「昭和の文化以上に描かれていた登場人物たちの成長力」ALWAYS 三丁目の夕日’64 全竜さんの映画レビュー(感想・評価)
昭和の文化以上に描かれていた登場人物たちの成長力
如何なる傑作でも、量産化されると、クオリティの劣化が顕著になるのは、サブカルの哀しい運命だが、今作も無縁ではない。
今作の致命傷は、とにかく物語の浅さに尽きる。
龍之介(吉岡秀隆)と淳之介(須賀健太)との物書きとしての確執にしろ、
ロクちゃん(堀北真希)の恋人・青年医師(森山未來)の正体にしろ、直ぐにオチが解ってしまうのはイタい。
そもそも一軒家にベストセラー作家2人住んでるなら、もっと生活は楽になってるはずではなかろうか?
そして、いくら善意でも、医師が勝手に薬持ち出したらアカンやろ。
昭和ノスタルジィに浸ってる場合ではない。
第一、3Dにする必要性すらない。
メガネを使用したのは、オープニングの東京タワーと東京五輪の日の青空のみ。
あとは、妊婦役の小雪のお腹ぐらいである。
正味、1分もありゃしないメガネのために、¥300払わされるのは、商売として卑劣極まりない。
監督自身、一端に罪悪感を感じたのか、大暴れシーンでの怒り狂った鈴木オート(堤真一)の顔面に3Dパワーを注入。
しかし、ハリキリ過ぎたのか、昭和の雰囲気ブチ壊して、更に冷めた。
東宝がらみで、サンダとかガイラみたいな顔にすれば、違和感は軽減してたのかもしれない。
のべつ文句ばっかし並べているが、ロクちゃんの結婚式&茶川親子の決別シーンでホロッと泣いてしまった。
それは、昭和の文化や経済etc.の背景以上に登場人物たちの成長期が力強く描かれていたからであろう。
ああ…見えない指輪から6年も経っちまったのかぁ…
と、感慨深くそれぞれの家族の旅立ちを見届けた達成感が涙を導き出していると思う。
安田抗争とか浅間山荘、公害etc.で日本の成長に限界を突きつけられた昭和40年代では、絶対不可能な透明度とも云える。
まあ、懐かしがってりゃ、それでイイってワケじゃないけどねぇ…。
結局、突き放したところで、最後に短歌を一首
『空高く 新しい輪を 待ちわびて 昭和陽和に 描く旅立ち』
by全竜