「人間の不器用さと愛おしさが詰まった素晴らしい作品」イリュージョニスト yamayamaさんの映画レビュー(感想・評価)
人間の不器用さと愛おしさが詰まった素晴らしい作品
時代遅れの売れない手品師タチシェフが仕事先の酒場にて孤児の少女と出会いそこから二人のさまざまな人間模様が展開していくお話です。
この映画のみどころは、1959年のパリの細やかな町並みや遠方まで描かれている背景。煙突や汽車、煙草の煙がくゆらせる繊細な映像と人々のちょっとした表情やしぐさなども見逃せない美しいアニメーションです。
そしてこの映画の特徴の1つにセリフが非常に少ないというところがあり、うかうか目が離せないのです。
「手品師」の如く言葉はそれほど要らないというように、言葉の壁があるはずのタチシェフと少女アリスは最後までほぼジェスチャーで過ごしています。
タチシェフが片時も肌身離さずに持ち歩く少女の写真(ラストのシーンで判明)から、かつてのタチシェフの娘と思われます。そしてその娘とアリスが重なって見えるのかタチシェフはアリスに母性(子供を愛しくおもう気持ち)を抱きはじめます。日々の生活に追われる中、アリスの欲しがるものを買い与え、喜ぶところを見るのが自分の喜びになっていきます。
流行りの中心であり発信地、パリ。どこを見ても行き交う人々は裕福でもそうでなくても物欲がつきない世界。アリスもまたその世界に魅了され洋服などをタチシェフにねだるシーンが続きます。人に丁寧で素朴な主人公タチシェフのことをとことん魔法使いだと信じる少女。そして日々の生活とアリスの世話にかかるお金を捻出するべく老体に鞭打ちながら不眠不休で働くタチシェフ。
しばらくそのような状態は続くが季節が変わりやがて少女から女にめざめていゆくアリス。ある日アリスはとある青年に出会い恋に落ち密かにデートを重ねます。(のちにタチシェフが仕事でぐでんぐでんに酔って帰って来た日、少女の寝室がやけに乱れていたのが気になりました。)
青年と少女の交際を知ったタチシェフは衝撃をかくせませんでした。しかしアリスとの生活に引き際を感じ、仕事を辞め、商売道具以上の大切なうさぎを丘に放し、一人汽車に乗ります。「魔法使いはいない」という置き手紙を部屋に残しアリスを置いて旅にでるのです。
旅の途中、タチシェフの向かいに座る幼い少女が鉛筆を落とすシーンがあり、それを拾ったタチシェフが一瞬手品を辞めたことに対する葛藤がわかるシーンがあります。こういう仕草がこの映画には多々あるのです。
人間の一番素直な部分を非常にうまく表現しています。
残されたアリスは悲しみを抱えながら誰もいない部屋の窓に寄り添いたたずみます、しかしアリスには青年(という現実)が部屋の外で待っています。置き手紙と共にタチシェフはアリスの荷造りとお金、そして本と花束をテーブルに置いていました。アリスは本と花束(夢の世界の象徴)は置いて行き現金と荷物を持って部屋をあとにします。電気の消し忘れに気づくところも夢から目覚め、現実的になった彼女が伺えました。(本はのちに風にあおられページがパラパラとめくれます。そしてその影が壁に写り、鳥が羽ばたくようにも見え、花束は見当たりません。)
この映画のタイトルでもある「イリュージョニスト」をタチシェフは最後まで貫いたのでしょう。少女に夢を見せ、自分自身も夢を見た時間を終わらせて自ら消え去る。これが彼の魔法使いは消えたというイリュージョンです。(最後の手品)
そして物語はラストの数分間セリフのないシーンがしばらく続きます。腹話術人形は3フランからfreeになりリサイクルショップのネオンは消えます。華やかなパリの町並みのネオンは徐々に消えていき、最後に一粒のネオンが天に向かってゆらゆらと登っていく場面で映画は終わります。手品をやめたタチシェフに寒い冬は越せなかったようなニュアンスにも見えるし、タチシェフたちの時代が終わったシーンにも見えました。
脇役たちと共に点々と姿をけしていくような寂しさを醸し出しながら映画は終わる。
そして終わったと見せかけてエンドロールの最後に
また例の酔っ払いおじさんが登場し本当のラストを飾ります。
要所要所に登場する酔っぱらいの突然おじさん。いつかは見晴らしのよい丘へタチシェフを案内し、頂上からゴロゴロと笑いながら転がり落ちるなど、おもしろい役割で心を和ませてくれました。最後まで相変わらず酔っていますが飲みすぎて雨の中ずぶ濡れになってロックのダンスを踊っています。落ちぶれても自分の道を貫いています。
時代というシビアな中に時折コミカルさを演出しながら、穏やかなBGMと共に出会いと別れ、老いと若さ、貧富などを見事に組み込み、見ているものの心をガラガラとと変化させる。
そしてタチシェフのスマートな人柄と、途方もない様な深い家族愛を感じた素晴らしいにつきる作品でした。