ブラック・スワンのレビュー・感想・評価
全281件中、81~100件目を表示
「パーフェクト」って、呟いて
優れた監督は、常に自分にとって新しい作品を撮ろうとする。そして、飛翔する。
だがそれと同時に、同じ話を、何度も撮る。
例えばイーストウッドの『ミスティック・リバー』と『ミリオンダラー・ベイビー』はある意味で同じものを撮っているし、コーエン兄弟の『ファーゴ』と『ビッグ・リボウスキ』もそうだし、クリストファー・ノーランの『メメント』と『インセプション』もそうだ。
これはおそらく、小説にも同じことが言える。かつて村上龍は、『愛と幻想のファシズム』のあとがきで、冬二とゼロとフルーツを『コインロッカー・ベイビーズ』の「キク、ハシ、アネモネの生まれ変わり」であると言った。
ダーレン・アロノフスキーという超絶的に頭のいいこの監督の作品を僕が初めて観たのは十九歳の頃で、作品は彼のデビュー作である『π』だった。
神の数字というアイテムも魅力的だったが、僕が『π』で何より気に入ったのは、天才数学者マックスが作中で唯一笑顔を見せたのが、「神にもらった頭脳を捨てた」後のラスト・シーンだった、という点だった。「何が幸せかなんてわからねえぜ」というその結論はおそらく、天才的な頭脳の持ち主であるアロノフスキーの自意識に他ならなかったのだと思う。
ハッピー・エンドでもあり、バッド・エンドでもあるという、人生そのものの縮図であるかのような両義性。それが『π』という映画の核心であったと思う。
その十年後、アロノフスキーは『π』と同じ物語を、『レスラー』で描ききってみせた。天才数学者のサスペンスと、落ちぶれたレスラーのヒューマン・ストーリーで、全く同じことをやってのけたのである。
そしてこの『ブラック・スワン』を、アロノフスキーは「『レスラー』の姉妹編」であると言った。僕のような素人が外から見ていて指摘するまでもなく、この天才は、確信的な反復を繰り返している。
ストーリーの基本線は、究極の芸術性を求めるが故に墜落し、破滅へと向かうバレリーナの物語である。こう書くと、ちょっと『地獄変』みたいだが。
例えば街を行くナタリー・ポートマンを手持ちカメラで追っかけるブレブレのカメラ・ワークなんかはいかにもアロノフスキーらしい演出で、正直、そういうことをやられると「わざわざそんな撮り方する必要あんのかよ」と思ってしまう僕の趣向には合わないのだが、ただまあ、アロノフスキーはきっと、そういうふうに撮りたかったのだろう。撮りたかったら、撮るべきである。
アロノフスキーらしいと言えば、作品の空気感は、かなり『π』に近い。サスペンスの形態をとったデビュー作で発揮されていた不穏ないかがわしさは、リアルなヒューマン・アプローチの『レスラー』では影を潜めていたが、本作ではその病的な不吉さが全編を覆い尽くす。僕ははっきり言って、こういう圧倒的な映像的予感みたいなものが大好きである。このあたりは、アロノフスキーの面目躍如といったところだろうか。
その一方で、例えばラストのバレエのシーンで見せる、実に映画的な創意と寓意に満ちた、真っ向勝負の「画」としての美しさ。技術を駆使しながら、決して「小手先」で終わらないその力技。
ここに、アロノフスキーの成長があり、飛躍がある。突出した頭脳の中で転がして映画を撮ったような若者が、いつの間にか、本物の画を撮る監督になっていた。
悪魔が舞い降りた瞬間の、鳥肌が立つような刹那の衝撃性。善も悪もとっくに超越して、どうにもならないほど狂っているのに、あり得ないくらいに美しい。
これは、転落の物語であり、破滅の物語である。
でも、阿呆な僕も、ラスト・シーンでようやくわかった。嗚呼、結局この人は、『π』や『レスラー』と同じことをやろうとしていたんだな、と。
これは墜落の物語であり、飛翔の物語だったんだな、と。
それが、アロノフスキーという人の物語なのであって、きっとそれは、永遠なんだろうと思う。
通常の文脈においては対照的に位置する二つの物事が、人生というわけのわからない舞台の上では、ときには手の平に握りしめられた一枚のコインの表と裏に過ぎず、咲いて枯れて、飛んで落ちて、生きて死んで、ひとつのシーンの中に、その全てが、ある。
その二つの極点が同時に見えたとき、人はときに、「パーフェクト」と呟いたりする。
そんな、奇跡のように素晴らしく、狂おしいほど美しい一瞬を、恐ろしいほどの正確性をもって切り取った映画を観たとき、人はときに、「パーフェクト」と呟いたりする。
闇
官能的なシーンが多いとは思ってなかったので心構えができておらず少しげんなりでした。
黒鳥を踊る上で必要なシーンだったのかもしれませんが、ちょっと多かったかな。
後半になるにつれてナタリー・ポートマンの演技が凄みを増して本番での白鳥・黒鳥を踊るシーンでは名曲と相まってとても良かったです。
官能的でミステリアスで不気味な要素もあって色々と賞をとっているのがよくわかる作品でした。
トップは自分との戦い
頂点にたつ人はプレッシャーも人一倍。それに耐えうる精神力と強さが必要で、敵は自分の中にある。
真剣だからこそ狂気に捕らわれるんだろうなぁと思った。
ある一線を越えられないのは自分自身
これ、親と見ないで!!
わたしは、親と見に行ってしまった。
あんな場面があるとは知らず………
もーいやでした!
うーなんど一人で見たかったと
上映中思ったことか………
見た方には、気持ちがわかるはず………
映画事態は、すごくよくて
具合が悪くなりそうだったんですが、
考えさせられる内容で
いろんなプレッシャーに
潰されそうになりながら、
舞台にたつんだと
わかってはいても
こんなにすごい精神的ストレスなんだと、
芸能界もこういうのがあるのかな?とかこわくなりました。
因みに独身20代に母親60代でした。(笑)
見れる家族もいるかもしれませんですが
気不味いです。
私が思うだけかもしれませんが
すごい映画だったね。って
終わったあとカフェでランチしましたが。(笑)辛かったです
重苦しいけどのめり込む
主演のナタリー・ポートマンの演技が素晴らしかったです。終盤にかけて追い詰められていく彼女を見てこちらもどんどん追い詰められるような感覚…。オチは鑑賞中になんとなく勘付きましたが、それでも最後まで世界観にのめり込むことができました。
すごい痛々しい…
この映画怖そうで敬遠してたけど
ネオンデーモン観て、連想させられる作品として
挙げられてたから観ました
たしかに随所似てたけど、
主人公のキャラが丸っきり違うね
どこまでが夢?とか似てた
ささくれとかマジで痛そう
目背けたくなる
ママは本当心配だろーなあ
自分自身が敵だってことを
体現したような映画
自分と戦ってた
最後、ニナは大喝采を浴びたけど
同じようにナタリーポートマンには
歓声を浴びせたい
しかし可哀想なくらいガリガリだった…
挿入角度を変えるイメージが大切
映画館で観ましたよ。ナタリーポートマン
映画って記憶に結構残る感じ。
「ブラック・スワン」を観た私の記憶はココでは出さない。出したくないからだ。
「ブラック・スワン」を観た私が今思う事を書く。
身体なのだよ身体。だが待て身体だけとも限らない。
ではなんだテクニックかテクニックが好きなのか?
フェロモンか?結局はなんだなんだ待て待て。
映画館で観て以来見てないが見たいのだDVDも持っているのだ持っていながらなぜ見ない俺。
最初に観た時の感じが変わってしまう気がするから見ることを躊躇してるのではないか?私はおそらく
好きな作品は一回しか観てない事が多いように思う。
いつでも見れる状態は作るだけれど見ない。
ブラック・スワンは好きな作品
ややこしい事は言わない。いや言えないのだが
まだ見てない人がいれば見て欲しい。
全281件中、81~100件目を表示