エイリアン3のレビュー・感想・評価
全79件中、1~20件目を表示
随分久しぶりに見たけど、面白かった
20年ぶりくらいの視聴になります。
初回視聴時は全体的に地味だしエイリアンも1匹だけだし、つまらないという評価でした。
そして今回超久しぶりに見返したわけですが、結論から言うととても面白かった。
良い点はシナリオ。
1匹の化け物から追い立てられるホラーとして上質でした。
この映画が公開当時あまりいい評価を得られなかった理由は、主にエイリアンが1匹しか出ないことだったと思います。エイリアン2の続編と考えるとパワーダウンしている、物足りない、ということですね。
しかし今回の視聴で2と3は別物であるとして見ることができたのでその点は気になりませんでした。
ただ1点のみ短所があります。CGがショボい!
特にエイリアンの移動シーンで顕著で、エイリアンがゴキブリにしか見えません。
エイリアンが1匹しか出ないこの映画でエイリアンがショボく見えるのは致命的。
アップのシーンではしっかり迫力がある(相変わらず素晴らしいデザイン!)ので、なおさら惜しい。
そこさえクリアしていれば名作と言っても良い作品でした。
別に面白くない訳ではない
男達の惑星でエイリアン1体と大騒動
コールドスリープしたリプリーは宇宙船内の異常により男性囚人が住む惑星フューリーに不時着する
リプリーの乗っていた船にはエイリアンが1体生きていて惑星フューリーの囚人を次々と殺す。リプリーもエイリアンクイーンに寄生されており、最後は熔鉱炉に飛び込み死亡する
エイリアン3から観ても内容は理解できる。
エイリアン1体と碌な武器を持たない囚人達の話なので前作と比べると見劣りするし、SF感が減っている。
今作ではキャラの描写が浅く急に死んだり、ゴア表現やCGに違和感があって気になった
リプリーはもっと早く熔鉱炉に飛び込むべき。
0299 丸刈りのリプリーはいかが
1992年公開
デヴィッド・フィンチャーのデビュー作
1作目のいったい何が起こるねん?
2作目のオラオラオラァー
と比べると第一稿脚本の変に宗教がかった物語が
モロに残ってしまいどういう裏事情かわからんが
折角助けたミュートも
頑張ったヒックス伍長も
“人間にしてはやるな”ビショップもみーんな死んじゃった
という流れでおそろしく暗ーいストーリー。
こら勝負にならんわ。
さらに最後はリプリーもT2よろしく溶解炉に突っ込み
どうすんねんこれー状態。
特別編は実は案外物語の整合性があり
見比べると本作は製作者側の都合でグチャグチャにされた感あり。
残念でした。
70点
鑑賞 1992年10月3日 新宿プラザ劇場
パンフ購入 ¥400
配給 20世紀FOX
1、2が名作ときたら3が微妙に感じるのはお約束?
30分長い『完全版』を観て再評価を。
映画史に稀に見る最高の続編映画との誉高い『2』のあと、生き残ったはずのニュートとヒックス伍長が死んだところから始まるが故に「前作までの流れを台無しにした」と受け止める向きが多かったと思うが…熱心なファンは、『2』のエンドロールの一番最後にフェイスハガーが這い回るような音が流れて映画が締め括られることを知っているはず。ならば、それを受けて作られる続編が、こんな展開にもなり得る可能性をそもそも孕んでいたということだ。ファンが気に入る気に入らないに関わらず。
確か昨年だったか、主演のシガニー・ウィーバーが「私たちは良い映画を作ったと思う」と本作を擁護する発言をして、それがニュースになって流れていた(Webを検索すれば今でも記事は読めます)。フィンチャー監督が本作を否定的に語ったのを「それは残念」だとも語り、監督が日々奮闘していたことを高く評価する発言をしていた、というような内容だった。
確かに、劇場公開版を観る限り、一作目・二作目のクオリティには遠く及ばないとの印象は拭いきれない。しかし、『完全版』を最初に鑑賞した時、まるで初めてこの作品に触れたかのような新鮮な気持ちになったのを覚えている。30分も長くなっているが故に、相当にシーンが加えられており、劇場公開版では無理矢理に短く編集されていたことがあからさまに分かる。『完全版』ではテンポやリズムが相当に改善されて、撮影された映像をじっくり味わえるようになっている。この暗さ、ジメジメした陰鬱とした空気感は間違いなくフィンチャー監督のものだ。
エンターテイメント性の豊かな『2』と比べたら、今作は相当に悲壮感が漂う作風であるが故に、気に入らなければどうにもならないかもしれない。でも、もし『完全版』の形で劇場公開されていたら、今のような散々な評価にはならなかったのではないか…そんなことを私は夢想する。
少なくとも、『完全版』を観る限り、劇場公開版とは相当に別物になっており、劇場公開版の評価のままではいられない(星は『完全版』に対する評価だ)。是非、ご自身の目で確かめていただきたい。
エイリアン1体に対して、武器無しの人間たちの状況は『エイリアン』1...
エイリアンだけでなく、物語の背景も登場人物もみんな不気味。
最新作『エイリアン ロムルス』鑑賞前にBlu-rayで復習。
1992年の劇場公開版(115分)と2003年にソフト化された完全版(145分)。
デヴィッド・フィンチャーのデビュー作にして、恐らく彼の黒歴史的一作。興収は前作を若干上回ったようだが、製作費は前作の3倍弱を投下しているので大きな見込み違いだっただろう。批評家にも酷評された。
脚本にはデヴィッド・ガイラーとウォルター・ヒルの名前もクレジットされている。
全米脚本家組合のストの影響もあって、脚本の制作は混迷を極め、ストーリーは二転三転したようだ。
前作でリプリー(シガニー・ウィーバー)が熾烈な戦いの末に救った少女ニュートが死んでしまっているという、なんと残酷な幕開けか。
LV-426を脱出したリプリーは冷凍睡眠中に流刑惑星フューリーに不時着した。凶悪犯罪の受刑者たちが強制労働に就いているこの惑星は、ウェイランド・ユタニ社が運営している民間施設のようだ。
この会社が日系企業であることが強調され、漢字の標語が掲示されていたりする。ユタニは〝湯谷〟だった。
受刑者たちの労働は核廃棄物用の鉛の容器を作ることだ。巨大な熔鉱炉で鉛を溶解して鋳型に流し込んでいる。
職員は所長(ブライアン・グローヴァー)と副所長のミスター85(ラルフ・ブラウン)の二人と、元囚人のクレメンス医師(チャールズ・ダンス)しかいない。
後は25人の囚人が労働しながら自活している。
クレメンス医師に救助されたリプリーは、なぜか“中尉”になっている。二等航海士兼荷役作業員だったはずだが…。
囚人たちが犬を連れて墜落した脱出艇の中を確認し、生存者を1人発見するのたが、完全版ではクレメンスが海岸に投げ出されたリプリーを発見して救助する。
脱出艇にはニュートの他にヒックス伍長もいたはずだが、脱出艇にエイリアンの痕跡を見たリプリーが寄生を懸念するのはニュートだけだ。
この映画の難点は、宗教じみているところだ。
登場人物がほとんど囚人だから、みな怪しげだったり狂気じみていたりして、意味不明の言動も多い。
画的には、暗くジメジメしていて徹頭徹尾不気味なお膳立てがされている。
この画作りは、フィンチャーの次作『セブン』にも取り入れられている。
惑星自体が刑務所だからそこには武器がなく、リプリーと囚人たちは迷路のような通路を使って熔鉱炉にエイリアンをおびき出す。
ここで特筆すべきは、獲物を追うエイリアンの目線カメラだ。
通路を逃げる人間を追うエイリアンは、壁や天井を縦横無尽に這って走るから画面も縦に横に回転する。その目線の先に見え隠れする恐怖にかられた人間の後ろ姿には臨場感がある。
ほとんどの囚人たちが犠牲になりながら、遂に煮えたぎる鉛を浴びせることに成功するが、エイリアンはそこからも這い上がってくるというホラーらしい二弾落ちもある。
リプリーはエイリアンのことを「私が見てきたのとタイプが違う」と言う。
エイリアンは寄生した宿主と同じ形態に成長するようで、犬に寄生して生まれたエイリアンは四足歩行なのだ。
完全版では牛から生まれるのだが、犬に変えた理由は分からない。
そして、本作のエイリアンは明らかに人を〝捕食〟している。囚人たちは襲われるが寄生はされない。前作までは捕食するイメージはなかった。
このエイリアンはクィーンではないから卵を産まないのだ。よって、本作はシリーズで唯一、フェイスハガーといわれる顔に貼り付く幼体が登場しない一編となった。
実はリプリーはエイリアンに寄生されていて、それがクィーンだと(なぜか)分かる。
自分は死ぬ運命にあり、クィーンが体内にいるうちに殺さなければならないという状況での戦いなのだから、完結編の位置づけだったのかもしれない。
結末も宗教くさくなっている…。
『怖がる事はない。私たちは家族よ』
現実社会に対するアイロニーの様な作品と考えよう。
いずれ滅ぶしか無い男系社会に、子供(?)を宿した物理的な女性が流れ着く。そして、怪物のもう一匹がそのリプリーを探し回る。そんなブラックファンタジーだ。
シリーズとして見るよりも、この映画こそエイリアン2だと思う。
『クレメンズ』の履歴経緯は正にチェルノブイリへの警鐘だと感じた。
この映画の上映時には社会主義社会の崩壊は事実上終わり、一時的に世の中は一曲化する。さて現実はどうなるか?言うまでもない。
リプリーが怪物を探し回る。
その時の台詞『怖がる事はない。私たちは家族よ』
二極化だった社会がもう一方の社会に対して鎮魂する台詞と感じた。
男たちの考える戦いが狂気と化す。それが正に現実だ。
さて、この映画の演出の上で凄いと思った事は、
リプリーは髪の毛を丸坊主して、男達は髭を剃る。つまり、中性世界なのだと思う。キリスト教原理主義社会と話していて、ある意味に於いて、911の預言も含んでいるのかなぁなんて考えている。また、最後はカトリック教徒が一番問題視している女性に対するあの問題。奥が深い。
傑作である。
当時散々叩かれたけど
完全版は牛か…
シリーズ中最も難産であり、その後悪名高い作品としてたまにイジられたりするのが本作である。雰囲気こそ第1作に近い物があるが、過去作に共通していた恐怖感や、畳みかけてくる様な興奮があまり感じることが出来ない、何とも微妙な出来の作品だ。
前作でリプリーが必死に守り抜いた少女もあっさりと亡くなってしまい、勇敢に戦ったヒックス伍長も酷い死に方をするという、前作ぶち壊し設定になっており、前作のファンは怒るだろうなと初見時にも思ったのを今でも覚えている。当時27歳のデイビット・フィンチャー監督だが、現在溢れに溢れているセンスはまだ光っていなかった様で、演者サイドとも険悪な関係になり、あれもダメこれもダメで怒りを爆発させた監督には同情したい。20世紀FOXより本作の完全版のBlu-rayが発売されたが、それの特典映像にさえ監督は出演しないという徹底的な対応である。「監督業を続けるくらいなら癌で死んだ方がマシだ」と言い残し、その後数年間脚本すら読まなかったという監督の当時のストレスは計り知れなかっただろう。
前作、前々作が"良すぎた"というのもあるかも知れないが、本作も中々インパクトを残してくれる部分もある。
一番に挙げられる例としてはシラミ対策でリプリーが坊主頭にしたという事。男しかいない囚人惑星で、少しでも馴染む為という理由でもあるが、対エイリアンの決意を感じさせる一幕でもあるのだ。
また、前作で宇宙を何十年も漂流しているうちに娘が自分の年齢を追い越し、亡くなってしまうという事実を知らされる訳だが、宇宙にいるせいかリプリーの家族像がイメージしにくいという部分があった。それが本作では直接は描かれないものの、クレメンス医師とベッドを共にする展開があったりなど、今までのリプリーのイメージを変える様なシーンが描かれているのもポイントである。言ってしまえば、「人」としてのリプリーが見れる最後の作品であるという訳だ。
ゼノモーフに関しては1体のみの登場となるが、それもテンションを下げる要因で、前作であれだけドサドサ出てきたのに対し、原点に帰るイメージなのか1体に戻ってしまうと、やはり見た目的な楽しさは半減してしまうのは当然の事だ。92年の劇場公開版では犬から生まれ、本編145分の完全版は牛から生まれる設定の、四足歩行で素早く移動できる新種である。過去のゼノモーフとの違いは、初めて人を"喰う"描写があり、血糊も大増量した点だ。色々と初めて尽くしだが、素早く移動する分、全身VFXで描かれてしまい、当時の技術では合成感丸出しなのが残念だ。やはりエイリアンはアニマトロニクスに限ると思わせられた瞬間である。
先ほど述べた通り、男しか居ない囚人惑星で、YY染色体保有者と言い、レイプや殺人を犯したいわゆる凶悪犯のみが収容されている場所の為、秩序を保つ為に、ルール作りの根底として"信仰心"が存在している。完全版ではよりその点について触れるシーンがあるが、やや説教臭く感じる一方で、リプリーという初の女性の登場で欲を抑えられない連中が現れたりなど、居心地の悪いギャップが生まれて作品に深みを落としている。
だが、SF映画の金字塔とも言われるシリーズがもしこれで完結となったら個人的にも満足出来ないだろう。興行的には大失敗とまではいかなかったものの、何かと不運な作品である。
序盤から中盤は眠くなる
序盤から中盤はエイリアンがあまり出てこず、主に人間の言い争いばかりでつまらない。エイリアン、出てこーい!って感じです。
後半、エイリアンを追い込むあたりから面白くなりました。
ラストは分かっていたけど切ないですね。生まれてきた赤ちゃんを抱きしめるように、チェストバスターを抱きしめて溶鉱炉へ。本当はもっと違う人生があったのにと思うと、いたたまれない気持ちにさせられます。
ニュートさえ生きていてくれたら…。
エイリアン、「ロムルス」から7本観たからもう、いいや。
「エイリアン ロムルス」観賞を機にエイリアン・シリーズをBDで振り返る。
今回は「エイリアン3」(1992)
「エイリアン2」のラストでエイリアン・クイーンを倒し、冷凍睡眠に入ったエレン・リプリーは宇宙船スラコ号の火災発生により冷凍カプセルごと脱出艇に移され射出され、惑星に衝突する。そこは囚人・管理者25名のみが暮らす流刑の惑星フィオリーナだった。脱出艇に侵入していたフェイスハガーはエイリアンとなり人間を襲い始める。流刑地のため武器はない。リプリーは如何にしてエイリアンと戦い、倒すのか。
この映画の最大の問題点は、リプリーを男性しかいない惑星という環境に置くために、「エイリアン2」のラストで生存し一緒に冷凍睡眠に入ったニュートとヒックスを脱出艇での事故死であっさり抹消してしまった事である。共にエイリアンと戦い、生き残った二人がいきなり消されてしまっては「エイリアン2」を観ている者にはガッカリな展開だ。
シガニー・ウイーバーは、本作でプロデューサーとしても名を連ねており、撮影中も監督と折り合いが悪かったらしい。監督デビッド・フィンチャーも初監督作でエイリアン・シリーズでもあり会社の要望に不満だったらしい。編集にも大分不満で、30分以上長い完全版を2003年に発表している。
例えば、劇場版では犬だったフェイスハガーに取り付かれる動物が完全版では牛である。
この星では荷物の運搬に牛を使っており、(完全版では)脱出艇の残骸を運ぶのにも牛で引いていたので脱出艇に潜んでいたフェイスハガーが牛に取り付く方が筋は通っている。牛の死体を処理した囚人がフェイスハガーの死体を「何だ、これは?」と持ち上げるカットもある。牛に寄生したため出てきて走り去るエイリアンは4足歩行である(このCGがしょぼい)。体内から出てきたカットは公開版も同じだった。
本作では説明されていない事が多すぎる。
○エイリアン・クイーンはどうやって冷凍室内に産卵したのか?
冷凍室内に卵があるカットがあり、フェイスハガーが出現し火災が発生する。その前に床が酸で溶けるカットもあるが、フェイスハガーは血液が酸でも自ら酸を射出することはないのでは?エイリアン・クイーンはスラコ号までやって来たが、リプリーと対決して冷凍室内に入る余裕はなかったはずだ。リプリーに再起動されたビショップによれば「ずっと一緒にいた」との事だが冷凍室内に産卵したのはいつ?
○何故フェイスハガーは複数?
冷凍室内には卵が一つしかなかったようだが、フェイスハガーはリプリーに取り付いたものと牛に取り付いた2匹?いた。1度取り付いたら死ぬのでは?
○何故リプリーはエイリアン・クイーンが体内にいるのに気付かなかったのか?
リプリーは体調不良を感じて体内をスキャンして初めて知る。リプリーを襲おうとしたゼノモーフは既にリプリーの体内にエイリアン・クイーンがいることに気付いて襲うのを止める。どうして判った?リプリーの体調不良の時間が長い。第1作のJハートは食事をしてすぐにチェストバスターに食い破られる。
前作までを観ているファンには、これらの事は納得出来ないのではないか。ちゃんとした説明か、判るようなカットが必要だった。
ウエイランド・湯谷社の表記で、初めて映画内で漢字表記が登場する。リプリーが脱出艇のフライトレコーダーを取り出すシーンでカバーを外すと中に「ウエイランド・湯谷」の表記が読み取れる。また、リプリーが司令室内に入った時に壁に貼ってある紙に「ウエイランド・湯谷株式会社」と印刷されている。本作では、惑星内の壁に「鉄」とか「超高温危険」という漢字が書かれている。
ノストロモ号の船内にあった青いドリンキングバードは、本作では所長室のテーブルの上に置かれている。暗い画面の中で青い色がアクセントになっている(ロムルスにも登場する)。暗いのは画面だけでなく、シラミがわくという理由でリプリーまでも坊主頭にされ、囚人を初めとする出演者は全て坊主刈りで宗教的な雰囲気も暗い。
そして、ラストシーン。前年公開の「T2」のラストを真似たとしか思えないが、自分の身に宿ったエイリアンを葬るためにリプリーは自ら溶鉱炉に我が身を落とす。公開版ではその瞬間にリプリーの腹を食い破って出ようとするチェストバスターを押さえ込むが、完全版ではその表現は無く、まるで十字架のように両腕を開いたままリプリーは溶鉱炉に消える。
「エイリアン4」に登場するのはリプリーのクローンであり、エレン・リプリーは以後2度と登場しないのだ(「ロムルス」の後に登場の可能性は残されている)。
エレン・リプリーとエイリアンの戦いは終わった。
「エイリアン」 (1979) 公開版117分 ディレクターズ・カット版116分
「エイリアン2」 (1986) 公開版138分 完全版155分
「エイリアン3」 (1992) 公開版115分 完全版145分
「エイリアン ロムルス」の後、完全版等を含めエイリアンを6本、13時間以上観た事になる。もう、疲れたからいいや。「エイリアン4」以降は、またいつかね。
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