桐島、部活やめるってよのレビュー・感想・評価
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片想いから、醒めるとき(塚本監督の「鉄男」が効いてます!)
観終わってもなお、(予想通り)謎は残る。ホラーではないので、桐島は出てこない。桐島とは、一体どんな人物?ということをさておいても。
バドミントン部のエースは、なぜチャラけた帰宅部と付き合っているのか。野球部に籍を置きつつ帰宅部とつるむ彼は、なぜ性格悪のケバい彼女と付き合っているのか。…いや、実は彼らは付き合っていないのかもしれない。交際はチャラ男とケバ子の思い込みに過ぎず、エースは「面倒だから」、(野球部)は踏み出せないから、だらだらと相手に合わせているだけ、なのかもしれない。
そこまで考え、はたと気づいた。彼らは皆、片想い=思い込みの壮大なループの中にいる。自分の望みはおおむね満たされている、特段の不満はない、…はず。そんな一見整った世界が、桐島の不在で歪み、崩れ始めた。
「自分は所詮、この程度」「私は、アイツらとは違う」「自分には、やるべきことがある」…。「〜にきまっている」「〜しなければならない」は、日々の迷いを減らしてくれるが、思考停止に繋がり、自分の行動範囲を狭めてしまう。(毎日着るものに悩まなくていい制服が、気楽ながら煩わしいのと似ている。)当たり前と思っていたあれこれは、本当にその通りなのか? 見たいものだけを見ていないか? 幻想が崩れ、傷を負うのを恐れず、今に疑問を持ち、見ないふりをやめることが、「一歩踏み出す」ことにつながる。…とはいえ、繰り返される日常の中でそこに辿り着くのは、なかなか容易ではない。
塚本晋也監督の「鉄男」の使い方が効いている。映画部の彼は、モール内のシネコンで思いがけない出会いをする。二人が観ていたのが「鉄男」、というだけでもニヤリだが、敢えてあのシーンを切り取るとは! そんな彼が傾倒するゾンビ映画が、白人社会のマイノリティー差別(迫害)を暗喩していたことは、いまや自明のこと。ゾンビや近未来SFの自主映画制作が、作り手の想いを映し出す点は、「虹の女神」を思い起こさせる。にしても、本作中映画のハイライトは凄みがある。ここに辿り着いてよかった、という気にさせてくれた。一方、前半で延々と繰り返される「金曜日」のリフレーミングは、少々くどい。群像劇を盛り上げるため必要とわかっていても、焦らすのを通り越し、物語が必要以上にもたつく気がした。切り取り方を工夫すれば、一、二回は減らせたのではないか、と今でも思う。
殺伐とした物語に、前に踏み出し続ける野球部部長の佇まいと、踏み出しかけた映画部の遠慮がちな笑顔が、一筋の風を吹き込んでくれる。カッコ悪いことは、かっこいい。文字にすると、とたんに野暮になるけれど。
自分の大事な物は守らないとね。
前から気になっていたので観てみたが驚きました。タイトルの桐島は出てこないのね。
この映画で大人は皆,中高生時代に存在する独特なヒエラルキーを思い出すだろう。自分がどの辺りにいたかも今なら冷静に見えてしまう。そして登場人物それぞれに,こういうヤツいたなと思ってしまった。
それほど見事にあの世界を描いたことに驚きました。
そして主役はヒエラルキーの中でも下層にいるかと思われる映画オタクの少年。神木君が演じると下層には見えないものの、彼にも自分の大事な世界があって、それを守るために戦うのだ。がんばれ👍と思わずエールを送りたくなった。
その時はその世界が全てだったなぁと今は思う。何十年後かにそういう気持ちになるよって教えてあげたら生きやすくなるのか,つまらなくなるのかどっちだろうと思った。
【群像劇の皮を被ったナイフ】
この映画を見て、鑑賞者が「わかる」と言ったり「わからない」と言ったり。そんな短絡的な尺度で語っていい物ではない。
そんな尺度でこの映画を評価するのは、映画の題材の一つである『持っている奴、持っていない奴』のような、スクールカースト的な分け方になってしまう。
僕は胸を張ってこの映画は「よく分からない」と言おう。
僕の事を「凡庸な感性だ」と言われようが、煮え切らぬようなラストを虚栄心を持ち寄って「わかる」等と言いたくはない。
↑ここまでは本編とは関係の無い感想↑
いや〜、とても痺れました。と言うか、刺さって痛かったです。登場人物の青青しさにグサグサと刺されまくった感覚です。
よくこのような題材の映画には、「リアリティのある」みたいな感想を付けられがちですが、ここまでリアリティのある学園映画見たことありませんよ!
分かりやすい虐めは起こらないし、かと言って目立たない子達に目立つ子達が優しくする訳でもない。一人凄い嫌な奴がいる訳でもなく、主人公が惨い嫌がらせを受ける事も無い。
一人一人自分の畑を耕しながら、他人の畑の進捗をチラチラと睨み合っているような、とてもリアリティのある学校ヒューマンドラマだったと思います。
そして、映画全体について言えば、完成度の高い映画だったと思います。作中でも名前が出て来ましたが、この映画は『タランティーノ監督』の作品に少し影響を受けているのかな?と想像しました。
序盤から中盤にかけて、登場人物の個性や心情、一人一人の関係性を丁寧に描き上げ、それを無かったかのようにラストでハチャメチャに犯しまくる。
そんな傍若無人的な燃え上がる本作のラストシーンは、思わず口に手を当ててしまうくらい、熱狂、感動致しました。
そして、最後は菊池が桐島に繋がらない電話をかけ、耳に携帯を当てながら野球部が躍動するグラウンドを眺める。という、何とも意味ありげな終わり方をしましたが、僕の凡庸な感性ではどうにも納得する正解を導けなかったです。
が、そのまま突っ伏すのでは無く、有識者の方々の考察や意見に目を通させて頂いたところ、一つの個人的な正解を妄想できたような気がします。
桐島は映画に登場しないのでは無く、そもそもキリシマなんて人間は居ないのだと。
非常にメタ的な思考になってしまいますが、もしかしたらキリシマはこの映画にとって、一つの「イメージ像」に過ぎないのでは無いでしょうか。
部活、恋愛、これからの人生に魂を震わせる彼ら、多くの学生達が必死に追い求め続けるキリシマ。
彼らの中でのフワッとした、何らかの雲のような光であるキリシマ。全員が全員、見た事の無いキリシマを目指し続ける。
本作を鑑賞中、「桐島ってめっちゃ人気なんだな〜」等と呑気に考えていましたが、もしかしたら、我々鑑賞者も学生の頃に抱えていた鬱屈とした感情を、何かで綺麗さっぱり流し落としたい。と考えていたはずです。
それを叶えてくれるのがキリシマ。皆の神の様な存在。
まぁ自分でもパッとしないと感じる答えではありますが、僕が想像しえる範疇ではこれが限界です。
映画のメタ的な存在であるキリシマは、学生時代の皆さんの心の中にも居たのではないでしょうか。
何度観ても青春群像劇としては突出した大傑作ですね。
『桐島、部活やめるってよ』(2012)
何度観ても青春群像劇としては突出した大傑作ですね。
主要メンバー含め10名近くのキャストが登場しますが、きちんと一人ひとりのキャラクターが確立されて、人間関係も丁寧に描かれ、心理描写も分かりやすく、自分にとっても「高校時代に経験したであろう既視感のある日常の一コマ」の空気感は、自分に近い登場人物に自身を投影させながら、映画に没入しましたね。
できる者は出来るし出来ない者は出来ない
こういう作品は映画好きにはたまりませんね
賞をとったのも納得です
原作もいいし、映画化も上手い
その後の作品はみんな不満がありますが、この作品に限れば秀作です
青春の諸々がシリアスに描かれている
主役は神木隆之介となってるけれど、原作同様、東出昌大が主役ですよね
彼が神木隆之介の生き様にショックを受けて泣くんですが、人生に正解なんてない
将来への期待もあれば不安もある
それぞれが悩んだり、開き直ったりしながら時は過ぎていく
まあ、生きやすいコツとかはあるだろうけれど、人それぞれですよね
ただ、結局は「できる者は出来るし出来ない者は出来ない。」
これは真理です
東出がこの真理に疑いを持ってしまったのは、若いから
今は不安が勝っているけれど、彼はできる人間で、いずれ、それなりになっていく
というか、すでに恋愛の面では充実しているし、神木は想う人とは一緒になれない出来ない者
目指す物のレベルが違うんだ
出来る者にとって、恋愛なんて息をするように当たり前の物
出来ない者には、人生の一大事なのにね
だから、できる奴らの目標は恋愛じゃないけど、出来ない者にとって、恋愛こそが青春の大部分で、望むのに届かないものだったりするんですよ
そして今回痛感したのは、高校生活でリア充のやつらって、身体が大きいんですよ
神木ら映画研の連中が小さいのに比べらと、あきらかに体格差がある
この典型的な描写は胸に刺さった
ギリシャ時代、貴族は筋肉隆々で、奴隷達は貧相だった
十分な栄養と、時間が余裕があるので鍛錬できた貴族と奴隷の格差のような劣等感
生物的な劣等感を持つんですよ
リア充達への羨望の感情に悲しくなった
まあ映画研の連中は、それなりにアオハルを楽しんでいただけ偉いよ
不登校だった僕に比べれば、十分リア充
ある意味、黒歴史をなぞるようで、イラつきながらも、ただただ羨ましかった
自分の高校生の頃
をどうしても考えてしまう。
見てる人の中には桐島だった人もいるだろうし、菊池だった人、前田だった人、風助だった人もいることだろう。
それぞれの人の心に何かを残す作品だと思いました。
なるほど名作!
変わったタイトルに惹かれて鑑賞
才能がなくても努力したり、
成就しなくても懸命に恋をしたり、
周りに流されずに自分のやりたい事に熱中したり、
一方では、何でもよくできるのに、何に対しても熱中できず、虚無感に襲われたり...
学園のスーパースター桐島くんが姿を消す事をめぐって起こるそれぞれの生活の変化や心情や人間関係を追った話で、まぁまぁおもしろかった。
映画部の男子2人がかわいい。
部活やめるの??
10年くらい前に1度TSUTAYAでDVDを借りて鑑賞。20代前半くらいだったからひろき役誰?東出昌大?かっこいいなー。そんな感想。
先日久しぶりに配信サービスで見てみたら20代とは違った感想。
学生の時ってこんなだったよなー。
大人になると周りのことなんてさほど気にならないのに学生だとやたら気になる。
桐島1人に登場人物みんな(映画部以外)が翻弄されてく。
1人1人、そんなに悪い子っていないし(紗奈は若干?)いじめもない。表面的な付き合い。
この中で大人になっても仲良しで付き合いあるのって映画部の2人くらいなんじゃないかな?
ひろきが最後、涙した事によって桐島とひろきの関係性は変わりそう。ずっと仲良しでいてほしい。
前田朋也が体育で点決めたってみたいな言ってるとこほんとそうだよ。ってクスッとしてしまった。
全然関係ないけど桐島が校内のスーパースターなのにバレー部のリベロ?ってのはなんとなく納得いかないなー。
リベロはもちろんなくてはならないポジションだけどスーパースター的立ち位置なんだからそこはエースアタッカーじゃないの?
個人的にはやっぱりカースト上位って野球とサッカー部のイメージだしひろきが野球部だから桐島はサッカー部じゃダメだったのか?とか
でも体育館の部活じゃなきゃあの感じ描けないかーとか。
今見るとキャストがめちゃくちゃ豪華で驚いた
高校生時間が実にリアル
採点3.7
すっごい真っ直ぐな青春偶像劇。
また、このなんともなんとも言えない高校生時間が実にリアル。
あと映画部のせいか、映画ネタが豊富。
途中入る鑑賞映画が「鉄男」で、しかもドリルのシーンw
わかってますね。
桐島は姿を現さなくてもスゲー奴ってのはすごい伝わります。
そして彼が不在になる事で、クラスや部活に色んな人間関係までぐらついていくのが面白い。
この人間模様が本当高校生っぽいんですよ。
散々学園を掻き回した桐島は、結局姿を見せず(後ろ姿のアレは一応そうなんだろうけど)物語は終了。
そんな中edは高橋優、これは最高の入れ方でしたよ。
物語も何だそりゃ?だし特に感動も何も無いのだけど、実に楽しい作品でした。
主人公が出てこない映画NO1
主人公でタイトルにもなっている桐島は結局最後の最後まで出てこない
そんなことある??
ドラえもんが出てこないドラえもん
スパイダーマンが出てこないスパイダーマン
桐島役の人体調悪かったのかな
それとも見つかんなかったのかな
全然僕に声かけてくれれば桐島役やったのに
山本美月とイチャイチャしたのに
それがかえって桐島の存在感の強さを引き立たせているし、実際に姿を見せない桐島に桐島の取り巻きは動揺してた
一方で桐島に眼中もなく映画制作に没頭していた映画部の二人が放課後を謳歌する姿は気持ちがいい
桐島がいるだけでアイデンティティを確立していたイケてるグループの男女
上辺だけの友だち付き合い、空気の読み合いはスカッとするけど今見ると「でもこれが学生だからなあ」とも思う
僕も今はお笑いを一目散に考えているから、映画部と重なりこれでいいんだと思ったし
もしかしたら陰で羨ましがられたりするのかななんて思った
ゾンビ
誰も彼もが抜きつ抜かれつ一方向に走り続けさせられる現代社会。成功哲学を刷り込まれた人間は、常に自分と他者の優劣を競う。
その先頭を走る桐島。『桐島の居る世界』に生きる人間は、成功哲学の「勝敗」と「優劣」がこの世の全て。リア充のように見えても、自分固有の居場所を持っていないのでどこか虚しい。
『桐島の居る世界』に生きる人間を例えると…。
他人の家に泊まる「居候」のようなもの。成功者ならヒエラルキーの高いところにいるので、他人の家でも居心地は良いかもしれない。だけど、本来、他人の家は自分の家のようには居心地が良くない。自分の家に帰るとホッとするものだ。
この家の主(他者の価値観)は完全に他人なので、家主と居候との間には埋められない溝がある。自分の家ではない違和感を感じたとしても、彼らには違和感の正体がわからない。
自分の家がどこにあるか分からないし、そもそも自分の家が無いのだから、いつまでも他人の家に居候し続けている。
『桐島の居る世界』でトップを走る東出昌大。冒頭から退屈そうで、「何か違う、何かが欠けている」という表情をしていた。そしてラストの涙と電話のシーン。自分には帰る家が無いことに気づき、家主に別れを告げる儀式のように私は感じた。
一方『桐島の居ない世界』に生きる人間は、自分の家(自分固有の居場所)にいつでも帰ることができる!勝敗と優劣が大手を振って歩く世界で、どんなに辛いことがあっても、自分の家が有る人間は活力を回復できる。こんな世界でも戦えるのだ。何度死んでもゾンビのようにね!
視聴者の青春時代に沿って見るだけでいいのかもしれない
タイトルの桐島は作品に登場しない。
そして騒動になった彼の退部の理由も明かされることはない。
同じ日を主要登場人物たちの視点で何度もリフレインさせて、彼らの立ち位置や心境などを立体的に描き出している。
一見仲良しのように見える女子たちのグループ。
男子との付き合いや片思い。
付き合っているけど、公表しない理由。
些細な恋の芽生えと失恋。
全国大会で優勝を狙える男子バレー部の主要メンバー桐島。
数日姿を見せない。彼女は次第に不安になる。
桐島は最優秀選手に選ばれるほどで、おそらく容姿も端麗だろう。
人気選手と付き合っている校内一の美女リサ。
リサを取り巻くようにしてつるむ女子。
日常に空いた小さな不安が、彼女たちの間に亀裂を発生させる。
バレー部で桐島と同じポジションにいるのは小泉。
ひそかに彼を慕うミカ。桐島がいなくなれば小泉が活躍する。女子の亀裂。
日常生活で桐島の代わりにいるのがヒロキだろうか。サナと付き合っている。ヒロキに片思いのアヤ。
ヒロキはスポーツセンス抜群だが、特定の部活に入らず野球部などの試合に時折出ているが、最近は誘われても行こうとはしない。
毎回誘ってくる野球部キャプテンがずっと夜まで練習している姿を見て隠れるあたりは、物事に真剣に取り組む気になれない自分自身への背徳感のようなものがあるのだろう。
屋上にいた映画部の撮影の中に入ってしまってごたごたになるが、その後ヒロキは前田にカメラの部品を拾って返す。
カメラを持ちながら前田に質問する。人はカメラを向けられると素になるのだろうか? ヒロキの質問にまじめに考え答え始めた前田。自分自身の気持ちを改めて気づいたように話す。
そして今度は前田がカメラを持ってヒロキに話しかける。
「おれはいいよ」と言って一筋の涙を流すヒロキ。
彼はなぜ泣いたのだろうか?
これは多義的だ。見る人それぞれの青春時代の思い出に沿った解釈があるだろう。
できるのに本気で取り組もうとしないヒロキ。本気で取り組んでいたのに辞めた桐島。
友人として本気で心配しているが、結局まだ会うこともできない歯がゆさ。桐島の本音が知りたい。
3年の夏が終わっても、引っ掛かることのないドラフト会議を待つキャプテンの一途さ。おしゃれして遊ぶのも若者の特権。周囲からは馬鹿にされている映画部にも、彼らのポリシーがあることを知った。少し斜に見ていた映画部も「本気」で活動していたのだ。
ヒロキは、本気になれない自分に気づいたのかもしれない。何かに根を詰めるほど夢中になってみたい。今しかできないことに集中してみたい。
全国大会優勝を掲げるバレー部にとって、霧島の退部は致命的だ。彼の行動によってさまざまなものが撹拌されるように彼らの立ち位置や考え方などがうまく描写されている。
アヤはサナにわざとらしくヒロキとのキスを見せつける。
動揺しながら合奏練習に戻ってくる。彼女の動揺で合奏にならないのかと思いきや、見事に音が合ったのは、アヤの心の響きと音楽とが一致したからだろうか? 最後にアヤは満足そうに微笑む。彼女にとって一つの青春に区切りをつけることができたのだろう。
本気だから。
本気だから本気で傷つくのだ。
桐島もおそらく、本気だったから、挫折したのだ。
そしてヒロキは、本気になれなかったことに気づいたことで涙を流した。
もしかしたらそれで、みんなそれでよかったのかもしれない。
各々が各々悩み苦しみ、それがどんな形であれ、ダメなことは何もない。
もしかしたらこの作品はそれが言いたかったのかもしれないと思った。
かなり難解だけどいい作品だと思う。
青春映画はこれ一択
様々なメディアでのご活躍めざましい松岡茉優さんを見るたびに『桐島』での邪悪女っぷりを思い出しブルブル勝手にふるえてます(X X;;)。
居たよあぁいう子、ホンットに厭だった。辛かったなークラス。部活没頭に逃げてましたわ。
【青春映画はこれ一択】
まあそもそも映画化は難しいと思う
あのさあ…まずカスミって映画部の僕にとっての救いでしょ?さらりとしたポニーテールや性格の良さがあんなにも強調されてたじゃん、それはどこに行っちゃったのよ?
ガッキーとかさ、ねぇ?いるよね?サラサラロングヘアで明るい笑顔の、透明感あって可愛い子、いるよね??
なんでこんな暗そーなボブカット、いや、おかっぱの花子さんみたいな奴が演じてるのよ。
で、いくらでもいそうなイケメン役になぜか東出。なぜ?
吹奏楽部長はまだしも、サナとかはもっといただろ。
キャスティングがとにかく意味わかんないんだよ。
撮り方も淡々と別視点から同じシーンやりますよっていう、工夫があるようでない感じでドラマが生まれていなかった。まさに高校生が青春映画を初めて撮りましたってな感じ、を意識したのかな?うーん。。
そもそも原作も、読んでてそんなに動きがあるわけじゃないから、よく映画化しましたねとは思いました。
桐島がきっかけで‥
話は面白かったが、ラストまで見て、
えっ⁈と思った。
桐島は屋上で一瞬映るだけで、
それを見たのは一人。誰だったんだろ。
それよりも、スター桐島が部活やめるって
ことがきっかけで、その周りの人達が
変わっていくのが面白かった。
一番変わって自分に向き合ったのが、
菊池宏樹(東出)で、
最初から変わらないのが、前田(神木隆之介)
"オレたちはこの世界で生きて
いかなければならないのだから"
"戦おう‥オレたちが‥
ここがオレたちの‥"
そんな、宏樹と前田のラストの
会話シーンからの桐島への電話、
真っ白いスクリーンで終わりで
ハッとした。
こういう映画だったんですね
自宅で動画配信サービスを利用して視聴しました。
高校の空気感を思い出しました。自身の将来を考え始める年代だからか「やる意味ある?」みたいなことを感じ始める時期だよな、と実感させられました。
自分はいわゆるスクールカーストの下位だったこともあるのか、高校の時にめんどくさい人間関係のゴタゴタみたいなものに関わったことはありませんが、きっとこういう人達もいたんだろうな、と思えるリアル感の中にキャラクターが描かれているな、と思いました。俳優さん達みなさんの演技もとても良かったですね。
自分はもっとコメディな映画なのかと思っていました。笑ったり泣いたりするような、いわゆるエンタメ的な面白さがある映画ではないですが、描写や演技で関係性や人間性を分からせてくれる映画だな、と思いました。
ストーリー的にはただ桐島が部活やめただけなんですけどね。不思議ですね。
終わっても、しばらくは余韻に浸っていたい映画。別に面白くもないし、感動して泣く事もない。
「少女は卒業しない」(2023.2)公開記念で、同じ朝井リョウ原作の「桐島」(2012)が、3/4(土)~3/10(金)1週間限定上映。ということで鑑賞。ありがとう立川シネマシティさん。
原作に不思議な魅力があったので、公開時(2012.8)に見た。さして面白くもないのにナゼか気に入ったので何回も見た。
高校時代は遥か遠い太古の昔で、断片的記憶があるだけで、映画を見ても全く懐かしさも覚えない。もちろんスクールカーストなんて概念もなく、微かな記憶ながら、バスケ部だった自分が文化部や帰宅部をみくだしたこともなく、見聞きした記憶もない。
今回、久しぶりに見て、いやまさに、心に響いたとか、心に刺さったというのは、こういう事を言うのだろうと思った。特に面白い出来事もドキドキもハラハラもワクワクも何もない(微妙に少し有るが)。ふつうの高校生の日常の4~5日がただ描かれるだけだ。印象に残った場面はたくさん有るが、感動して心が震えたという事もない。
だのに、映画が終わり場内が明るくなっても、しばらくこのまま余韻に浸っていたいと思った。端の席だったので仕方なくたった。場内のお掃除もあるし。
ちなみに私は、本編終わったらサッサと出る派で、エンドロールは作品の一部とは(絶対)認めない派だ。基本エンドロールは人生最大の無駄時間と決めつけている人種(あるいは悪魔族)だ。オマケ映像があるのを知ってても見ないで出るときがある。
そういう人でなし(?)の人間が、明るくなってもしばらく余韻に浸っていたいと思ったのだ。うまく言語化出来ないが(するつもりもないが)、「桐島」とは私にとってそういう作品だ。1週間やってるのでまた見に行く。
公開時は「スペック」の神木隆之介さんしか知らなかった。この作品でファンになった。橋本愛さんはまだ「あまちゃん」でブレイクする前だし、東出昌大さんはコレがデビュー作。今回出ていたのを初めて知った仲野太賀さんはまだ太賀で活動してた。松岡茉優さんは何の役だか知ってなかったら分からなかった。
今回、はじめは当時知らなかった役者のことを気にして見ていたが、だんだん映画に引き込まれていった。
名作だと言われてるが、「少女は」がつまんなかった人は、きっと、もっとつまんないと思う。映画館でよく寝て疲労回復には効く。
やっと観た。ありがとう109シネマズ!!
----- ここから109シネマズの宣伝文引用 -----
本作は、時間軸と視点を変えて「金曜日」の放課後を何度も繰り返して進むストーリーが特徴で、劇中で映し出される教室の黒板に書かれた日付から、11月25日(金)であることが分かります。
さらに劇場公開から10周年を迎えた、2022年11月25日がちょうど「金曜日」であることから、今回の記念上映が企画されました。
本企画上映を109シネマズでも実施いたします
----- ここまで109シネマズの宣伝文引用 -----
これ、いいですよね。まさに映画好きが設定しましたという感じの企画。観ない訳にはいかないでしょう!
という訳で観ました。(恥ずかしながら観てなかったし)
おまけに当時まだ若手俳優だった、神木さん(隆之介)、橋本さん(愛)、松岡さん(茉優)、東出さん(昌大)、仲野さん(太賀)、山本さん(美月)、鈴木さん(伸之)、前野さん(朋哉)らを観れる。
結果、ちゃんと面白かった。
2007年頃から「スクールカースト」という言葉が当たり前のように使われるようになり、2010年の原作はそれを見事に描き出した上で、そんなものを超えるものがあるので気にするもんじゃないよね、という思いが俺の心中に浮かぶ素晴らしい作品だったが、本作はそれを見事に映像として映し出していると思う。
それは前述した若き俳優達が、各ポジションを演じながら、ちゃんと高校生していることに尽きるのだと思う。バレー部のスーパープレイヤーと彼女、運動神経抜群で野球部だけど部活行かないヤツと彼女。一方に映画部の男2人。まずこの対比が素晴らしい。そして中間にバドミントン部の女子2人とバレー部の控えと吹奏楽部の部長。ちゃんとみんな、毎日心を揺らし、小さな決意をし、生きている。そういう感じを、ちゃんと映像にした素敵な映画。吉田監督(大八)、ありがとう!
何も起きない小説も最高だし、最後にちょっとした出来事が起きる映画もまた、最高だ!
おまけ1
バレー部もバドミントン部もちゃんと上手い。これ、青春映画でけっこう大切なこと。あまりに下手だと作品自体が損をする。吹替でもいいからこの映画のようにちゃんとやってくれると気持ちいい。
おまけ2
「なんかしようとしてこの程度なんだよ!」バレー部控えの叫び。
「一応、ドラフトが終わるまではな(練習出るしバットを振るわ)」野球部主将のセリフ
おまけ3
「ビデオじゃ絶対出ない絵があるんだよ、フィルムには」… 俺は実はこのセリフがあったから日本アカデミー賞で最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀編集賞の3部門を受賞したのではないかと怪しんでます。(笑)
違うかなあ。劇中映画が「鉄男」だったからかな、やっぱり。
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