「全世界・全時代で共通の悲劇」別離(2011) 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
全世界・全時代で共通の悲劇
『ああ、ここにあるのは悲劇だ。汝の名は役者か観客か。
運命の操り人形にも檻の外の傍観者にも、変えられるものは何一つない。』
……本作を観ながら思い出したのはそんな一節。
シェイクスピアの引用とでも言えれば聞こえが良いんだろうが、とあるゲームに登場した一節の引用。
映画を観ている間じゅう、歯痒くてしようがない想いだった。
きっかけはほんの些細な嘘や勘違いに過ぎないのに、
石ころが坂を転がるように、ゆっくり、しかし加速度的に事態が悪化してゆくのを
観客はただ固唾を呑んで見守るしかできないのだから。
結局、誰の嘘が一番罪が重かったのだろう?
誰にも落ち度はあったし、自己保身の為だけに吐かれた嘘もあった。
だが誰も悪いと思えないし、責める気にもなれない。
だって皆、罪人と呼ぶにはあまりに慎ましくいじらしい人々だ。
娘を自由に生きさせたかっただけなのに。
老いた父を見棄てたくなかっただけなのに。
好きで病気を患った訳じゃないのに。
好きで仕事を辞めた訳じゃないのに。
苦しい家計の手助けをしたかっただけなのに。
家族みんなで、仲良く一緒に暮らしたかっただけなのに。
夢のように大きな幸福を望んでた訳じゃない。
ただ平穏な生活を——幸福と呼ぶにはあまりにささやかな幸福を——望んだだけだった。
なのにどうして、どうしてこんなに壊れてしまったんだろう?
映画内で静かに、しかし常に見え隠れする貧困の影。
“その日暮らし”というほどの窮状ではないが、
何かのきっかけがあればあっさり崩れ去ってしまいそうな危うい経済状態。
『何が悪かったのか』と訊かれれば、全てはそこに行き着くのだろう。
それは最早、個人の力ではどうしようもない話になってしまうのだけれど。
少女が父と母どちらを選んだか明らかにされないまま映画は終わる。
観客としては気持ちが宙ぶらりんのまま劇場を追い出されたような心持ちだが、
あの無垢な少女が、嘘を吐かされ、憎しみの眼差しを浴びせられ、
挙げ句『親を選ぶ』という残酷な選択を迫られた時点で、
物語は既に救いようの無い結末を迎えていたのだという気もする。
ああ、ここにあるのは悲劇だ。
貧困ほどに人の心を追い詰めるものは無いし、
暗い眼をした子どもほどに悲しいものは無い。
それはきっと、どんな国に住もうと、どんな信仰を抱こうと変わりはしない悲しみだ。
全世界・全時代に共通する悲しみだ。
<2012/7/15鑑賞>