桐島、部活やめるってよのレビュー・感想・評価
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期待が高すぎました。
私には、半分ぐらいしか面白さが伝わりませんでした。
特別に気にしていた作品ではなかったのですが、同時期の某ハリウッド大作と比較されたり、評判も高いので、興味が湧き鑑賞しました。
本サイトに紹介されているストーリーを参考に、期待をして観たのですが…「う〜ん、なるほど」と膝を叩く事は出来ませんでした。
ヒエラルキーなるものは見えません。また、群像劇の崩壊する様を想像していたのですが、果たしてそのようなシーンはあったのかすら疑問です。
では、つまらない作品なのかと問われれば、それは違うと断言出来ます。
その理由は、私にもっと映画の知識と見聞があれば、楽しめる作品なのだからです。
自分の映画観が未熟だから、面白さが半分しか理解出来なかったのです。
散りばめられた伏線・セリフ・演出に、ハッとさせられるのですが、それが何なのかが分からない。
そこが悔しい。
知らないのだから、上っ面しか見えてこない。
物語上、とある作品の引用をしますが、それは見る者を選んでしまいます。
勿論、そこが心のストライクゾーンだったら、とても奥深い意味が汲み取れるのでしょう。
私にはボールでした。
やっぱり悔しい。
私が楽しめたのは、主人公の仲間とのやり取りや、学校内の雰囲気・空気の再現度です。
末恐ろしいものがあります。
観る者を、否が応でもタイムスリップさせてくれます。
でも、この作品の本質って、そこではないんですよね…きっと。
青春時代の甘酸っぱい雰囲気を思い出したい方にオススメです。
自分も生徒の一員になった気分
あーこんなことあったなぁって感じるシーンがたくさんで、心がふわふわする映画でした(笑)
物語が色々な視点で展開していくのが印象的でした。
この時この人はここ見てたんだなぁ、とか、このことやっぱ気にしてたんだなぁ、とか面白い‼
特に大きな山やオチはないのに、自分もそこの生徒になって、こっそり覗き見しているような気分で、ずっと観ていたかったです。
私は特に、女の子たちの仲は良い風だけど、お互いに心は開き切ってなかったりする所が、何だか懐かしくてムズムズしました。
監督の映画愛に納得
4月9日、テアトル新宿で鑑賞。
日本アカデミー賞作品賞などを受賞するなど高い評価の作品。
その評価にたがわぬ内容で、納得できる作品だった。
吉田大八監督は、「腑抜けども…」を見たときにも才能のある人だと思ったけれど、本作も監督の映画愛が見るものに伝わって、楽しく、それでいて、オー、と思わされる場面も多々あった。
原作は未読なのだが、それを換骨奪胎して映画として独立性の高いものに仕上げたんじゃないか、と何となく思っているのだけれど。
映画好きを自認する人なら、見ておくべき作品だ。
なぁんだ 程度
せりふ回しは自然っぽかったし、女の子男の子の学生ならではの、空気間はあると思うけど、あーこういう空気あったってなぁ。って思った程度。内容は空で、後半辛い。
生徒一人の動行に振り回されるのだが、なんか深い理由も巻き込まれる人たちの描写も軽くて薄い。だから感情移入できない。
ある単純な出来事を軸に物語が展開していくという意味では
クラピッシュの猫が行方不明があるが、こちらの作品はキャラクターの描写も良いし、話の奥の深さもあるよい映画でした。まぁ比べるのが悪いか。
最後の最後は無理やり盛り上げようとしてるが完全に空振り、オナニー演出
で
はい、おしまい。のチャンチャン映画で 借りなきゃよかった。
103分間の生徒体験。
幾人かの視点で繰り返す金曜日で幕を明け、
映画部と吹奏部の一体感をクライマックスに、
ちょっぴり切ないエピローグへと向かう群像劇。
折り重ねられた生徒たちの物語から"今"が浮き彫りになってゆく。
共感と笑顔と痛快、
学生時代を想起させる懐かしさと、
戻れない寂しさが充満。
ほとんど成就できないまま行き場を失うあらゆる感情。
それでも生きていかなくちゃならない現実。
学校内に限らず、
連綿と続いてゆく複雑な人間関係がある限り、
どこででも抱えることになる人間の本質。
無意識に役を演じ、型にハマってしまう
『誰しもが持っている桐島化の要素』に溜め息。
そのモヤモヤ消えないラストに消化不良は感じたが、
103分間の疑似生徒体験で得た空気感は何度も味わいたいと思える親近感で、
自然と心に入ってきた。
再見したい。
原作より良かった
学校内のヒエラルキーにおいて、底辺で生活していた自分にとってみると、そこそこのリアリティはありつつも、映画っぽくキレイに描いたなと感じた。もっと「うぇーい」みたいな連中に制裁を加える内容になっていたら、スッキリしたのかも知れない。学生の方が見て本質を理解できるかというとどうなんだろう。理解できたとしてもそれは主人公側の人だけなんじゃないかと思うところでもある。それはさておいても、自分としては原作が琴線に触れなかったので敬遠していた作品だったんだけど、これだったら映画化した意味がある。
素晴らしい
1度目の鑑賞で、この映画の持つリアリティに衝撃を受け、2度目の鑑賞でこの映画の批評性に気付きました。こんなに魅了された映画はありません。橋本愛の美しさや神木隆之介の演技など若手俳優の活躍もさることながら、なんと言ってお演出が素晴らしい。原作も読みましたが、原作のメッセージを活かしつつ、映画という形式に合わせて脚本が書かれており、さらに深みのあるものになっています。曲もGOOD。
クセになる
部活に打ち込む青春や熱い友情、ときめくような純愛と死別という悲恋、ヤンキー同士の抗争…この映画では、学園モノの定番は一切描かれない。大きな出来事も起こらない。
いや、出来事は起きた。
学校一の人気者、バレー部のエース、桐島が部活を辞めたらしい。
一見何でもない事かもしれないが、皆様も学生時代を振り返ってほしい。
「○○と○○が付き合ってるんだってよ」「○○、フラれたらしいぞ」…
些細な事が出来事だったハズ。
ましてや人気者の突然の噂など重大ニュース。
瞬く間に学校中を駆け巡り、生徒たちの間で波紋を呼ぶ。
特に動揺を隠せないのは、桐島に近い面々。桐島と同じバレー部、桐島の彼女とその仲良しグループ。
桐島が部活を辞めた理由もハッキリせず、連絡も取れず、モヤモヤし、日に日に苛立ちが募る。
一方で、無関心な面々も。クラスでキモがられている映画部の男子、片思いの男子をこっそり見つめる吹奏楽部の女子。
この温度差、経験あった。
目立つグループと目立たないグループ、あったあった。
目立つ“上位”グループは我が物顔で君臨し、コソコソ陰口叩き、目立たない“下位”グループは空気のような存在で、クスクス嘲笑される。
学校という名の窮屈なピラミッド階級(ヒエラルキー)は、生徒たちにとっては格差激しい現実の社会そのものなのだ。
吉田大八監督の演出が素晴らしい。
ある一日の出来事を複数の視点から描いてパズルのように繋がり、各々の描写を細やかに積み重ね、それぞれの感情が交錯するクライマックスまで見せきる。
ヒリヒリとした空気、虚無感、不穏な雰囲気、一筋縄ではいかない緊張感は緩む事ない。
上位グループのムカつく態度、下位グループのひがみっぷり、こそばゆい感じ、絶妙な間合いも浮き彫りにしている。
所々挿入される通な映画ネタにニヤリ。
神木隆之介、大後寿々花が巧い。
橋本愛のクールキューティーな魅力も際立っている。
若手俳優たちの見事なアンサンブル。中でも東出昌大が印象に残る。
確かにクセになる映画。
アナタはどのグループに属していた?
一度見たら、また別の視点から見たくなる。
学校という小さな社会で蠢く色々な顔が見えてくる。
ちなみに僕は下位グループだったなぁ…(笑)
あの頃の甘酸っぱい想い出
DVDを借りました。
新作だと言うのに、直木賞をとったと言うのに、新作の棚の一番下にズラッとならんでいました。
おまけに、最初は店員に聞いても何処にあるのかさえわからず、タイトルは霧島ですね?なんて言われて、桐島部活やめるってよ!ですとの返答となりました。
こんなもんか⁈と思いながらも、すぐさま帰宅です。
しかし、なかなか面白いやん!神木隆之介が、いけてない映画部部長で良い味だしてます。選抜チームにまで選ばれた桐島は、急に部活もやめて彼女や友人とも連絡不通です。校内がザワザワ波打って、いたるところで亀裂が出て来るのです。
小説ではオムニバスのようでしたが、この映画では、映画部部長の神木隆之介が物語の主人公になっていました。いけてない代表なのに、いけてるんですよね!
高校生の時の自分を思い起こせば、この映画の誰かと共感できるはず⁈
俺は絶対に桐島だ!と思うのも楽しいし、映画部部長ですよ!って言うのもいいと思います。
卒業間近の季節ですね。そう言えばこの時期、学生服のボタンが滅多やたらに無くなって、ボタンをピンで止めていた事を思い出しました。
後で考えると、あれって誰かに取られていたのかな?です。
そんな甘い想い出も、想い出させてくれました。
緻密に計算された映画
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緻密に計算された映画だと思いました。
タイトルが発表された時点で、ボールはすでに投げられていて
観客は映画館でその飛跡を追うことになります。
「桐島がやめる?」ってとこから本編がスタート。
余分な前置きがないので
すぐに作品の世界に没入できました。
カメラや音が近く
あたかも その場にいるかのよう。
懐かしい気分になりますね。
たしかに学生時代には、見えない力関係が存在していました。
そこにきちんと光をあて、
個々の立場の視線を、繊細に描写していることに
この映画の価値を感じます。
それぞれが人生の主役であり、それぞれが誰かの脇役。
そんなことを思い起こしました。
社会に出ると、また違うモノサシに出会うので
この時期のことを忘れかけていましたが
現役の学生にとって、
またかつて日本の学生だった私たちにとって
コアなテーマだと思います。
多くの人に 見て欲しいですね。
宿題が出た~~~
出来事は同じなのに
体験はみんな違う
最後には哲学的なセリフまで出てくる。
いっぱい涙が出てきちゃうんだけと
何で泣けるのかがわからない。
涙のわけ・・・これがこの映画が与えてくれた宿題だ~~~
ああ
もう一回観たい~~~
きっと誰かに共感できる
この映画の登場人物は実にバラエティに富んでいる。それゆえに観ている側はその誰かに感情移入出来るであろう。また同じ事柄を別の立ち位置から見せることでより深く映画にハマり混んで行く。誰もが登場人物の誰かに共感し、好感を持つのだ。
舞台は高校。バレー部のスター(いや校内のか)桐島が辞めたという噂から広がる波紋をそれぞれの立場から時系列に展開していく。時間軸が前後したりしないので見ていて疲れない。
淡い青春の日常、それは傷つきやすくて儚い。そんなそれぞれの心の内が手に取るように分かる。"わっ、この子今傷ついた"とか"その一言に気分を害した"とか、一人一人が何を想い、そしてどう感じているのかを実に分かりやすい描写(セリフじゃなく)で見せてくれる。
結局最後まで桐島は現れない。出来る側の憧れや精神的支柱の存在だった桐島、しかし目立たないがマイペースな生徒たちには桐島の存在は関係ないのだ。そして桐島がいなくなったことで出来る側と思われていた生徒が実は何も出来ていなかった事に気付く。桐島(&その彼女)に憧れそれを目指していた生徒たちは、桐島が消えたことで目標を見失ってしまうのだ。一方、桐島などに影響されて来なかった生徒の方が、傷つきなからも結果を残していく。
人はそれぞれキャラクターを持っている。その中で一歩ずつ自分なりに生きて行く。そこに勝ち負けなどないのだ。自分の明日をしっかり見つめ、自分を大切に生きて行けば、桐島の存在に影響されることはないはずだ。
この映画に勝ち組も負け組も存在しない。
あるのは一人一人が自分に正直に生きようとしている姿なのだ。
そして桐島が居ても居なくてもそれぞれの「陽はまた昇る」
モテない奴らはモテないままに、イケてる奴らはイケてるままに。
物語の中盤、イケてない高校生が、神木隆之介君扮する(これまたイケてない)主人公『前田』にこう話し掛けます。
「夢の中で満島ひかりに逢った」と。
俺は、この些細などうでもいい会話で思わず泣きそうになりました。
イケてない、更に加えてオタ仲間同士って、こういうことよく話すんです。ガチで。
「イケてても別に普通に話すぜ?」って思うでしょ?
違うんですよ。全然違うの。
このオタ的でもメジャー的でもない微妙な線として『満島ひかり』をチョイスしてる時点で、もうイケてない勢の領域なんです。
分かんないでしょ?分かんないでしょうね。俺も分かんない(?)。
この映画は非モテには非常に辛辣で、美男美女はそれなりの悩みがありつつもそれでも結局モテて上位カーストで、非モテは虐げられ無視決め込まれ、美男美女はそれなりに辛い気持ちを抱きながらそれでも上位カーストで、非モテはそれなのに淡いロマンスも許されずこの映画自体が非モテへの応援歌的作品にもされず、美男美女はそれでも人生の虚無感を持って日常送っているかもしれんけどお前それは贅沢な悩みであって結局は上位カーストとして人生を生きてくんだろ!ていう。ていうね。
俺はこの映画観てね、ヒガミ根性が再沸してますよ。モテなかったからね。高校生活最下層、スクールカーストの底辺で、前田的だったし。
だから、モテてる奴らがこの映画観て「共感できる!」て言ってたらそりゃあ大嘘でしょ、て。お前ら何に共感したんだよ?ていう。
あーあ。
観なきゃよかった。
この世界で生きていかなければならないのだから
拙ブログより抜粋で。
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だいぶ前に予告編を見たきり前情報はほぼ無しで観たもんだから、青春映画にありがちなフォーマットからまるで外れたこの群像劇にはかなり驚かされた。突然何も言わずに姿を消した桐島に翻弄される面々と同じように自分もこの映画に翻弄された。
驚かされた学園モノという意味では、橋本愛ちゃんが注目されるきっかけともなった『告白』(2010年、監督:中島哲也)に通ずるものがあるんだが、あちらは殺人事件絡みの非日常な復讐劇な上に演出的にもあえてデフォルメしているが故、どこかファンタジーのような趣もあったが、こちらはあくまでもナチュラル&リアル。トリッキーな編集こそされているが、大した事件も起こらず、地に足がついた身近さを感じる。時に赤裸々でこっぱずかしく、時に生々しく苦々しい。
実はクライマックスには圧巻の幻想的(?)シーンがあるのだが、それとて非現実というより、むしろそれによってその非現実が“半径1メートルのリアリティ”と化す逆説となっている巧みさに唸らされた。彼らは、この世界で生きていかなければならないのだから。
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全文は『未完の映画評』にて。
一人一人はリアル。でもその社会はリアルではない。
まず、若い役者たちの演技が細やか。
もう、監督の操り人形にでもなったかのよう。自然な台詞回しや美しい間に引き込まれていく。
そして、カットがどのカットも美しい。映像だけでも充分もつ映画です。
特筆すべきは音楽。
放課後の校舎には吹奏楽部の楽器の音色が響くのはもの凄くマットウ。その音色がごく自然にクライマックスを盛り上げるのですから文句無しのアイデアです!
ただ、パンフには「あなたの”記憶”を幸福にも残酷にも刺激する」とありますが、私はそういうのにはピンときませんでした。
なぜならこの登場人物には自発的にユーモアを放つ者がいないから。
そんな社会にはリアリティを感じられないのです。
この映画ぐらいの軋轢ならユーモアさえあれば解決できますし、最後にクロスオーバーしようとするキャラクターがいますが、本来ならそれはユーモアを持つ道化の役割です。あのキャラクターがかかんにクロスオーバーしようとしたところで結局はグループを移動するだけに終わるでしょう。
だから、鋭いボケをかませる者がいつもクラスの人気者である理由です。
物語を成立させる為にこの集団劇であえて道化役を用意していないならそれはご都合主義といわれても仕方ないです。
行き場を失った眼差しに映るもの
帰り道、もう遠い遠い自分の高校時代の、中でも特別だった日々の記憶が、当時の感覚のまま一気に噴き出してきて止まらなかった。そういう力を持った作品でした。
友への眼差し、憧れの眼差し。個人の眼差しが主役、という印象でした。同級生の目線で目撃した感じでした。
多くの眼差しを受け止めていたバレーボール部キャプテン桐島が部活をやめた、学校を休んで連絡もつかない。
行き場を失った眼差しは交差し、思いがけない所に焦点を結んだりして。映像表現ならではの部分がとても面白かったです。
キャストの皆さん好演でした。自分が弱小文化部長を経験したので、映画部長の前田くんに共感しやすかったですが、他の子達の心情も理解できました。
ただバドミントン部の実果さんはミステリアスで、内面がもう少しわかると良かったと思いました。
前田くんの相棒、武文くんを演じた前野朋哉がとても自然に演じていて良かったです。カメラの向こうでもお仕事している方のようですが、カメラのこっち側でも味のある役柄をこなしていって欲しいです。
-追記-
鑑賞から時間が経って、じわんと評価が上がってきたので4.0→4.5
なんか分かんないけど、分かんないってきっといいことなんだろう
おれの高校時代は単純だった。おれ一人単純だったのかもしれないが、それならそれでいい。この作品の高校生活が現実に近いなら、今どきの高校生も大変だ。複雑な人間関係がいやで背中を向けちゃうから単純に見えるのかもしれない。前田くんは自分の頭の中で吹奏楽部の演奏をBGMにすばらしいゾンビ映画を創った。それは吉田監督がゾンビ映画も撮れるぞというプロとしてのプライドか。野球部のキャプテンはどうみてもオッサンだが、くるわけもないドラフト指名を夢見て通常3年が引退する時期も現役を続ける。自分よりもいっぱい能力をもったヒロキに、妬みもなく「次の日曜、試合があるから来いよ」とさそう。野球部のキャプテンとしてはとてもぬるい感じがいい。作品に登場するメンツの中では好感度バツグン。それぞれの生徒の立場で観れば何度観てもおいしい作品だろう。
興行的に苦戦しているらしいのでネタバレなしの紹介。
感想と言うか、凄く面白かったけど興行的に苦戦しているらしいのでネタバレなしの紹介。
宇宙人も怪獣も巨大ロボも出てこないし、それほど凄い事件も起きない辺りは如何にも典型的な日本映画ですが、そういうのに期待するならば「アベンジャーズ」を観れば良いと思う。
桐嶋は構成とか演技とか色々良く出来てて、らっきょうが転がる程度の話を、視点を変えて見直すだけでこんなにも面白くなると言うらっきょう以下全員主人公の擬似3D映画。
今から“勝ち組”“負け組”に分けるには早すぎる
タイトルといい観る前の情報といい、何を語ろうとする映画なのか掴みどころがない。その得体の知れない不思議さゆえ、何か気になっていた。
話の発端はタイトル通りバレーボール部のキャプテンだったらしい桐島という男子生徒の突然の退部だ。
その金曜日の放課後を主要な登場人物の視点で繰り返し見ていくうちに、いろんな真実が見えてくるという手法を取る。
一人の生徒が部活を辞めた。それは大したことではない。せいぜい部内の騒ぎで治まる。
ところが、どうやらその生徒は学校内の誰もが認める“スター”らしい。運動だけでなく勉強もできて、彼女は校内一の人気女子。つまり彼らにとっては大きな事件なのだ。
そして、その騒ぎは本人不在のなかで繰り広げられ、騒ぎだけがひとり歩きしていく。
騒ぎの中で無責任に言わなくてもいいことを口にしたばかりに友情関係にヒビが入るなど人間関係の脆さが露呈する。カッコイイ彼氏を持つこともカワイイ彼女を持つことも校内に於けるステータスでしかない。
結局、コトの真実を見極めるために桐島の家を訪ねる者は一人もいない。携帯でしかコンタクトを取ろうとしない希薄な人間関係が浮き彫りになる。
主人公の前田涼也は、映画部所属で目立たない生徒。誰からも相手にされず、校内階層でいえば桐島とは正反対の“下”に属する。部室も剣道部に間借りするような片隅でクラい。
彼らは“上”の喧騒をよそに新作の撮影に没頭する。彼らにとって桐島が部活を辞めようが何の意味も持たないのだ。
この価値観の違いがラストでぶつかり合う。おとなしかった“下”の人間が自分たちの世界を踏みにじられたとき、“上”に向かって牙を剥くその感情の具現化した姿がゾンビだ。
屋上で桐島に続くナンバー2的存在の菊池と前田が言葉を交わす。同じクラスでありながら、まともに話をするのはおそらくこれが初めてなのではないか。
彼らの人生はまだこれからだ。何があってもおかしくない。今から“勝ち組”だの“負け組”に分けるには早すぎる。
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