星を追う子どものレビュー・感想・評価
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すずめの戸締まりを理解する上で重要な作品
新海誠監督の過去作で『すずめの戸締まり』の物語構造に一番近いのは、この作品ではないかと思う。少女が主人公であること、イケメンに出会った旅に出ること、地下世界で死者に会おうとする話であること、「いってきます」というセリフや常世っぽい世界の存在などなど、共通点はたくさんある。世間的には新海誠の作品らしくないと言われるこの作品は、確かに絵柄を変えてみたり試行錯誤でもがきながら作ったものだと思うが、後の新海誠の作品で重要なモチーフ、神話の引用など、が割と登場するので、重要な作品でもある。
ここで重要なのは「死者」という存在をどう認識するかということで、死者は生きている者とどこかで共にあるのだという感覚だ。『すずめの戸締まり』が東日本大震災を題材にしていることから、死者と生者がどう共存するのかを描く必然があったが、その以前からこのテーマに新海監督は挑んでいたのだ。いろいろと注目するポイントを変えてみると、本作も決してただの失敗作ではないことに気が付く。
人生は儚い。
死人の復活物語の終焉
人の心にある「何か」
それは地上人であれアガルタ人であれ、死人でさえも共有しているものなのかもしれない。
死というもの 誰も何もできないこと それを何とかできないかと考えること
これらを古事記 神話、超古代文明をファンタジーでまとめた作品
テーマは「生と死」だろうか?
ギリシャ神話などに描かれている死者との邂逅を表現した作品
この作品にも「君の名は」が散りばめられていた。
ただ、これは恋愛物語ではなく、死に対する喪失感を描いている。
古来からある死に対する想い。
全ての人が経験しなければならないもの。
そして寂しさで胸が張り裂けそうになる想い。
父の死
シュンの死を一切信じないアスナ シンと同一人物だと思っている。
そしてこれは、死人との別れを理解する旅物語
さて、
監督は何故この時代背景を昭和40年代にしたのだろう?
生々しい防空壕の後と先の大戦の遺物
戦地に赴いていた森崎の背景
手製の鉱石ラジオとグラビス
これらがアイテムとして必要だったからだろうか?
寂しさ
アスナが漏らした本音
仕方のないこと でも受け入れられないこと
アスナの心に働きかけ続けている何かは、音となって聞こえてくる。
遠いどこか
森崎の目的はあまりにも純粋で、彼の堪えがたい喪失感が伺える。
妻をなくして10年
子供が生まれていたら、アスナくらいになっていたのだろう。
アスナも森崎のことを父親像に当てはめていた。
森崎にはそのことがバカバカしいと思えたが、葬儀の記憶しかないアスナにはいつか父と一緒にこんな冒険がしてみたかったのだろう。
森崎も最後はその事に気づき、「君には生きていてほしい」と言ったはずだった。
さて、、
地上が変われないのと同様に、アガルタ世界も変われないことが描かれていた。
彼らは地上人を汚染されていると表現する。忌み嫌う。
滅びゆく種族と文明 どこも似たような構造
変われないことが、その原因ではないかとシンは言った。
シャクナビマーナに妻を生き返らせろと頼むが、魂を入れる肉体を差し出せと言われる。
「君にこの場に現れてほしくはなかった」と言ったのも本心だったが、同時に野望も垣間見れる。
このあたりのスリリングさは良かった。
森崎は戦争に行っていて、帰ってきた家で妻の死を発見したことになるが、この最後のお別れができなかったことが死を受け入れられないことに繋がったのかもしれない。
森崎のこのシーンは間違いなく妻との邂逅であり、最後の別れだった。
彼はそのために目まで差し出したことになるのだろう。
森崎はこの世界に留まる。
彼が地上に戻れば反逆罪となるのだろうが、そもそも狭間の海に飛び込むときにそれを覚悟したのだと思われる。
アスナも初恋のシュンの死を受け入れられなかったが、そっくりな弟のシンとの出会いで、出会いと別れを学んだのかもしれない。
シャクナビマーナの中でシュンとミミとの邂逅が、そうさせたのかもしれない。
あの場に彼女の父はいなかった。
父と会う前に戻るかどうかの選択肢が訪れたのかもしれない。
監督はこの物語の中で死者に対する想いを描いた。
人間は何でも考えつく。
背景の神話や前時代の文明では、死人をよみがえらせることができたと考えることと、それが起きた場合を描いている。
これは多くの作品でも同じように描かれるが、必ず死人は蘇ってもまた死ぬ。
それは、結局そうなった場合の先にあることを想像すれば、今のこの世界が矛盾するからだろう。
生き返った二人にもまた死がやってくる。
この時二人はどうすればいいのか?
物語としては結局これが残ってしまうのだろう。
堂々巡りになってしまうのだ。
だから物語の中でさえそれは許されないものとなっている。
死人を復活させたいという渇望 動機
そこにある純粋な思いと、受け入れなければならない思い。
正邪ではなく、そこにたどり着くまでの過程は、人間にとって重要なんだなと改めて思った。
同時に、死者の復活物語はもう終焉してもいいのではないかとも感じた。
答えはもう出てしまっている。
監督の想いとしては、この部分を昇華しておきたかったのだろう。
とても面白かったが、どうしてもラピュタのイメージは残ってしまった。
恋愛と死 このキーワードが「君の名は」へと続くのだろう。
門番弱くね?
昭和中期頃を舞台としたお話なんだろうか?何とも不思議で悲しい物語である。新海誠はどういった思いでこのストーリーを考えたのだろうね。これだけは言えるが、「誰も悪くない」に尽きるでしょう。皆んなそれぞれ悲しみを背負いながら生きているという事なのか?悲し過ぎるねメインキャラ達は。アスナや先生、シュンシン兄弟、アガルタの人々も何か終わりの無い悲しみの中に囚われた物語なんだろう。
それにしても、一体誰向けのアニメーションなのかな?子供が観る内容じゃないし、馬鹿や心無いアホ共が観るアニメでもない。心に傷を負った人々向けなんであれば、範囲狭すぎかな。ジブリや細田守とは違い、新海誠作品は余りにハッピーエンドが少なく悲しい話が多い。ジブリは勇気を、細田守は元気を、新海誠は…、心の傷を乗り越える為のアニメかな〜
振り返って新海誠監督映画を見る楽しみを享受
新海誠監督による2011年製作(116分/G/)の日本映画。配給:メディアファクトリー、コミックス・ウェーブ・フィルム、劇場公開日:2011年5月7日。
新海監督による「秒速5センチメートル」(07)の後、「言の葉の庭」(13)の前の作品。実は2度目の鑑賞で、1回目の「君の名は。」直後の印象はジブリ映画みたいであったが、今回は「すずめの戸締り」の原型だったか!と感じた。
改めて見て、良く出来ている印象。秒速までと違って、キッチリとエンタテインメントになっていたとも。主人公の少女明日菜が走るシーンや彼女を助ける少年シンが馬を駆けるシーンに象徴される様に、映画に大きな動きが登場し、それが魅力に。作画監督としての土屋賢一氏の参加もプラスに働いたのかな。
宮崎駿の「ラピタ」の反対方向になるが、地下世界「アガルタ」という存在設定もスケール感があって良かった。裏設定の主人公がアガルタ人と地上人との混血児というのもgoodであるし、明日菜に懐きアガルダに先導するネコのミミ(アガルタの生き物?)の存在も効果的に思えた。「すずめの戸締まり」の白猫ダイジン造形の原型に思えた。また亡くなった妻を生き返らせる目的で明日菜とアガルタと一緒に行く森崎竜司は、「天気の子」の中年男須賀圭介の初代キャラクターに思えた。
監督新海誠、原作新海誠、脚本新海誠、エグゼクティブプロデューサー川口典孝 永田勝治 安田正樹 太布尚弘 喜多埜裕明、プロデューサー伊藤耕一郎 岩崎篤史 堂下律明 小川智弘、プロジェクトマネージャー川口典孝、脚本協力松田沙也、絵コンテ新海誠、絵コンテ協力西村貴世 丹治匠、演出新海誠、キャラクターデザイン西村貴世、作画監督西村貴世 土屋堅一、美術監督丹治匠、色彩設計新海誠、色彩設計補佐三木陽子 古川康一、色指定・検査野本有香、撮影監督新海誠、撮影チーフ李周美、3DCGチーフ竹内良貴、撮影粟津順 三木陽子 市川愛理 河合完治 竹内良貴 李周美 新海誠、3DCG粟津順 三木陽子 市川愛理 河合完治 竹内良貴 李周美 新海誠、編集肥田文 新海誠、アフレコ編集三ツ矢雄二、アフレコ録音山田陽、整音住谷真、
音響効果野口透、音楽天門、主題歌熊木杏里、制作コミックス・ウェーブ・フィルム、制作プロデューサー、伊藤耕一郎音響プロデューサー、小川智弘。
声優
金元寿子渡瀬明日菜、入野自由シュン/シン、井上和彦森崎竜司、竹内順子ミミ、折笠富美子明日菜の母、島本須美森崎リサ、大木民夫アモロートの老人、日高里菜マナ、伊藤かな恵セリ、浜田賢二僧兵隊長、勝倉けい子長老、前田剛明日菜の父、水野理紗池田先生、稲村優奈矢崎ユウ、寺崎裕香ミキ、金田アキ生徒、洞内愛生徒、堀籠沙耶生徒、土屋真由美生徒、
齋藤智美生徒又村奈緒美村人、長浜満里子村人、石橋美佳村人、緑川博子村人、本城雄太郎村人、下崎紘史村人、増田俊樹村人、大藪重樹村人、本道崇村人、藤原和博村人。
十数年ぶりの2回目視聴
アマプラで配信最終日なので、久々に観直してみた。前回は(十年以上前)ファンタジー色強過ぎて、ジブリっぽさが鼻について、何度か中断して飽きてた記憶が残ってる。
すずめ体験後に観るとテーマの大きさに気付かされた。(以前の自分に読解力が足りなかっただけかも)
ただし、ジブリ臭さはちょっと強めに感じる。
死者を甦させる、というタブーは古今東西あらゆる神話に出てくるコンセプト。受け容れ難い感情の暴走なのだろうけど、その流れに逆らっても決して成就しない結末となるのが世の常。
(クリリン達の事は別世界と言うことで………)
新海作品の中で1番苦手だったけど、君の名やすずめにもヒケを感じる事のない秀作なのが理解出来た。(ただし、自分の中では5センチが1番だ)
アニメーションのこういう演技が好きっていうのが伝わってくる。 ジブ...
新海作品の中では一番好き
タイトル通り。
確かに全般に流れるジブリ感あふれるテイスト!
ジブリに思い入れのある人ほど
あれれ?と感じること請けあい。
ただ、私がこれを新海作品の中で一番好きなのは
ファンタジーだから多少、首をひねる事でも
まあそういう世界ってことで、と
強引に流せるから。
加えて気持ち悪い自分の内面しか見てない
少年がメインではないこと。
少女が主役だからか、やたらとウジウジせずに
話が展開していくのが
良かったのかもしれません。
ただしいつも最後のツメが甘い。
どんでん返しがないとしても
その終わりに落ち着いて満足した、て
感じられるだけの何かがいつも無いのだ。
主役が思い悩んでいても、ほとんど相手との
直接のやり取りがなくて、
主役の気持ちの中だけでよく分からないうちに
解決したわー。
というのがだいたいお約束のパターンですね。
ケガレダ・クウッ・・っ何処かで見た様な作品。
内容は、命についての新海誠なりの監督作品。主人公アスナと臨時担任森崎先生との自分自身の寂しさを理解する為に、命の根源があるという地下世界に旅をする物語。???簡潔すぎてご都合主義の説明不足が半端なく、またもや観客置き去り感動巨編に感嘆します。印象的な台詞は『ケガレダ・クウッ』地下世界の影の様な物に主人公が食べられそうになる場面。既視感がありすぎて困ります。そうジブリのそれです。他にもハイジ・コナン・母を訪ねて・ナウシカ・ラピュタ・トトロ・魔女宅・もののけ・ハウル・千と千尋などを彷彿とさせながら必要以上に美しい景色には驚きました。印象的な場面は『存外役にたつかもな・何かあるはずだ・ここはケツクァトルの墓場か?まだ代償が足りないか?』など説明台詞が多く既視感が凄かった所です。印象的な状況は、もう一人のキーパーソンである森崎先生の葛藤です。何だか戦争の生き残りで奥さんを亡くして10年後も忘れられるず海外から帰ってきた政府の秘密組織の人間で、地下世界との人と普通に話せたり何故か主人公にそっけない。どれどけ設定盛るんですかって感じで結局詳細は分からない感じが凄い。最後地下世界のアガルタで生きる決心をしたというお決まりの諦観が何とも置いてけぼりを誘います。タイトルにも星(いのち)を追う子どもにも触れますが、違和感ある人も多いのも納得してしまいます。子供ではなく子どもで、子供はそれ程出てなくない?!シュン君の喪失感処理と父親の喪失感処理が簡単過ぎて怖かったです。なにわともあれ迎合的で短絡的なので、命について如何いう事が伝えたかったのかが不明瞭で作家性の暴走も抑え気味な所は、もっとぶっ飛んだ感じを希望したいです。
いい話だけど、ジブリっぽさが…
『すずめの戸締り』で新海監督のファンになり、
似た世界観を持った映画と知ったので観ました。
少しだけ、似た世界観を感じました。
純粋さ、人間の愚かさ、を描いているように感じました。
キャラクターは、主役の女の子と、お母さんは、新海さん、それ以外はジブリ。
風景は、新海さん。
脚本は、半々。
って感じです。
新海監督のトコは、以前ジブリで働いていた人達が多いらしいけど、
ジブリ色が濃厚すぎて、ジブリ×新海監督が変な感じ…
序盤の、世界観、展開、の方が、新海監督らしくて好きだし、そっちを観たかった。
徐々に冒険活劇に変わっていきます。
悪くないけど、うーん…
少しだけど、イザナギやイザナミの話が出てくるのは新海監督らしかった。
主人公(ムスカみたいな人)好き
主人公(ムスカ)がちゃんと初志貫徹しててよかった。
女の子はただ寂しくてどこでもよかったって
この年齢の複雑な感情を言語化してしまうあたり
大人の視点だなって感じでキャラが生きてないように感じて映画自体はあまりはまらなかった。
話とかオチの展開はドストライクで好きなのに映画って難しい。
脚本が好きなのにはまらない事もあるんだな。
演出のせいかな?
悪くは無いが、既視感がすごいw
多くの人がコメントされている通り、ジブリの影がどうしても見え隠れしてしまうw
新海作品を少しずつ観てきた自分としてはもう少し恋愛を期待していたが、どちらかというとラピュタに引っ張られている感が非常に強い。
またジブリ作品のキャラクターに非常に似通ったキャラが次々と出てくるので既視感が半端ないw
作品としては冒頭から説明もなくファンタジーなカラーが強く、ジブリはここらへんが上手く観客を連れて行ってくれるが、今作は比較的、客を置き去りに行ってしまう感がすごかったw
しかし徐々に話を理解していくと面白いのだが、丁寧な導入を経ての流れだともっと入り込めて良い作品であったと感じた。
また明日菜にあまり感情移入ができずにそこも少し残念な部分かな?と。
お母さんとお父さんの話ももう少し掘り下げてくれれば引き込まれたのではなかったか?
しかしながら2時間みっちりの作品でもあり、かなり冗長に感じられた。また特に目新しい展開も少なく、地下世界なのに太陽があるの?とかオーロラも出てるのか?等の設定にモヤモヤしてしまった。
テーマとして人の死というものも取り扱っており、大事なものや大切なものを失ったことがある人には心にくる内容でもある。作中のセリフにも素晴らしい言葉が散りばめられていた。
映像は安定の美しさでとても素晴らしいが、やはり新海作品の「心の描写の上手さ」をもっと観たかったと思った。
ファンタジーや冒険譚のような作品も楽しいではあるが、それならもっと振り切った作品もみてみたい。
新海ファンだけにおすすめできないw
新海誠の新作、ということ以外の事前知識なしで見に行ったのだが、ファンタジー色が強くてびっくりした。
ストーリー展開はまぁまぁだったので
ジブリに酷似したキャラデザインが残念でならない。。
違う絵柄だったら、もう少し違う印象になったんじゃないかな。
良くも悪くも、 ジブリの影響ってすごいな と思う。
こういうファンタジー作品の場合、観客も ジブリの先入観ありで見てしまうのは当然のことで。ここまで似てるとますますその先入観を拭いきれないまま、共通点をついつい探しながら見ている自分がいた。
新海誠がこれを映画化する意味あんのか と思ってしまった。憧れなのかな。
キャラデザインを抜きにしても、もう少し突き抜けて欲しかった気もする。
とはいえ、手の届かないものを追い求め、恋い願い、
自分の存在を追い求める登場人物達のその姿勢、
ロマンチスト&ナルシズム満開なところはやはり新海誠的でした。
彼の絵の美しさは、現実のものを表現した方がぐっとくる。
見慣れた風景のはずなのに、 新海誠のフィルタを通すとなんでこんなにも美しくみえるんだろう。
というキラキラ感が、本作ではあまり感じられなかったような。。
本作も、現実世界の絵の方が、美しかったな。線路とか。
【物語として】
シンが、殺してくれと請う森崎に対し、
「お前は、喪失感を抱えて生きていかなければならない」
と言うが、喪失感を抱えながら生きることは、人間の最も人間らしい部分ではないのかと思う。
だから、亡くなった親族や仲間を、死者を、手厚く葬ったり、敬ったりするのだ。
おそらく、こうしたことは、ホモ・サピエンスにしろ、ネアンデルタール人にしろ、宗教感の原型となったもののはずだ。
しかし、その喪失感が大きければ大きいほど、再び会いたいという思いは募り、更に、人間は死後の世界を作り出したのではないだろうか。
そして、現世と死後の世界を繋ぐルートを思い浮かべたり、死後の世界から愛する人を連れ戻したいという欲求が生まれて、様々な物語が生まれた。
日本では、この映画でも出てくる古事記の「イザナギ、イザナミ」の物語だし、「燃ゆる女の肖像」でモチーフとして語られる「オルフェとユリディス」は、オペラ作品として知られているが、ベースはギリシャ神話だ。
もうひとつ、シンが、自分や明日菜を助けた老人に対し、立ち去る際、
「アガルタは、人の命の儚さを知り過ぎているが故に滅びようとしているのではないか」
と言うが、これにも、どこか奥深さを感じたりする。
僕は、田舎のお寺の血筋で、般若心経の他にも少し長いお経や、いくつかの陀羅尼や真言などに、諳(そら)んじられるものもある。
そして、宗教としては、基本的には仏教が好きだ。
ジャレド・ダイアモンドが、仏教はどちらかというと哲学に近いのではないかと言っていたのを思い出すが、そんな要素も理由だろうか。
だが、仏教は内なる和を求める割に、社会とどう関わるかという教示は極端に少ない。
それは、価値観も含めて常に移り変わる世界にあって、人は、それに折り合いをつけて生きなければならないという般若心経の根底にもある哲学だとは思うし、移り変わることを拒否していては、決して生きていくことはできないのだというメッセージでもあるように思う。
こう考えると、この明日菜の冒険譚は、実は宗教的だし、ジブリとはちょっと違うなと思う。
亡くなった大切な人や、別れた好きな人、なかなか会うことが叶わない友人や知人を想うことは、実は内なる自分自身と向き合うことだと思っている。
僕の大学のゼミの恩師が、亡くなった友人が時々、アドバイスをくれると言っていたのを覚えている。
僕達は喪失感と折り合いをつけながら、ノスタルジーを抱えながら、前向きに生きていくのだ。
ただ、今、僕達が折り合いをつけなくてはならないのは、喪失感だけではないだろう。
分断や、環境、持続可能性などもそうだ。
こう考えながら、ジブリの作品と並行して観れたら良いのではないだろうか。
ジブリオマージュにほっこり(^^) でも「俺はシュンじゃない、シン(新海)だ」ちゃんと新海監督本人を見よう!
初めて映画館で見た時は、まだ新海監督が今のように有名でない時でした。
『秒速5cm』の美しさに魅了された私は、『言の葉の庭』公開時、監督のデビュー当時の思い出のつまった、とある小さな映画館で行われた、新海作品一気上映のイベントに行き、この作品を見ました。
とても美しくて、切なさのにじむ作品、でも見ながら妙にジブリの姿がちらついて内容に集中できなかった…(笑)
『君の名は。』からファンになった人には、「ちょっと雰囲気違う…」と感じるのでは。
監督がジブリに憧れと尊敬を感じるあまり、無意識に影響されてしまった、というよりは、むしろ、ジブリへのリスペクトを直接そのまま形にしたオマージュ作品。
登場人物の声、あれ この声?とすぐに気づく、島本須美さん(ジブリを代表する声優)と入野自由(ハク)。入野自由はその後の『言の葉』でも主役の少年だけど、そもそも入野自由が世間に認知されたのはハク役ですよね。 ちなみに『天気の子』でも、おばあさん役を 島本さんと ソフィー役の倍賞千恵子にオファーしてましたが、ジブリ愛(^^)が伝わるとともに、何か監督の深い考えがこめられてそうな起用ですね。
映画の始まりは、主人公はのどかな田舎に住んでおり トトロを彷彿とさせる村でサツキのような優等生として生きてる少女。ハイジぽさもあり、まだジブリ創設前の宮﨑監督へのオマージュも。
その後、平穏な日常に現れた影(クマ?事件)と 不思議な少年との出会いは、ほんのり 千と千尋のハクとの匂いがします。 猫?はナウシカのテトかなw
冒険が始まるとまさにラピュタの世界。 先生、ムスカだったなんて…。
少しずつ謎が見えてくると、むしろ もののけ姫。 シンがだんだんアシタカになります(笑)かっこいいぞ~。 伝説の神や怪物・番人などは、シシ神(デイダラボッチバージョンも含む)を彷彿とさせるイメージ、イ族は猩々に似てる。 命の危機で緑のどろどろスライムに包まれるのも もののけ姫やハウルなどジブリの定番ですね(笑)
目玉がいっぱいとか、形がちょっとエヴァンゲリオンで見たような画も(笑) まあ、エヴァンゲリオンは、新海監督の初期作品『ほしのこえ』『雲のむこう、約束の場所』、セカイ系として共通点多いし 似たような雰囲気の画も出てきますね。 (エヴァの庵野監督は ナウシカと風立ちぬの関係者だし(笑)
監督はジブリオマージュだと公言してるらしいので、むしろ、新海監督のジブリ愛にほっこりしながら あちこちにちりばめられた遊びゴコロを見つけてくのが楽しいかも(笑)最初に見た時は 何も前情報を知らなかったので、見てて戸惑いましたが(笑) TVなどで3回目みて、やっと落ち着いて見られるようになりました。
多くの人が 「既視感…これジブリのぱくりじゃね」 とちょっと冷めた感じで見てしまっているようですが、まあ ぱくり(盗作)と リスペクトを持ったオマージュとは 違いますし。 落ち着いて見てみると、絵も音楽も美しいし、心に響くセリフもあります。 批評ばかりせずに純な目で見ると、素敵な作品でした。
どことなく漂う ゲド戦記のような空気感… 虚無感や淋しさ、孤独を抱えて、登場人物はみな 強そうでもどこか儚い。新海監督は、淋しさを丁寧に描くのが上手ですもんね。そこが、芯の強いジブリ(宮﨑駿)作品とは違う。 (また、うろ覚えですが、新海監督の父親は大きな会社を経営してるとかで、後を継がずに自分の夢のアニメ監督をめざすには葛藤があったとか? ゲド戦記のアレンぽさは、ジブリに関係なく、新海監督自身から自然にかもしだされた空気でしょう)
他の人のレビューで、登場人物の行動原理が弱くて、感情移入も理解もできない、ジブリのような思想が無い、という意見がありました。その人、ジブリと比較しすぎて、新海監督を見てないなあと思います。
新海監督はいつも、等身大の現代の普通の思春期の少年少女、しかも繊細でややおとなしめ、心に迷いを抱えてる人達の感情を丁寧に描く。ジブリのような強いヒーロー・ヒロインではない。
一番描きたいものが宮﨑監督とは違うだけのこと。新海監督は新海監督。今作は見た目がジブリっぽさ全開だけど、中身はやっぱり新海監督なんです。
新海監督はきっと、悲しみや淋しさ、迷いの中にこそ人間らしさがあり、それを美しいと慈しみ、その感情の機微を大事に描きたいんです。でもセリフ説明は少なく、美しい風景の絵で。 登場人物が見ている景色は美しい。ずっと下ばかり見ていたら目に入らないから、人物は悲しい時でも希望は失っていないことも伝わってくる。そして登場人物が生きている世界は美しい。自分に悲しい事があっても、世界は終わらずに、美しく広がって続いている。新海作品はその描き方が魅力。 悲しさや切なさを抱えてる少年が、同じように淋しさを抱えてる少女と出会い、1人じゃないんだと知り、心が響き合う。その心の機微を美しい風景の中で描くBoy meet Girl物語、それが新海作品。今作はいつもの新海作品とちょっと違うけど、そのテーマは同じ。ジブリと違って思想が無い、なんて批判はおかしいと思う。一番描きたいものが違うだけなのだから。
「それは、さよならをするための旅。」
異世界で冒険し成長して帰る物語は定番だけど、今作は違う。たくましく成長した千尋と比較する必要なんてない。このキャッチコピー通り。大切な人の死を忘れるのではなく、きちんと悲しみ、悲しみと共に、それでも前を見てほほえんで生きて行くこと。さよならを言って、素直な自分を取り戻して帰ってくるための冒険物語だったんです。
アスナは十分強い子。がんばりやさん。でも幼い頃に父を亡くし、ぽっかり胸に穴があいて淋しさを抱えてる。でも母親の泣く姿を見て以来、きっと彼女は家でも学校でも泣いてない。必死でいい子を演じてる。 シュンが生きていると信じたい。不思議世界にいれば、生まれ変わりとか信じたくもなる。
シンは、能力も人望も評価される兄が死に、代わりに自分が頑張らなきゃと戦うけれど、比較され低評価でコンプレックスも感じてる。戦わなきゃ国を追われる、泣いてる時間はない。
アスナがシュンの死をやっと理解し、子供らしく泣きじゃくった時、シンはきっとアスナの淡い恋心を察し、また兄と比較されるコンプレックスも感じつつ、そんなことよりも、 能力評価じゃなくシュンという人間を慕うアスナの涙に、兄を慕うのは自分だけじゃなかったと気づき、素直に泣くことができた。1人じゃなく、一緒に。ここが大事な場面。
(無理にジブリと比較するならば、きっと監督は、姉としてずっと張りつめていたサツキが「お母さん死んじゃったらどうしよう」と泣きじゃくる場面や、張りつめていた千尋がハクのおにぎり食べて大粒の涙を流しながら、忘れかけていた自分の名を思い出す場面、好きなんだろうな)
有能な兄シュンと比較され続けるシンの言葉 「俺はシュンじゃない、シンだ」
シン=新海、と感じました。 そういえば シュン→ 駿という漢字はシュンともハヤオとも読めるんだよな? 漢字変換したら同じ字が出たぞ。 監督の遊びゴコロ?(^^) ここ気づいた人、レビューではほかに誰もいないみたいですが?私だけ?
シンをシュンだと信じたくて 何度も名前を間違えていたアスナが、初めてちゃんと シンの名前を呼んだ時、シンも初めて笑顔を見せてくれましたね。
もしかしてここ重要ポイントでは! 新海監督もきっと、駿監督に憧れ背中を追い続ける中、世間では必ず比較され、兄のように慕い尊敬しつつも、自分自身であろうと苦しんだことでしょう。 今作でジブリ(宮﨑駿)へのリスペクトを前面に出しつつも、それでも彼とは違う、自分は自分なんだ、と言い切ったのでしょう。ジブリと対比させるためにあえて、ジブリ風味を全面に出したのでしょう。レビューで言われてるような比較酷評は、きっと監督は最初から予想していたかも。それでもあえて作るという覚悟をもっていたのでしょう。『天気の子』でも、『君の名は。』とあえて同じシチュエーションを繰り返して対比させて描き、そこをディスる人はたくさんいたけれど、そんなのお見通しであえてぶつけてきてる、わりとニヒルな視野をもってる人なんだなと思います。最初は監督の作風から、思春期の少年そのままのピュアで壊れそうな美しい感性の持ち主、と思っていたけれど、やっぱりちゃんと大人で、監督という仕事をやり遂げるだけの強さをもった作家なんだなと思います。
他の人のレビューで、タイトルが意味不明だとディスってる意見を見かけましたが、私は別に違和感なかったです。 星って、そんな直接的に 天体の星のことだけを指すわけじゃないでしょ。
主人公は最初 きらっと光るものを見かけて、なんだろうと不思議に思ったのが すべての始まりですし、星のように光る光を追ってきたんです。 星は古今 夢や憧れの象徴でもあり、好奇心や不思議を追って 冒険の旅にまきこまれるきっかけになります。 そして死と生が物語のテーマであり、彼女も幼い頃に父親を失っています。 「人は死ぬと空の星になって ずっと見てるよ」「誰かが死ぬとき 流れ星が一つ流れるんだよ」なんて言い伝えを、誰もが一度はどこかできいたことあるのでは。 『星を追う子ども』って言葉を一言きくだけで、そういうイメージがぱっと広がるじゃないですか。
そもそも、映画も小説も歌もあらゆる作品が、本編に直接的でないタイトルをつけるなんて、ありふれてることなのに、そんなこと言う人がいるなんて謎すぎます…。詩を読んだ事とかないのかな…。想像力のかけらもない人なのかな…。謎。
きっと、その人は「この映画はジブリぱくり」と決めつけてしまってたのかな。ジブリ映画は あえてすごく直接的なタイトルをつけているけれど、 新海監督はそういうスタイルじゃない。 デビュー作『彼女と彼女の猫』は直接だけど。最近の『君の名は。』『天気の子』も内容と直結してわかりやすいタイトルだけど。 『ほしのこえ』『雲のむこう、約束の場所』『秒速5cm』あたりから知っていれば、新海監督は詩的な美しい言葉を好み、タイトルのつけ方に関してジブリとは違うスタイルだとわかるでしょうに。
ずいぶんと低く酷評されてる本作だけど、美しい映画ですよ。確かに、すごく面白い!とは感じなかったけど、新海作品はもともと、落ち込み疲れた時に美しい景色を見て 少年のモノローグにちょっと「自分だけじゃない」と心がやわらぐ…そういう作品。『君の名は。』でファンになって期待して過去作品を漁った人には受け入れられないかもしれないけど。
1つだけよくわからないとこ。森崎先生の過去。 森崎先生が夢の中で昔の記憶を見ていたけれど、異国風で現代の日本じゃなかった。(ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンの戦争時代みたいな)。
普通に現代だとすれば、自衛隊で外国で戦ってたのか? いやでも雰囲気的には、実は先生は昔アガルタにいて 地上人とアガルタ人の戦争に参加していて…な風に見えた。 アガルタ出身で地上に来た? 地上から 研究好きでアガルタにたどり着き 現地の女性と恋に落ちた?
妻の名はリサ? あの幼い子マナの母親はリナで父親は地上の人間のようだけど、名前を聞き間違えた?もしやあの子の父親が森崎先生? …ってあたりが謎です。誰か知ってたらヒントほしい。
話として単純におもしろくなく、楽しくない
山の少女、地底の世界を探検する
二時間。新海誠作品。星はでてくるけれども、星を追いかけるようなことはなかったように思われる。山の近くに住み、山に毎日でかけている少女が、ある少年と山の中で出会うことによって始まる冒険の旅。
特徴的なのは宮崎駿作品からの引用がかなり多いように見受けられたことだ。
ジブリ的な表現がいくつあったかというようなことを数えるのは無意味だ。原作が新海誠のオリジナルであることを考えると、かなり練られた物語である。
地底に、光が溢れていることが、まずわたしには違和感があったけれども、不思議の国のアリスの冒険を持ち出すまでもなく、地底に地上と同じような広大な平野や森や谷があってもいいのかもしれない。
そこは黄泉の国なのだから。
この作品の大きなテーマは、喪失されたものは、取り戻せないということだ。ラスト近くで、死者を蘇えらせる神に出会うけれども、わりと納得できる展開だった。
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