少年は残酷な弓を射るのレビュー・感想・評価
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いい映画
こうした映画では少年がどうしてそうなったのかに、焦点が当てられがちなんだろうが、それを考えること自体を無意味とは思わないが、それを表現することは無理がでるように思う。男であればどこかしら彼にシンパシーを感じるところがあるだろうがそれはこちらの思い込みに過ぎない。なにより彼は架空の人物だからだ。人間よりもゴジラやエイリアンに近い。
少年は母に愛されたいがために一連の狂気じみた行動をとる、生涯こっちを向けとしか言ってない。非常に幼稚な行動ではあるが脅威的な行動力と意志力である。これを人として直に解釈するのはゴジラの感情について考えることと同様に無理だ。大切なのは、何をしたかではなく何を意味する行動かだ。
記号としての主人公は美しく残酷で強かだ、これはそもそも子供の象徴に思える。母は伝説とも呼ばれる人物だったが息子の為に仕事を中断した人物。全体を通した印象でしかないが、彼女は並みの人間ではないが子育てには不向きな人間なんだろう。そしてどう接したらいいのか分からずにいわばマニュアルをよく勉強して接する、しかしそれを子供に見透かされてしまっている。要は『本気でぶつかってこいや、おかん。』というわけだ、これの最終的な結論として母親を生身の人間に変えてしまうために、家族と仕事と友人などあらゆる社会的地位を剥ぎ取るために彼は事件を起こすのだ。はた迷惑なモンスターだ。
ただそのはた迷惑なモンスターは間違いなく母の子であり、母からすると端ではない。ゆえに彼女は愛情を注がざる得ない。少年刑務所での面会のシーンでなにもしゃべることがない、というのはある意味でなにも用意していないからこそ出来ることで彼の目的は達成された。その後大人の刑務所に行くことにおびえる彼は普通の人間だ、それは母を必要としない人間になったということと、目的の為にモンスター化した人間が役目を終えて、元に戻ったということ。
解釈はいろいろと出来る、映画はそこが面白いという人もいる、しかし、この映画の本当の魅力は主演の二人をはじめとする全役者の超絶的な演技と、緻密で大胆な映像の構成力・演出力によるものだ。だから少年犯罪の映画だからと肩肘を張らずにただ映画の美しさに溺れていればよいようにも思う。
子供に対する両親の愛情が伝わらない、その理由も理解出来ない
この映画が実話を基に制作された映画なのか、全くのフィクションなのかは知らないが、アメリカでは、誠に痛ましい残念な事件であるけれども、現実に昨年の年末のクリスマスを直前に控えた或る日、アメリカでは最も楽しい筈の冬休みシーズンの始まりであるその直前に、コネチカット州にある小学校で、18人の子供を含めた26名の死亡者を出す銃の乱射事件が発生した。
この事件も何故起こったのか、未だその原因は謎であるが、この現実の事件同様にこの映画で描かれる物語も同様に理解不能だ。「少年は残酷な弓を射る」と言う映画では他者を無差別に死亡させると言う異常事態を起こしたケヴィン少年とその家族の姿を浮き彫りに描き出そうと試みていた物語の筈なのだが、しかし、私には、この映画を観る限りに於いては、何故このケヴィンが無差別殺人犯人となってしまったのかを描いているようでいても、その実全くケヴィン少年が何故、ここまで屈折してしまったのか、描き切れていないように思えるのだった。あくまでも、少年のその行動は、先天的な性格異常に起因する事であり、この事件は何らかの確実な原因があって、その原因により少年はこの大事件を起こしてしまったと言う見方では描かれていない。
生れた時から、母親とは相性が合わないと言う何とも、抽象的な描き方で、今一つハッキリと気持ちが伝わってこない作品で、その異常な性格が、彼の成長と共に深刻化し、結局のところ、反抗期を迎えたティーンエイジャーに至っては、手が付けられなくなり、事件に至ってしまった、不可思議な家庭の様子が淡々と描かれていた様に思う。
しかし、この母親も、父親も、本気で、ケヴィンの性格的な問題に取り組んでいるようには見えなかった。そんな両親が何故存在していたのか、特に母親が、我が子に対して、あんな態度に至ってしまうその過程がもっと詳しく描かれないと、私には理解不能な映画だった。
ケヴィン少年は、唯一の理解者の一人であった筈の父親から、幼少の頃から教えて貰った弓矢で、学校の生徒を無差別に殺害していくと言う心理も理解出来なかった。
しかも、母も父もこのケヴィンの言葉使いが荒く乱れてきても、全く注意もせずに、叱らないで生活していたのは、親としての責任を放棄しているようで、不可解であったし、最後には妹と父親までをこの少年が殺害していた事が判明するが、この状況に理解出来ない。
この家庭は経済的にも、生活するには何一つ不自由の無い、中流家庭なのだから、当然セラピーをもっと早期に受けるのが普通である筈だし、納得がいかない。
事件後は、近隣の人々からの、嫌がらせもエスカレートし、母親はひたすらその嫌がらせに耐え、ペンキで汚された、家を洗い流し、掃除する様は、磔にされたキリストを想わせるような重苦しさだった。これが殺人犯を家族に持つ人々の苦悩と言うものなのだろうか?しかし何人の被害者を出し、その被害者の誰一人の事も描いていないこの作品は何故か中途半端で、理解出来ない作風である。むしろこの家庭では成るべくしてケヴィンは殺人犯に育った気がする、何とも悲しく哀れな物語で作者の意図には着いて行かれなかった。
子育てに悩む方にはヒントがあるかも
キーワードは弓と鍵。
子育ての難しさを色濃く表現した物語。
「欠点」を修正し、回りと同じ様にしてあげる事、導く事が親なのか、「個性」に選択肢を見出し、背中を押してあげる事が親なのか、非常に難しい問題。答えはないのかもしれない。
この物語の母親は前者。親が親で在り続けなければと強く思えば思う程に、子の心の錠前は増え続けていく。そう、導くとは一歩間違えれば相手の心を無視して自分の理想を歩ませる、もう一つの母親の人生になりかねないと言う訳です。愛とは難しい。
そして錠前ともう一つのキーワード、弓。
これは少年にとって唯一「与えられた」
選択肢の自由の具現化。ただ少年がこの唯一の「自分」を使って望んだものは、この抑圧からの開放。
少年は親に対し「後者」を望んでいたのでしょう。
子は当然の様に親は何でも知っていると思っている。親は当然の様に理由などなくても子はついて来るものと思っている。
目線を合わす大切さ。
この悲しい愛の平行線に、最後幸せが訪れたなら、僕は星を六つでも七つでも付けたかったです。
とても深く悲しい愛の物語でした。
母強し。
いい作品を観ました。満足です。
2年で出所してくる自分の子とこの母親はこれからも暮らしていけるんでしょうか?ラストシーンで親子で抱きあい関係を確認できた感じですが、この親子の行く先はとてつもなく暗く未来がありません。犯罪被害者の家族同様、犯罪加害者の家族 大量殺人を犯した家族のあり方ってどうしようも無いですよね。
育て方がということになるんだろうけど、そこにそんなに大差はないような気がしますし…………。こんな子が出てくるのは複雑なんでしょうね。いっそ病気だったの方が理由がついて楽なんですかね。
この母親がこれからも強くいられるように願います。
共犯者に、救いはいらない
冒頭から、否応なしに引き込まれる。
赤と白がごちゃ混ぜになった異様な世界。カメラはゆっくりと混沌に近寄っていく。蠢く白いものは肉の塊…ではなく、半裸の老若男女だ。では赤は?彼らは血まみれで苦悶しているのか?…と思いきや。様々な顔がクローズアップされ、彼らは狂乱し、恍惚としていると分かる。どうやら、スペイン・バレンシア地方の収穫祭、トマト祭りのひとこまらしい。群集の中には、一際この刹那を謳歌していヒロイン・エヴァがいる。これが人生の絶頂期であると、当時の彼女は知るよしもない。
原作は上下2巻でかなりのボリューム。それを無理なく2時間に収めており、監督との好相性もあって、幸運な映画化と言える。一方で、物足りなさも残る。特に、父親の存在。原作では、子煩悩な自分に酔い、妻も子も理解しようとせずに溝を深める典型的にダメな父親だった。そんなつまらない分かりやすさが排除されている点はいいが、もう一声、と欲を言いたくなる。せっかく曲者俳優ジョン・C・ライリーを起用しているのだから、存在が薄いだけではない父親として、物語に波紋を投げ掛けてほしかった。
自転車に乗れるようになったり友達になったりするのと違って、親になるには意識的なものが必要だ。言葉を発しない、なぜ泣くのかわからない幼子を相手にするには、いつもいつも自然体、ではもたない。(むしろ、テンション高め、がちょうどよい。)そして、親子は互いを選べない。自分でよいのだろうか、という不安や恐れは、頭の隅にいつもある。気持ちが揺れているときに子に話しかけると、素っ気なくすれば悪い親、優しくしても「よい親」を演じているような居心地の悪さを感じてしまう。そんな後ろ暗い気持ちまで、子は察しているのではないか、と思うとさらにやりきれない。わかっているよ、それでもいいよ、とでもいうように、健気な笑顔を見せられると、なおのこと。
そんな「演技」を拒んだエヴァとケヴィン。相反し、青い火花を散らしながらも共犯者的な関係を深めていく。そんな緊張感が、ラストで一気にほぐれるのは、個人的には残念だ。最後まで彼らを・観る者を突き放し、淡々と語り抜くのが、この物語にふさわしかったのではないか。エヴァほどではないにせよ、語り始めた以上、観る者に対しても刃を突き立てる気概がほしかった。
また、高校での惨劇にまつわる日本語字幕にも、若干の疑問がある。大写しになる体育館のドアに手書きの貼り紙があり、「individual」にアンダーラインが引かれている。これは、ケヴィンが「個性的・特殊な能力に秀でた生徒を表彰するための最終選考会」として被害者たちを誘き出したことを示していると思われる。貼り紙の内容を字幕で示せば、彼が無差別殺人をしたのではないと伝わったはずだ。
さらに、ふと思ったこと。日本でリメイクするなら、迷わずケヴィンは染谷将太。不敵さはもちろん、黒目部分の多さも通じるものがある。ティルダ・スウィントンに匹敵する、絶叫や激情に流れない母親は…たとえば、黒木瞳か。ちょっと、いや是非とも観てみたい。他人事で終わらせるには、この物語はあまりにも生々しく、痛々しいのだから。
少年の気持ちが最後までわからず…
面白かったです。
生まれた時から母親になつかず、成長してからも母親に反発する少年。
この状況をただの反抗期と見過ごす父親と、少年をひたすら慕う妹、家族それぞれがバラバラな感情なのにひとつ屋根の下でずっと暮らしていかなければならない必然性。
ついに、少年は母親以外の家族と級友を惨殺して刑務所へと送り込まれます。
ラスト、刑務所に母親が面会に行ったときに‘ずっとわかってると思ってた…’と少年は母親に告げました。
なんで少年はもっと自分の感情を母親に言わないんだろ?素直にいろいろ話せばこんなことにはならなかったということ?家族ってなに?と思わされました。
それにしても、シャンテ…ここは芸術作品しかやらないという油断感がありますがとんでもないですよね(いい意味で…)。ハウスメイドとかこれとか、内容的にはかなりグロい作品を、シラッとプログラミングされています。テルマエロマエもなんかここで上映する作品でない気がするし‥。これからも何上映するのか楽しみです。
オシイ!
チョット期待と違った!でも子供を持つ親は見て欲しい!すべての親と子供が上手に 生きれる訳ではない。極端かもしれないがこんな関係も可能性あり?私は事件の後、彼女のように生きられるだろうか?映画的にはチョット残念な作品だが考えさせられた。主演の彼を始め俳優陣はいいねぇ!
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