アーティストのレビュー・感想・評価
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サイレントとトーキーの狭間のサイレント俳優の栄枯盛衰をシビア且つ情けを込めてコミカルに描いた秀作
劇場で鑑賞した際、ぐいっと引き込まれたのは良く覚えている。とても面白かった。
そして多くの人が、この映画のテイストに魅入られたなあ。そしてアカデミー賞をほぼ総なめ。
当時は古典的なストーリー展開ながら、斬新な視点に多くの方が魅了された。モノクロ映画だったことも後押しをした記憶がある。
極一部の評論家の方々が否定的なコメントをしていたが、世間に受け容れられ、全うな評価を得たのだから何をか況やと思った。
素直に作品の良さを認めたいものである。
<2012年4月22日 劇場にて鑑賞>
<今にして思うと、映画だけでなく今後今まで普通に在った仕事がAIに奪われる近未来を想起するなあ>
サイレント映画
モーションピクチャーの美しさは確実に現在に受け継がれ、決して色褪せることはない。
トーキー映画の出現によって悩まされたサイレント映画スターの物語。作られたのは、2011年。製作国はフランス。舞台はハリウッド。このデジタル映画の時代にここまで、サイレント映画、1910,1920年代をそのまま映し出すなんてえげつない勇気。
まずこの映画を観終わった後の第一印象は”美しい”の一言。サイレント映画の映像とオーケストラの音楽が全身に伝わってくるような感覚でした。この映画を観て実感したのは、トーキー映画以降の台詞ベースのストーリーテリングのなんともったいないことかということ。人間の感覚は視覚80%と言われているだけに、ビジュアルから感じ取れるものは、台詞なんかより何倍も多く、美しいということに気付かされました。言語というのにはやはり、脳のデータ処理容量を奪い取られてしまい、視覚から入ってくる情報を十分に吸収することができない。
一方この映画は、歴史を語る映画というよりも、歴史的なものをそのまま再現している作品で、素晴らしいフィルメーカーたちの活躍あってこそではあるが、役者の表情、照明、セットデザイン、コスチューム、ロケーション、フレーミングなどのとても細かい部分から感情が誘発される。何を喋っているかよりも、どういう気持ちで喋っているのかの方が最初に入ってくる。
我々が感じる、美しさやワクワク、悲しみなどの感情は意識よりも先にははたらくものであり、言語なんかはただのカテゴリー分けの記号でしかない。俳句にしても、詩にしても、小説にしても我々が楽しむのは、言葉が紡がれる情景であり、表情であり、感情である。
特に時間に縛られる映像は、その言葉を感情へと昇華させる時間を視聴者に与えることが難しい。それだけに、台詞に頼った映画は人を選ぶのだ。
この作品、特に素晴らしく画期的な技術や技法を使っているわけではない。100年前の方法と、これまで映画界の偉人が築き上げてきた芸術を、享受しストーリーテリングの方法として使っているだけである。そのシンプルさが我々に、モーションピクチャーの美しさというものを改めて感じさせてくれたのである。100年前に美しかったものは、現代でも美しいのである。
この作品は歴史に残り続けるだろうし、このような作品は定期的に作り続けられなければならない。ヨーロッパならではの、政治や風刺を差し置いた芸術への究極の挑戦を。
サイレントムービー全盛期に活躍した大スターが、トーキーの時代へと...
サイレントムービー全盛期に活躍した大スターが、トーキーの時代へと変貌を遂げる時、落ちぶれてゆく姿。どこか見たことがあるストーリー。
もともとジョージ(デュジャルダン)の大ファンであったペピー(ベジョ)は試写会のあとに、ひょんなことから彼に抱きついてしまう。“Who's that girl?”と見出しに書かれた新聞。やがて彼女はエキストラとしてジョージの主演作に参加し、ダンスシーンを何度も撮り直しする。終わった後に、女優として成功するにはもっと目立ったほうがいいとアドバイスして、つけぼくろをつけるのだ。やがて、その美貌によりスターダムにのし上がったペピー。ずっとつけぼくろを点けたまま主演作を撮りつづける。しかも“Beauty Spot”(つけぼくろ)というタイトルの映画もキーポイントとなった。
ジョージの契約していた映画会社Kinofilmもサイレントを打ち切り、妻からも離縁され、運転手クリフトン(ジェームズ・クロムウェル)も解雇。財産もオークションにかけてしまう。そして、自宅でフィルムを燃やし、危うく焼死しそうになるところを愛犬アギーが助けてくれた。ペピーは彼を自宅で休ませ、次回作はジョージと共演したいとプロデューサーにかけよるのだ。しかし、ベッドから起き出したジョージは脚本を投げ捨てて戸惑うばかり。彼女の部屋でオークションで売ってしまった自分の家具や財産を見つけ、自殺を決意。寸でのところで、自殺から救うが、台詞を喋らすよりもダンスで勝負だ!とばかり、タップダンスで復活する・・・
なにしろ最初から無声なので、サイレントからトーキーへと移り変わる転換点をどう表現するのか楽しみにしていたところ、中盤にコップの音や女性の笑い声だけを挿入するという荒業だったが、これが面白い。夢の中で周りの音だけが聞こえ、自分が喋れないという設定にしたのだ。まぁ、ドラマではちゃんと会話しているので、声がおかしいことではない。そして、終盤には火事から助けてくれた警官の喋りを見て、何を言ってるのかわからないという精神状態。ここで、人間は喋れなくちゃわからないんだ!と、トーキー映画に出ることを決意したのか、もしくは気づくのが遅かったため自殺を決定的にしたのか・・・この二つのシーンがいい。
最後には声が出てくるのだけど、どうもハッピーエンドへの過程が単純。まぁ、当時のハリウッド映画へのオマージュと思えば、すべて許せるんだけど、そこがずるいのかも(笑)
芳一
物語は主人公であるジョージが主演を務めるスパイ映画の1シーンから始まる。
敵に捉えられた彼が、拷問されながらも「絶対に喋るものか!」と拒否する事で、サイレントであるから主人公が喋らないのではなく、主人公が喋らないから本作はサイレントなのだと作品の骨子を提示している。
彼のトーキーに対する態度は、初めから妥協の余地のない完全な拒絶である。
それは、経験に基づく自信や前時代となる恐れからくるものだけでは無い。
頑なに肉声を拒んできた映画が最後の最後に彼の声を晒す。
その台詞は、コテコテのフランス訛り英語。
それが彼の拒絶の正体であった。
本作は、恰も画家が色を除いた形でデッサンを繰り返す様な心の揺るぎない姿を其々に提示している。
無声映画からトーキー映画へ
とても、素敵な作品に出会えました!
最後の終わり方が大好き
これは、映画館で観たかったぁ~(>Σ<)。
今更の白黒無声
総合65点 ( ストーリー:65点|キャスト:75点|演出:65点|ビジュアル:60点|音楽:65点 )
物語は昔からある使い古されたもので平凡。この作品の特色は、昔の白黒で無声映画を再現したことである。ただこの特色がいいかどうかというと、それは自分にとっては微妙なところで、蓄音機で音楽を聞くような懐かしさを感じつつも、どうしても演技・演出に制約があるし情報量も制約され分り辛さもあり今更これなのかという思いもあった。
役者は良かったと思う。悩ましいどん底生活でも颯爽とした髪型・背広姿だけは崩さない主人公の俳優と彼を尊敬する女優、そして主人思いの運転手と犬がいる。殆どいい人ばかりで暗い話を支えていた。
3.7
古き良きサイレント映画の魅力タップリ
第84回 アカデミー賞で、5部門(作品賞、監督賞、主演男優賞、作曲賞、衣装デザイン賞)を受賞した作品です。
私は、アカデミー賞とかって、あんまり信用してなくて
賞を獲ったからって、ワクワクして観ることはないんですけど
サイレントということで、結構期待してました。
舞台は1927年のハリウッド。
サイレント映画のスター、ジョージ・バレンタインは
女優志願の、ペピー・ミラーと ひょんなことから出会う。
ジョージの映画で エキストラとして出演。
その後 時代は、サイレントからトーキーへ。
ペピーは 時代の流れとともに成長、作品の主演になるほどに。
一方、ジョージはサイレントにこだわるあまり 自ら作り上げた作品を撮り上げるも大コケ・・・・・。失意のどん底に。
でも、ペピーは 有名女優になった今でも ジョージに対する優しい愛情は変わらず・・・。
チャップリンなどのサイレント映画が大好きなので、とても楽しめました。
この「アーティスト」の劇中で使われている音楽も、どことなく チャップリン映画を思い起こす様な曲もあったし。
どっかで聞いたことあるなー?って思ったら
アルフレッド・ヒッチコック監督の「めまい」で使われていた曲も
流れていました。
これには、批判の声もあるようですが・・・考え方の相違によるものでしょう。
映画の内容に対しての 音楽の使われ方や重要性も再認識。
最新のCGに頼らなくとも、こんなに素晴らしい映画は作れるんですよ。
とにかく、このセリフに頼らない演技力・・・・
本当に良かったです。
古き良き時代が蘇り、映画って本当に素晴らしいッ!って思います。
オスカーにふさわしい作品だと心から思いました。
特筆すべきは、ジャン・デュジャルダン演じるジョージの愛犬として登場する、ジャックラッセルテリアのアギーではないでしょうか。
この名演技・・・・相当感動しますょ。
って思ったら なんとこのアギー 「アーティスト」で「パルムドッグ」を受賞してるんですね!洒落てます。
現在は引退しているようですけど、最高の演技でした。
ラストが素敵
サイレント映画への憧憬
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