グスコーブドリの伝記のレビュー・感想・評価
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宮崎駿に対する答えの様な映像美術的な作品。
宮沢賢治原作を土台にした同名短編『グスコーブドリの伝記』を映画『銀河鉄道の夜』の杉田ギサブロー監督が四半世紀振りに挑戦した映画作品。内容は、主人公グスコーブドリと三人の家族が住む地域が飢饉に遭う。飢饉で両親蒸発し残された妹ネリと二人で生活する。突然!ネリが人攫いに遭い一人ぼっちになった主人公グスコーブドリが最愛の妹ネリを探す旅に出る。妹と出逢えるのか?飢饉から脱出する術はあるのか?社会と自分の繋がりは?自分の存在とは何なのか?様々な問題を提起する。 印象的な台詞は『どんな仕事でもいい。ほんたうに役立つ仕事がしたいんです。』ブドリの心底からの叫びが胸を締め付けました。それが最後の言葉『僕は今迄に沢山の人に生かされてきた。その沢山の人の為に役立たられるなら、僕はどうなっても構わない。何でもする!』に繋がる。最後に決心した様に叫ぶ場面は、映像と台詞の違和感を感じながらも印象的でした。 印象的な場面は、宮崎駿監督2001年作品『千と千尋の物語』をリスペクトした様な匂い立つ異世界風景など、映画を通してお互いの作品で対話をしているかの様な作品だった事です。お互いに年齢も良く似た者同士いい関係なのかもしれません。その他にも銀河鉄道の夜をもう一度やってくれている場面やエレベーター🛗の中の家庭教師と兄弟がそのままの姿で天に昇るシーンは他に表現無かったのかと思うほどに直球でした。 印象的な表現では、蚕が一斉に天に昇って舞い上がるシーンの豪華さと背景美術の自然の美しさです。手の込んだ作画とキャラクターの微妙な動きが素晴らしく緻密で、手塚プロもいい仕事するなと感心してしまいます。 全体的に、突拍子もない御伽噺の進行具合なので初めて観る人には面白く無いかもしれません。原作も漫画も突拍子なさは変わりませんが、それが宮沢賢治作品の良さや楽しさだったりします。銀河鉄道の夜から25年。技術進歩が格段に変化したアニメ業界でCG合成や実写合成など新たな表現方法を模索した面白い作品です。 個人的な意見ですが、雨ニモマケズ…の朗読で、原本通りヒドリノトキハ…をヒデリノトキハ…に変化させなかった所から宮沢賢治への作品愛が伝わり楽しく観る事が出来ました。自己犠牲が奇跡を生むというナウシカの映画版の様な結末に、自身復活の無い暗い終わりが全ての様にも見られます。しかし、余りにも綺麗で美しい映像表現だげに勘違いしてしまいます。最初の仄暗い水の底から上がってきて、この世界を領海侵犯しているのは貴方!視聴者ですよとの表現は伝わり辛いのかなと残念に思います。 最後のイーハトーヴを上に引いて行くカメラアングルが天空の城ラピュタの最後の様で色んな意味で面白く観る事の出来る素晴らしい作品です。
そう言う者に私はなりたい
宮沢賢治先生は 1896年8月27日
1933年9月21日の生涯
20世紀以降、東北では飢饉が最低でも三回起きている。一回目の1905年の冷害による飢饉を賢治は記憶に残していると思う。この作品(短編)は1932年の発表だから、この小説に限った事ではなく『雨ニモマケズ』も『永劫の朝(あめゆきとてきてけんじゃ)』も、そして『銀河鉄道の夜』もそう言った冷害による飢饉を意識していると思う。そもそも、彼は科学者で、このアニメは彼の思想そのものと言える。
さて、火山の研究に入る前に赤ひげ(ヒデヨシ)の所で農作物の品種改良等に取り組むが、希望的に描かれている。しかし、実は賢治没後一年目の1934年に二回目の冷害による飢饉が東北を襲っている。この時の被害も大変なことなのだが、全滅ではなく、4割減で収まっている。寧ろ、品種改良等で最小限に留められたのかもしれない。しかし、残念ながら、1930年と言う事は昭和の恐慌が重なって、収まった言える訳が無いのかもしれないが。そして、更にその後、戦争に突入するわけだから、東北の民の暗い現実は三十年間以上続く。また、満蒙開拓団と言う実態も東北の冷害を発端としている。
さて、
アニメは間違いなく東日本大震災に対する復興を意識している。製作年が2012年なので必然だ。
そして、
三回目で、20世紀最後の冷害が1993年に起きている。勿論、品種改良や食生活の変化等で、飢饉には至らなかったが、経済に与える悪影響は日本全国に及んだ。1971年からの減反政策に追い打ちをかけ、食料の自給率は大きく下げた。
さて、
その原因は、なんと、ピナツボ火山の噴火である。このアニメの結論は、火山の噴火による二酸化炭素の温暖化と言う事だった。グスコーブドリが命をかけた事、それが間違っていたのである。
さて、
では、このアニメは何を言いたいのか?
アニメを見て暗い気持ちになった方は、原作を読む事をおすすめする。前向きな気持ちになると思う。やはり、賢治の童話はアンデルセンに通じるものがあると思う。そして、最後にいつも思う事は、
雨ニモマケズの最後の言葉。
『・・・そう言う者に私はなりたい』つまり、今の自分はそう言う人間ではないと言っている。
【杉井ギサブローさんの賢治への想いが生み出したファンタジーアニメ作品。】
公開後も評価が低かった作品だが、私は宮沢健治の暗く、寒い冬を基に描いた数々の作品をアニメーションにすると、今作のような作品になるよなあ、と面白く鑑賞した作品。 多様な緑を配色し、グスコー・ブドリの世界を現した作品の風合、その中で、パープル色をグスコー・ブドリ、ネリ兄妹の顔色にしたセンスは素晴らしいと思った。 又、大仰な音楽を多用せず、静かに物語を進めていく空気感も良かったと思う。 グスコー・ブドリの抑制された低音ヴォイス(小栗旬さん)が受け入れられなかったのかなあ、私は良いと思ったけれど。 <何が今作の評価を低くしたかは、何となく分かる気がする。 それは、”宮沢健治の世界”を愛する人々それぞれの想いを映像で表現するのは難しすぎるからであろうと思った作品。> <2012年7月9日 劇場にて鑑賞>
独特の雰囲気はあるが、物語が曖昧
総合60点 ( ストーリー:55点|キャスト:65点|演出:65点|ビジュアル:85点|音楽:75点 ) 葉の一枚一枚を描いた精細な描写の絵がまず目に入る。素朴な風景を温かく描く美的な感性が秀でている。その後は懐古的で幻想奇譚的な絵柄になって、「銀河鉄道の夜」を思わせるような情緒溢れる映像世界に引き込まれる。 物語を通して、当時の冷害に苦しんで一家離散もあった東北地方の社会情勢が透けて見える。不幸を経験して人々に助けられ、自己犠牲でみんなのために尽くしたいという主人公と宮沢賢治の主題が伝わる。 しかし物語は抽象的でわかり辛い。いきなり来た人さらいみたいなのは何なのか、家族はどうなっているのか、一人で火山に何が出来るのか、観ていて物語の展開に取り残される。物語の細かなところを観るのではなくて、大まかな物語の流れだけ掴めば、後は雰囲気と主人公の気持ちを感じ取るというのがこの作品なのだろう。確かに独特の幻想奇譚的な情緒と雰囲気はあるのだが、最初から空想科学小説だった「銀河鉄道の夜」とは異なり、このやり方と物語の親和性が必ずしも高くないようにも思う。
お父さんとお母さんは
少ない食料を家族に残すために森に出ていったんだと思うんですが、他の人の感想を読むと親が子を捨てて!と怒ってる方が多いですね。
たしか、一番食べるお父さん、子供たちより食べるお母さんの順に死の可能性の高い厳しい冬の森に、僅かな食料を見つける望みを持って出ていって亡くなったと思うんですが。
原作を読んだのは子供の頃で大昔なので記憶が曖昧でしたが、原作通りの台詞を聞くとああそうだったと記憶が掘り返されました。
映像は幻想的で良かったです。
子供時代を幻想的にしたのは、辛い現実からの逃避の心理を読み取れて良かったのですが、
テグス工場が夢ではないことが原作を読んでない人はわかりにくかったようです。
今後、ブドリが人に支えられたことに気づくときにどうなるかな、と思ったのですが、そんなシーンが無かったので一緒に観た家族は夢の中だと思ったままでした。
ただ、ネリは賢治の妹をイメージしてあったので死んだことにしてはいけないんでは…。
原作では人さらいから開放されて大人になったネリと再会しますが、そのシーンと、
最後のブドリと火山局の人たちとのやりとりは観たかったな(特にこのシーン)。
私にとって、この作品は自己犠牲よりも、一人の人間の成長と実はたくさんの人たちに支えられていたこと、厳しかったの思い出に優しさがあったことへの気付きが醍醐味だったので、
そのシーンがカットされていたのが残念でした。
でも、震災があったのでラストの表現は仕方ないことだったみたいですね。
愛するもののためにすべてを捧げられますか?
初めはなんのお話なのかさっぱりで 途中からうぅーんと思ってしまい観るのをやめようかとおもったけれど、主人公が山をおりて街へ出てからストーリーが急展開 直接的な表現はしないけれど 大切な人たちが主人公から遠く離れていってしまう。 認めたくないのか本当にわからないのかはまぁおいといて、主人公はいろんなものに「生かされている」ということに気づき、そのためなら自分はどうなってもいいんだ!という気持ちに。 これは大人も子供にも見てほしい作品だなぁと思う。 最後に小田和正の曲を流すのはズルい(笑) 泣くつもりはないけど、 これは自然と涙が出てしまう。 素敵な作品だと思うなぁ。
子どもと一緒に見るには難解すぎる作品
私は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」がすっごく好きなのですが
どの下りが一番好きかって言ったら
「褒められもせず、苦にもされず」
「みんなにでくの坊と呼ばれ」
「いつも静かに笑ってる」下り。
「雨ニモ…」は偽善的な詞に取られがちですが
自己顕示欲を殺し、我を消して
「ヘラヘラと笑ってる」のが理想って、
よほどの解脱した懐深さが必要かと考えられます。
元々は発表する気がなく、あくまで「作家メモ」だったらしい
この詩の中において、「自分のパーソナリティを殺すこと」について
言及する賢治の追求心は真摯で切実だったように思います。
ケンジ、あたしには出来ないよ、無理!って
この詩を読み返すたび、学生時代から良く考えてた位で(笑)
年寄り手伝うとか、粗食に耐えるとかの
レベルじゃない、聖書に似た考え。
宮沢賢治は仏教思想が色濃いというけど
「善意は人に見えない所で」的な発想は
「自己犠牲」という思想以上にキリスト教っぽい様に思います。
…ということで、到底出来はしないけど
己の浅さを向き合わせる鏡として
心の傍においておきたい作品なのですね。
ってまぁ長ったらしい前置きのもと、
「グスコーブドリの伝記」は
そんな賢治ワールド全開なお話なのですが、
正直、小学生以下を連れていく作品じゃないと思いました。
話が難解で哲学的すぎる内容です。
でも、いつものごとくダメ母な私は、
「子供には難解すぎる!」と文句タレつつ、
我が子よりも先に落ちかけてしまい、
案の定、娘につつかれて起きるのですが(苦笑)
この映画の不思議ワールドの不思議たるや
上映終了後、話が分からないと不満を語る
小学1年生位の息子に彼の父親が
「確かにお父さんも分からなかった!」って
言わしめていたほどで
で、結局?的な割りきれない不可解さで
エンドロールを迎えます。
感想を言えば
絵は手塚プロ肝煎りだけあって無条件にきれいで、
映像の素晴らしさを観るだけでも一見の価値があります。
スタジオジブリに優るとも劣らない明媚さ。
佐々木蔵之介さんはいつも通りなセリフ回し。
草刈民代さんの毅然とした母親像も
そのりりしい顔が浮かびます。
何故父は「遊びに」行くのか。
何故母は、子を置き去りに家を出るのか。
その答えはブドリの思想に受け継がれ
彼の生き方、ひいては映画のテーマに反映されています。
反映されてはいますが、作品は賢治を追うあまり
この映画を観る子供を置き去りにしている気がしました。
この映画のターゲットは誰かと言えば
宮沢賢治ファンと手塚プロファン、
小栗旬ファンが主体かも?
もっと大衆向けに分かりやすく描くことも…
例えば妹に関しての後半の扱いで明るさを出すことも
出来たと思えますが。(原作部分割愛)
この映画は良くも悪くも賢治ワールドの「行間を紡ぐこと」
のみに必死になってる気がしました。
宮沢賢治の色は強く出ていると思いますが。
些末な箇所に関しても
個人的な解釈をのべたいとも思いますが
自分が考える通りの見解は
我が娘に押し付ける事も憚られた位なので、
のりしろ部分はご自分の解釈で。
ブドリのふとした表情が小栗さん的でした。
最後になるけど
ブスコージドリ?
グスコージブリ?
ジスコーグブリ?
いまだに言えないその名前は、
やっぱりエスペラント語から来るのかしら。
岩手をイーハトーブとした様に
グスコー何とかも意味があるのかと
エスペラント語辞典とか探して色々あてはめましたが
答えは出ませんでした。
タイトルにある不可解で暗号みたいな文字は
作品中、いろいろな場面で出てきますが
ローマ字を賢治ワールド的に装飾したもので
深い意味はなさそうです。
でも、この映画で一番話題になりそうなのは
この独特なアルファベットの様な字形だと思います。
そこをもっと展開して欲しかったかな。
これでオリジナルキーホルダーとか出来たら良かったのに。
いつだって子供が好きなのは暗号文。
友だち同士で楽しめる様な面白い話題になったのに
とても残念です。
まえむきに生きていこう
とてもよかったです! 感動しました。 家族のことや生きるということ、 自分をとりかこむすべてのこととの関係を考えさせられました。 前向きに歩きつづけていれば、 さまざまな出会いや幸運、そして理不尽なことにも出会います。 でも、それを受け入れて、自分のできることをせいいっぱいやっていけば、 よいことにもたくさんある。 受け身なブドリくんが、最後に強く思った願いに共感し、 涙がとまりませんでした。 いやなことはたくさんあるけど、 それでもいいこともたくさんある。 わたしのできること、やりたいことはなんだろう。 映画館を出たあと、まえをむいて生きていこうとおもいました。 とても大切なことを思い出させてくれた映画。 私は大好きです。
救いはないが絶望もしない
原作があまり好きではなかったのですが、銀河鉄道の夜が良かった記憶があるのでとても楽しみにして劇場へ行きました。
原作より、映画版のほうがずっと素敵でした!深みのある美しい映像、幸せなときも、不幸なときも、生々しすぎない可愛い猫のアニメ、楽しいような悲しいような音楽、どれも良かったです。
なんと言っても、主役は大自然です。
ただの背景ではありません。絵に描くことにより、写真よりも質感と量感を備えた存在感を持っています。過酷な運命にさらされているときでさえ、目を奪われるほど美しい。背景美術のすばらしさを劇場で堪能しないなんてもったいないです。
あちこち改変があったけど、そこがまたよかった。
原作では妹のネリと再会しますが、今作では夢の中ですら直接会うことはできません。原作でブドリが肥料を降らせるエピソードもありますが、ごっそり削られています。てぐす工場でのシーンは餓死しかけたブドリの見た夢の中のエピソードになっていて、無数の蛾が空へ飛び立つシーンは飢饉で死んでゆく無数の人々を表しているようです。それをなすすべもなく見つめる子どものブドリ・・・。
ストーリーはブドリに厳しくなりましたが、ブドリは絶望することなくまっすぐに育ち、たくさんの出会いに感謝しながら自分に出来ることを模索します。
何があっても生きようとする力、生命の持つ底力のようなものをブドリの生き方から感じました。見てよかったです。
もう一度みたい
あんまりいい評判を聞かなかったので見るのをためらったのですが、知り合いの娘さんが「あの猫ちゃんの映画また見たい」と言っていたのを思い出して、見てきました。 一言でいうとなんと香りのある映画!という印象です。 オープニングからゆったりと、往年の名作をみるようです。 猫の、そしてアニメーションでありながら観客を大人扱いしているというのでしょうか。 不親切と言ってしまえばそれまでですが、たくさんの良質の材料を提示して、見た人それぞれが、受け取ったままに感じてください、みたいな映画で、私には心地よかったです。 映画を見ているときよりも、その帰り道の方が、映画にとらわれていました。 あれ?あのシーンは、こういう意味だろうか、こういう解釈かしら?と。 魔王のような猫の存在の解釈ひとつで、映画の印象がまったくかわるところが面白い感じました。 もういちどみて確かめてみたいです。 今の時代にこんなアニメーションが作れるんだと、ほんと感心しました。 でも一般的には好き嫌いがはっきりと分かれる映画でしょうね。 夏休み映画としてイメージするような 楽しく、明るく、感動的!という映画ではなく、結構重くて、深い内容なので、幼い娘さんがどのあたりがお気に召したのか、とても興味があります。 全体の雰囲気や映像、つきはなした感じなど、私の趣味にはあいました。
はらわたが煮えくり返りました。
見ていて、はらわたが煮えくり返るようなひどい映画でした。 あそこまで、原作を滅茶苦茶にした責任は万死に値する。 映画館の係員に噛みつきそうになりました。 宮沢賢治もさぞや嘆いているだろう。銀河鉄道の夜は解釈の賛否はあったが作品は素晴らしかった。賢治を真摯にとらえていた。これは酷すぎる。犯罪だ。天沢退二郎もこの程度のレベルだったのか。よくも宮沢賢治記念館は強力したものだ。明日、電話をかけて真意を確かめるつもりだ。宮沢賢治と彼の遺産、それを受け継いだ文化、すべてをぶちこわしたんだ。 金返せ、どころじゃない。無駄にした金、無駄にした時間、息子と過ごすはずだった貴重な2時間をどうしてくれるんだ イーハトーブにこともあろうか金持ちがいて、自分の田んぼに石油をまいて、隣の田んぼの持ち主を欺き、イーハトーブって駅があって、凄まじい科学都市を飛行船が行き来して、軽薄な教授が飛び跳ねて、矛盾だらけで、賢治の祈りも、何もかも滅茶苦茶にぶちこわしてくれた。音楽も歌も、なんという不快さか。最後に原作のままのナレーションが入るが、どう解釈しろと言うのか。つながらないよ。回帰しないんだ。銀河鉄道もなめとこ山の熊もグスコーブドリもみな生と死の循環と回帰、そして生きることの悲しみと尊さがある。ましてやグスコーブドリは賢治の自伝とすら言われる作品だ。最初の方に、今日は詩の授業だと言って、雨ニモマケズを先生が読むところがある。あのうざったさも、賢治の自伝だからしかたないかと思ったが、賢治の精神も祈りも何もかも踏みにじった作品だし、ネリをとし子だとするならば、永訣の朝に溢れる賢治の祈りはどうなるのか。はらわたが煮えくり返る。そうとしかいえない。 見に行った人には、損害賠償を支払うべきだ。 宮沢賢治の世界を誤解した息子に謝れ。 とにかく怒りが収まらん。 しかし、もう一方で、現代の子どもたちは、本当に良質の作品に出会えないことを痛感し、痛ましく思えた。嘆かわしい。
映画代金返して…
※私は原作はまだ読んでおりません。
この映画は一体何を伝え、そして何をしたかったのでしょうか。
メッセージはほとんど込められておらず、ただただ作品に対する真摯さが欠けた映画だと感じました。なんとなくですけど。でも映像は綺麗でしたね。
最初はブドリとその明るい家族が描かれ、その後寒波に襲われ飢饉が起き作物は枯れ果て、家族も離散し…その後ブドリは1人になり、寒波や飢饉を防ぐ方法を勉強しに都会へ向かい、一生懸命勉強し、最後はブドリの故郷を暖かくするために命を捧げ火山を噴火させる。結果火山は噴火し気候は良くなりみんなは救われる、めでたしめでたし。こんな感じだったと思います。
なんだかもやもやとしたシーンだけ書き連ねて行きます。
寒波や飢饉で家族が離散してゆくときのブドリの父の言葉。「俺は森へ遊びに行くぞ!」何を言ってらっしゃるのでしょうかこのクソオヤジは。そして母親、お前も子供を見捨てて蒸発するんじゃない。その後ネリは謎の男に誘拐されましたが、多分これはネリの餓死を暗喩してるのでしょう。そして謎の男の笑い方が変。BGMもなんだか微妙にミスマッチ。
その後、ブドリが網をかけるシーンがあるのですがあのくだりは一体何だったのでしょうか。正直ポカーンとしてしまい、なんやかんやでうやむやに。映像は綺麗でした。
ブドリが赤ひげのもとで働くシーンはいいでしょう。でも妹はどうしたブドリよ。
途中魑魅魍魎に囲まれ電車に乗っているシーンもありましたが、あれはあの世へ行く電車だったのか?わかりませんが。どうでもいいですが、ここらへんから一緒に観に行った友人がスヤスヤと寝息をたてて、眠りの世界へ旅立ちました。
そしてブドリが大学→火山局で働くところ。ブドリは楽しそうに、そしてまじめに働くのですが、妹はどうした妹は。追いかけなくていいのかブドリ。と思ったのですが、もう妹が死んでることを理解していたのかもしれませんね。
でもその後、あの世での裁判で境界を乗り越えた罰だとかで裁かれる。境界乗り越えとったんかい。妹連れもどさんかい。そして裁かれた結果の罰が何だったのかわからずじまい。そもそも本当に裁かれたのかすら不明。
そして火山局にてブドリの故郷が寒波に襲われることを知り、気候を温めるため火山を噴火させる方法を考えるブドリ。現れる謎の男。ブドリを火山へ連れてゆくといい、おそらくブドリは火山へ身を投げたのでしょう。その結果火山は噴火し、気候は良くなり、みんなが助かり、そこで物語は終わります。ブドリが火山へ身を投げたシーンは明確には描かれておらず、なんだか綺麗な光がぱーっと飛び散って終わりました。そもそも人が身を投げただけで火山が噴火するとはどうも考えられませんが、そこはアニメですから野暮というものでしょうかね。美しい自己犠牲…と言えば聞こえはいいでしょうが、もしかして自己犠牲精神をこの映画を通して伝えたかったのでしょうか。それにしては身を投げるシーンをごまかしてるし、なんだかよくわかりませんね。映像は綺麗でしたよ。
小田和正の歌が流れエンディングへ。音楽の切り方、配置の仕方もなんだか変。欲を言えば、BGMは銀河鉄道の夜で担当してらした細野晴臣さんを起用して欲しかったです。
正直映像は綺麗でしたが、映画料金を払ってまで見るような作品では無いと思いました。
私はこの映画をおすすめしません。映像は綺麗でしたが。
映像と内容のギャップ。
宮沢賢治作品にまったく明るくない私は^^;この原作も未読。
チラシを見て、可愛い猫だなぁくらいにしか思わなかったので
冒頭のファンタジーな童話世界から、急に冷害の話にトーンを
変えた時には、ちょっと面喰ってしまった。
あ…こういう話だったのかぁ。う~ん、好き好き分かれるかも。
確かに彼の黙々と働く姿(自己犠牲の精神)は賞賛に値するが、
この話をなぜ今?というのは、やはり震災の被害と重ねて観る
向きが多いからなのだろう…と感じた。
自然災害の猛威に為す術もなく家族を失ってしまった子供達。
悲嘆に暮れながら過ごす兄妹に、死神?が妹をさらってしまう。
なんといえばいいのか…。
よくいえばリアル、悪くいえば救いのない展開に心が重くなる。
学ぶべき脅威がそこにあり、それが人災被害ではないという、
恨むべき場所も泣き言を言える人もいない、非常に辛い現実。
主人公・ブドリは、そんな中でもただ黙々と仕事を求める。
あんなに暗かった森を抜けると、明るい農村が広がっており、
これで少しは救われたか~とこちらも胸を撫で下ろすのだが、
この物語は簡単に幸福へと結び付いていかない。
当たり前といえば当たり前なのだが、一生平穏無事な気候が
続くということはなく、幾度かの転職の後火山局に勤めた彼に
またもや大冷害の危機が迫る。そこで彼の選んだ対策とは…
映像は確かにキレイだ。
一見表情の見えないブドリの、淡々と話す口調(小栗くん巧い)も
彼の性格を詳細に顕わしており、聞いていて心地良い。
ただ時折ブツッと切れる場面の切り替え、ラストの小田和正の
有名歌のあとの不自然な途切れ方など、いちいち気になった。
もっとなめらかにできなかったのだろうか。
雨にもマケズ、風にもマケズ、…まさにその通りの話である。
(しかしもの悲しい。あの親にしてこの子あり、とは思うんだけど)
ひたすらに退屈。
映像はきれいなのですがストーリーがまとまっておらず なにを伝えたいのか、分からない退屈な映画でした。 自分の人生には不要な映画で 無駄な時間を過ごしてしまいました。 銀河鉄道の夜がよかっただけにとても残念です。
なんだかなぁ~。
前回高評価だった「銀河鉄道の夜」はファンタジーとしてとても素晴らしかったです。
ただ、今回の「ブドリ」の原作は「銀河~」と違ってもっと生々しい内容の物語です。 それを無視して二匹目のドジョウ狙いのファンタジー路線に走ったばっかりに、ストーリーが全体的にボヤけてしまった感があります。
この物語に映画化の話が出たのは、3.11の前だそうですが、架空の国とはいえ、イーハトーブが被災地である東北地方岩手県をモデルにしているのは、今ではあまりにも有名な事実です。
だからでしょうか、物語の肝であるはずの天災によって幸せだった家族が家族が、ドン底まで落ち込み、本来なら悲壮感溢れる家族との別離が中途半端に描かれているので、その後のブドリの人生に共感しづらくなってしまっています。
これは、あの未曾有の大災害の記憶が新しい事や、被災地に対する配慮ではないかと推測ができますが、結果的に物語の本質がブレて中途半端なファンタジーで着地してしまったのが、あらゆる意味で残念でなりません。
製作者はきちんと原作を読んでいるのか?
映像、音楽、声優(ブドリの声が若干大人びていたか、こどもの頃のブドリはもっと高音でないと、違和感があった)とても良かった。しかしストーリーがどうしてしまったのか?
ブドリはもっと苦労をしている。そういう中での妹ネリとの再会がきわだってくる。長年生きてきた私にとって、人生は本当に何が起こるかわからない。しかしまったく偶然とでもいうべき良い事もある。そういう兄妹の感動の再会の部分をさらりとカットしてしまったのは何ゆえか。そしてラストの内容。ブドリが他者のために、自分の命を犠牲にする過程のシーンは、あまりにもあっさりしすぎていた。自分の命のこと、妹のネリのこと,死の恐怖....たくさんのことが頭を巡る。そういう中で、最終的に自分をささげたのだ。かつて自分の父、母とネリのような不幸な目に合う人が新たに起こらないようにとの深い願いがブドリの中にあったのだ。その部分が描かれていない。ブドリの死とひきかえに冷害をふせぐ事が出来たのだ。1985年公開の『銀河鉄道の夜』があまりにも良かっただけに残念。
賢治へのリスペクト
なんというか宮澤賢治へのリスペクトにあふれた作品という印象です。 賢治を調べたことのあるものとしては、 いろいろな解釈に関心しながら見ていました。 グスコーブドリの伝記の原作通りのアニメ化ではありませんでしたが、 誠実に賢治と向かい合った末の映画化だと思いました。 いろいろな賢治の作品をとりまぜ、解釈し・・・まるで一本の論文のようでもあります。 それでありながら、やはりこれは映画。 映画として、賢治の思い、伝え方、文体を表現しようとしている。 ストーリ展開に、なんともつたないというか不完全なところもあります。 それすら賢治らしくて、かえって驚きました。 私的な難点をいうとすれば、主題歌と音楽が、私のイメージする賢治の世界と違和感があったというところでしょうか。
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