「サイレントからトーキーに激変するハリウッドを斬新なサイレント映画に仕上げたミシェル・アザナヴィシウスの映画愛」アーティスト Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
サイレントからトーキーに激変するハリウッドを斬新なサイレント映画に仕上げたミシェル・アザナヴィシウスの映画愛
ハリウッドがサイレントからトーキーに変換した時代にスポットを当てたユニークな視点が魅力のバックステージもの。
映画の歴史ではフィルムのカラー化やシネマスコープなどのワイドスクリーン、近年では音響設備の充実とSFXの進化、IMAXの映像の鮮明化と転換してきましたが、1929年のトーキー出現ほど映画を革命的に変えたものはありません。それは映画を制作するスタッフとキャストのどちらにも負荷が大きく、一気に変わらざるを得ない状況に迫られた一大事でした。この映画から連想する作品に、ビリー・ワイルダーの名作「サンセット大通り」(1950年)があります。淀川長治さんは、忘れられたサイレントの女優グロリア・スワンソンの大袈裟な演技と新進シナリオライターのウィリアム・ホールデンの自然な演技の比較がいいと高く評価されました。この作品でワイルダーは、セシル・B・デミル監督に可愛がられた大スタースワンソンに敬意を表しながら、そのアクの強い演技スタイルを時代遅れと見せるブラックユーモアも効かせています。サイレント映画は役者が台詞を発しても声は聴こえず、内容が掴めない会話を想像するしかないもどかしさ。最小限の字幕があるとはいえ、ストーリーの細かいところの説明は省略されています。サイレント俳優の演技は、喜怒哀楽を明確に分かり易く表現するもので、バレエやパントマイムに近い。それでもその専門職と比べれば、カットごとに短く演ずることで難易度は高くありません。演技経験のない素人でもできる反面、人間的な魅力に溢れていないと人気者にはなれない。それがトーキーになれば実際に台詞を語り、舞台俳優同様の演技をしなければならなくなりました。そのため代表作の一本がグレタ・ガルボと共演の「肉体と悪魔」(1927年)のジョン・ギルバートは、イメージに声質が似合わず人気が急落し失意のうちに亡くなったということです。この映画の主人公ジョージ・ヴァレンティンの設定は、この苦難のギルバートをモデルにしているとありますが、名前では美男スター ルドルフ・ヴァレンティノから、出演作品では「奇傑ゾロ」(1920年)や「三銃士」(1921年)のアクションスター ダグラス・フェアバンクスも加味されている様です。ヴァレンティノは絶頂期の1926年に31歳で急逝し、フェアバンクスも全盛期を過ぎたこともありトーキー時代は人気が低迷して1939年の56歳で亡くなっています。サイレントのスターがトーキーでも人気を維持することは数少ないことでした。
この映画のもう一つの特徴は、脚本と監督がミシェル・アザナヴィシウスというフランス人であることです。後の2017年に「グッバイ・ゴダール!」を制作していることからも映画好きが分かりますが、ここではヒッチコック、ラング、フォード、ルビッチ、ムルナウ、そしてワイルダーを研究したとありました。この映画愛が全編ほぼサイレント映画にした大胆な挑戦を可能にしたと思われます。これがアメリカ人の監督によるアメリカ映画なら、後半の1930年以降はトーキー映画に変えてミュージカル色を派手に演出した作品になったのではないかと想像します。それは世界恐慌の切っ掛けとなったウォール・ストリート・クラッシュの不況によりブロードウェイの劇場の多くが閉鎖となり、ハリウッドがその脚本家や音楽家や俳優を引き抜きシネ・ミュージカルの黄金期を迎えたからです。レビューミュージカルの金字塔「四十二番街」(1933年)やアカデミー作品賞の大作「巨星ジーグフェルド」(1936年)が有名です。しかし、ここまで物語を広げたら制作費は莫大になってしまいます。本作は「トップ・ハット」(1935年)などのフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースを思わせる、主人公ジョージとエキストラからスターに上り詰めたペピー・ミラーのダンスで締めくくり、ハッピーエンドのロマンス映画としました。
ファーストシーンのサイレント映画「ロシアの陰謀」をプレミア上映するところがいいですね。フリッツ・ラングタッチの脱出成功のラストシーン。スクリーン裏で歓声を聴くジョージと犬のジャック。トーキー映画を試写した後に、音に敏感になった夢を見るシーンも面白い。夢の中だけは現実音とジャックが吠える声を聴かせる演出です。ふたりの明暗が分かれる出演作同時公開の1929年の10月25日がウォール街の株暴落の翌日で、朝新聞で知るところもサイレント映画からよくある定番の演出です。携帯電話がある今とは違いますね。要所要所で新聞が映るショットに昔の映画を感じるのも、それだけ携帯電話が必需品として欠かせない現代になった証しでもあります。彼女の魅力を引き立てた“つけぼくろ”をタイトルにした作品を見上げるジョージの複雑な心理の描き方も象徴的です。勿体ない演出は、オークションにかけた家財道具をペピーが全て買い取って蔭で援助していたことにジョージが気付くところです。プライドが傷付き自殺を図るまでの衝撃には感じられないのが一寸残念と思いました。それでも“BANG!”の字幕が拳銃で無く、ペピーが運転する車が立木に衝突する音の表現はいい。
以上もっと要求したい気持ちもありながら、映画が最も激変した時代を奇麗にまとめてサイレント映画を押し通した信念は、敬服に値します。この映画の面白さから、少しでもサイレント映画を観る人が増えれば更に映画を楽しめるのではないかと思います。主演のジャン・デュジャルダンは最近観た「オフィサー・アンド・スパイ」とは打って変わって、コメディ演技もこなせる実力を見せています。アザナヴィシウス夫人のベレ二ス・べジョは輝きを増すスターを好演も、後半にもう少しエレガントな美しさが前面に出ていれば最良でした。映画会社社長役のジョン・グッドマンと運転手兼執事役のジェームズ・クロムウェルは其々に存在感があり、良かったと思います。しかし、この作品で最も素晴らしいのは、忠犬ジャックを演じたアギー(2002年~2015年)の名演です。映画出演の俳優犬からジョージの私的な愛犬としての立ち居振る舞いまで完璧です。誰もがこんな名犬を飼って相棒にしたいと思うでしょう。という事で採点はこのアギー君の素晴らしさを含めての評価になります。