劇場公開日 2012年1月14日

  • 予告編を見る

「圧倒的なスケールと登場人物の過酷な環境をモノとしない熱演で、力技で説き伏せられてしまいました。」マイウェイ 12,000キロの真実 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0圧倒的なスケールと登場人物の過酷な環境をモノとしない熱演で、力技で説き伏せられてしまいました。

2012年1月15日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 まず冒頭で1948年のロンドンオリンピックマラソンで、ひとりの韓国人名選手がトップに躍り出るシーンが登場します。その背中のゼッケンには、はっきりと「キム・ジュンシク」という名前が刻まれて、アップの後パンします。

 全編のほとんどが戦争シーンの本作にあって、実はこの冒頭のシーンがキモとなって、ラストの大切な伏線となっています。「キム・ジュンシク」というこのランナーの正体が分かるとき、国境も民族も超越した大きな感動に包まれることでしょう。

 戦時中、日本とソ連とドイツの軍服を着て戦った日韓ふたりの男の物語。鑑賞前にはにわかには信じがたいなと思っておりました。しかし、圧倒的なスケールと登場人物の過酷な環境をモノとしない熱演で、力技で説き伏せられてしまいました。
 戦闘シーンでは、ハリウッド映画にも優る大迫力。人と物を大量動員した戦闘場面の迫力は、日本映画にはできない芸当でしょう。奥の奥まで、どこを切っても手抜きがなく戦闘シーンがパノラマ状に描かれているのには、脱帽しました。
 そういう戦争物は、人間ドラマでは希薄になりがちです。でも本作では幼い時から反目し合っていた日韓の主人公ふたりが、共に運命に翻弄されるなかで、熱い友情をかわまでの感情のぶつかり合いをストレートに語られていきます。
 その激しさは、やはり本籍韓国映画ならではのストレートさなんですね。

 日本統治下の朝鮮。京城(現ソウル)に移住してきた長谷川辰雄(オダギリジョー)と使用人の息子キム・ジュンシク(チャン・ドンゴン)はマラソンのライバルとして、青春時代を過ごします。しかしその関係は、辰雄の祖父の暗殺をきっかけとして険悪なものに変わっていきました。辰雄はジュンシクの父親が、暗殺に関与したものとして朝鮮人そのものを恨みに思い、
 一方、ジュンシクもまた、長谷川家を追い出されるばかりか、父親が日本軍によって自白を強要さられるための暴力を受けた結果、下半身不随になったことを恨みに思っていました。
 そんな二人が決定的な対立を迎えるのが、東京オリンピックへの京城選考マラソン大会です。優勝したのはジュンシクでした。しかし、日本軍の軍部の圧力で、ジュンシクは反則負けにさせられてしまいます。
 さらに、このとき怒った民衆と共に抗議したジュンシクも捕らえられて、懲罰的に強制徴用され、最前線に送られます。

 一方祖父を殺された恨みに加えて、マラソンでも敗北した恥辱から、辰雄は医師となる道を捨て、祖父と同じ軍人を志願。狂信的な軍国主義者となっていきます。

 ここで気になるのは、日本軍が韓国からどう見られているかということ。ご多分にもれずマラソンの勝者を強引に変えてしまうなど小狡くて、高圧的に描かれています。ところが、これは序盤までのこと。カン・ジェギュ監督の視点は、韓国にありがちな日本軍悪人説を採らず、その後登場するソ連軍やドイツ軍にも同じような非人道的振る舞いを描くのです。それは日本人だから悪人だというのでなくて、戦争が国境を越え、人種も越えて、等しく人間を狂わせるのだという監督のメッセージに好感を持てました。
 但し、大東和共和圏を目指した日本は、韓国や台湾の人たちにも、等しく高度な教育を提供し、スポーツも振興。オリンピックへの出場も奨励したのでした。
 また武士道精神から、卑怯な真似をしてまで優勝しようとは思わないのが当時の日本人の美徳です。小細工してまで勝とうとする発想は、非日本人な考え方ではないでしょうか。マラソンシーンは、日本人として、ちょっと心外に思えたのです。

 ふたりが偶然再会するのは、ノモンハンの戦場。ソ連軍と戦っていたジュンシクら朝鮮人を含む守備隊の隊長として、辰雄が赴任してきます。辰雄はジュンシクら韓国人を陰湿にしごき抜き、最後はジュンシクらに特攻攻撃を命じてしまいます。

 ところがソ連軍の奇襲で、二人とも捕虜となって、ジュンシクは生きながらえることに。ソ連の収容所生活では、朝鮮人と元日本軍兵士の関係が逆転してしまうのが何とも皮肉でした。その後2人は独ソ戦に志願するものの、祖国への一縷の帰還の希望を賭けて、ドイツ側に逃亡します。シベリアの収容所での極寒のシーンもきつそうでしたが、ドイツに向けた雪山越えのシーンも見るからに難行苦行の世界でした。流石のオダギリも根を上げたという極限の撮影。良くもまぁここまで根性入れて撮るものだなぁと感動しました。

 転戦する間に、辰雄とジュンシクを隔てていた民族や身分の違いは、ほとんど意味のないものになっていきます。民族や国境、あるいは戦争によって分断された人間のドラマを描くのは、「シュリ」「ブラザーフッド」のカン・ジェギュ監督が得意とするところ。ドラマのうねりと共に、すさまじいまでの生への渇望が活写されていました。

 ドイツ側に逃亡できたものの、個別にドイツ軍に捉えられたふたりは音信不通になります。その間辛酸を舐め合ってきた辰雄とジュンシクの間には、固い友情が生まれていたのです。ドイツ軍人としてノルマンディー要塞に赴任した辰雄は、必死でジュンシクの行方を捜しますが、音信不明でした。
 ある朝、浜辺を見ているとひとりの東洋人がマラソン練習をしているのを見て、辰雄は絶句します。ジュンシクでした。この再開の演出は、二人の絆の深さを感じさせてくれて良かったです。

 圧巻は、ノルマンディー上陸作戦の戦争パノラマ。大量のエキストラと大掛かりなセットで再現した同シーンは、上空の戦闘機から俯瞰しても破綻がありません。欧米諸国が多数描いてきた同シーンのなかでも臨場感において本作が抜きんでていると思います。

 そして最後は、ふたりが共に抱いてきたマラソンへの思いが一つに結ばれるのです。ジュンシクのとった最後の決断にはきっと涙を誘われることでしょう。
 映画は再び、冒頭のロンドンオリンピックマラソン大会のゴールで終わります。果たしてジュンシクの宿願だった金メダルが取れたかどうか、意外なドンデン返しつきのラストシーを劇場で見届けてください。

 極限状況に置かれた俳優がどんな鬼気迫る演技を見せるのか。ダブル主演のオダギリとチャン、さらに脇役の山本太郎、キム・イングォンらがたっぷりと見せてくれました。だから小地蔵のお勧めの見どころは、戦争スペクトラム場面だけではありません。演技を超えた生への執着を顕わにする出演陣の演技に注目して欲しいのです。
 特にオダギリが演じる辰雄の瞳にご注目あれ!
 戦場に駆り出される前のそれは純粋でした。それが日本の軍服を着て、ジュンシュクの前に現れるや、その瞳には冷酷さと威厳と蔑みが混じったものに一変していたのです。
 しかし彼も時代に翻弄され、生き延びるためだけに転戦して戦わねばならなくなります。そのときオダギリがみせる、抵抗する力を失った野良犬のような瞳。それはまるで運命という過酷な飼い主につき従うしかなくなったような諦めのこもった瞳だったのです。
 ここまで変わらざるを得ない彼の瞳には、戦地で飛び交う弾劾よりも激しく、痛く、見る者の心に突き刺ささる説得力がありました。冒頭ではあえてオダギリの瞳を映さないところがこころ憎い演出ですね。

流山の小地蔵