臨場 劇場版 : インタビュー
「関係性ができあがっていたので、手探りの時期よりは数段スムーズでしたが、逆の意味でたるんだチームワーク感にならないように警戒はしていましたね。むしろ、1人暴走する最悪の上司に右往左往させられながらも検視という仕事で成長していく部下たち(松下ら)というか、個別の人生をそれぞれが大事にしていこうとは思っていました」
相当な覚悟を持って撮影に臨んだことがうかがい知れるが、それは劇場版での倉石の設定と無関係ではないはず。物語の根幹にふれるので詳述できないが、自らが導き出した真実によって過酷な運命を背負うことになる。
「具体的には映画を見てねって感じですけれど(笑)、ある特殊な事情を抱え人間的にも少し負荷を与えられた倉石だったので、それが反映しているかもしれません。肩ひじ張った男というより、ゆったりと存在できたらというイメージで演じました。だから、ドラマの倉石とは微妙に違うかもしれない。ドラマは原作の設定よりは下げた40代前半で始まっているんですけれど、数年たっているので今回は自分の中で年齢を上げた倉石をイメージしていたんです」
撮影において、大きな力となったのが警察監修。「臨場」の特色である事件捜査のリアリティをもたらす重要な役割で、ドラマでは元捜査一課の飯田裕久氏が担当していたが、第2シーズンの撮影終了直前に急逝。その遺志を継いだ形の、元捜査一課理事官などを歴任した倉科孝靖氏の貢献度も絶大だったと、内野も賛辞を惜しまない。
「現場をいかにリアルにするかという努力を惜しまないチームでした。飯田さんと一緒に作り始めた部分があって、彼の尽力がなければここまで成長したかなって思うくらいの入れ込みようだったんです。倉科さんもフィクションの現場でダメを出すのではなく、その中でどうすれば警察のリアルな風を吹かせられるかアイデアを出してくれる人。非常にクリエイティブな警察監修で、とてもありがたかった。これだけ本職の方がかかわってくれたから、『臨場』がここまで成長したというのは確実にありますね」
ドラマ、映画を経て「臨場」、そして倉石は今後どうなっていくのか尋ねると「全く考えていない」ときっぱり。それは今回の劇場版に心血を注いだ証だろう。それでも、特にスクリーンで見続けたい思いに駆られる。活動は舞台が中心で、映画出演は意外と少ないが、本人は積極的で特別な意識を持っている。
「劇場は、お茶の間でテレビのスイッチをつけて見るという以上に積極的な行為。お金を払って足を運んで、暗がりに座って『さあ、見るぞ』っていう。だからそこで繰り広げられてほしいのは、日常生活では見られない、怪しげであったり危険なものといったギリギリの世界。映画で演じさせてもらえるなら、危険なところまでいってみたいという思いはありますね。演劇に関しても、人間のおぞましさや汚らしさも含めてとことんまで見てみたい、正視できないレベルまで見せちゃうくらいのものを期待しているんです」
ここ数年は、NHK大河ドラマ「風林火山」の山本勘助、「Jin 仁」の坂本龍馬といった時代劇、そして倉石義男と印象深い役どころが相次いでいる。キャリアにおいても代表作と呼んでいい作品ばかりだが、そういう固定されたイメージを打破していくことも俳優としての性ととらえている節がある。
「役を演じるたびにイメージはつくり上げられ、次の作品で塗り替えられることの繰り返しだと思う。役のイメージはできればうれしいけれど、イメージはつくっては壊すのが役者だから、いろいろな役にトライしたい。同じような役が続くと、刺激がなくなるのでちょっとなえちゃうんですよ。自分の中では常に新しい扉を開きたいという欲望があるんです」
映画では、初めて大きな役を得たのが1997年、森田芳光監督の「(ハル)」だった。99年の「黒い家」にも出演したが、その森田監督は「臨場 劇場版」のクランクイン直前に死去。内野も「映画のえの字も知らず、何をやったかも分からない状態だった。それでも、その後の内野の活躍を喜んで下さっていらしたと後から聞いて、もっとご一緒していろいろと学びたかった」としのぶ。2人の顔合わせがもう見られないのは残念だが、内野に注目している監督は多いだろう。新たな出会いを得て、スクリーンで新しい扉を開いてくれるのを楽しみに待ちたい。