マイウェイ 12,000キロの真実のレビュー・感想・評価
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レビューを記述した…(本文に続く…)
(タイトルからの続きです…)ウォッチャ(Watcha)が日本での利用は可能も…でしたので…映画コム内で思い出し乍(ながら)記述致します…。 では‥確か当時の大日本帝国では、五民融和(?or宥和)が国策彳吒辣(だったので)?…公開前年に起きた東日本大震災への関連で、事務所との契約を解除(派遣上では?…登録抹消=解雇)された人が台詞で述べた暴言(単語は、控えさせていただきます)…実際に穿いた(吐いた)ら?…統率者ならば、役職免除(=降格)で、主任彶(だった)場合には?…急先鋒の(事務=護衛&、創氏改名者からも命じられる…)雑務係に降格される焉捻(からね)?…。 やはり監督の‥昔聴いた?…演っちゃ活け無い阼(やっちゃいけないよ)の教育が?…映画のセリフ(脚本)にも、現れた焉曌辣(のでしょうね)?…。
主人公はオダギリジョー
映画は主人公の「成長」を描くもの。 作中の時間軸が年単位でも1日でも同じ。 で本作。 主人公はチャンドンゴンとオダギリジョーの二人だが、ドンゴンは最初から最後まで一貫して「イイ奴」 一方、オダギリジョーは「成長」する。
どこまでが実話なのか気になる
こんなことが現実に起こっていたのだろうかと思ってしまう。それくらいこの作品の内容は特殊であり、自分がこれまで見聞きした第二次世界大戦時の話とは全く別のものであった。 冒頭、この作品は実話をもとに…とテロップが入る。自分の経験からするとこのような作品の場合、少なくとも半分くらいは実話に沿って描かれていることが多いように思うが、この作品を見終わった後はその予測が外れているのではないかという疑念の方が大きかった。 しかしながら、この作品にはそのような疑念で頭の中を支配されてしまうくらい魅力的で、引き込ませる何かがあった。新しい発見に感謝します。
だから実話ベースは…
この作品は、事前に何も知らずに観た方が面白い。
第二次大戦前の朝鮮。シベリア抑留、フランス・ノルマンディーと、よくまあ生きてたね、という話。この長距離移動の様に、尺自体も長い。各地のロケや、そこでのセット、戦車や戦闘機など戦争の再現と、すごい大作だと思うが感動ドラマというよりドキュメンタリーに近い。実話ベースだからそうなるよな。
これだけの大作は流石「シュリ」の監督。メインキャストの2人以外、夏八木勲や佐野史郎は分かるが、他が無名な役者が多いのは予算の所為かな。
違和感があったのは、オダギリの異常な愛国心。逆によく演じたと思う。今や議員先生の山本太郎も、この役だけ観たら右寄りの人かと思ってしまう。こーゆー役は演じるのに勇気がある人か、何にも考えていない人。
先入観なく、見て欲しい
この映画を表向きな簡単な言葉で綴るとすれば「オダギリジョーとチャンドンゴン主演の韓国戦争映画」といった感じで、私も軽い気持ちで観始めた。 私は映画評論家でもなんでも無いし、趣味映画鑑賞という程でもないので、一人の普通の人としてこの映画を観て感じたということで書かせて頂きます。 沢山の人に観て欲しいから。 観てみたらなかなか凄い映画だった。 ”長谷川辰雄”という日本軍、ソ連軍、ドイツ軍三ヶ国の軍服を次々に着替えることになった第二次世界大戦中に実在した人物を、オダギリジョーが演じて、その使用人の息子だったキム・ジュンシクという朝鮮人の役をチャンドンゴンが演じている。 観てもらえば分かるけど、朝鮮人に対してこれでもかというほど日本人が酷い。 こんなにかというほど戦争が酷い。 戦争に巻き込まれた人達の運命の残酷さが凄い。 生きているということに、人種も国も関係ない。 ただ、消せない歴史がある。 その上で、韓国の監督さんが、この映画を作ったということ、 あのエンディングにしたこと、それが一番感動的なこと。 それから、日本にオダギリジョー以外にこの役を引き受けられた俳優がいるだとうか、ということ。 絶対にいない。 日本ではなぜかオダギリジョーの評価が低過ぎる。 他にも過去にもいいお芝居の作品は沢山あるけど、とりあえずこの映画を観てから言って欲しい。 あとこの映画のもう一つ凄い点が、チャンドンゴンとオダギリジョーの台詞のほぼ全てが日本語だということ。 韓国の人気スター俳優のチャンドンゴンが、韓国映画上で、ほぼ日本語の台詞を話すという点。 これは、韓国人である監督さんが、日本人に観て欲しいからそうしたんだと思う。 嫌味だと思う人もいるかもしれない。だけど、それが真実なんだと思うし、その上で何を伝えたいかという真意を汲み取って欲しい。 爆撃シーンや戦場の場面も、やりすぎでは、お金かけすぎでは、と思うほど凄い。でも、そこまでしたいんだ、そうじゃないと伝わらないんだ、という必死の熱意がわかる。撮影中に人が死ぬんでは、、と思うくらい、ほんと。 私は元々戦争映画が好きじゃない。 人が沢山死ぬし、血が流れるし、とにかく辛いことが多すぎるから、、 だけど、観ないといけないのかなと初めて思った。 だから、とりあえず、沢山の日本人に観て欲しい映画だなと思った。
戦争映画は描き方と配慮が難しい
「シュリ」「ブラザーフッド」のカン・ジェギュ監督が放つ戦争映画超大作。 韓国映画史上最大の制作費を投じた戦場シーンは評判に恥じぬ大迫力で、「プライベート・ライアン」にも負けない。これだけでも劇場で見たかったと思ってしまい、同じアジアなのに日本人として悔しい。日本映画よ、もっと頑張れ。 ストーリーは… 日本軍将校を祖父に持つ日本人青年と、その使用人の息子である朝鮮人青年。2人はマラソン選手を目指すライバルであったが、ある不幸が起こり、決別する。 戦争が勃発し、2人は戦場で再会。幾度も捕虜になりながら、12000キロの戦場を生き延びる。 同じ夢を持ちながらも、戦争に翻弄され続けた国の違う2人の青年の運命をドラマチックに綴る。 一応実話らしいが、何処までがフィクションでノンフィクションなのか曖昧だ。 カン・ジェギュ監督がケレン味たっぷりの演出と怒涛の展開でグイグイ見せ、見応えある巨編に仕上がっているが、どうしても気になってしまう点が。 まあ日本人の描写が酷い。 オダギリジョー演じる日本人青年の祖父が殺された時朝鮮人のせいだと罵ったり、マラソン大会で優勝者を捏造したり、朝鮮人兵士に冷徹な仕打ちをしたり…。山本太郎演じる軍人なんて、コイツ人間か!?と思うくらい酷い。 反対に、チャン・ドンゴン演じる朝鮮人青年は脱走したのにも関わらずソ連軍の奇襲を知らせに戻ったり、中国人女スナイパーを助けたりとヒロイック。ソ連軍の犬に成り下がった朝鮮人兵士も居たけど。 後、朝鮮人の描写は自然体だけど日本人の描写はぎこちない…って言うのは監督の演出の問題だが。 時代背景や当時の日本軍の悪行は充分承知しているし、全てを狂わせた戦争の愚かさと残酷さも分かる。リアルさを追求するのはイイが、そこまで劣悪に描く必要あったのかな? この映画って戦争に翻弄された2人の若者の話のハズ。勿論2人が徐々に和解し合うドラマもちゃんと描かれているが、何だかこじつけにも思えてしまった。 戦争映画ってホント、描き方と配慮が難しい。
度量の大きさを問う作品。
タイトルに「真実」と書かれているため、今作の総てが実話だと
勘違いしてしまう人もいる気がするが、ほとんどがフィクション。
ノルマンディー上陸作戦で捕らえられたドイツ兵の中に東洋人が
存在し(チラシに写真あり)、その兵士が日本、ソ連、ドイツの
軍服を着て戦い抜き、ノルマンディーまで辿り着いたと証言した。
その記録に着想を得た監督が描きだす壮大な戦争スペクタクル。
特にノルマンディー上陸作戦の映像はアジア映画?と思うほどの
スケール感で描かれているので一見の価値アリ。
韓国映画ということから当時の戦争ならば明らかに反日思想が
根強く描かれており(これは当然だろうが)主演のJ・ドンゴン以外
皆が悪人に感じられる。オダジョー、山本太郎は、よくぞこの役を
引き受けた、勢いのあるキレっぷりで見事に期待に応えている。
もともと日本のお坊っちゃまと朝鮮の使用人が仲よしこよしなんて
あり得ないだろうと思っていたので、さすがに冒頭から胸が痛んだ。
「走る」ことが生き甲斐で、得意だった二人が、オリンピック出場を
果たせずしてどんどん戦争の波にのまれていく過程があまりに辛い。
そういえばここでも真実が少し描かれていた。
ベルリンオリンピックで、初めてアジアのマラソン選手が金メダルを
獲得したが、彼は日本統治時代の朝鮮半島出身ソン・ギジョン選手、
表彰台で「君が代」を聴かされ、涙を流して抗議した逸話を持っている。
のちにマラソン発展と日韓友好の懸け橋に尽力した彼だが、この時の
ことは一生忘れなかっただろう。
オリンピックはスポーツの祭典というが国家権力の行使にも使われる。
さて冒頭から嫌な奴を演じたオダジョー(子供の頃から憎々しい)だが、
細々しい身体でかなりの貫録を醸している^^;
ドンゴンが筋骨隆々な肉体なのに、走るのが早いのか?と思う一方で
何処ででも真摯に走る姿には感動できる。
二人の熱演に脇も身震いするほど凄味のある演技を見せているが、
シベリアのシーンでは私も凍傷になるんじゃないかと思えるほどだった。
しかしドラマ部分はかなり韓国映画。在り来たりの演出が多く、長い。
ラストシーンが冒頭のシーンと重なり、あぁこれは…と思うところで
感動するのだが、ここで日韓の友好を繋げた勇気が監督の大きさか。
今さら過去を嘆いてもこれからの未来は見えてこない。
最近の韓流ブームを見ていると(言い方が悪くて申し訳ないですが^^;)
実に明るく友好的に日本に復讐しているような気がしてならない私。
ここまで日本人を虜にし、歌にドラマに活躍、稼いで稼いで稼ぎまくる。
今や韓流なくしてエンタメは語れず、ここまで愛を持って踏み込んでくる
韓国のアーティスト達を温かく歓迎する日本人の度量を示すなら、今。
タレントが文句言って、干されてる場合じゃないぞ(爆)
ドンゴンの演じたキム・ジュンシクの精神は、そこなんだろうと思った。
(恨み辛みは計り知れないが、人生の歓びはもっと計り知れないもの)
これって戦争物なのか?
最初の15分ぐらいは、韓国映画にしては画期的なぐらいフェアに日本統治(占領ではない)を描いており、「真実」を語るだけはあるなと思ったが、それ以降は「真実」を探すことの方が難しい💦。
別に映画だから良いのだが、この映画のテーマのひとつは、必ずなんとしても生きて故郷に帰る事で、これはこれでいいのだが、故郷を守るために私を脱して公に殉じ、命を懸ける事は全否定してるんだよね。話の筋として成立しないでしょ💦。
最後もドイツ人やオーストラリア人から見たら、ブラックジョークじゃないかなぁ💦。ちなみにオーストラリアは、強国の仲間入り出来るとの思いもあり、ナチスに併合される事を選んだ側面があり、そのため、ナチスの罪から自らも逃げなかったが、同じ動機で日本に併合される事を選んだ朝鮮は、被害者面で、自ら国を守る事もしないんだから。
自分の国がなきゃマラソンやら、国に帰るやら有り得ない。戦争は天災ではないのだ。
この映画は、戦争映画ではない。
戦闘シーンの迫力で+0.5。韓国俳優にしては「演技してまっせ」的な下手な演技じゃなかったチャン・ドンゴンの演技に+0.5で、星2。
人間の悲しい性と、それを乗り越える力
前半は日本人の描写に嫌悪感を覚えるが、朝鮮を占領下に置いた時代、実際あんなものだったのだろうという想像はつく。もっと酷かったかも知れない。それでも、見ていて気持ちのいいものではない。 とくに日本兵の野田が酷い。よりによって山本太郎だ。そもそもこの役者、生理的に受け入れ難い。 この作品が、日本国と日本人を一方的に非難した映画かというと、そうではない。極寒のソ連で重労働に明け暮れる絶望の日々、同じ捕虜になりながら、日本人と朝鮮人の形勢が逆転する。朝鮮人もまた、暴力によって日本人を従わせようとするのだ。ここでは、人間が奥底に持つ不変の悲しい性が感じられて悲しい。 それでも、敵意を持っていた辰雄とジュンシクの間に少しずつ互いを理解しようとする気持ちが芽生え、薄ぼんやりとだが小さな光が見えてきたのには、人間の前向きな発展性が感じられて嬉しい。 この二人を極限状態まで追い込む戦闘シーンは、結構、迫力がある。「プライベート・ライアン」や「硫黄島からの手紙」ほどの痛さはないが、カメラワークが多彩で臨場感がある。VFXもなかなかのデキだ。ノモンハン、ジュコーフスキー、ノルマンディーの3つの戦闘シーンは、どれもよくできているが、中でもノルマンディーの爆撃シーンは迫力がある。 ファン・ビンビン演じる美人スナイパーの登場はご愛嬌だが、日本人と朝鮮人の友情ドラマと戦争スペクタクルのミキシングも丁寧だ。 辰雄たちがソ連での極寒のなか重労働に耐える姿に、終戦したにも関わらずシベリヤに抑留された日本の人々が重なり、その苦労や無念さがどれほどのものだったかと思うと辛くなる。終戦で帰国の期待を満載して東に進んでいた列車が、突如、西に向かい始めたという。民間人も含む100万人あまりが強制労働に就かされ、30万人以上が亡くなった。 ノルマンディーで、はるか遠くの祖国に繋がる海の彼方を見つめる辰雄が印象的だった。
すごい反日映画かと思っていたけど、・・・。
反日映画ではないとは、言いきれないと思う。
作品中、日本人蔑視の言葉が数多く言われる。
≪日本人ヤロウ≫
≪ザマアミロ!≫
日本人が言う韓国人蔑視の言葉もあった。
また、ロシア人が、日本を蔑視する言葉もあった。
戦争中って、相手国に負けないためにか、また、自分を奮い立たせるためにか、
そんな言葉を使って優位に立とうとしていたのかなと・・・。
戦争って、そういうことなのか・・・と思った。
勝った者が、負けた者を軽蔑する。
それが、その時代、普通だったのではないか・・・なんて。
作品中、戦いが進むにつれ、勝ち組が変わる。
その度に、優位者が、日本人⇒ロシア人⇒ドイツ人⇒連合軍と変わっていく。
どの国の人間も、戦争の中では、人格が変わってしまうんだなと思った。
第二次世界大戦が終わり、≪平和が大切、戦争はダメ≫と言われだしてから、まだ100年も経っていないのだ。
それまでの何百年も何千年も、そうして戦ってきたのだから。
そんなことを、感じた。
この作品のストーリーは、事実に基づいていない。
時代考証もいい加減のようだし、当時の日本のことも、おかしいじゃんと思うところも多々あった。
でも、こんな友情があっても良いのではないか・・・と、そんなふうに思った。
ただ、辰雄の祖父が、なぜ、自分一人で爆弾を抱え込んだのか。
朝鮮人がしたのだと思ったならば、箱を使用人に投げれば良かったのだ。
それを、辰雄に「朝鮮人憎し」の感情だけにするのは、祖父の心知らずで、もったいない気がした。
日本も償いをしているのだから、いつまでも日本人を憎むのをやめて、新しい時代に向かって欲しいな。
その希望を、死なせるな
韓国映画は大好きで、頻繁にDVDを借りたり、ネットでチェックしたりしています。だから、この映画の存在は1年以上前から知っていました。
中でも特に好きな作品は「ブラザーフッド」で、その監督の新作ということもあり、結果、期待を超える内容でとても感動しました。5.0でも足りないくらいです。
「ブラザーフッド」よりも割増でハードな印象で、観る側も体力が要ります。しかし、表面的なアクションだけにとらわれず、主人公の辰雄とジュンシク、それぞれの心情を読み解ければ、きっと見方も変わります。
互いに高め合うライバルとして出会った辰雄とジュンシク。しかし、ある事件から決別します。
マラソン選手の夢を捨て、国を守るべく戦争に魂を込める辰雄。どんな状況でも希望を失わず、走り続けるジュンシク。
再会した2人のかつてのライバル心は憎悪に、殺しても殺し足りない程の激情を抱く。殺し合う寸前、それでもジュンシクが辰雄を殺すことを踏みとどまったのは何故か?
最後まで明言はしていませんが、きっと、ジュンシクにとって辰雄は、初めて対等に競争できる相手で、希望を持つきっかけだったからだと思います。辰雄を殺せば、自分の希望も同時に死に絶えていたと思います。
やがて、辰雄の心境が変化しますが、再び運命に引き裂かれて長い時を経ます。それは、憎しみが恋しさに変わるには充分な時間かもしれません。
そして、この先は……、悲しい友情の結末があります。最初の最初、ネタばらしのようなシーンがありますが、ラストで良い意味で裏切られます。本気で泣きました。
本作で、戦争による人格の変化を最も象徴しているのは、ジュンシクの仲間のジョンデだったと思います。心優しかった兵士が、名前を捨て、魂を売り、保身のために仲間も売る。日本人と立場が逆転すると、これまでの恨みを晴らすように、冷酷非情に虐げる。それでも、死に際でかつてのジョンデに戻る姿はとても悲しかったです。
PG12指定(やや有害物)を受けたのは複雑な気持ちです。確かに、この映画の大部分が戦闘シーンか殴り合いで、暴力描写が随所に見られます。しかし、個人の意見として、戦争映画はどんな世代にも観てほしいと思います。
我々の先祖が国のためという大義のもと、如何に残虐な行為に及んだか。ほとばしる鮮血、肉体を打ち据える音、すべて目を背けずに知ってほしいです。
戦争をして無傷の人はいません。
駆け足ドラマの真骨頂!
都合良く展開される長谷川辰雄とキム・ジュンシクの友情は, やや,いやかなり大味だが, 「ブラザーフッド」のバージョンアップであり, 戦争アクションをプラスした「炎のランナー」といった今作は, 抜群の臨場感で描かれるリアルな戦闘場面が味を形成。 後味から, ただ生き残るだけで精一杯にならざるを得ない戦争の真実を浮かび上がらせ, 悲しい運命に翻弄された二人の姿に涙を流させる。 韓国映画スゴい。
獲りに行ったら「大失敗」だね
本作は、先行封切りされた韓国で大コケ状態なんだとか。 本来悪役であるオダギリ演じる日本人将校の描写にも結構重きが置かれ、日本人および、日本市場への配慮で悪者になってないのが原因? まさか…。成熟してきた韓国映画ファンもそこまでバカではあるまい。 ノルマンディー大作戦にかり出された日本人と朝鮮人がいた…という史実を映画化した着眼点はそれだけで興味深い。 思い切って韓国人の視点だけで描けばよかったのだ。下手に日本人および、日本市場に配慮しているからアブハチ取らずに終わったという感。 そもそも、オダギリが頭を丸刈りにもせずに軍人を演じているのが大いに不満。 思い切ってスキンヘッドくらいになれっつーんだよ! せっかく美人のファン・ビンビンを起用してるんだし、もっときわどいシーンもほしかったなあ。 日本兵に拷問されてヒイヒイいうとか…。 戦闘シーンがすごいっていうことだけど、まあそれは確かにね。 がんばってはいると思います。 今の日本映画でこれだけ戦車を走らせ、爆薬どんどん! なんてできないでしょう。 でも、それだけ。 うん、分かった。 この作品の中途半端さは、やはりオダギリの長髪に原因がある。 そういうことです。
ボーイズラブ?
太平洋戦争時代の、足の速い2人の青年(日本人と韓国人) のお話です☆= 個人的には、 「ボーイズラブ要素に満ちみちた 戦争アクション映画」 として 見ました。(笑) わかる方には、わかる・・・!(笑) 韓国人監督の作品ということで、 日本人につらいシーンもなくはないのだけれど、 エネルギッシュに、ストーリーは機関車のごとく進みます。 ベースとしては、戦争とマラソンです。 オダギリさんは、まさに「マイウェイ」っていう感じの演技で、 スタイリッシュな仕上がりがステキでした♪ 出てくる割合としては、男性9:女性1、という作品なのですが、 男性の方も満足されているようでした。 実話がベースということですが、悲痛な現実を残しつつも、 かなりドラマ仕立てになっているので、 長くても 飽きずに見られるかと思いますvv m--m
圧倒的なスケールと登場人物の過酷な環境をモノとしない熱演で、力技で説き伏せられてしまいました。
まず冒頭で1948年のロンドンオリンピックマラソンで、ひとりの韓国人名選手がトップに躍り出るシーンが登場します。その背中のゼッケンには、はっきりと「キム・ジュンシク」という名前が刻まれて、アップの後パンします。 全編のほとんどが戦争シーンの本作にあって、実はこの冒頭のシーンがキモとなって、ラストの大切な伏線となっています。「キム・ジュンシク」というこのランナーの正体が分かるとき、国境も民族も超越した大きな感動に包まれることでしょう。 戦時中、日本とソ連とドイツの軍服を着て戦った日韓ふたりの男の物語。鑑賞前にはにわかには信じがたいなと思っておりました。しかし、圧倒的なスケールと登場人物の過酷な環境をモノとしない熱演で、力技で説き伏せられてしまいました。 戦闘シーンでは、ハリウッド映画にも優る大迫力。人と物を大量動員した戦闘場面の迫力は、日本映画にはできない芸当でしょう。奥の奥まで、どこを切っても手抜きがなく戦闘シーンがパノラマ状に描かれているのには、脱帽しました。 そういう戦争物は、人間ドラマでは希薄になりがちです。でも本作では幼い時から反目し合っていた日韓の主人公ふたりが、共に運命に翻弄されるなかで、熱い友情をかわまでの感情のぶつかり合いをストレートに語られていきます。 その激しさは、やはり本籍韓国映画ならではのストレートさなんですね。 日本統治下の朝鮮。京城(現ソウル)に移住してきた長谷川辰雄(オダギリジョー)と使用人の息子キム・ジュンシク(チャン・ドンゴン)はマラソンのライバルとして、青春時代を過ごします。しかしその関係は、辰雄の祖父の暗殺をきっかけとして険悪なものに変わっていきました。辰雄はジュンシクの父親が、暗殺に関与したものとして朝鮮人そのものを恨みに思い、 一方、ジュンシクもまた、長谷川家を追い出されるばかりか、父親が日本軍によって自白を強要さられるための暴力を受けた結果、下半身不随になったことを恨みに思っていました。 そんな二人が決定的な対立を迎えるのが、東京オリンピックへの京城選考マラソン大会です。優勝したのはジュンシクでした。しかし、日本軍の軍部の圧力で、ジュンシクは反則負けにさせられてしまいます。 さらに、このとき怒った民衆と共に抗議したジュンシクも捕らえられて、懲罰的に強制徴用され、最前線に送られます。 一方祖父を殺された恨みに加えて、マラソンでも敗北した恥辱から、辰雄は医師となる道を捨て、祖父と同じ軍人を志願。狂信的な軍国主義者となっていきます。 ここで気になるのは、日本軍が韓国からどう見られているかということ。ご多分にもれずマラソンの勝者を強引に変えてしまうなど小狡くて、高圧的に描かれています。ところが、これは序盤までのこと。カン・ジェギュ監督の視点は、韓国にありがちな日本軍悪人説を採らず、その後登場するソ連軍やドイツ軍にも同じような非人道的振る舞いを描くのです。それは日本人だから悪人だというのでなくて、戦争が国境を越え、人種も越えて、等しく人間を狂わせるのだという監督のメッセージに好感を持てました。 但し、大東和共和圏を目指した日本は、韓国や台湾の人たちにも、等しく高度な教育を提供し、スポーツも振興。オリンピックへの出場も奨励したのでした。 また武士道精神から、卑怯な真似をしてまで優勝しようとは思わないのが当時の日本人の美徳です。小細工してまで勝とうとする発想は、非日本人な考え方ではないでしょうか。マラソンシーンは、日本人として、ちょっと心外に思えたのです。 ふたりが偶然再会するのは、ノモンハンの戦場。ソ連軍と戦っていたジュンシクら朝鮮人を含む守備隊の隊長として、辰雄が赴任してきます。辰雄はジュンシクら韓国人を陰湿にしごき抜き、最後はジュンシクらに特攻攻撃を命じてしまいます。 ところがソ連軍の奇襲で、二人とも捕虜となって、ジュンシクは生きながらえることに。ソ連の収容所生活では、朝鮮人と元日本軍兵士の関係が逆転してしまうのが何とも皮肉でした。その後2人は独ソ戦に志願するものの、祖国への一縷の帰還の希望を賭けて、ドイツ側に逃亡します。シベリアの収容所での極寒のシーンもきつそうでしたが、ドイツに向けた雪山越えのシーンも見るからに難行苦行の世界でした。流石のオダギリも根を上げたという極限の撮影。良くもまぁここまで根性入れて撮るものだなぁと感動しました。 転戦する間に、辰雄とジュンシクを隔てていた民族や身分の違いは、ほとんど意味のないものになっていきます。民族や国境、あるいは戦争によって分断された人間のドラマを描くのは、「シュリ」「ブラザーフッド」のカン・ジェギュ監督が得意とするところ。ドラマのうねりと共に、すさまじいまでの生への渇望が活写されていました。 ドイツ側に逃亡できたものの、個別にドイツ軍に捉えられたふたりは音信不通になります。その間辛酸を舐め合ってきた辰雄とジュンシクの間には、固い友情が生まれていたのです。ドイツ軍人としてノルマンディー要塞に赴任した辰雄は、必死でジュンシクの行方を捜しますが、音信不明でした。 ある朝、浜辺を見ているとひとりの東洋人がマラソン練習をしているのを見て、辰雄は絶句します。ジュンシクでした。この再開の演出は、二人の絆の深さを感じさせてくれて良かったです。 圧巻は、ノルマンディー上陸作戦の戦争パノラマ。大量のエキストラと大掛かりなセットで再現した同シーンは、上空の戦闘機から俯瞰しても破綻がありません。欧米諸国が多数描いてきた同シーンのなかでも臨場感において本作が抜きんでていると思います。 そして最後は、ふたりが共に抱いてきたマラソンへの思いが一つに結ばれるのです。ジュンシクのとった最後の決断にはきっと涙を誘われることでしょう。 映画は再び、冒頭のロンドンオリンピックマラソン大会のゴールで終わります。果たしてジュンシクの宿願だった金メダルが取れたかどうか、意外なドンデン返しつきのラストシーを劇場で見届けてください。 極限状況に置かれた俳優がどんな鬼気迫る演技を見せるのか。ダブル主演のオダギリとチャン、さらに脇役の山本太郎、キム・イングォンらがたっぷりと見せてくれました。だから小地蔵のお勧めの見どころは、戦争スペクトラム場面だけではありません。演技を超えた生への執着を顕わにする出演陣の演技に注目して欲しいのです。 特にオダギリが演じる辰雄の瞳にご注目あれ! 戦場に駆り出される前のそれは純粋でした。それが日本の軍服を着て、ジュンシュクの前に現れるや、その瞳には冷酷さと威厳と蔑みが混じったものに一変していたのです。 しかし彼も時代に翻弄され、生き延びるためだけに転戦して戦わねばならなくなります。そのときオダギリがみせる、抵抗する力を失った野良犬のような瞳。それはまるで運命という過酷な飼い主につき従うしかなくなったような諦めのこもった瞳だったのです。 ここまで変わらざるを得ない彼の瞳には、戦地で飛び交う弾劾よりも激しく、痛く、見る者の心に突き刺ささる説得力がありました。冒頭ではあえてオダギリの瞳を映さないところがこころ憎い演出ですね。
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