八日目の蝉のレビュー・感想・評価
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「八日目の蝉」を観て・・
2011年に公開された邦画ではNo.1かも知れない。共演の永作博美、井上真央の熱演も良いし、直木賞作家の角田光代による原作小説のストーリー展開もすばらしい。小説を先に読んでDVDを観た。地上に出た蝉は七日しか生きられないが、もし八日目に生きていたらこの世に美しいものが見られるか?
ここからはネタバレになるかも・・
不倫相手とその妻の子を誘拐した希和子は、その女の子に薫と名付け、4歳に成るまで二人で宗教施設や小豆島で逃亡生活を続ける。
けれども薫は警察に保護され、本名の恵理菜は21歳に成るまで心を閉ざしたまま親元を離れてアルバイト生活をする大学生に・・
しかし本人も不倫相手の子を妊娠する。そして、かつて4歳まで育った小豆島に行ってみる。そこで幼い時の想い出が徐々によみがえる。小説ではラストにフェリー乗り場で希和子とスレ違うが、映画では子供を生んでシングルマザーとして生きていくことを決意するシーンで終わる・・
この作品は母親と子供の絆が、たとえ血がつながって無くても深いものであることを感じさせ、涙無くしてはとても全編を最後まで観ることが出来ない。人の幸せは人の不幸の上に成り立っていることも知る。世の中の人みんなが同時に幸せになる訳ではない。いろいろ考えさせられる作品だ・・
忘れられない映画
ラスト、永作博美演じる希和子の、
「その子はまだ…!」のセリフに
偽物でありながらも母親としてのかおるへの深い愛情を感じる
どんな暮らしでもいい。
この子といられたら。
というのは何度もセリフとしてあったが、
それは映像からも十分に感じられ、
回想シーンはどのシーンを取っても本当にいい
劇団ひとりはどう考えてもミスキャストですが。笑
ただ「なぜ、誘拐したの?なぜ、私だったの?」をキャッチコピーにするわりには、誘拐された主人公の心情が内容として薄い気がする
蝉はわずか七日間しか生きられないけど
みんな一緒だし、最初からそういう運命に生まれてくるのだから別に寂しくない。
でも、もっと生きられたら、
もっとここにいられたら、
もっとたくさんの景色を見られるのかもしれない。
世界中に溢れる、それこそ当たり前とすら思えるほどの綺麗なものを、たくさん。
1日でも多く、その時間があれば。
心に残る映画
誘拐犯と誘拐された子の逃亡劇
とその後を描いたお話。
井上真央演じる恵理奈は、誘拐された記憶が全くなく誘拐犯と暮らした街を旅しながら徐々に思い出していきます。
それは、嫌な思い出ではなく、
あったかい記憶だった。
恵里奈は愛されていた。
途中、いつのまにか
誘拐犯のきわこを応援しながら観てました。
井上真央と永作博美の演技が
リアルでよかったかな〜。
クライマックスは泣きました。
時間をおいてまた観たい映画です。
あくまで物語
私は原作からは入り、映画を鑑賞しました。
レビューをみるとあり得ない。だとか、犯罪者と仰る方がいらっしゃいますがこれはあくまで原作ありきの物語、小説の末尾にもあるようにフィクションである事を頭にいれてからみないと、現実の生活と混在した錯覚になると感じました。
それでも希和子の感情を汲んでしまう自分に恐怖を覚えます。小説では章で別れていた逃亡時の希和子目線と引き離され成長した薫/えりな目線が映画では重なり目紛しく展開していきますが不思議と違和感はなく、ちゃんと見る事が出来ました。
ただ希和子がエンジェルホームへ身を寄せ、あの場所がどんな所だったのか、またそこから逃げる場面が少し軽い感じはしました。
そしてキャスティングについて永作さんは本当に大女優で素晴らしいと感じました。井上さんも同じく。ただもう一人のキーである千草役の小池さんについては少し...ただそれは小池さんが悪いのではなく、私の中での千草はもう少し堂々としていて威勢の中にある恐怖感がある女性でしたが、あんなにオドオドしている事にはびっくりしました
小説では希和子が今日1日、明日1日と少しでも長く薫といたい。罪の意識から逃れる事はないのが印象的でしたが、映画ではどうしても幸せな親子であり、島では安心して暮らせている様な表情に少しだけ違和感があった様な気がします。
ですが総評としてはとても良い作品でした。
母親の愛
この映画は、母親の愛の話である。
最初の裁判所のシーン、赤ん坊を誘拐した希和子は反省の色を見せず、悪者の様に描かれるのかと勘違いしたが、
映画が進めば進むほど、血のつながった母親より、希和子が母親らしいことに気づくだろう。
逃亡生活の中で際立っているのは、小豆島での暮らしだ。
おじいちゃん・おばあちゃんの様な存在ができて、家族の時間の素晴らしさを実感する。
薫にも島の遊び友達ができて、楽しい期間を過ごす。
一番感動的だったシーンは、希和子と薫が二人で火を持って歩き(お盆の迎え火か送り火?)、
山の斜面にその火が連なった様を眺めるところだ。
薫を誘拐して逃亡し、エンゼルハウスでの制約された暮らしからも逃げて、ようやく辿り着いた小豆島での幸せな暮らし、
その幸せが集約されたシーンに感じた。
皮肉にも、その時に撮られた写真が全国紙に載ってしまい、薫は元の母親のところへ連れ戻される結果となる。
希和子から薫への愛は、薫からお腹の中の子への愛に引き継がれる。
その母親の愛は、子供に美しい景色を見てほしい、という普遍的なもので、八日目の蝉に表されるこの映画の主題だ。
個人的には、幼少期に制約された暮らしを送ったゆえに挙動が不審な千草(小池栄子)が、恵理菜(=薫、井上真央)と対照的に描かれて、非常にいい引き立て役を果たしていると感じた。
感動した
とりあえず、子役の子がかわいすぎる。
船場でのシーンの
「その子はまだご飯を食べてません、よろしくおねがいします!」にはやられた!
さわこからの真の愛情を感じれた。
そして、写真館でのシーンも泣いた。
私のすべてをあなたにあげる的なところやばい
そしてそして、最後の
井上真央がすでにこの子(お腹の赤ちゃん)のことが大好きだ的なところ最高!
号泣。
まず、小池栄子の演技がやばい。ホテルと、最後の桟橋のシーンはただひたすら泣ける。井上真央っていうか小池栄子。喋り方が神。
とにかく希和子と薫の終わりある儚い日々が切なくてかわいそうで、楽しそうなシーンほど見ていて苦しくなる。生みの親である夫婦はその幸せを壊す「敵」に見えて全く感情移入できなかったけど、結局はお父さんが全て悪いんだろうな。中途半端で優柔不断で。お母さんも被害者。希和子への嫌がらせの仕方が胸糞悪いけど、それだけ病んでしまってたってことかな。20年経った今もなんで離婚してないの?って感じだけど、同じ苦しみを抱えている二人だから離れられないのかなぁ。そういうもんかなぁ。
小説で読んだときはただ単に逃亡犯が追い詰められていくサスペンスとして読んでしまったし、それゆえ最後の「まだご飯を食べていません!」のところも「はぁ?」って感じで全然泣かなかったのに、映画で見たら涙が止まらなかった。文章から情景や心情を想像する力が欠如しているんだな。あるいは自分に子供ができたからか。どちらにせよ、こんなに泣いた映画は久しぶりだ。
角田光代の作品は、文庫化されたものはほとんど読んでいるけど、家族もの・モラトリアムもの(そんな「もの」があるのかは不明)を書かせたら本当に天才だと思う。「幸福な遊戯」に続いて好きな作品になった。
いやー、いい映画だった。今の自分が途方もなく幸せだと思えた。最高。
完璧な母親とは彼女のこと
たとえそれが誘拐だったとしても、誰よりも子供へ愛情を注ぎ、子供を想っていた。
時代は違うものの、永作さんと井上さんからは本物の親子のようなものを感じた。
過去の数年間、大事な幼少時代を一緒に過ごした女性と同じ道を進んでいる主人公、というのもまた親子を感じるシーン。
最後の永作さんが警察に連行されるシーンでの「その子、何も食べてないんです」で涙が止まらなかった。
命を奪ったら死刑なのに、心を奪っても死刑にはならない
映画「八日目の蝉」(成島出監督)から。
何年も何年もの長い間、地中で生活するのに比べ、
地上に出てから七日しか生きられない蝉に対して、
もし、八日目を生きる蝉がいたとしたら、
それは悲しいことなのか、素晴らしいことなのか。
角田光代さん原作「八日目の蝉」も同じことを問いかけている。
今回の一言は、親子の絆が育まれる大切な期間、
生まれてから4歳までの間、わが子を誘拐された母親の叫び。
体は戻ってきたが、心は奪われたままで、なついてくれない。
母親にとって、こんな辛いことはないのだろう。
「命を奪ったら死刑なのに、心を奪っても死刑にはならない」
こんな台詞が心に響いた。
しかし、どうしてあの時、あんなちっちゃな乳児を置いたまま
ご主人と車で出かけたんだろう?、私の疑問も残ったままだ。
心配ではなかったのだろうか、その謎が解けない。
P.S.
実はこの気になる一言、恋愛でも使えそうだ。(笑)
「命を奪ったら死刑なのに、心を奪われても死刑にはならない、
君は罪深い」・・なんちゃって。
解決できないことってあるんだなって思います。
感動作ではあると思うし、内容としてはかなり見ごたえありました^^受け取り手によってかなり印象が変わる作品だと思います。
少し作品の主題とズレるかもしれませんが、私は登場人物たちを取り巻く環境が気になりました。赤ちゃんを誘拐し、エンジェルホームや離島の人々の温かさ触れながら子供を育てることができた希和子。一方恵理菜や千草は周囲の偏見の目によって、気苦労のある生活をして育っていたり。滑稽なものだな、と悲しくなりました。本当の親が恵理菜を抱えてマスコミ陣に囲まれるシーンも印象的です。
なんとなくこういう作品を見ると、じゃあ誰が悪かったんだろうって思います。もちろん誘拐は犯罪です。不倫も良くないです。でも何となく熱くなって観入ることができませんでした。妙に冷めた感じで観てしまう。あぁ、現代日本の映画だなって感じ。
演技はどの役者様も素晴らしかったです!
他の方の感想を読んで、またゆっくり見たいと思います。
許されない家族愛
永作博美と井上真央へお互いへの許されない愛情が、痛いほど伝わってくる作品。2回目だったけどやっぱり泣けた。
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この映画を見て、家族って一体何なんだろうってすごく考えさせられました。血のつながりがあるからといって真の「家族」にはなれなくて、そこには愛情とか、一緒に過ごした時期や時間っていうものが重要なんだなって。
映画を見ている途中、本当に悪いのは誰なんだろうって何度も考えました。確かに一番悪いのは犯人で、彼女が不倫もせず、誘拐さえしなければ誰も不幸にならずに済んだはず。でも、育てられた「薫」にしてみたら、犯人は愛情を注ぎ育ててくれた母親で、大学生になった今も心の底では彼女の愛情や彼女との思い出を懐かしみ、できることなら何も知らず幸せだったあの頃に帰りたいって思ってるはず。
映画の冒頭で、犯人が証言台で話してるシーンがありました。「薫を育てさせてくれたご両親に感謝している」と言った意味が、初めはよくわかりませんでしたが、最後まで見てその言葉に込められた想いがはっきりとわかりました。短かったけれど、薫との幸せな時間は、子供を産むことができない犯人にとって、一生のうちで本当にかけがえのない時間だったのでしょう。
ちなみに、永作博美がすごくハマリ役だって思いました。薫と幸せな時間を過ごしながらも、どこかいつも寂しく切ない表情をしていて、警察に連れて行かれる最後の最後まで薫への愛情を貫いたところシーンでは、涙が止まりませんでした。
本当に深い映画でした。見てよかったです。
もしも誘拐犯が良い人だったら…
ドリフのコントになりそうな題材だけど、奥が深い作品だ。もちろん誘拐は犯罪である。誘拐を肯定するつもりは毛頭ないが、4歳の子には理解できないだろう。まして愛情を持って接してくれていれば、その子にとってみれば母親以外の何者でもない。それを法律は無情にも引き裂く。「その子はまだご飯を食べてないんです」逮捕された時に叫んだ言葉はまさに母親の言葉だった…。
誘拐された悲劇、母親(誘拐犯)と引き離される悲劇、実の母親と打ち解けられない悲劇、悲劇の連鎖だ。だが、本当の悲劇はこの子の事を本気で考えてあげる人がいなかったことではないのか?誘拐犯の愛は所詮自己満足に過ぎない訳だし、実母の被害者意識に子は入っていない。不倫相手には家族がある。この子を第一に考える愛がどこにも無い。それが一番の悲劇だ。そんな悲劇に絶妙な立ち位置で存在する人がいた。小池栄子である。彼女なくしてこの映画は成り立たないのではないだろうか?なぜなら、彼女だけが真の愛をカオル(井上真央)に向けた唯一の人だからである。
母性かあ。。
この作品を観るにあたって、【母親】の経験があるかないかの違いはすごく大きかった気がします。
私にとっては素晴らしいなと思いつつ映画とし手放しで賞賛はできない作品でした(期待しすぎてたのもあると思うんですが…)。全国のお母さん方は誰に感情移入してたのか気になります。
いつか母になる日がきたらもう一度観てみようと思いますが、とりあえず今の私の感想も書き留めておこうと思います。
まずこの作品に出てくる女性はみんなどこか痛々しくてそれでも生きていかなきゃならない“痛さ”が顔をしかめてしまうくらい伝わって私の胸まで痛くなっていました。申し分のない表現力です。それぞれの葛藤を役者さん達が好演してくれていたお陰です。
永作さんから湧き出る希和子の哀愁や愛情や焦燥感、
井上さんからはだんだん成長していく恵理菜=薫の想い、
森口さんは恵津子がああなってしまうのも理解できるほどの行き場のない苦しさ、
余さんの教祖様?っぷりもさすが。
そして私の中のMVP小池さん。この物語に深みを与えてくれるのは千草の存在があってこそ。千草が“図々しくて弱々しい”理由がわかると、更に小池さんの凄さが分かりました。
演出も、血の繋がりのない二人の仕草がどことなく似てたり、同じ景色を過去現在と時間軸を行き来しながら、恵理菜が“母”と同じ立場になってもう一度観ると同じことを感じたりたり、二人(永作さんと井上さんでもあるし希和子と“薫”でもある)が一度もが顔を合わせないのも感慨深かったです。今の希和子をワンカットくらい見たかった気もするけどそうしなかったことで更に余韻が残った気がします。
“なにも悪くない”恵理菜が生きる希望を見出だすラストにも救われました。
ただ、なんかうまく言えないんですが全体的に何かが数ミリずつずれてるようなもやもや感が拭えないままでした。サスペンスをうたっておいて人間ドラマじゃんっていうのはまあ良しとしてw
原作は未読なのですが、私の中の【愛情】や【母性】と作者のそれらの考え方の違いなのかなあ。。
“お母さん”だって人間だし女だしエゴはあって当然なんだけど、希和子の愛の形にはやっぱり感情移入しきれない。
一人の人間を、結婚したら自分の“物”、出産したら自分の“物”っていうのもよく考えたら凄いなと思うし、色んな形があっていいとは思います。ただし人は物じゃないのでそこには血の繋がりがあろうとなかろうと自分以外に対する思いやりが必要です。
希和子のしたことは許されることじゃないけど、それがなければ映画として成り立たないのであとは見せ方ですよね。
決して美談ではないのに実母を悪者にして“許されること”寄りにしてしまったのはどうなのかなぁと。恵津子や四歳から恵津子に育てられた恵理菜がああなってしまうのはむしろ自然なんだけど、そっちの側面ばっかりフィーチャーするのはフェアじゃないです。
恵津子の愛情だって独りよがりな部分も少なくないし元々キツい性格っぽいし、そうでなくても親子だってとどのつまり人と人なんだから、誘拐さえなければ全てが上手くいっていたかなんて分からない。
だけど『Mother』の実母のように虐待してたわけでもなく、一番辛い立場なのは間違いないはず。映画『八日目の蝉』が恵理菜の物語ならもっとスポットライトを当てるべき人物なのに、なんだか腑に落ちない。ついでにお父さんが少し可哀相な人みたいな描かれ方してるのも腑に落ちない。
薫の母親としての希和子にも、恵理菜を自我もないうちから薫にするという最高にズルイやり方で手に入れた“本物”のしあわせなのに、「一緒に生きていきたい」と言いつつランドセルを見たときなんかは潮時を感じていたし(その辛い心中は察するけど)、どこまで覚悟があったのかがわからずに少しイライラしてしまう。
これだけ愛って?母性って?と考えてしまうってことはそれで正解なのかもしれないけど、いいテーマなだけにもっと描き方もあったのにとも感じてしまいました。
あとなんの予備知識がなくても『八日目の蝉』の文字だけで結末が気になる秀逸なタイトルですが、そこが気に入ってるだけにあんまり作中でわかりやすく言及しないでほしかったなーとも思います。
あとあと、原作を読んでると納得できるのかな?…劇団ひとりの起用にw
演技はうまいんだけどそういう問題じゃなかったwホントになんで??w
原作を軽く超えた脚本
映画は省略の芸術である、と言ったのは誰だったか。
時系列順に並べた原作では、エンジェルホームの下りが無駄に長かったが、映画では過去と現在を交互に描いている。
それ故に原作を大幅に省略することが可能になり、かつて自分を誘拐した女と同じ道を辿りつつある少女を上手く対比させることに成功している。
対比させることにより、少女は、女の感情を理解し、残してくれたモノを認識していく。
先に生まれた者が後から生まれた者に何を残せるか。
女は少女に、少女はまだ見ぬ我が子に…精一杯の愛情を与え、出来る限りの物を見せたいと願う。
七日しか生きられない蝉が自分が生きられない八日目に何を託せるか…「八日目の蝉」と銘打った秀逸なタイトルを見事に表現した。
本もいい!ドラマもいい!!映画は、もっといい!!!
2回今作を鑑賞して、
ようやく感情が落ち着いてきました。
1回目は、それほどまでに感情を揺さぶられてしまい、
感動なんて言葉では言い表せない、他人から見れば、
錯乱状態と言ってもいいかもしれないほど、自分の、
あらゆる感覚をコントロールできなくなっていました。
その証拠、1回目は
GW前半の鑑賞でしたので、
翌朝別の作品を見た出来事。
予告編は、なんともなかったのですが、
劇場が暗くなり、本編を前に、なんともいえぬ
静寂が訪れた時、本編が始まる前の真っ暗なスクリーンに、
今作の映像と音楽が映っているように見えて、思わず落涙。
当然、その作品には、集中しきれませんでした(苦笑)
◇ ◇
原作:クライマックス、通勤車中で感涙
NHKドラマ:檀れいさんの「薫」の声が、
今もなお脳裏に焼きつく。毎週、号泣。
ちなみに私の愛読雑誌では、このドラマを
2010年ベストドラマに選出しています。
そして、今作の順番を辿って、ここまで来ました。
短い予告編だけで、涙を必死にこらえてしまう。
ときには、あとで、始まる本編以上に感動していたことも。
そんなハイテンションの中、
1回目は誰も視界に入れたくなかったので、前方で、
2回目は全体を見たかったので、劇場のど真ん中で鑑賞しました。
★彡 ★彡
1回目:予告編でも使われた終盤港の俯瞰ショットは芸術品だな
2回目:あのセリフ、1ヶ所だけだったんだ。
前振りは自転車の乗り方だけじゃなくて、うつ伏せ寝もそうだったんだ
※作品全体については、皆様が書かれていらっしゃいますので、
もしかすると、若干、個人的(ディープ)な方向に向かうかもしれません
1回目。
作品のカギを握ると注目していたのは、
小池栄子さんと、森口瑤子さんのお二人でした。
井上真央さん自体が能弁な設定ではありませんので、
そのお二人が、井上真央さん演じる恵理菜さんの感情を
近しい者のセリフで、観客にわかるように浮き彫りにできるかが
重要なポイントになると見ていたのです。
結果は、スタンディングオベーションものですね。
小池栄子さんは、図々しさと気弱さといった相反した
役柄だったのですが、恵理菜の感情を浮きだたせるだけでなく、
二人が幼少のころにいた某ホームの異常性と、そこにいたが故の
悲哀も浮きだたせてくれていました。他にも、あるのですが字数が(苦笑)
森口瑤子さんは、恵理菜くらいの年齢の母親には
ちょっと若すぎるかも、と懸念もしていたのですが、逆に大成功。
恵理菜が、森口瑤子さんにあることを告げるシーンが、
井上真央さんのクランクイン後、初シーンだったのですが、
そんなこと、指摘されるまで、気がつかないほど、井上真央さんの
演技を陰陽の対になって立体感を与えています。ちなみに、私は、
このシーン、井上真央さんの仕草が、一瞬マリア像のある姿の重なりました。
◇ ◇
2回目。
自然に、1回目で気になったことや、
細部を、じっくり見ていくこととなりました。
動きの前振り。
1回目に気がついたのは、
自転車の乗り方と夜空の星の見上げ方の2点だけ。
血は繋がっていなくても
母子の癖は似るんだ、と、
周りが静かな中、一人号泣してました。
今回、気がついたのは、
冒頭にも書いたうつ伏せ寝。
1回目は、そのあとにくるシーンの
井上真央さんの色気のなさと寝方に疑問が
あったのですが、個人が持つ寝方の癖とわかるような前振りがありました。
2回目、確認したかったのはあと2点。
・幻聴でなければ1回だけ成人の井上さんに薫と呼びかけている
・井上さんが方言を使うタイミング、回数、表情
上は、幻聴のような、幻聴でないような結果でした。
きっと、感情が昂ぶりすぎて冷静さを欠いていたんでしょう。
下は、もっと使っているかと思っていたのですが、1回だけでした。
それが、記憶を取り戻す、中押しのシーンになっていました。そのあとは、
一切、方言は使いません。それが、無意識でふと出てしまったことを表す
人間の特性になっています。ここは、仮に外国で字幕で表示された場合は、
表現仕切れないと思いますので、関係者の皆様、工夫をしてもらいたいです。
★彡 ★彡
1回目も2回目も涙が止まらなかったのは、エンドロール中。
恵理菜が伝えたいことが、
中島美嘉さんの歌詞につまっています。
“あなたに名前を呼んでほしくて
はじめて声をあげ泣いたよ“
ここなんて、フレーズを聞いた、
こっちこそ、涙涙でございます。
5点以上なのですが、
5点が上限なので、5点にします(大満足)
小池栄子がいい演技している
劇中、八日目の蝉は幸せなのか不幸なのかという議論があり、
不幸なのではないかとの結論になった。理由は、普通、蝉は7日目で死んでしまうので、1日長く生きながらえても、誰もいなくなった世界でたった一人生きても意味がないという理由だった。
そこでちょっと疑問に思ったのは、同じ日に生まれた蝉なら8日目には自分しかいなくなるかもしれないが、自分が生まれた後に生まれた蝉とは8日目になっても一緒ではないかと。
映画ではその後に別の結論に達して、ラストシーンへとつながっていくことになります。
子供がでくるとどうしても泣かせられてしまいます。
小豆島のきれいの風景と小池栄子の演技が巧かったのが印象に残りました。
他の人と違う景色が見れるかも
原作を読んでから観た映画。
原作と映画はほぼ変わらず、満足できる内容だった。
原作が暗い内容だから、見た後にハッピーにはならない。
”ほかのどの蝉も七日で死んじゃうんだったら、べつにかなしくないかって”
”だってみんな同じだもん”
”なんでこんなに早く死ななきゃいけないんだって疑うこともないじゃない”
”でも、もし、七日で死ななかった蝉がいたとしたら・・・”
”仲間はみんな死んじゃったのに自分だけ生き残っちゃったとしたら”
”そのほうがかなしいよね”
まったく、その通りである。
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