程度は費やすような気がする。
ただ…これは記憶なのか印象なのか。
本編が始まり物言わぬシンジの第一声に込み上げるものがあり泣いてしまう。
なんで泣いたか分からない。
緒方さんの芝居に泣かされたのかもしれない。
主役だけではなく、声優陣の魂に触れたような台詞が多々あって…物語は朧げに追ってるだけなのに、なぜにこんなに揺さぶられるのか不思議だった。
ドラマパートの感想は、一気見した後に追記するかもしれない。
作画は驚く程の精密さで…まごう事なき大作だ。
一応、本作で長きに渡るエヴァンゲリオンは終幕を迎える。率直に言えば「厨二病からの卒業」って感想ではあったが「主人公の成長」が明確な形で完結する物語とは別に、社会から注目され続けた「エヴァンゲリオンってコンテンツからの脱却とか解放」のようにも感じた。
この感想が、一気に観た後に覆る事を祈りたい。
が、加熱し続けた熱病の特効薬としては、見事な幕引きで、完璧な終息にも感じた。
社会を巻き込んで加熱したエヴァの着地点は、TVシリーズ当初の目論見からは変化をし続けたのではないかと思われる。
無論、元々の結末をよりドラマティックにした結果ともとれるだろう。色々とぶち込んだ変遷の辻褄をなんとか収束させたって印象もあった。
偏に長すぎた時間の弊害なのかもしれない。
TVシリーズの最終話が、原画の状態で放送されていて、当時は様々な憶測が飛んでたのだけれども、それにすら意味を持たせようと果敢に取り組んだようにも感じる。「悪あがき」に取れなくもないが、効果的であり、ほのかに演出意図を想像もできる構成は、作品に対するプライドと意地の成せる業なのかもしれない。
エヴァは複雑なテーマを内包していて、作品がひとり歩きし大きくなり過ぎた感もあって…最早、1人が背負い込むキャパの限界を超えてしまったように思う。
制作者の苦悩はどれほどのモノであったろうか?
1つだけ変わらない事は、声優陣の存在感だ。
ホントにホントに素晴らしい。
ライフワークにも感じるような年月なれど、その紆余曲折がそのままキャラに転化されてるような…それ程に真に迫った声で、そうそうお目にかかれない至福の時間であった。
この場を借りて謝辞を述べたい。
緒方恵美さん、あなたが碇シンジの声をあててくれて僕らは幸せでした。おそらく各国で吹替版が出来、各国の名だたる声優や才能ある声優が碇シンジを演じるのだと思います。だがしかし、あなたを超える人はいないでしょう。出てくるはずがない。
僕らはとても幸せな観客です。
声優陣は皆様、偉業を成し遂げられたのだと考えます。人物達の内面を抉るような台詞が多く、何かを捨てたり振り絞る事も多々あったのではと思います。
それでなくても膨大な年月です。
俳優は歳を重ねても味や深みが出てきたと評されます。ですが、声優にソレは当てはまらず現状維持が命題でもあるのでしょう。どれほど膨大な時間が流れようと作中のキャラが年をとらなければ、その声を出し続けねばなりません。
野沢さんとか化物じみた人もいるのですが、それを維持し続ける作業は想像にも及びません。
よく声優の仕事は「命を吹き込む作業」と揶揄されます。その言葉の本質を今作程に感じた作品はありませんでした。
お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
難しいところも、多々あるけど、それも含めてエヴァ。
IMAX で鑑賞。
圧巻の戦闘シーンと、映像美は流石の一言でした。
懐かしい面々も出てきてくれて、
エヴァを見始めた頃を思い出させてくれました。
先に鑑賞した友人から、
『今まで描かれた作品を良い感じに纏め、終わりにした作品』
と聞いていたこともあり、最後に向かうにつれて、急激に纏められていく感覚に陥って、観てられなくなる。端々に出てくる用語も難しく、脳内にストレスがかかってくる。
が、これもひっくるめて、エヴァという作品であることは、
ファンとしては、お馴染みかと思う。
このモヤモヤと対峙し、色々考えて出てきたことを、友人と語り合う。何度も作品を見ては思考する。そういう経緯を経て、エヴァ作品は、私達に多くのワクワクと気づきを与えてくれた。
本作品で最後となるようだが、ファンの中では、永遠に生き続ける物語なのだろうと感じています。
終わりましたね
長年の時をかけてついに終わりました!
前作のQがつまらなくて最終章は観るか観ないか
悩みましたがやはり劇場に足を運んでしまいました
全体的に観て私は面白かったです
でも今回は様々なキャラクターに感情移入が出来ず
画面一体となって観ることが出来なかったのは残念です
作品の人物がみな 魅力的なので
全てを2時間強で描ききるのは難しかったのでしょう
内容はさておいて絵力には圧倒されました
さすが庵野ワールド全開でしたね
観終わった幼い子ですら「面白かったね」と言わせるのですから
しっかし
愛する女と再会したいがために
あそこまでするとは どうなんじゃい!とも
言いたくなりますが
男ってほんと弱い生き物ですね
とにかく終わりにしようとして
終わったなという感じがぬぐえませんが
私は好きです
みさとさんが髪をおろした姿と
大人になったシンジ君が良かった
完結
ラストにシンジがやる気になる!
あれだけ殻にこもっていたシンジが成長したなぁ。
ゲンドウにもラストには認められた感があり本当に終わりなんだな、と気持ち的にも納得。
ストーリーの途中、漢字で見ないとわからないような単語がバンバン出てきたりしたり、よくわからないというエヴァ特有の展開が盛り沢山だったけど、面白かった!
よくわからない
ごめんなさい。よくわかりませんでした。
一応、原作マンガは全巻持ってて
TVシリーズは全部見てます。が
にわかファンです。
TVシリーズが1番面白いと思ってます。
ラストの2話以外はわかりやすく
キャチーです。ちょいキュンなところもあり
ただし、伏線回収は全くされず
モヤモヤですが
四半世紀に渡る「エヴァの時代」の終焉たる作品
私事ですが、現職に就いたのがちょうど25年前。当時、TVシリーズが放映中で、同じ組織の若い男性達が熱心に話していました。私もその影響でこの作品を見始めました。
この物語は、ゲンドウの心情「孤独に耐えられないので、失った妻を取り戻す」がテーマとして最初のTVシリーズから続いています。
しかし、アスカが看過したように「男が求めているのは母親」です。その点から見ると「大いなるマザコン物語」であり、その為に殆どの人類を壊滅に追い込んだゲンドウという人物の「身勝手さ」「わがままさ」をどう解釈するのかで、評価が分かれるだろうと感じます。
個人的には「それだけ妻を愛していた」という解釈も可能だが「その妻の忘れ形見である息子を蔑ろにして、都合の良い時に利用する」「他者に対しても同様」という点に、ゲンドウの「業の深さ」「原罪」という言葉を想起させられました。欲を言えば、それがシンジとの「話し合い」で解消されてしまうパートはもう少し詳細な描写が欲しいと思いました。
尚、他の方々が書かれているように、NHK特番で見せた監督の個人的の経験が、作品に強く反映されています。この辺りは時代劇作家の池波正太郎氏が「自分の体験が作品に反映している」という旨をエッセイで書いている通りです。「クリエイターとはいえ無から有を生み出す事は不可能」ということを改めて認識出来ました。
また、四半世紀に渡るアニメの技術的進歩も改めて認識出来ました。今回は4DXでの鑑賞でしたが、冒頭の戦闘シーンから迫力満載の鑑賞が出来ました。過去の体験からもNo.1といえるものでした。可能であれば4DXでの鑑賞をオススメします。
いずれにせよこれまでの伏線が、この作品によってほとんど回収されています。エンディングが「日常生活の断片の描写」になった事からも「疾風怒濤のエヴァの時代の終焉」を強く感じさせるものとなりました。
クリエイターの方々の四半世紀に渡る創作活動に心からの敬意を示したいと思います。お疲れ様でした。
観れば想い出になると!
大切な人と観に行き、その人が「最高だった」「最高」と繰り返し繰り返し微笑んだので、私も幸せな気持ちになりました。レクチャーを受けてもなお、知ったかぶりであれこれ書く気にはならない、重み。スケールの巨大さ。美術面が音楽を従えて圧巻でしたし、爽やかな終わらせ方もたぶんこれでよかったのだと。
卒業
私自身、中学生の時に夕方の放送でエヴァンゲリオンにハマりその後最初の劇場版の頃まで夢中になって観ていたアニメでした。その後いつの間にか興味が薄くなりあまり深くは観ていませんでした。
今回エヴァが大好きな知人と最後という事で観ましたが大変感慨深いものがありました。最後に大人になったシンジ君をみて自分もいつの間にか大人になっていたのだなぁと重ねてしまいました。(年齢的にはもちろんとっくに大人なんですが笑)
難解なストーリーはよく理解は出来ません。しかし実際は旧約聖書をモチーフにた話にあまり意味はないのかなと個人的な感想です。
1人の思春期の男の子(観ている我々)がエヴァンゲリオンを卒業して大人になる物語だったのかなぁ。周りの友人達が成長する中、中学生のままだったシンジ君が最後の最後にやっと本当の大人になった姿を見て嬉しさと少しの寂しさを覚えました。
ずっと追いかけていた人、最近初めて観た人、いろんな感じ方があると思いますが私はそう感じました。
シンプルに良かった
エヴァという一つのシリーズがようやく終わりを迎えられた。自分はエヴァQの上映後からすべてを追って見てみたが、自分の印象として、旧劇場版は物語というよりかは芸術作品だった。それに対し、今回は物語としてしっかり終わらせただけでなく、色んな人をエヴァの呪縛から開放させた気がする。ガチな考察組は、様々な伏線からTVシリーズ、旧劇場版とのつながりや、裏の設定の部分までこれから尽きることの無い議論を進めていくのだろうが、一つだけ言いたい。
2号機の中に現れたオリジナルアスカは惣流ではないと個人的には推して行きたい。(異論は認める)
まあ、自分はアヤナミストなので、ポカ波が出てくれただけでもありがたい。
庵野監督、エヴァ制作スタッフの皆様、長い間お疲れさまでした。
ありがとう、全てのエヴァンゲリオン
待った甲斐があったなぁ。しみじみ。
いろんな思いが混みあげて、胸がいっぱいでした。
またアニメ版から、見返そうと思います。
ここに立ち会えたことに感謝しかありません。
さよなら、エヴァンゲリオン
良かった。理解が追いついてない部分もあるけど、3時間あっという間の時間だった。
庵野秀明さんのプロフェッショナルを見ていた人はのり楽しめたんじゃないか(プロフェッショナルが作品をみて、関係のあるスタジオのシーンとかを意図的に残した?)。最後のシーンはスタジオにいるシンジ君自体、庵野さんと被せているように感じられ、そのシンジくんまでも救った終わりは、ある意味今の世の中に対して希望を残し、自分自身を救ったように思えた。
内容全体としてもプロフェッショナルで言っていたように、今までと違いかなり丁寧に説明が繰り返されていた。また、戦闘シーンをはじめ、カット1つ1つ作り込まれてて、アートにかんじられるレベル。カット1つでシンジくんの感情表現を伝わるトンネルの絵のような繊細な表現をし、戦闘シーンのカットでは360度かつ、距離感を含めた動きを多彩に扱うことで全く飽きることのない展開の早さを楽しめた。
ポスターが途中から全員が映った絵に変わったのはネオンジェネシスで、映画で表現しきれなかった全員が元気でやってることを表現したかったからかな。
ここからは自分の記憶の為にメモ。
・ファーストインパクト
白い月の衝突。地球のはじまり。
・セカンドインパクト
南極で発見されたアダムを卵状態まで還元させる(葛城父)。これによりアダムは胎児化、肉体がなくなることで爆発。ただし胎児化した為、アダム系の増殖阻止に成功。海の浄化を目的とした。
・ニアサードインパクト
初号機の覚醒。シンジがレイを取り戻す為に使徒のコアに干渉した為に発生。カオル君がカシウスの槍で強制停止。ほとんどの人類はここで死んだ。人類のインフィニティ化が一部発生。
・サードインパクト
ゲンドウが、自立式マーク6自らとリリスををロンギヌスの槍で刺すことで起こし、カジさんとマリ?が止めたカシウスの槍を貫くことで止めたインパクト。大地の浄化が目的。インフィニティ化を止める為にリリスの首を落とす。
・Qの最後
13号機でリリスと6号機に刺さっているカシウスとロンギヌスの槍を回収しにいくが、ロンギヌス2本になっており、これにより13号機は覚醒、また12使徒が生き残って13号機に侵食した為にカオルが13番目の使徒に落とされる。カオルが自殺することでインパクトにならず。
・フォースインパクト
ゲンドウがアスカを生贄に、覚醒した13号機をトリガーにセカンドインパクトの地獄の門を開いた。条件としては覚醒した13号機と、生贄の使徒、黒き月の復活、アダムスの器4つ(マーク9-12)。器は進化系エヴァで、中身の魂用に作られたのがアドバンスト綾波シリーズ。魂の浄化が目的。
・アディショナルインパクト
この為に槍2本を温存。マイナス宇宙のゴルゴタオブジェクトで起こしたが、ミサトがヴンダーでガイウスの槍を届け、インパクトはシンジが引き継ぐ。目的は世界の書き換え。条件は裏宇宙にあるゴルゴタオブジェクトに行く、エヴァンゲリオンイマジナリーを槍で刺す、槍はトリガーと生贄に2本必要。裏宇宙に行く条件が、使徒化された状態で覚醒したエヴァに乗ること?人を捨てたゲンドウ、覚醒した13号機、覚醒した初号機、使徒化されたシンジ、マリとオーバーラッピングされた8号機、アダムスの器プラスフォーインワン状態。
・それぞれの目的
ゼーレの目的は1つの肉体に1つの魂を集めるのが目的。それに対して、ゲンドウはユイと会う為、初号機に全ての魂を集める為、初号機を主にインパクトを起こす必要があり、その為に神になる(神殺し)をする必要があった。ゼーレとリリスとの契約は、アダムとリリス以外の使徒10体の殲滅。
・流れと感想と推測
最初の平和な日常シーンは、確かに何もかもを失った時に、人は助け合い感謝できる未来を作れるのかも。というよりそういう希望を持ちたい想いを感じた。確かにQで終わらせない必要性があったと感じれた。
ナギサくんのループ的な要素も疑問としては残った。ナギサとカジさんが上司部下だったのはゼーレだったから?でも、ゼーレの人を捨てたと言われながらゲンドウに死を告げられるシーンと噛み合わない気がする。
アスカが生贄になったのは、新しい使徒として認定された人種を生贄にする必要があったから?
解説を読んで確かに浜辺の絵コンテシーンはコア化が進んでいて、マリが来ることで現実に戻った。マリの存在は、庵野さんにとってはマリアとして、世界においては復活の証人としてのマグダラのマリアという意味だったのか。イスカリオテのマリアというのは聖書には出てこないらしい。イスカリオテのマティアはあるらしく、それもユダの後任の復活の証人として新たに使徒に入ったものだった。マリも年をとってないから使徒としてカウントされる?
ネオンジェネシスでマリとシンジだけが記憶が残って2人で旅立った。恋人とみる人もいるが、自分としてはシンジくんの母親であり、庵野秀明と安野モヨコさんに思えた。
髪が伸びたレイは、感情を手に入れ人間になった正面なんだろうな。
アスカもシンジも、結果的にはそれぞれ使徒化されていたことで、それぞれ使徒にカウントされる?11番目の使徒。
マイナス宇宙はLCLで満たされた記憶の世界。撮影スタジオのシーンが出てきたのは、世界の書き換えの途中で、アニメの世界観の書き換えをスタジオに見せていくのは面白いカットだと思った。
アスカが新2号機で最後にシングルエントリープラグじゃなかったことを驚いていたが、誰が乗っていた?アスカのクローン?オリジナル?
アスカは、式波がクローンであったことが今回で発覚したが、最後浜辺にいたのはオリジナルの惣流だったんだろう。赤いスーツが前のバージョンだったらしい。
いやー安心した(笑)
いやー安心した。これがシンエヴァンゲリヲンを見た率直な感想である。
エヴァとは深夜の再放送と97年の旧劇場版からの付き合いである。
設定の詳細や深掘りは私より鋭く洞察されている方がいらっしゃる。私は1995年から26年間、エヴァンゲリヲンにどういった感情で接して来たか書いてみたい。
まず95年のアニメ版。
95年、当時のテレビ東京は18:00代に結構際どいアニメをやっていた。女性の裸体を強調した容姿や内容もグロ、残酷なものが多かった。(もしよかったら爆裂ハンターやブルーシードを画像検索してほしい)
まだアニメは子供が見るもので夕方の時間帯を与えられていた。しかし内容は完全にアダルト向け、当時はOVAという文化の始まりでアニメ媒体でハードなものを作れる人々が夕方の地上波の時間を与えられているような感じだった。
そんな時に始まったのがエヴァンゲリオン。女性の裸体のようなプラグスーツやグロ描写もこの時間帯だから生まれたものかなと思う。
アニメ版のラストは訳が分からなかった。ラスト前から物語の謎に置いてけぼりで全然ついていけなくなっていた。
「これどんな話だったんだろう?」それが素直な気持ちだった。
そして旧劇場版。
なんとなく凄いものを見た感想はあるのだが、意味が分からなかった。なんとなく恥ずかしい気持ちにもなった。
キャラクターが当然のように知らないことをしゃべり、なんとく救われていないことは分かった。
アニメ版を録画したVHSを貸してエヴァに引き込み、一緒に旧劇を見に行った友達とあれこれ話したが、何だったんだろうなぁ…というモヤモヤした感じで終わった。
それから10年。庵野さんがもう一度エヴァをやるという。序、破、Qいずれも旧劇を見に行った友達と行った。
旧劇で中1、序で大学4年、破で社会人と大学院生、Qでお互い社会人になっていた。エヴァは社会的立場が変わりながら鑑賞してきた。
とうとうお互いに世帯を持って子供も出来た。
そんな友達と一緒にエヴァの最後を見届けた。
エヴァンゲリヲンが終わるにはシンジ君がまた明日も生きていこう、と前向きになるしか物語を終われないと思っていた。
そしてちゃんとそうして終わってくれた。
細かい設定や裏で起きている事象はもう良い。俺には追えない。
シンジ君が前を向けたラストだったことが嬉しかった。
私はエヴァンゲリオンは「巨人の破壊」を描写するための作品としてスタートしたと思っている。まず撮りたい画があってストーリーはその理由づけでしかない。
その中で出てくる登場人物、特に女性は庵野さんの人生で出会ってきた人を当てはめたように映った。
綾波レイは母、葛城ミサトは仕事に生きる女性、アスカは接点の無かったクラスメート。
誰も男として自分を受け入れてくれる存在では無い。だから旧劇でいくら女性に救いを求めても拒絶され続けたのだろうと思う。
アニメ、旧劇では男にとって彼女や嫁さんに当たる女性が居なかった。
だからマリが登場したとき俺には安野モヨコにしか見えなかった。彼女だけがシンジの隣に居ようとし続けたキャラだったから。
本作、何度もシンジの口から「決着を着ける」や「終わらせる」という言葉が出る。それは、エヴァに乗る=アニメを作るという庵野さんの本音だと思うし、それはやりきったと思う。
撮りたい描写の理由付けでしか無かったキャラクターを救うことでエヴァンゲリヲンを終わらせたのだと思う。
こっちも大人になったからかトウジ、ケンスケ、ヒカリは良かったなー笑
皆んな立派になっていた。特にケンスケ。私はアニメ版からケンスケが好きで(アイツはシンジが家出した時も付き合ってくれたし、アニメ版で唯一良い奴だった)シンジ達を同級生ではなく大人にとして受け入れていた。
そう、シンジ、アスカ、レイはもうずっと子供だ。周りは成長しているのに26年間歳を取れなかった奴らが大人になる話だった。
シンエヴァンゲリヲンには子供、新生児、妊婦が出てくる。エヴァンゲリヲンが今まで見ようとしなかったものだ。私はエヴァンゲリヲンには内臓が無いように映っていた。設定上はあるのだが生物が生きていくための捕食、排泄、性行為といったものに対する嫌悪感がビジュアルに出ている。
だけど今回の映画では人間が生命を紡ぐシステムへの愛おしいさ、そしてその先にある人々の繋がりを肯定できるようになっていた。
だから全てのキャラクターを救うことが出来たのだと思う。
ブンダーの連中もQで見た時、なんだコイツらと思った(特にピンク髪)が、皆んなに見せ場があり好きになった(ピンク髪は言ってることもやってることも至極当然、そりゃそうだと思う。一番感情移入できた笑)
ラストはシンジが自分の意思でエヴァに乗り、父と対峙するというこれ以外エヴァを終わらせる方法が無いというシチュエーションにきちんと向き合った。
旧劇になかったゲンドウの心情吐露、これがエヴァを終わらせる槍だったと思う。
シンジは破の辺りから逞しい奴になっていたが、今回ちゃんと自分で立ち直れた。
その方法が三番目の綾波との会話。これも良かった。二番目と三番目を区別してそれぞれを救ってくれた。
そしてアスカ。
彼女はエヴァンゲリオンからずーっと不憫だった。それはアスカが男から見た繋がれない女の象徴だからだと思う。嫁さんを貰った男にとって、他の女はどうでも良くなる。だからクローンだったのかなと思った。
そんなアスカも帰る場所を見つけた。それを受け入れるケンスケ。(オマエいいポジション着いたなー笑)
全部を救ったシンジ君は大人になった。そして伴侶と歩き出す。これ以外ないラストだった。本当に良かった。
一点だけ!最後に残酷な天使のテーゼ流れてたら号泣してた笑
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【追記・鑑賞から時間が経った後の感想】
エヴァンゲリオンはなぜ終わったか
庵野監督はなんでエヴァンゲリオンをこういう終わり方にしたんだろう。
NHK プロフェッショナル仕事の流儀の終盤、安野モヨコさん(マリ)によく出来ましたと褒められる庵野監督が映る。
普通に見れば良い作品を作ったね、よく頑張ったね、という労いに観れるのだが私は安野モヨコさんが「(沢山の選択肢から)よくこのラストを選択したね」ということを褒めてるんじゃないかなと感じた。
なんというかサービス、サービスし過ぎなのだ、シンエヴァンゲリオンは。
シンエヴァで言っていることは旧劇と同じだ。ただ、それを映像表現としてダウナーに見せるかアッパーに見せるかの違いで。
庵野監督の実力からしたら観客を満足させて帰すことなんて簡単だ。それをしたくないからエヴァを作ってたんじゃないのか?なぜ、庵野監督はエヴァをこんなに綺麗に終わらせたんだろう。
それは庵野監督自身がウルトラマンを作れることになったからだと思う。もうエヴァに足を引っ張られたくないから観客を満足させて映画館から帰したんじゃないか。
元々、ウルトラマン(神)の代わりに作ったのがエヴァンゲリオン(神に似せて作ったもの)だ。
私は庵野監督がエヴァンゲリオンへの執着が無くなったんだと思う。だからこそ終わらせることが出来た。
25年経っても、相変わらず下半身丸出し
25年前に始まった作品だ。
見る側も何度も体験を積み重ね、同作に影響を受けた作品も数多く生まれている。ギリギリまで見る側の理解を阻害して惹きつける造りは同作ならではの魅力だが、その世界観にもはや新鮮味はない。独特な表現技法も、同作自身が付けてきた手垢にまみれている。
しかしこの作品が最後にぶち込んできたのは、監督自身のまるで衰えない衝動と作家性。私小説的な丸裸のパーソナリティだった。これが極めて鮮烈で衝撃的。
特に『シン・ゴジラ』に明らかなように、この監督は器用で上手い。しかしエヴァンゲリオンという作品においては、常に監督自身のパーソナルな部分を、混沌とした物語に乗せることを重視してきたように思える。
しかし25年も経っているのである。そこで私達は驚かされる。「こいつ、まだこんなに吐き出したいことが残っているのか……」と。そして庵野秀明は知っているのである。自分の下半身を晒すが如くのパーソナリティを作品にする術と、その商品性の高さを。
小学生の農業体験のような人々との触れ合い、自治体のCMのようなだっさい終わり方、マリへの偏愛、ゲンドウとユイのタイタニック、わざとらしいタイトル回収など、本当にこれでいいのか?という点も多い(シャンプーのCMみたいな、マリの海辺のシーンはなんなん?)。ゲンドウの独白だって、ラジオの人生相談にも採用されないほど、凡庸でつまらない悩みだ。
もう途中から「何を見せられてるんだろう」と笑けてくるのである。こんなでかい画面とでかい音で、「オタクおじさんの割礼」を見せられても、こっちはあなたの友達でもなければ、懺悔室の牧師でもない。知ったこっちゃないのである。
しかし、そんな訳の分からない作家性と人間性が迫り来る状況に震えてしまう。監督の剥き出しのパーソナリティに、嬉々として興奮してしまう。他では得難い映画体験だ。
おつかれさまでした!
いつも首を傾げつつ
嫌悪感を抱きつつも
シリーズこれまでのすべてを観た
次こそは観ないと決めていたのに
観てしまった
相変わらずいかれていたし
細かいことはわからないが
今更ながら
共感?手応え的なものを感じた
げんどうさん良かった
戦闘シーンうけた
ラストは笑い泣きしてしまった
皆さん元気そうで何よりでした
やっぱり映像綺麗だったし
世界観すごかった
そしてキャラクター皆よかった
これがなかったら
途中でくじけていたかも
宙吊りの期間が長すぎて
観てきてよかったとまでは断言できないが
諸々、成仏した
こっちで勝手にハードル上げてしまったのに
期待にこたえてくれました
こういったテーマを発掘できる才能
内面と客観を行き来し作品にできる精神力
本作での態度に脱帽しました
大事な扉を開けられてしまったからこそ
的外れな被害妄想を抱いてしまったのかも
号泣しました
変態的な演出も
今となってはお茶目に感じられ
諸々が成仏した結果
物足りなさ?寂しさ?を感じる
疑心暗鬼でない状態で
もう一度、観るかも
何はともあれ
皆さん、ご卒業おめでとうございます
皆さんもどうかお元気でー
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