アーティストのレビュー・感想・評価
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サイレントからトーキーに激変するハリウッドを斬新なサイレント映画に仕上げたミシェル・アザナヴィシウスの映画愛
ハリウッドがサイレントからトーキーに変換した時代にスポットを当てたユニークな視点が魅力のバックステージもの。
映画の歴史ではフィルムのカラー化やシネマスコープなどのワイドスクリーン、近年では音響設備の充実とSFXの進化、IMAXの映像の鮮明化と転換してきましたが、1929年のトーキー出現ほど映画を革命的に変えたものはありません。それは映画を制作するスタッフとキャストのどちらにも負荷が大きく、一気に変わらざるを得ない状況に迫られた一大事でした。この映画から連想する作品に、ビリー・ワイルダーの名作「サンセット大通り」(1950年)があります。淀川長治さんは、忘れられたサイレントの女優グロリア・スワンソンの大袈裟な演技と新進シナリオライターのウィリアム・ホールデンの自然な演技の比較がいいと高く評価されました。この作品でワイルダーは、セシル・B・デミル監督に可愛がられた大スタースワンソンに敬意を表しながら、そのアクの強い演技スタイルを時代遅れと見せるブラックユーモアも効かせています。サイレント映画は役者が台詞を発しても声は聴こえず、内容が掴めない会話を想像するしかないもどかしさ。最小限の字幕があるとはいえ、ストーリーの細かいところの説明は省略されています。サイレント俳優の演技は、喜怒哀楽を明確に分かり易く表現するもので、バレエやパントマイムに近い。それでもその専門職と比べれば、カットごとに短く演ずることで難易度は高くありません。演技経験のない素人でもできる反面、人間的な魅力に溢れていないと人気者にはなれない。それがトーキーになれば実際に台詞を語り、舞台俳優同様の演技をしなければならなくなりました。そのため代表作の一本がグレタ・ガルボと共演の「肉体と悪魔」(1927年)のジョン・ギルバートは、イメージに声質が似合わず人気が急落し失意のうちに亡くなったということです。この映画の主人公ジョージ・ヴァレンティンの設定は、この苦難のギルバートをモデルにしているとありますが、名前では美男スター ルドルフ・ヴァレンティノから、出演作品では「奇傑ゾロ」(1920年)や「三銃士」(1921年)のアクションスター ダグラス・フェアバンクスも加味されている様です。ヴァレンティノは絶頂期の1926年に31歳で急逝し、フェアバンクスも全盛期を過ぎたこともありトーキー時代は人気が低迷して1939年の56歳で亡くなっています。サイレントのスターがトーキーでも人気を維持することは数少ないことでした。
この映画のもう一つの特徴は、脚本と監督がミシェル・アザナヴィシウスというフランス人であることです。後の2017年に「グッバイ・ゴダール!」を制作していることからも映画好きが分かりますが、ここではヒッチコック、ラング、フォード、ルビッチ、ムルナウ、そしてワイルダーを研究したとありました。この映画愛が全編ほぼサイレント映画にした大胆な挑戦を可能にしたと思われます。これがアメリカ人の監督によるアメリカ映画なら、後半の1930年以降はトーキー映画に変えてミュージカル色を派手に演出した作品になったのではないかと想像します。それは世界恐慌の切っ掛けとなったウォール・ストリート・クラッシュの不況によりブロードウェイの劇場の多くが閉鎖となり、ハリウッドがその脚本家や音楽家や俳優を引き抜きシネ・ミュージカルの黄金期を迎えたからです。レビューミュージカルの金字塔「四十二番街」(1933年)やアカデミー作品賞の大作「巨星ジーグフェルド」(1936年)が有名です。しかし、ここまで物語を広げたら制作費は莫大になってしまいます。本作は「トップ・ハット」(1935年)などのフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースを思わせる、主人公ジョージとエキストラからスターに上り詰めたペピー・ミラーのダンスで締めくくり、ハッピーエンドのロマンス映画としました。
ファーストシーンのサイレント映画「ロシアの陰謀」をプレミア上映するところがいいですね。フリッツ・ラングタッチの脱出成功のラストシーン。スクリーン裏で歓声を聴くジョージと犬のジャック。トーキー映画を試写した後に、音に敏感になった夢を見るシーンも面白い。夢の中だけは現実音とジャックが吠える声を聴かせる演出です。ふたりの明暗が分かれる出演作同時公開の1929年の10月25日がウォール街の株暴落の翌日で、朝新聞で知るところもサイレント映画からよくある定番の演出です。携帯電話がある今とは違いますね。要所要所で新聞が映るショットに昔の映画を感じるのも、それだけ携帯電話が必需品として欠かせない現代になった証しでもあります。彼女の魅力を引き立てた“つけぼくろ”をタイトルにした作品を見上げるジョージの複雑な心理の描き方も象徴的です。勿体ない演出は、オークションにかけた家財道具をペピーが全て買い取って蔭で援助していたことにジョージが気付くところです。プライドが傷付き自殺を図るまでの衝撃には感じられないのが一寸残念と思いました。それでも“BANG!”の字幕が拳銃で無く、ペピーが運転する車が立木に衝突する音の表現はいい。
以上もっと要求したい気持ちもありながら、映画が最も激変した時代を奇麗にまとめてサイレント映画を押し通した信念は、敬服に値します。この映画の面白さから、少しでもサイレント映画を観る人が増えれば更に映画を楽しめるのではないかと思います。主演のジャン・デュジャルダンは最近観た「オフィサー・アンド・スパイ」とは打って変わって、コメディ演技もこなせる実力を見せています。アザナヴィシウス夫人のベレ二ス・べジョは輝きを増すスターを好演も、後半にもう少しエレガントな美しさが前面に出ていれば最良でした。映画会社社長役のジョン・グッドマンと運転手兼執事役のジェームズ・クロムウェルは其々に存在感があり、良かったと思います。しかし、この作品で最も素晴らしいのは、忠犬ジャックを演じたアギー(2002年~2015年)の名演です。映画出演の俳優犬からジョージの私的な愛犬としての立ち居振る舞いまで完璧です。誰もがこんな名犬を飼って相棒にしたいと思うでしょう。という事で採点はこのアギー君の素晴らしさを含めての評価になります。
傑作
まず言うなら、ストーリーにはなんのひねりもどんでん返しも無い。
数分ごとに危機に見舞われたりするアクションを観慣れてると
この映画は物足りないと思う。
さらに古い映画、それも無声映画をある程度観たこと無いと
何がそんなに授賞理由になるのかピンとこない気はする。
それでも私はこの映画が大好きだ。
原作の小説を先に読んで、映画化されたものを鑑賞すると納得いかないように
何かが無いということは
それだけ人の想像力を駆使して補ってる部分が多い。
無声映画も同じだ。
声が聞けないスターの声を、観客は自分の頭の中で補完して観ている。
自分の想像とかけ離れてると勝手にがっかりしたりするものだ。
この映画は無声映画からトーキーに移る時代で、
新しくトーキーから出演するものにはなんの障害でもないが、
それまで無声で地位を築いてきたものには
その変化は恐怖でさえあったろう。
主役のジョージは最初そこまで深く考えてはいなかったとはいえ、
最終的には落とし穴にはまってしまった。
幸いにもどうにか浮上するにしろ
観てるほうも、いったいいつ声が出るのかとハラハラして待つことしきり。
やっと聴けた第一声が、台詞が、どんなものだろう?と。
つまりこの映画を観ている私たちも、当時の観客が、
あのスターはどんな声なんだ?どんなふうに台詞を言うの?と
ワクワクして待つのと同じ状況に置かれていたのです。
そのことに気づいて鳥肌モノでした。
また、この映画は映画マニアならばしびれるような
こまか~いオマージュにあふれている。
さらに言葉が無くても、
例えばいつでも車がピカピカなことからクリフトの勤勉さがわかるし
視線で恋心がわかるし
増えて行くネックレスで妻の我儘さがわかったり。
無声でも雄弁な映画なのです。
長すぎるレビューは読むひともめんどくさいだろうと
ある程度短くしようと心がけてる自分でも
この映画の良さを少しでも布教したい!と熱く長く書いてしまった。
それだけ映画愛を呼び起こす作品でした。
観終わって、作ってくれてありがとうと思える映画は数少ない!
言わずもがな。ラ・ラ・ランドとバビロンはこの映画をリスペクトしている。
色々な映画が登場する。
子犬は『禁じられた遊び』だね。
タップダンスの踊りはロングカットですごく良い。
ジーン・ケリーの様な踊りをロングカットで再現しているのは『ロシフォールの恋人』の反省か?
1929年10月25日封切りって、鳥肌が立った。前日が第二次世界大戦の引き金の日ですからね。
最初の『グルジアに自由』って、スターリンに対するアイロニーでしかない。やっぱりフランス人は知ってるんですね。スターリンはロシア人じゃない。グルジア人です。その後『ドイツ陰謀』って、二人の独裁者に対するアイロニーですね。
オペラのように生のオーケストラが奏でる。トーキーよりサイレントのほうが良い!音楽が良い。
日本だと、うるさい弁士ががなり立てる。チャップリンの映画の前で、講談師聞いているようだ。日本の『活動写真』と言う芸能を、僕は余り好きになれない。
落語とか講談は嫌いではないけど。それに映像を重ねるって、なんか想像力を削がれた様に感じる。
追記 メル・ブルックスのサイレン・トムービーが見たくなった。彼はまだご存命なんですね。ガキの頃、上野の映画館で見た。メル・ブルックスが好きで好きでたまらなかった。この映画もなんかそんな匂いがする。
映画愛に溢れる作品
久しぶりに観たが軽妙な展開ですんなり観れる
白黒映画によくあるようなハッピーエンドもいい感じ
音楽、構図、服装など出で立ちも古い雰囲気を醸し出していて
そうゆう映画が好きなんだろうなって伝わってくる
そしてなんと言ってもこの作品の犬は必見かも知れない
終始とても素晴らしい演技をしている
助けを求めに走るシーンなんてどうやって撮ったのだろう?
賛否両論あれど映画愛に満ちた作品となっていて好感持てるな
アカデミー最優秀名犬賞を与えるべき
サイレントからトーキーに移行し、無声映画のスター、ジョージが落ちぶれていく一方、ジョージに見初められたペピーはスターへと成長する。
サイレントだから演者の少しオーバーな表情で何言ってるかなんとなくわかったりで、分かりやすい内容だった。
トーキーでは無声映画と違って大げさな演技が必要ないため、同じ映画でも全く別物だったんだろうなと思った。だからサイレントでスターの地位を築いていたジョージはサイレントに固執し、トーキーでは全く通用しないかもと恐れて映画に出なかったのかな?
でも、最後のミュージカル。これならジョージも大活躍できる、ハッピーエンド。やっぱりシンプルに幸せな気持ちになれるのが良いよね。
終盤、ジョージが拳銃自殺をしようとしてbang!の文字が…しかし、それはペピーが運転してる車が木に衝突した際の音であり、サイレントならではのドキドキ感が味わえて良かった。
今作の1番の活躍はジョージの飼っている名犬に間違いない。ジョージにべったりで利口で、命を救ったり…でもオークション品買ったのペピーだと知ってジョージのプライドが粉砕したのはあの犬が原因なのは置いといて笑。
でもあの犬の打たれたふりのおかげで和んだのもあってか2人が完全に和解できたし。
今作には最優秀名犬賞を与えるべき😁
作風ごとタイムスリップ
サイレント映画はアメリカより先にフランスで作られ Art Muet (無声芸術)と称されていた。主人公は冒険ヒーローものの大スターでとてもアーティストとは思えないのだが・・。若い娘にちやほや、奥さんには冷ややか、プライドだけは無駄に高く、あまり感情移入できる人柄ではないのだがクラークゲーブル風の古典的二枚目ぶりに妙な愛嬌があり許せてしまうから不思議だ、愛犬や運転手の献身ぶりを入れたのもうまい味付けだと思う。
時代の波に乗れず凋落してゆく大スターの悲劇を扱ったものは多いし、名作「雨に唄えば」での悪声ゆえにスターの座を追われるトーキー幕開け時代のエピソードも思い起こされる、あんなにトーキーを拒む主人公は吃音だったのではないかとも思ったが最後で唯一のセリフ「My pleasure(喜んで)」がきれいだったので思い過ごしと分かった。
映画史へのオマージュ満載、モノクロ・サイレントへの挑戦が先だとは思うが今風の撮り方では成立しづらい話を考えて丸ごとタイムスリップさせたのは面白いアイデアですね。
サイレントとトーキー
トーキー映画の時代に最新の技術を駆使してあえてサイレント映画の撮影をするその考えがもう天才すぎる!
時代の流れとともに変化していく映画。
流行り廃りに影響されてしまう俳優さんたち。
技術の進化。
ラストシーンでタップダンスを踊っている場面はサイレントとトーキーの両方の良さが活かされていて感無量でした。
意外と音声がなくてもわかる映画
全ての会話がいちいち字幕で出てくるのかと思ったら
無くても十分わかる場面が結構あって
意外と音声って無くてもイイんだとわかった。
一方、主人公の自殺に至る肝心の場面で字幕がなかったのは
意図的だと思うが、その意図がわからなかった。
いろんな解釈があるようだけど、そこはやっぱりわかるようにしておいてほしかった。
それ以外は◎
恩返し
つけボクロとタップダンス
お互いがお互いの良さを見出して与えたものが、みごとにはまった。
その後も時代の流れがあるだろうが、2人で乗り越えられると思う。
セリフが無いから役者の表情や動作など、細かいところから心情を読み取ろうとするので、他の作品よりじっくり観た気がする。
アーティスト 感想
サイレント映画であって音がない割には分かりやすい内容になっていて、面白い。時代背景も近いのか、『雨に唄えば』を強く意識している映画に思える。最後のタップダンスなんて完全に『雨に唄えば』。サイレントだからこそこのシーンではこんな台詞を言っているのかな?という風に考えられるから楽しい。そして、今まで聞こえなかった分ラストシーンで一瞬だけ聞こえる主人公の声。これがとても良い!なんだか泣きそうになった(笑)
すごく良かった!
最初は不倫ものか⁇と思いきや、めちゃくちゃ素敵な純愛だった。
奥さんが「出て行って」って手紙に書くシーン、今までも自分の稼ぎじゃないのに夫を出て行かせるっていう衝撃の展開だったなー。日本の主婦にはたぶん言えない。海外ならではって感じ。
で、このくだりがあってこそ純愛が成り立つんだよね。
あと、クリフトンが言う "Beware of your pride, if I may say so sir." は沁みたなぁ。なかなか思っても言えないけど、でも本当その通りなんだよね。過去の栄光から脱却するのって本当に難しい。しかも、全盛期だった頃に自分が育て上げた人のお世話になるなんて、そうそうできるもんじゃない。そこを乗り越えちゃうとまた新たなステージに行けたりするんだな。
最後、声が入る演出もすごくいいなって思った。監督が「もう一回」って言ったのは、ただ単に二人のダンスをもう一回見たかっただけ?と思って微笑ましかった。
見終わったとき自然に笑顔がこぼれる作品だった。
人生って素晴らしい!
サイレント映画見たのは20年近く前に見た映画以来でした。
劇中でオーバーアクションと言われているジョージの手ぶり身振り、表情すべてが新鮮でした。
サイレント映画において圧倒的なスターとして、作品の中でもその存在感を示し続けるジョージ、時代の流れについていけず自らの栄光に縋り、落ちて行く様は哀しみを感じざるを得なかったです。
その中で自らを『アーティスト』と称して孤軍奮闘する姿もとても印象的。
これ以上にない、好対照で現れたペピー。めちゃめちゃ可愛かったです!ジョージが落ちてゆくのと好対照に登って行く。旧態依然とした体制を新たな勢力が撃ち落として行くそのコントラストのついた流れが、栄枯盛衰の刹那感を思わざるを得ないし、その相手がこんなキュートな女性というのも皮肉なコントラスト感じます。
没落したジョージが、その誇りを失わない様に、何ヶ月も給料を払っていない運転手を解雇して車をあげてしまう。でも翌日の朝、気になって窓の外を見るシーンの哀愁、そのあとに自らの映像を見ながら奮起できないプライドの高さ。そして…。
スターの没落なんてたくさんあるんでしょうけど、具体的にこんな感じか…と息を飲む感じを覚えました。
そして、それを影ながらささえつつ、最後はすくってくれたペピー。素敵すぎます。
人生は辛いことがたくさんある。でも人生は悪くない。そんなことを思わせる映画でした。
への字
私は映画をそこまで深く見ていない。しかしそんな私でもこの作品の美術と演出の見事さはわかった。中でも白黒であるからか影の使い方が美しかったと思う。
ジョージとペピーは笑顔が印象的だ。特にジョージの「への字」眉の笑顔はサイレントにあって人気スターの風格と人懐っこさが伝わってきた。
だからこそトーキーが時代を席巻しジョージから笑顔が消えた辺りで話にグっと引き込まれた。
正直、中盤の少し前辺りで私は見る意欲を失い掛けていた。
サイレント映画を見るのは初めてである。映像と音楽でストーリーを汲み取る力が不足していたのもその理由の一つだろう。
だが私は、人がもう一度立ち上がろうとする映画が好きだ。
ジョージが誇りを捨ててもう一度這い上がろうとする様を気付けば集中してみていた。
人は立ち上がろうとする時一人では難しい。必ず傍らにもう一人誰かに居てほしい。
そしてその誰かはその人の生き方に共鳴して寄り添ってくれるのだ。
即ちに如何に生きるかによって如何に立ち上がれるかに繋がるというこだろう。
しかしジョージは幸せだ。
倒れた時に寄り添ってくれるもう1匹がいたのだから。
ジャック。正に名演。
ジャック無しにはこの映画は成り立たなかったと言っても言い過ぎじゃないだろう。
サイレントの入り口として
サイレントはずっと疎遠だったけれど、それが最新作コーナーにあったことと、ノミネートということから借りてみた。
初めは何が起きているのか読み取れず入り込めなかったけれど、空白を読むような感覚なのか、話に入っていってた。そこから、ジョージ役のジャン・デュジャルダンの笑顔がモノクロに輝いていて、だんだんと画面から目が離せなくなってしまった。
役者の表情仕草でだけこんなにも物語が拾えるのかと驚くばかり
ジョージがこれから役者として映画でどう表現していくのか、トーキーとどう関わるのかハラハラしてた。
そして今だからこそのサイレントの中の音の入り方に衝撃。
初体験だからこそかいろんな事を考えさせられた。
それまでサイレント、トーキー、カラー、3Dへ発展という認識をどこか考えていたのかも。使われなくなったサイレントだけれども、今でも好奇心をくすぐる表現方法なのだと感じてこれからのサイレントにわくわく!
穏やかに楽しめる映画
初めての無声映画だったのでお菓子を食べながらなど、ながら見ができませんでした。ストーリーを追う為に画面にずっと釘付けになっていました。効果音、セリフがないのにここまで感情移入出来るものなのかと新しい発見をした気分です。主人公のジョージが仕事で失敗し堕落していく様とペピーの売れっ子になってスターへの階段を上っていく対称的な様子は痛々しく、鮮烈でした。主演二人の演技がとにかくうまい!最初ペピーが研ナオコに見えていたのですが、段々可愛いペピー、愉快なペピーのキャッチコピーそのままに見えてきました。
ラストシーンの真の意味
こんなに他愛もないラブストーリーが、少々ギミックのあるサイレント映画だというだけでアカデミー賞を取れるとお思いですか?
ラストシーンの仕掛けに気づいたので、どうしてもみなさんに聞いてみたく、アカウントを取得して書き込みます。
私は最初、ラストシーンの意味がわかりませんでした。
「パーフェクト!」と監督に言わせ、スタッフも「カット!」を言うのを忘れるほど見とれ、あれだけの運動量のダンスをして、ハアハア息を切らせている2人に、「もう一度、最初から」とは、見ていて驚きました。無慈悲にも程がありますし、もう一度撮る意味はありません。なのに休憩もなく間髪をいれずに次のテイクの準備へ。
なぜ?
これ、たぶん、YouTubeなどの動画サイトと、その視聴者への強烈な皮肉になっているんだと思います。
YouTubeなどで、同じ動画を何回も見ることがありますよね? 監督も、見たかったんです。彼らの完璧なダンスをもう一度、しかも今すぐ、目の前で。とにかく見たかった。きっともう一度といわず何度でも。
おそらく、私達が気に入った動画をリピートするのと同じ気持ちを表現しているのです。
しかしただボタンを押すだけでは見られません。何人ものスタッフがまた最初から準備して、主役の二人は息を整える間もなく、あの激しいタップダンスを踊らなければなりません。
これが映画の本質だと。人間が作っているんだと。だからこそ今、サイレント映画という手法を使って、インターネット動画が蔓延する世界に一矢報いたかった。サイレント映画がトーキーに取って代わられた時、ジョージが発奮して自分で映画を撮ったように。そんな真意が、あのラストシーンに隠されているような気がしてなりません。
あの映画ではジョージは砂に埋もれてジ・エンドとなりましたが、あれも不自然ですよね。でもこのように考えてくると、昔ながらの映画はもう瀕死の状態だと、新しい映画/動画の時代が来ているというメッセージにも思えてきてしまいます。
穿ちすぎでしょうか。みなさんはどう思われますか?
素晴らしい‥の一言です 若い人に見てほしい
久しぶりにボロボロ泣きました
悲しすぎるし
時代背景、役者さんの表情などワクワクするし
わんちゃんで笑っちゃうし
この人悪いひと?ってぉもっちゃうし
最後は主人公笑ってハッピーな姿でぉわれてよかったです
過去に学ぼう。
内容がどうの、ということよりも、
過去のサイレント映画に敬意を払った作品だと感じた。
物語は至ってシンプル、おそらくアカデミー賞をとったから、
観に行ってみました…!的な鑑賞者も多いのだろうと
思うけれど、うわぁ~♪と思った人がどれだけいるだろう。
昔のモノクロ(カラーで撮っているからグレー調)の色彩、
サイレントで所々に字幕で入る台詞、スタンダードな名曲、
どこをとっても過不足ない仕上がりだけど、サイレント映画
という意味では、諸手を挙げて大喝采というほどでもない^^;
(このストーリーは過去作で何度も描かれているので)
先に書いたヤマトの感想と同じで、
鑑賞者がうわぁ~♪と思えるのは、どのシーンもあの名作の、
あの役者の、あの動き、あの台詞、あの表情が見られるからだ。
監督のアザナヴィシウスは、かなり研究して作ったのだと思う。
映画好きには懐かしくて堪らない部分が沢山盛り込まれている。
主役の二人も魅力的。特に男性のデュジャルダンは表情が巧い。
台詞のない部分、身体で演じなければならない部分を見事に
表現している。なのでオスカー受賞も…まぁアリかな^^;
惜しむらくはダンス、それは当たり前なんだけど(爆)この二人
やたらタップを踏むシーンが多くて、ラストもそれで〆となる。
楽しく演じる二人の表情は見事だけど、ステップはイマイチ^^;
かのアステアが観たら何ていうだろう、何回撮り直すんだろう、
などという心配までしてしまった。ハリウッド黄金期を支えた
スター達には、もちろんアイドル性やカッコ良さも必須だったが、
何より演技に完璧さが求められた。チャップリンにしても同じ
シーンを一体何回撮らせるんだ?というくらい撮り直しをして
ほんのワンカット、黒澤明もそうだけど、こだわりがハンパじゃ
ないところが観る者を圧倒したのだろうと思う。だから今でも
新鮮な笑いが生まれ、驚きが与えられる。先の話に戻ると
アステアとロジャースのステップにはどこに違いがある?くらい
(タップの名競演ではアステアとパウエルの方が有名かな^^;)
完璧で寸分の乱れも許さなかったアステアのこだわりが常に
彼のダンスの中にあった。今作はいい作品だが、こだわりのない
サラリとした姿勢が現代的。台詞の入れ方もおそらくそうで^^;
ココ!と思うところで字幕が来ない。俳優の動と台詞文字の静、
このリズム感も過去の名作は完璧、いちいち比べて申し訳ないが
そういう観方をしてしまう世代もきっといるだろうと思ったのだ。
そして最大の疑問は、ジョージがなぜトーキーに挑戦しなかった
のだろうという謎が、ラストで更に大きく膨らんでしまうところ。
(フランス人だから、はおいといて^^;)
この人、声がすごくイイのだ。あの声なら売れる。というか普通、
一度くらいは挑戦した(させた)はずだと思うんだけどなぁ…。
もちろん時代の波に乗れず、落魄れていったサイレント役者は
多かったのだが、そんな彼らの最大の難点は「声」!シブい顔の
役者が女より高い声だったり、かなり音痴だったり、そんな部分で
ファンがアラ~^^;と思って離れていった、というケースが多い。
(だからのちに吹き替え専門俳優なんていうのが増えた)
日本でいえば、田村四兄弟のお父様で当時大人気の阪東妻三郎。
私の時代じゃないけど^^;彼の高音声はかなりのギャップを生み、
サイレント時代の熱狂ファンを呆然とさせた、という。
声って大事。。サイレント→トーキーの波に巧く乗れた俳優達は
運が良かった、まぁそれも才能のひとつなのだから仕方ないのか…
作品賞にダメ出しなどして、大変申し訳ないのだが、
今作が善意に満ちた良い作品なのは大前提。尺もちょうどいい。
自分をショウビズ界に導いてくれた大先輩に恋をし、どんなに
年数を経てもその大先輩への敬意を忘れない、困っているのなら
手助けをしたい、と奔走するぺピーの好意は、恩師を大切にする
懐の深さと相まって日本人を感動させるに違いない…私も泣けた。
スターの地位を保つには、その才能と、声と(爆)、技術力も大切だ。
自分をアーティストだ(ジョージ)と自負するなら、常に挑戦を怠らず、
前へ歩いていくべきだ。若い才能はステキな知恵を授けてくれる。
野望と裏切りに満ちたショウビズ界で(爆)
こんなに清々しい作品を今作り出したことにはなにか意味がある。
現在を嘆かず、過去に学ぼう、ってことなのかな。
それにしてもタレント犬・アギーの名演は可愛らしかった^^;
(ぺピーを演じたB・Bって監督の奥さん?本作でも内助の功なのね)
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