マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙のレビュー・感想・評価
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「教えて、あなたは幸せだった?」
頭(髪)が大きい、ちょっと怖そうなおばさん。子どもの頃のサッチャー首相の印象は、そんな程度だった。彼女を意識するようになったのは、イギリス映画に開眼してから。ケン・ローチ作品、「ブラス!」「リトル・ダンサー」等に出会うにつれ、必死に働き・生きる人々に忌み嫌われる存在、冷徹な切り捨てを行った首相、という像が脳裏に刻み込まれていく。国民に敵視されつつも、長きにわたり国政のトップに君臨し続けた続けたマーガレット・サッチャー。いったい彼女はどんな人物だったのか?
本作で冒頭から見せつけられる、老いた彼女の姿は、痛々しく、悲しい。かつての生き生きとした姿と交互に映し出されるから、なおのこと。ところが、そんな感情に素直に浸ってよいのかと迷いがわき、終始居心地が悪かった。
あの「鉄の女」でなければ…名もなき市井の女性とまでいかなくとも、一代で財を築いた女性実業家くらいであれば、このような思いは生じなかったはずだ。首相であっても、一人の女性。とはいえ、彼女が他者に与えた影響は余りにも大きく、計り知れない。彼女の孤独を見せつけられるたびに、イギリスの人々は、本作で描かれる彼女をどう感じるのだろう、という疑問がふくらんだ。たとえば、「ブラス!」等に登場した石炭まみれの男たちは? 「リトル・ダンサー」で家族と別れゆく少年は? そう思うと、どうにも複雑な気持ちになった。
さらには、「家庭と仕事」という切り口も、観る者を物語に引き込むには十分と言い難い。家庭を顧みず、仕事に邁進する。それは、明らかに一昔前に賞賛されたスタイルであり、彼女の姿には、職場で出会ってきた「強烈・猛烈」な上司が被る。必要に迫られて様々な犠牲を払い、並々ならぬ努力を重ねて道を切り開いてきたことに感服しつつも、「お手本」にしようとは思えない。彼(女)たちの、「がむしゃらに働き、闘う」生き方は、今のスタイルから余りにも離れている。彼らがどんなに「私たちのころはなかった・考えられなかった」と言っても、育児休暇や託児は存在し、仕事が何においても優先されるという考え方は廃れつつある。かつて、「犠牲」となった記憶も手伝ってか、彼らの道をたどろうとは思えないのだ。
とはいえ、次に伝える必要性が失われ、継承が絶たれるのは、そこはかとなく悲しい。伝える側にとっても、伝えられる(はずの)側にとっても。この映画が残すのは、主人公に対する力強い答えではなく、そのような感傷だ。
「教えて、あなたは幸せだった?」繰り返される幻の夫への問いかけは、実は彼女自身への問いかけであるように感じた。−マーガレット、あなたは幸せでしたか?
ストリープさんの演技とメイクがすごいとしか印象が残らない。
おばあさんになった時の後ろ姿。そんなところまで演技できるんだ。
おばあさんになってからの、あの、顎と首がつながっている皺。どうやって作ったのだろう。しかも、口をモグモグしているときや話しているときも当然のように口の動きに合わせて動いている!!!
目も、白濁していて、うつろに視線が動く。
首相時代の凛とした姿もすごいけれど、サッチャーさんの動きとかまでは覚えていないから、そっくりなんだと言われればそうなんだと思うしかない。
デニス氏のお茶目さ。若い頃も、壮年になってからも、好感が持てるのだが、ブロードベント氏が演じるほどのものかとは思う。尤も、ストリープさんに並べるのはこのクラスの俳優でないと影が薄くなってしまうのかもしれないとも思う。
映画は、二兎を追う者は一兎をも得ず。
本当に、「何が描きたかったのか」という感想が出てきてしまう。
軽く、あの時代に起きたことをおさらいするには良いけれど。でも、サッチャー政権側からしか描いていないから、偏った見方を身に着けてしまうようでお薦めできない。
物足りないし、この映画をそのまま受け取ってよいのかと懐疑的になってしまう。
過去を振り返る形で映画が進む。
「認知症になって」という設定なのだが、亡き夫の幻覚があるから、認知症?しっくりこない。単に、老年になって、しかも断捨離を周りから迫られて、過去を思い出しているようにしか見えない。
どうしてこういう設定?演出?
この老年の部分を削って、政策の攻防でも見せてくれたら、手ごたえがある映画になったのに。もしくはデニス氏との会話で過去を振り返ってくれたら、違う側面が出てきたかもしれない。
家族との関係を見直したかったのか?
過去のそれぞれの決断や行いを見直したかったのか?
だが、それに対するマーガレットさん・デニス氏の思いは語られない。デニス氏の「過去を思い出せば、つらかったことも思い出す」「(ビデオを)巻き戻したって過去は巻き戻せない」とか、マーガレットさんの「デニス、あなたは幸せだった?」とかの言葉は散見されるけれど、彼らがどう感じていたかは語られない。
当然、政治家としての行動に関しても駆け足で見せる。
サッチャー首相一人称で話が進む。サッチャー首相以外の他者の視点が、ドラマとして絡んでこない。動画を見ているように、それぞれ言いたいことを言って消えていく。コミュニケーションが生じていない。特に、私がイギリスの俳優に慣れていないからか、政治家たちは誰が誰やら、モブたちがサッチャー首相に好きかって言っているように見えてしまう。
フォークランド紛争の決断は、人命がかかったあれだけの責任を、”首相”として一人で負わなければならないのかと息をのんだ。リーダーとしての資質とは胆力も含まれているのだなと思った。
けれど、”開戦”なんて出来事を、今の時代に、首相一人で決められるのか?イギリスと日本では政治の制度が違い、イギリスならできるのか?ならば、議会なんていらない。今のロシア・プーチン大統領と同じ。
他の施策も同様の描き方。サッチャー首相の決断・行動ばかりで、同じ党員やほかの政党議員の動き、民衆・マスコミ、すべてが背景。
サッチャー首相の”孤独”を現わしているのか?サッチャー首相の心に響くような人はいなかったと。「一人で生きてきた」デニス氏の言う通りに。それを描きたかったのか?でも、そうしたのはサッチャー首相自身。幻覚として現れる夫の言葉もちゃんと聴かない。「行かないで」とはいうのだが。
ストリープさんの演技はすごいが、そこに”孤独”は感じさせない。息子が南アフリカから帰ってこなくてすねるシーンはあるが、そこでも”孤独”はみじんもない。傍から見れば孤独極まるが、サッチャー首相自身は自分の”孤独”に気が付いていない設定なのか。気持ちより考えを尊ぶ人だもの。
サッチャー政権。11年も続いたんだとこの映画で初めて認識する。
炭鉱閉鎖。”国”としては必要なことなのだろうけれど、『パレードへようこそ』にはまっている身には…。
フォークランド紛争については『MASTERキートン』で読んだくらいしか知らないけれど…。
激しいデモの様子が当時の映像で流される。馬にひき殺される人も出るほど、凄まじい。ハンガーストライキで何人も犠牲になり、かなりの反対派がいたことが示される。
そんな情勢ならすぐに転覆しそうなものだけれど、サッチャー政権は11年も続いている。この映画を観る限り、この政権がこんなに続いた理由は見えてこない。パワハラが過ぎて、党首の座から追われる様は描くが、サッチャー首相があのようなパワハラをおこなう背景は見えてこない。初めからあんなパワハラをしていたら、党首になれないと思うのだが。
「鉄の女」と呼ばれるほど、意志が固く、実行力がある。”国”のために必要と思うことは、犠牲を払っても行う強さ。それはこの映画でもよくわかる。
世間では、ウーマンリブパワーが吹き荒れてはいたが、女性の社会進出は希少な頃。
イギリスでも、”初”の女性首相として、陰口は叩かれてはいるものの、それでも、男どもは、サッチャー首相を党首にと投票しなければならなかった。こき下ろしは描かれているが、彼女を首相にした背景は描かれていない。見た目と話し方を変えるシーンは出てくるが、それで当選するなら俳優・女優・モデルは皆首相になれる。本質は描かず、プラスαしか描かない。政策的な面で、マーガレットさんが選ばれたのか、マーガレットさんの魅力で人々を引き付けていったのか。大臣等の業績を評価されたのか。デニス氏の財力?
サッチャー首相の人柄も、家族との関係も、政治家としての評価も、さわりだけ。
ご本人がまだご存命の頃に制作された映画。ご家族もご存命。
原作本はあるということだが、ご本人の回想録ではない。
「こう思っていたのではないか」等のフィクションは加えられない。
ドラマが薄くなるのは仕方がないことであろう。
とはいえ、もう少し視点を絞って、もう少し調べてから映画化してほしかった。
晩年過去を振り返り思い出されるいろいろな事
メリルストリープ扮する年老いたマーガレットサッチャーはミルクが高くなったと嘆いた。マーガレットが外へ出ると警備が騒いだ。どうもボケてきてる様だ。
人間誰しも年を取り衰えていくのだが、ボケはきついね。思えば政治家の妻を持つ夫も大変だったろうね。晩年になると過去を振り返りいろいろな事が思い出されるだろう。家庭を犠牲にしてなりえた首相の座。しかし配偶者が既にいないとなると孤独だろうな。
そもそもご本人は女性首相なんてとんでもないと思っていたようだね。でもかん高い声を抑えて威厳がある話し方を研究したりして準備をしていったんだね。
それにしてもこんなに幻覚が現れると現実か否か分からなくなってくるだろうな。
ヘレン・ミレンの演技はうまい!
BSで視聴。ヘレン・ミレンのマーガレットサッチャーの演技は素晴らしかった。演技のうまさに感心。サッチャーのイギリスに対する思いも伝わった。
サッチャーの政治思想や功績は曖昧なまま「女性首相」と名言だけを強調した無内容な作品
英国は1960~70年代、揺り籠から墓場までの社会保障制度や基幹産業の国有化などの反動で、国民負担の増加と勤労意欲の低下、既得権益の蔓延等の経済・社会的な問題が発生し、深刻な経済低迷に陥った。俗にいう英国病である。
その末期に登場したサッチャーは1979年~1990年、保守党政権の首相を務め、英国病から国を立て直して、その後の経済成長の基盤を作った。この功績あるが故に、こうした伝記映画まで作られ、主演したメリル・ストリープもアカデミー賞主演女優賞を獲得したのだろうと思ったのだが…いざ作品を見てみると、想像とは大きくかけ離れた内容なので驚かされた。
サッチャーは2013年に死去したが、「長女のキャロルは2008年、サッチャーの認知症が進み、夫が死亡したことも忘れるほど記憶力が減退していることを明かした。8年前から発症し、最近は首相時代の出来事でさえも詳細を思い出せなくなってきた」という(wiki要約)。
映画は認知症となった晩年の彼女を、残念な一介の老女として延々と描き、そこを起点にして少女時代~学生時代~政治活動の初期~結婚~初当選~教育相時代~党首選~首相時代~辞任をフラシュバックさせ挿入していく。
その結果、昔は偉かった老女が過去を回想していくものの、死んだはずの夫がしばしば登場するなど、現実と妄想と追憶の見境がつかない漠然とした内容となっているのである。
サッチャーは明確な新保守主義・新自由主義の政治家で、国有企業の民営化を進め、福祉政策の見直しを実施し、大規模ストが頻発していた労働組合の活動を規制したこともあって、見る側の政治的スタンスにより毀誉褒貶が甚だしい。
製作者側は政治思想によって観客層が狭まるのを恐れたのだろうか、彼女がいかなる政治思想の持主で、どんな政治的功績があるのか突っ込みたくないがために、それを曖昧なままとし、よく言えば「人間サッチャー」に重心を置いたものと思われる。
例えば、1981年労使関係法による二次ピケ(支援ピケ)非合法化、1982年雇用法によるクローズドショップ禁止等々により、労働組合の戦闘力や政治力は大幅に殺がれた。英国戦後史の分水嶺を画したと評される1984~85年の炭鉱労働者全国ストも政府の弾圧によって潰された。すべてサッチャーの「政治的功績」だw これらをクローズアップしたくなかった結果、映画は初の女性首相であることや、いわゆる名言を強調するのが関の山という無内容な作品となってしまったのである。
案の定、『デイリー・テレグラフ』は、「製作者がサッチャーに関して何を伝えようとしているのかが不明」と酷評している。
小生は1982年のフォークランド紛争の際、軍隊の派遣を逡巡する閣僚たちに向かって「わが内閣に男は一人しかいないのか」と叱咤したという有名なエピソードが好きだったが、どうやらこれは後付けのジョークらしく、本作にもそのシーンはない。
それはさておき政治家の伝記映画であるなら、製作者側も彼女の政治思想を誤魔化さず、功績を伝えるべきだった。本作はサッチャー肯定派、否定派双方から見てろくでもない内容だと思う。
トロッコ問題
自分が知ってる通りのサッチャーさんでした。
よく聞く話で、トロッコ問題と言うのがあります。
そのままトロッコが進めば、事故で5人の人が亡くなってしまう。でも、幸い(?)なことに、切り替えが付いていて、線路を切り替えれば(本来なら死ぬはずのない)1人の犠牲で済む。あなたならどうしますか?というやつです。
多分大抵の人は「そのまま」を選ぶと思うのですが、それを最小(?)の犠牲に切り替える役目が政治なのかなと思います。
車で通勤するのに、一軒の家があって、道路が拡張できず、毎日往復5分のタイムロスがある。そんな時、大抵の人は、この家、立ち退いてくれればいいのにと思うのではないでしょうか。でも、その家の住民であれば、なぜ先祖伝代の土地を譲らなければいけないの?どうして私達だけがこんな苦労を引き受けねばならないの?となることでしょう。
サッチャーの判断の孤独を伝える映画だったのかもしれません。(私は別にサッチャーの判断を支持するわけではありません)
良い賞を取ったということでリバイバル上映。良かったです。
今年224本目(合計875本目/今月(2023年7月度)10本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))。
GAGAシリーズさんで過去に賞を取ったものなどは、現在大阪市では作品入れ替えでリバイバル上映されていて、その関係でチョイスしました。
イギリス発の女性首相であるところの彼女の、生きていた中での一部分を切り取ったものです。歴史背景的に当時のフィルム等は一切残っていないようですが、当然あることないこと描けませんので、大筋において史実と変わらず、したがってこの意味でドキュメンタリー映画に属するともいえます。
賞をとっただけあって素晴らしい作品で知的な作品であると同時に、このことは、当時のイギリスをはじめ、さらにイギリス以外の各国の動向なども知らないと理解ができない字幕も多く、なかなかに苦労しそうな映画です(それでも賞は取れたので、こうしたイギリス史というのは日本ではあまり扱いませんが、常識扱いされているのでしょうね)。ただ、まぁいって高校世界史レベルで、一つ二つの字幕がわからないと全体が煙に巻かれるということはない点が良かったです。
いわゆるヨーロッパの一つに過ぎないイギリスという一つの国が、どうして戦中戦後を経て(経済的、などの意味において)大きな国となりえたのかを知ることができる点で非常に評価は高いかな、というところです。また、映画の趣旨上、他国に関する描写・字幕も出ますが、そこについても「特段」各国(特に、ドイツやフランス。フランスとイギリスは伝統的にあまり仲が良くないとされる。百年戦争による)を害するような部分もなく好印象です。
採点に関しては下記を考慮して4.5までにしています。
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(減点0.3/「審査請求」の指す語の意味が不明)
・ イギリスは英米法の国でいわゆる法律を持たない(コモン・ローによる支配)国である上、当然日本でいうところの行政不服審査法が(姿を変えてでも)当時のイギリスにあるはずもなく(その前提だと、展開がおかしくなる)、ここの「審査請求」はその意味ではなく、単に「何らかの不服があることがらについて行政にもう一度聞いてみる」程度の「日本語・漢字的」な意味で見た方が早いです(資格持ちが混乱するような字幕は避けてほしかったですが、若干古い映画ですし仕方がないでしょう)。
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後悔してるの?
サッチャー女史は、家族との時間を持てなかったことを、後悔しているのだろうか。老いて現実と過去がごちゃまぜとなり、死んだ夫と会話する毎日。
サッチャーをどういう位置に置くのか、よくわからない。偉人としてか、一人の女性としてか、どう見せたいのだろうか。結局、映画を観てても、どんな人だか全然理解できなかった。伝記映画としても中途半端だったと思った。
BS松竹東急の放送を鑑賞。
さすがはアカデミー主演女優賞受賞演技
終始メリル・ストリープの演技力に圧倒された。様々な表情に、迫力の演説。堂々たる立ち振舞い。しびれた。
当初は正直、メリル・ストリープがマーガレット・サッチャーを?と少々抵抗を感じていたが、なんのなんのもう彼女以外に考えられない!
一般的な伝記映画と違った切り口のストーリー展開も、この作品の魅力だと思う。
「鉄の女」お見事!
夫婦の絆…でもない
認知症気味の元首相を描く現在パートと、議員〜大臣〜首相としての苦悩と栄光を描く過去パートが、交互に入れ代わりながら話が進むんだけど、過去パートは大河ドラマ的に無難に面白い一方で、現在パートは大して過去とリンクするわけでもない上に夫の幻覚が若干ホラー気味だったりで何がしたいのかよく分からず、ストレスを感じた。
安直だけど、夫婦関係に焦点を絞ってくれたら現在と過去がいい感じにまとまったかも?
亡き夫の幻想を見る認知症の元首相、戦争勝利により棚ぼたで支持を得、政権に執着し孤立する老いた政治家の姿
マンマ・ミーアの監督で知られる英国人フィルダ・ロイド監督(女性)による2011年公開の英国映画。脚本がアビ・モーガン(英国の女性脚本家・劇作家)。
主演がメリア・ストリープで、3回目のアカデミー賞(主演女優賞)受賞。
サッチャー首相を、英国病の中で国民の潜在活力を引き出した知的且つ信念有する政治家で、西側で最初にソ連ゴルバチョフを評価し東西冷戦を終結させた立役者としてかなり評価しており、自伝も読んでいて、高い期待感を持って妻同伴で映画館に行った。
残念ながら、そこで印象づけられたのは、亡き夫の幻想を見る認知症の老婆であり、戦争勝利により棚ぼたで支持を得る首相、政権に執着し孤立し同士からも見捨てられる老いた政治家の姿であった。これらは事実とは思われるが、政治的な反対側から見たマイナス評価のみが強調され、フェアではないと感じてしまった。多分、脚本家も監督も製作者も、働く女性、働く妻、働きながら育児する母としての共感は有するが、政治的には反サッチャーの立場であろうと思ってしまった。
まあ、オックスフォード大の女学生としての初々しい姿、デニス・サッチャーからのプロポーズ場面、国会下議院議員となっての初登院での緊張感、ボイストレーニング描写は興味深かった。特に、ユーモアを交えて近距離で互いにやりあう議会の論戦風景は、日本のそれとは随分と異なり感慨と憧憬を覚えた。
全体的には、政治家としてのサッチャーを描く期待感の高さが個人的に有り、かなり物足りなく感じてしまった。
池上さんの番組みたような
そういえばサッチャー君の時代って、そんなことあったなーって現代政治史の番組みたような映画です。認知になってからのシーンと交互に映りますが、ドラマチックではなく、ストリ君の憑依演技だけがみどころで、平凡な伝記映画、つーか記録映画です。
晩年のシーン過多でどうにも
他のかたのレビューにもありましたがサッチャーさんのなにを描きたかったんでしょうか?自分にはよくわからなかったですね。
「鉄の女」とまで言われた人の老いてボケた姿でしょうか?と皮肉を言いたくなるほど晩年のシーンが多いです。冒頭とラストとせいぜい中盤に一回でよかったんじゃないでしょうか。ストーリー展開上もそれほど効果があったようには思えないどころか本編に没入できず逆効果に思えました。
肝心の過去の回想の内容のほうでも、あっという間に議員になり大臣になり党首になり首相になってしまいました。そのあとも英国病、労働党と労組、IRA、アルゼンチンとの闘いなどがさらりと過ぎていきます。
英米人のサッチャーさんへの思いいれはよくも悪くも日本人よりははるかに強く、このあっさりしたトーンにはなにかしら彼らなりの意味があるのかもしれませんが、映画という娯楽性を帯びた(というより娯楽そのもの)コンテンツとしては、もうちょっとテーマを絞ってドラマ性を持たせてほしかったと思わざるをえません。
ジェンダー(西欧初の女性リーダー)でもいいし、アタマの回転の速い変人女性の成り上がり物語でもいいし、「鉄の女」の光と影でもいいし、サッチャーさんを軸にした英国現代史(EC/EUとのバトルとか)でもいいし、おそらく一般家庭のそれとは違う家族関係でもいい。どれを選んでもサッチャーさんを知らない人が観てもそれなりに惹きこまれる映画にできたはず。そういえば子どもに先立たれているようなのですがその辺もなぜか深掘りなし。意味不明です。
なんだかサッチャーさんが気の毒になってしまいましたよ、晩年のヨレヨレシーンに尺を取りすぎてて。
内容とは直接関係ありませんが、ポンドを捨てなかったのは大正解でした。
フォークランド紛争は女性首相だったからこそアルゼンチンが舐めたことにより勃発し女性首相だったからこそ舐められまいとして一歩もひかず実戦に到ったのかもしれないですね。だとすると舐められないことが戦争を回避する第一歩だと感じます。
当時イギリスはなんでアルゼンチンの沿岸にある小島にこだわって戦争してるんだとうと子供ごころに思った記憶があります。正しい対応だったのかどうか自分には判断つきませんが、当時の日本だったらまずなにもしてないだろうなと思います。
男性社会の中で生まれた鉄の女
マーガレットサッチャーへは敬意があります。
彼女の強さは特異ですが、鉄の女とも物凄く強い女性だとも思わないです。
女性が本来秘めている強さが現れたような、そのような印象を持っています。
マーガレットサッチャーがどういう人物か、また当時の情勢などを知るにはとても良い映画だと思います。
壊し屋
誰でも死ぬわけだし、痴呆にもなる訳で、何でこの映画はそこに時世を合わせるのやら。邦題のタイトルようなセンチ引き出すためだとしたら悪質としか言えない。メリル・ストリープの演技がただ光る。
足跡を辿っただけのストーリーは掘り下げが弱い。新自由主義の経済政策の妥当性は疑問が多いが、少なくとも組合と非効率な論争をぶっ壊したのは間違いないのだろう。当時も今もそれを悪いと言う立場にないが、今ある労働の問題に延伸されているのだから、見所はいかようにもあったはずだが。
鉄の女と称された人にも、女性としての苦悩があった。ワーママを当たり...
鉄の女と称された人にも、女性としての苦悩があった。ワーママを当たり前に求められる今の女性には共感できる部分が多々あると思う。女性が席を外すやいなや「やれやれ」とか言うおじさん、彼女は食料品店の娘だからと揶揄するおじさん、政策議論の場で政策に関係ない甲高い声を非難するおじさん。女性というだけで同じ土俵に立たせてもらえない世界で彼女が首相にまでのし上がるのはまさに「戦い」だったと思う。認知症になった彼女が幻覚に見る夫の言葉やホームムービーは、政治家としての志を全うするために捨てた家庭の主婦としての幸せへの執着だったのかな。なんか切ない。
本物以上に本物のサッチャーが演じる、奥行きが深い深いラブストーリー。伝記物映画に共通する欠陥を、この映画は見事に回避しており、おみごとでした。
映画が始まったとたん、そこには本物以上に本物の、老いたマーガレット・サッチャーがいました。
最初から最後まで、あまりにもサッチャーそのものなので、映画を見ながら、「いかんいかんこれは単に役者が演じているんだぞ」と、ときどき自分に言い聞かせなければならないほどでした。
偉人の伝記映画というジャンルで、私はこれまで本当に面白いと感じる作品に出会った記憶がなかったのですが、この作品こそは文句なく抜群の会心作だと感じました。
その理由は、この映画の構成にあります。
死んでしまった人に対する、生き残った者からの一途なラブストーリーなんですよね。
もう地上に存在しない人への愛。
もはや存在しないと頭の半分では分かっていながらも、でも心には愛情が溢れて止まらない。
その一途な愛情を軸としてサッチャーの生涯を描いているから、ストーリーもブレないし、会心の作品に仕上がったのだな、と感動したのでした。
この作品を観てから、いわゆる伝記物映画がどれもこれも、私にとっては面白いと感じられなかった共通の真の理由が分かった気がします。
人生とは偶然との遭遇の繰り返しです。
織田信長などのように「国を征服する」というような大テーマによって人生を語れる人物の伝記なら、話はまた別なのですが、いわゆる「偉人」の伝記物は、偉人が遭遇する偶然のほうが比率が大き過ぎて、ストーリーに必然性が薄いのです。
だから一人の人間の人生をそのまま追って映画にすると、物語としての面白さに欠けるのだな、と気がついたのでした。
この作品は違います。
たしかに脈略なく「偶然」には遭遇するものの、一途な愛という一本のテーマの中にすべてのエピソードを包含して物語を成立させているからです。
だから巨大な業績を上げた偉人の、純粋で骨太なラブストーリーとして成功したんですね。
鉄の意思
英国で初めての女性首相の物語ということで興味深く観ることができました。
その政治手法や政策は当然ながら賛否の別れるところだと思いますが、自らの信念を鉄の意思で貫いた政治家というところは尊敬に値すると思います。
全体的にはとても面白かったのですが、フィードバックを繰り返すストーリー構成はちょっと観にくかったのと、老いたサッチャーを中心に描くよりもっと半生を掘り下げてほしかった。
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