汽車はふたたび故郷へ : インタビュー
オタール・イオセリアーニ 「映画は時間の中で流れる芸術」
旧ソ連体制下のグルジアを離れ、1979年からフランスを拠点に映画を撮り続けている名匠オタール・イオセリアーニ監督。「ここに幸あり」から4年ぶりの新作は、自分の信念を曲げずに映画を撮りたいと願うグルジアの若き映画監督が、自由を求めてフランスへ向かう姿を描いた半自伝的な作品だ。(取材・文/編集部)
ゆったりとしたリズムの中に、優しいまなざしで個性豊かな人々を描き、社会風刺のきいたユーモアをしのばせる。人生のほろ苦さと、自由を追求する人間の姿が本作でも詩情豊かに描かれている。監督にとって映画は、せりふではなくリズムが大切だという。
「映画は時間の中で流れる芸術です。その点、ダンスや音楽に似ています。そして不可逆的にダンスと音楽にはリズムとテンポがあります。リズムという概念は、存在するあらゆる概念、職業にとって重要です。人間の脈拍が人生のリズムを作り出しています。ナポレオンの脈は43でした。我々アーティストは、最小限で70位です。それゆえアーティストたちは、非常にスピーディーで、早いリズムで生きているのです。ナポレオンは若死にしましたが、1分間に43の脈拍が本当であれば120歳まで長生きできたはずです」
カットバックやクローズアップは用いず、長いワンシーン、ワンショットが特徴だ。長さを好む理由をこう例える。「ギリシャの大詩人、ホメロスはとても長い叙事詩を書いています。ロシアの女詩人、アンナアフマートワはホメロスの詩について、『何と愛すべき長さ!』と言いました。このように長い詩であれば、読む者にとってその間にリラックスしてじっくりと考える時間があります。同じ作品の時間の中で、例えば2時間の作品を早回しにして、1時間に縮められるとする、そうすると何もかもが失われてしまうと思うのです」
ソ連当局の検閲や思想統制に嫌気がさした主人公ニコは、自分の望む映画作りのためにフランスにやってくるが、商業性を求めるプロデューサー陣との対立など困難を極め、ふたたび故郷に向かう汽車に乗る……。本作は監督の故郷グルジアでも撮影された。しかし、監督自身は政治が変わった今でもグルジアへ生活の拠点を再び移すことは考えられないという。
「自分の生まれ故郷に帰ることは、外国に行くことよりひどいことです。時が流れてすべてが変わっています。私たちの世代は、次の世代との橋渡しをする存在だと思いました。しかし、実際グルジアではほぼすべてが忘れられてしまい、田舎者の成り上がりたちが、国を支配するようになってしまいました。私たちと同じような顔をしているのに、行動は野蛮になってしまっています。そういう人たちから、私たちがするかのような反応が返ってくると期待することができないのです。これはとても悲劇的なことです」
そして、希望を持って亡命したフランスも同様だと話す。「フランスに来た当時、少しばかりベルエポックの名残にありつけるかと思っていましたが、私が到着したときは遅すぎたのです。ロートレックの時代のフランスはもう終わっています。カフェにはもはや詩人、ランボー、ベルレーヌ、ボードレールたちは訪れず、皆が下を向いて自分のスープを飲んでいるだけです。『同じ川に二度入ることはありえない』という格言がありますが、それと同じで自分の生まれ故郷を再び見出そうとして、そこに戻っていくのは不可能なことなのです」
アンドレイ・タルコフスキー、フェデリコ・フェリーニ、ルネ・クレール、ジャック・タチ、マノエル・デ・オリベイラ……ヨーロッパ映画史に燦然とその名を残す巨匠たちと親交を持ち、互いに刺激し合いながら自身は今年78歳を迎えた。タルコフスキーとビール1本を賭けて、カットつなぎ数の少なさを競って勝ったというエピソードを、笑みを浮かべながら明かす。
「見かけは老人に見えますが実は心の中は18歳なのです。18歳の時と同じことを今も考えていますし、私は80歳になっても同じことを考え続けるでしょう」。そして、これから映画製作を目指す者へ向けこう語る。
「我々はいつかは死んでいく人間ですから、苦しみ考えます。そしてその終わりは悪いことだと知っています。だから人間はお互いに連帯することが必要です。金儲けのことや、生活は惨めだとばかり考えていてはいけません。自分の世界と民族と共に生き、良いものを作って他の人々を助けてあげて下さい。我々が手を取り合わないといけません。手を取り合うこと、それこそが本当の映画だと思うのです。映画という危険なものに手をつけた以上、責任がそこにあります。映画を仕事にするということは、自分の良心に対して試験を行うことになります。自分の魂の豊かさ、そして奪うのではなくて他人に与える可能性についても試験を行うことになるのですから」