「ハイテクな情報戦を制してアナログな方法で仕留める」コロンビアーナ マスター@だんだんさんの映画レビュー(感想・評価)
ハイテクな情報戦を制してアナログな方法で仕留める
コロンビアの首都ボゴタ。中心から数キロ離れただけで麻薬が売買される危険なスラム街があるという。
冒頭の舞台となる1992年のコロンビアは長年の内戦が続く中、ゲリラ活動や暗殺が繰り返されていた。
山の中腹にゴミ溜めのように無数の建物が積み重なるスラム街を俯瞰した映像と、当時の不安定な内政を象徴する実写フィルムを交互に使ったオープニングを見て、日本にこういう地帯があるか?と訊かれたら即座に無い!と断言できる。日本とはなんと素晴らしい国であろう。ひょっとしたら「無い」と断言できる国は世界中で日本だけなのではないだろうか。
主人公・カトレアの父親はスラム街をアジトにするマフィアの幹部だ。首領の裏切りに、ためらいなく銃を手にする母親も只者ではない。9歳の少女・カトレアを残して両親はマフィアの手によって散ってしまう。
この少女時代のカトレア(アマンドラ・ステンバーグ)がいい。長い睫毛をもつ瞳がまっすぐ現実を捉える。大人を相手に物怖じせず直感で行動する気性はその身体能力とともに、既に暗黒社会で生きる術を身に着けている。
そんな少女がマフィアの手を逃れ、南米・コロンビアからどうやって国境を越えてアメリカに入国し、さらにシカゴの叔父のもとに辿り着くのか、この作品の中で一番面白いのが実はこの少女時代だ。
大人になって(ゾーイ・サルダナ)暗殺者として暗躍する中盤以降も面白いが、“仕事”がややデキ過ぎのタイミングで行われ、少し興醒めするところがある。
血なまぐさい日々から開放を求めて、男のもとで安らぎのひとときを得るカトレア。ここでは暗殺者となった大人の女の孤独を垣間見せるが、演出が人間臭さを出すことよりも、終盤への伏線を張ることにとどまり、せっかくのラブシーンが形式的なものになってしまい色気がない。
両親の仇を取ろうとするカトレアが、マフィアと捜査当局から追われる事になる後半、まず今どきの情報戦の凄さに改めて目を見張る。通常なら何ということもない、ちょっとしたデータのやり取りが、FBIやCIAの手に掛かるとあっという間に身元確認や現在地の探索に結びつく。またマフィアの組織力によるネットワークも手強い。
マフィアとの一騎打ちを心に決めたカトレアが、逆に情報を得るためにFBIとCIA双方の捜査官を相手に本気度を発揮するシーンはスカッとする。
ハイテクな情報戦を介して最後の銃撃戦に入るが、ケリをつけるのは案外にアナログ的な古臭い方法だったりするところがイケる。最後になって作品の半分に流れるフランス映画の血が騒いだといったところか。