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今年1年アニメ映画に挑戦するという抱負を掲げた以上、できるだけ早いうちに、人気のある作品から体験しようと。あくまでスタンスは、テレビシリーズを知らない、映画単体でどうやって楽しむか。ただしこの後の話の「化物語」はざっと観たことはある。そのうえで。
「傷物語I 鉄血篇」
1月9日TOHOシネマズ川崎。
満員である。意外と(?)老若男女な観客構成。うむ、うむ、これならついていける、と確信(せっかち)
上映開始。なんじゃこりゃ~
ええと、人気シリーズの「初劇場版」で「前日譚」の「3部作」んの「エピソード1」ですよね?ファンの人は超期待してますよね?
えっと、ファンの人、これ、大丈夫なんでしょうか?
いや、「ファンだから」、「ファンだけど」、というのは当然あるだろうし、それは「フォースの覚醒」でも散見する意見だから、現象としては理解できるんだけど、
「【これ】で次が見たくなる」
って、そういうもんなんでしょうか?という「はてな」がずっとオレの頭の中ぐるぐるぐるぐる。
そういう客層がターゲットの一部というもあるんでしょう、いきなりの羽川さんのパンツも、やり過ぎなバストも、いきなりのギャグ顔(っていうの?)も作風、ということでまあ、オレだけが気にしなければ、それでいいんだけど。
音楽がずっと鳴っているも、まあ、吐き気はするんだけど、仏像とか、刀のコラージュ、日の丸とか、別にわざわざそういう表現しなくても、と思いそうなオープニングでもまあ、初めてだし、それはいいんだけども。
それよりも、「映画」として観た場合、なにより一番気になったのは、以後、ずっと眷属としての関係になる、あるいは、暦くんの本能的性質が露わになるところの、「極めて重要な」あの出会いとその行為。
あの程度の描写でいいの?
なんとも無味な。なんとも味気ないこと。恐怖も、悪魔的魅力も、エロスも、そして神々しさも何も感じられない。
「3部作」ゆえ、また「固定客」の存在があるゆえ、できる技っていうのはあるだろう。そのうえでの「その味気無さ」の意味というのは、以後の続編で確認するしかないのだろうか。
アニメ映画って、ムズイなあ。まいったなあ。
追記
人物などは「『血』の通った」赤がかった色合い、というのは観ててなかなか新鮮だったが、CG多投の違和感緩和とも取れなくはない。その辺の技もちょっとずつ理解していくことにしよう。しかし、あそこまで背景にこだわる必要のある作品なんだろうか。何か違うような気もするが。
追記2
もいっこ苦言。
「鉄血」にして「熱血」にして「冷血」、な吸血鬼、とのことだが、それを3部作のタイトルにする意味が、少なくとも1部では感じられない。単にいつも使っている単語だし、響きがいいから、というだけで、というんならいいんだけど、タイトルにかませるんなら、鉄血ぽいのが中身に欲しいよ。(「熱血」「冷血」は中身に反映されそうだけど)
追記3
もちろん「オレ」のために作られた作品ではないので、視点はあくまで「観客目線」で話してきたわけだが、某批評家気取りの業界批判はさすがに恥ずかしくて気持ち悪くて見ていられない。