少年は残酷な弓を射るのレビュー・感想・評価
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共犯者に、救いはいらない
冒頭から、否応なしに引き込まれる。
赤と白がごちゃ混ぜになった異様な世界。カメラはゆっくりと混沌に近寄っていく。蠢く白いものは肉の塊…ではなく、半裸の老若男女だ。では赤は?彼らは血まみれで苦悶しているのか?…と思いきや。様々な顔がクローズアップされ、彼らは狂乱し、恍惚としていると分かる。どうやら、スペイン・バレンシア地方の収穫祭、トマト祭りのひとこまらしい。群集の中には、一際この刹那を謳歌していヒロイン・エヴァがいる。これが人生の絶頂期であると、当時の彼女は知るよしもない。
原作は上下2巻でかなりのボリューム。それを無理なく2時間に収めており、監督との好相性もあって、幸運な映画化と言える。一方で、物足りなさも残る。特に、父親の存在。原作では、子煩悩な自分に酔い、妻も子も理解しようとせずに溝を深める典型的にダメな父親だった。そんなつまらない分かりやすさが排除されている点はいいが、もう一声、と欲を言いたくなる。せっかく曲者俳優ジョン・C・ライリーを起用しているのだから、存在が薄いだけではない父親として、物語に波紋を投げ掛けてほしかった。
自転車に乗れるようになったり友達になったりするのと違って、親になるには意識的なものが必要だ。言葉を発しない、なぜ泣くのかわからない幼子を相手にするには、いつもいつも自然体、ではもたない。(むしろ、テンション高め、がちょうどよい。)そして、親子は互いを選べない。自分でよいのだろうか、という不安や恐れは、頭の隅にいつもある。気持ちが揺れているときに子に話しかけると、素っ気なくすれば悪い親、優しくしても「よい親」を演じているような居心地の悪さを感じてしまう。そんな後ろ暗い気持ちまで、子は察しているのではないか、と思うとさらにやりきれない。わかっているよ、それでもいいよ、とでもいうように、健気な笑顔を見せられると、なおのこと。
そんな「演技」を拒んだエヴァとケヴィン。相反し、青い火花を散らしながらも共犯者的な関係を深めていく。そんな緊張感が、ラストで一気にほぐれるのは、個人的には残念だ。最後まで彼らを・観る者を突き放し、淡々と語り抜くのが、この物語にふさわしかったのではないか。エヴァほどではないにせよ、語り始めた以上、観る者に対しても刃を突き立てる気概がほしかった。
また、高校での惨劇にまつわる日本語字幕にも、若干の疑問がある。大写しになる体育館のドアに手書きの貼り紙があり、「individual」にアンダーラインが引かれている。これは、ケヴィンが「個性的・特殊な能力に秀でた生徒を表彰するための最終選考会」として被害者たちを誘き出したことを示していると思われる。貼り紙の内容を字幕で示せば、彼が無差別殺人をしたのではないと伝わったはずだ。
さらに、ふと思ったこと。日本でリメイクするなら、迷わずケヴィンは染谷将太。不敵さはもちろん、黒目部分の多さも通じるものがある。ティルダ・スウィントンに匹敵する、絶叫や激情に流れない母親は…たとえば、黒木瞳か。ちょっと、いや是非とも観てみたい。他人事で終わらせるには、この物語はあまりにも生々しく、痛々しいのだから。
ヘタなホラーより怖い
全ての子供を持つ可能性のある人にとつて
よく考えるとこんなに怖いことがあるだろうか。
特に母親にとって。
己の腹を痛めた子だからといって、
己の分身ではないし
完全に理解出来る存在ではないのが子供だ。
それに親が、こうあってほしいと願う子供像を
重ねて見たいと言う気持ちが
子供を見る目を曇らせる。
この話の父親は都合のいいところしか見なかった。
母親はどう対処すればいいのかわからず
後回しにしてしまっていた。
誰も長男を正面から受け止めていなかったのだ。
子供にとって不幸なことである。
しかし難しいのは、じゃあ
完璧によく出来た親なら
完璧な子供が出来あがるのか?という
決まり事などない事だ。
どんなにダメな親でも素晴らしい親でも
サイコパスの子供を授かる可能性はありうる。
それはフィクションのホラーより
何倍も怖いことではなかろうか。
それでもこのラストに、
やっと母親が息子の目を正面から見て
2人の関係が今後変化があるかもしれないと
思えるのが唯一の救いではある。
We need to talk about Kevin.
どんより重苦しい思いで見た。
"私達" とは、父親と母親。
ケビンの元々のサイコパス性もあったかもしれないが、それを見過ごしたor放置したor救えなかった育て方、
親子関係への問題提起もあるかと思った。
母親と息子の関係が上手くいってないだけでなく、
弓矢を与えたのは父親。しかも段々大きなのを。
日本語タイトルは上手くつけてる!
気分良いものではないね
ティルダさんの人生に疲れた感と
エズラさんの不気味さ
の演技を堪能しました。
お話自体は、はっきり言って胸くそ悪い…。
ストーリーよりも時間をやたらに前後させて
編集で観せてる感じで疲れた。
幻想的な画で追い詰められる感が増し増し
Tスウィントンさん、Eミラーくん、子役の男の子、三人とも素晴らしい演技だった。
現状と過去のエピソードが交互に展開されて、何かが起きる、怖いことが…と観ているこちらの緊迫感が高まっていく演出も効果的だった。
弓を構えるエズラ君の姿がギリシア神話の絵画のようだった。本作で注目を集めたのも頷ける。美し過ぎて嫉妬や嫌がらせなど受けていそうだけど、どうか自分を大切に、ずっと頑張って欲しいと思った。
尾を引く重い映画
原作は 2003 年に英国で出版された小説 “We Need to Talk About Kevin” で、2011 年に公開された英国映画の原題も小説と同じであるが、この邦題を付けた奴は無神経にも程があると思う。最近の洋画はハリウッド製ばかりになってしまい、サービス満点のエンターテインメントに徹した作りに観客も慣れてしまったため、時系列を並べ替えて事件の進行を敢えて分かりにくくしたこの映画の進行は、非常に異質に感じられた。
世界を巡る冒険家として生きて来た女性が、妊娠出産を境に一家の主婦として生きて行こうとするのだが、生まれた長男は異常に母親を嫌い、3歳まで喋るのを拒否し、6歳までオムツを履き続けるという成長過程を見せる。母親の旅の記録などは憎悪の対象であり、悪戯を装って徹底的に破壊するところなど、その執拗さは見る者に異常としか見えず、何故なのだろうと疑問を持ち続けることを強いられる。
色へのこだわりの強さは映画の冒頭から感じられる。レースのカーテンの白、トマトの赤、嫌がらせのペンキの赤、車の黄色、本の背表紙のダークブラウンなど、それぞれ意味を感じさせる。主人公や子供たちの服装なども意味が込められているのだろう。それに対して夫の服装にはあまりメッセージ性が感じられなかった。この夫は何を職業にしていたのだろうか。かなりの高収入だったようだが。
時系列の変化は、主人公の髪の長さで示してあった。現在の暮らしの中で、何故彼女が住民からあのような最悪の対応を受けるのか、その原因は最後になってやっと明かされるのだが、国民性の違いというのだろうか、日本人なら遠くから冷たい目線を送る程度で済ませるような気がするのに、やはり肉食の民族は意志の発現に遠慮がないのだと思わせられた。
最も印象的なシーンは、妹の怪我の直後にケヴィンがライチーを食べるシーンである。あまりに生々しすぎる比喩であり、この少年の不気味さと底知れぬ悪意の大きさにゾッとさせられた。彼が家族に対して持っている価値観の実体が察せられるようでもあり、のちのシーンを予感させるものでもあったと思う。少年は自分のストレスを発散させることにしか思いが至っておらず、被害者やその周囲の人々の思いを全く考慮していない。幼稚の極みという他はない。
最後まで、彼の行動原理は不明のままのようにも思えるのだが、唯一、風邪をひいたときに、父親を遠ざけて母親に甘える姿は本当だったのではないかと思う。一時的なものだったということも描かれているが、これをヒントと考えれば、彼の行動の原因は、母親から注がれた愛情に不満を持っていたということなのだろうと思う。彼が誰を生き残らせたのかを考えれば、単なる復讐といったものでなかったのは明らかではあるまいか。素直に母親に可愛がられる妹も、自分のストレスを何も察しない父親も、彼には憎悪の対象でしかなかったに違いない。
家族の関係が泥沼化してしまうと解決には長い時間と尋常でない努力を要するというのは、多くの文学作品が示している通りである。残された家族はこの後どのような人生を歩むのかとか、彼が自分のしでかしたことに真剣に向き合った時に、彼は耐えられるのだろうかとか、たとえ彼が更正したとしても、被害者には何の意味もないのではないだろうかとか、止めどない思いがグルグルと頭を駆け巡った。原因の描き方が明確でないのは、観客に自分で考えろという態度なのだろう。とにかく尾を引く映画であった。アメリカではまずウケないだろうと思うが、イーストウッド監督作に通じる作風のような気もした。
(映像5+脚本4+役者5+音楽3+演出5)×4= 88 点
とても重く心にズシリとくる作品
いろんなところで出てくる印象的な赤色、何の象徴なのか
母は無条件に我が子を愛せるものではない、それも本当だと思わせられます
育児は大変でも懐いて頼ってくれるから愛せるのではないでしょうか
ただ大変なだけでは自分が失ったものがただの犠牲にしか感じられず、それが子供に伝わるのかもしれません
赤ちゃんの時に「寝付いたばかりだから起こさないで」という妻の言葉を無視した夫、あのシーンで無責任な育児しかできてない夫だとわかります
そんな状態だから義務の育児になって、それが子供に伝わり、愛されてない孤独感の積み重ねからあんな事件が起きたのではないと思いました
人間は孤独だと、それが周りへの憎悪に繋がるのかもと思います
普通の親子になろうとしてる、でもそれは義務感としてという母のティルダ・スウィントンの演技も素晴らしかったです
そして残酷な少年のエズラ・ミラーが美しかったです
これはエズラ・ミラーだから成立してる作品のように思いました
良い作品であることを感じましたが、私は面白さを感じることが出来ませんでした。
母親と息子の愛憎劇
私には合いませんでした。
自らのお腹を痛めて産んだ我が子。愛し、守らなければならない息子からのプレッシャーに苛まれる主人公。
息子の不気味さ、主人の無理解。母親として逃げられない閉塞感が良く描かれていて、鑑賞者の私も息苦しさ感じてしまいます。
普段は苦手の過去と現在を交互に映しだす手法も、主人公の髪型や息子の成長を映すことで、見難さを解消。効果的に使われていたと思います。
つまり、映画としての完成度は高いように感じられるのですが・・・映画としては、純粋に面白さを感じません。
ただ、ひたすらに息苦しさを感じるだけの2時間弱で、私の中では拷問のような2時間弱でした。
当然のように私的評価はかなり低めです。
苦しめるコトでの愛情表現
序盤から時間軸が行ったり来たりでセリフでは無く映像で物語を理解していく中、起こる出来事に陥ってしまった母親の現状をユックリ描写する演出に興味は薄れない。
ブルースやカントリーにB・ホリーと作品のテーマとズレているような音楽の使い方のセンスが良く失礼な言い方だがダサい人種の地味なパーティに誰もがお馴染みの"ワム!"を使うのも意外性があって良い。
望んで産んだ訳ではなく子育ても苦しみ愛情を与えて育てたってよりも努力して彼を理解しようと気が付いたら脅威な存在でしかない息子。
観ていて引いてしまう母親に対しての嫌がらせも可愛いモノでは無く絶望の淵に追い詰めるまでの行動に苦しめることが彼の母親に対しての愛情なのか?
ペンキ塗れにされた部屋の壁が何年経っても変わらないのは、変えられない?
そこに母親の気持ちが表れているような!?
邦題が悪い。
邦題がネタバレなので、ストーリー中にあるケヴィンの危なさが垣間見れる様子が生きてこない。ケヴィンは何をしでかしたんだ?とはならない。
例え愛されず生まれた子でも子どもは無条件に母親を愛してしまうものだと思うのだが。そこが謎。母親はケヴィンに尽くしているんだけど…。
青年のお辞儀に拍手喝采
母が一人で生きる現在と、息子が幼少期から成長するまでが交互に描かれ、混ざり重なり合う。
赤が印象的に使われているので注目せざるを得ない。とっても好みな映画でした
恥を知らない暴力と、口に出さない愛の対比が、何日でも尾を引きます
美青年の不敵な笑みにゾッコン。
ずっと観たかった映画の1つ。
冒頭の真っ赤なペンキの色に圧倒されて始まった映画。
赤い部屋には孤独な一人の女性が横たわっています。
そこから徐々に始まる回想シーン。
愛の溢れる夫婦の映像が続くのかと思いきや、一人の少年の登場により物語は一変します。
その青年の名前はケヴィン。
美しい美貌を持ちながらも鋭い感性で、母親の心をズタズタに切り裂いていくのです。
最高の愛に包まれていると信じていたのに、最悪の悲しみが家族を取り巻いてしまった残酷な結末…。
何が彼をあんな残酷な人格は変えてしまったのか。
最後までわからないままです…。
そして、この映画はとにかくエズラミラーさんの美しさで完成されている映画。
彼の切れ長のウルウルとした瞳に引き込まれます。
残酷な事件を起こしたにも関わららず、それでも彼を愛おしいと思ってしまう自分は一体…、変態なのかもしれません。
サイコパスの雰囲気を漂わせる、彼の異常な行動と表情に注目です!
映画自体については見やすかったけど
その筋書き自体は評価しかねます。
ネタバレは書きたくないのですが、こんなにも小さいときからあんなに歪んだ愛情の表現、獲得方法を持ち得る、知り得るんだろうか?
その疑問が消えません。
そして、そこんとこは映画では全く描かれていない。
なんでそーなったの?
生まれつきなの?
ハテナだらけです。
エズラミラーの演技がうますぎてこわいし。。。
俳優さんは子役も含めて演じきっていて素晴らしいです!
私にとって、この映画に問題を感じるとしたら脚本かな、、
なんか残酷すぎな
キャリアを捨て子育てに専念したエバ。
息子のケビンは6歳になってもオムツ取れずエバに、反抗的
成長したケビンは美少年に
成長したケビンは母のエバに嫌がせをし続ける
最後ラストはかなり衝撃的だった
現実的にも似たような親子いるんじゃないかなと思った
ケビンについて話さねばならぬ
この映画、サスペンスっぽい邦題だから分かりづらいけど、現代の親子について、愛について、考える映画だと思います。
映画の中では常に一方的に母親目線から描かれている訳だけど、本当はケビンの心に何が起こっていたのかは描かれない。
最後の最後までケビンのことを本当に考えようとした人はいなくて、ついに惨劇に繋がってしまう。
何かが不完全で不透明ですれ違ってるのだけど、何なのか分からない。
何とも真意の見えぬざらっとした話なのですが、見えない部分に何があったのか考えさせられます。
でもなんだか、愛って、子どもが生まれた瞬間に一緒に生まれるものじゃなくて、育つものなんだと思いました。だからバッドエンドじゃなくて、最後には少し前進したんだと思います。
見る人によって解釈がことなると思う
この映画を見て、古い価値観の人は『やはり女はキャリアを捨て子育てに専念すべき』『男児の子育ては難しい』とか考えてしまうかもしれないが、そういうステレオタイプの単純な話ではないと思う。なぜ、父親まで殺したのか。母を本当に愛していたのか。単に愛情に飢えていたという解釈で、本当に良いのか?人によって解釈がことなる面白い作品です。特に子育て経験有無、男女で解釈はかなり違うように思う。このレビュー読んでいてもいくつか異なる意見があり、面白い。
ぜひ、映画鑑賞後に色々なレビュー読んでみてください。
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