ブラック・スワンのレビュー・感想・評価
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変化
この映画を、大役のプレッシャーに押しつぶされて心を病んで暴走してしまった自傷癖の女の子の話、とでも表現する人がいるのなら、私はこの上なく幻滅する。
この映画の主題は、白鳥の変化である。
つまり、良い娘であり優等生だったニナが自らの純潔を殺し、自分で刺した刃にもがき苦しみながらも、どこまでも自由で孤高に美しい黒鳥へと姿を変える、その葛藤こそが見どころなのだ。
少女が自分の中の処女(比喩)を汚す苦しみ、わかんないかな?わかんないんだろうな。どうせみんないつか忘れてしまうんだろう。
「愉しみを知れ」と言うような無責任でエゴイスティックな大人が私は大嫌いだ。おじさんが言う「芸術のためのエロ」なんて私は絶対信用しない。
途中何度か姿を現す暴力的で攻撃的なニナは黒鳥としての本性。ニナは黒鳥であると同時に白鳥だった。なぜなら芸術に殉死したニナの在り方そのものを見た時、どこまでもまっすぐで誠実で純潔だからだ。
サイコホラー的な演出や猟奇的なレズセックスも刺激的で私は面白いと思った。
夢に取り憑かれて狂う心
DVDで鑑賞(字幕)。
ナタリー・ポートマンの迫真の演技が印象的でした。
最高のプリマを目指し、ひたすらバレエの練習に励む主人公。完璧を求めるばかりに、心身に変調を来していきました。
彼女を襲う幻聴、幻覚の数々がとても怖い。精神を蝕まれていく様が強烈で、アカデミー主演女優賞の受賞も納得。
主人公がひたすら追い詰められていき、きらびやかなはずのバレエの世界でどん底へと滑り落ちていく。心を掻き乱されました。その様があまりにも悲惨だったので…
私はこう云うジャンルの映画を観るのには向いていなのかもしれないな、と思いました。面白かったのですが、もう一度観る気は起きないなと確信し、DVDは売りました(笑)。
※修正(2024/03/13)
「白鳥だけなら君を選ぶのにな」と言ってたトマス・ルロイ(カッセル...
「白鳥だけなら君を選ぶのにな」と言ってたトマス・ルロイ(カッセル)に突然キスされたときに唇に噛みついたニナ(ポートマン)。そのおかげでプリマに選ばれたのか?
最初から自分陰の部分のの幻影を見ているニナ。狂ったように幻覚に悩まされるのはリリー(クニス)からもらったヤクのせいだけじゃないのだろう。全ての幻覚の始まりは、ニナが憧れのベス(ウィノナ・ライダー)から盗んだ口紅やらナイフなどのせいじゃなかったろうか。
肩甲骨あたりにある引っ掻き傷。幼い頃からの癖で寝ている間に掻き毟っていたのだろう。そこから生えてくる黒い羽根なんてのはどことなくゴシック・ホラーだ。逆剥けをむしり取ろうとして指の根っこまで皮が剥けるとか、深爪するとか、皮膚を掻き毟るとか、足の爪が割れるとか、顔にナイフを刺すとか、まるで80年代のホラー映画のよう。
バレエに関しては完璧さを真面目に追い求めてきたプチ優等生のニナ。しかし、自分をさらけ出すべき演技に限って言えば、臆病さが邪魔して自分を解放できないままでいる。トマの唇を噛んで誘惑を断ち切ったことが、ちょっとだけ自分らしさを表現したと思われ、プリマに選ばれた。しかし、ホワイト・スワンとブラック・スワンの両方を演じ分けねばならぬ「白鳥の湖」。相当なプレッシャーだ。しかも舞台監督トマさんは、官能的という要素を加えたアレンジで芸術を追い求める。そのため、処女か?とかセックスをエンジョイしてるか?などという質問で性的抑圧から解放しようとしたりするのだ。彼女もそれに応えたい・・・そんなとき、サンフランシスコのバレエ団からやってきたリリーの存在が大きくなる。彼女なんかは背中に刺青しているし、もろブラック・スワン向きなのだ。彼女の誘いに乗ってしまい、クラブで酒を飲むことになったニナ。クスリを酒に入れてる現場を見ながらも、つい飲んでしまった。ラリってしまったので、そこで男とセックスしてしまった(よくわからないが)。その後、アパートに2人で帰り、レズプレイに走るニナ。クンニでイってしまったニナ。そういやプリマに選ばれたとき、監督からオナニーせよという宿題を与えられてたっけ。
稽古していても鏡に映る自分の動きがおかしい。自分が他にも見えるし、蹴落としたライバルのヴェロニカの顔も何度も現れる。そして、プリマの代役として選ばれていたリリーがニナの主役を奪おうとしていることに危機感を覚える。さぁ、初日の舞台。王子役のダンサーに落とされたりしたものの無難にこなし、衣装替えのために楽屋に戻り、黒鳥役を奪おうとしたリリーを刺し殺してしまった・・・実は自分の腹を刺していたというオチ。
心理スリラーなどという触れ込みだったけど、よくできた作品。妊娠したため意に反して引退したママ(バーバラ・ハーシー)も娘への嫉妬があり、プレッシャーに苦しむ彼女を精神的に追い込んでいく。公演当日に寝坊したというのに、「気分が悪いと伝えといた」だもんな。じゃ、なんで今までバレエやらせてたんだよ!(笑)
それでも一番の追い込み役はリリー。プリマを奪おうとは思ってないのだけど、自由奔放で小悪魔的な彼女の存在は、黒鳥そのもののような性格を真似しようとしていたに違いない。しかし、初日の演技は完璧そのもの。楽屋で刺したのが良かったんだな。
ウィノナさんじゃないですか
『レクイエム・フォー・ドリーム』で薬物恐怖のトラウマをよいこのみんなに植え付けてくれたダーレン・アロノフスキー監督。次のターゲット(違います)はメンタル弱目の悩めるバレリーナ。
お酒とお薬がちょっぴりあるとはいえ95%は素面なのになのに…。虚実のさかいめがどんどん曖昧になっていき追い詰められていく主人公。ホラー描写での鏡の使い方がまたうまい。
ところでキャスト見るまでウィノナだとわからなかった。しかもこの役どころ。Oh...
どこからどこまでが 妄想と現実だか、わからなくなる 編集が凄いなと...
どこからどこまでが
妄想と現実だか、わからなくなる
編集が凄いなと思った。
怖くて怖くて、、。
サスペンスフルでダークで
美しい映画。
ナタリーポートマンの
前半のピュアな女の子から
後半は大人っぽくなっていく
表現が凄いなと思った。
あの、精神的に壊れていく表現も凄いなと思った。
ヴァンカッセルの
あのコーチのくずさ、あの変態感?(笑)
の表現が凄いなと思った。
ミラの大人っぽいけど、陰のある、
リリーの表現も良かった。
まるでホラー映画のよう。
映画の教科書のような映画です。主人公は何かに憧れているが、自身の性格や周りの環境からかなれない。夢を叶えるため、それを破壊しようという展開。この映画の場合、毒親のせいでか弱い主人公は白鳥は演じられても黒鳥は演じられない。主人公はその性格や環境を自ら変えていくわけだ。
役を取られてしまうのではないかと恐怖や心配がとても良く描かれた映画です。
ナタリー・ポートマン渾身の演技!
内容的には暗くて救いようのないサイコスリラー作品。観終わっていやーな気分になった。ただそれを差し引いてもこれを観ればナタリー・ポートマンがこの作品に掛けた気持ちや覚悟が伝わってくるよーな渾身の演技。これは観てあげないといけなかったな!と勝手に思った。
重圧と成熟
まぁー暗くて救いのないストーリー。
でもナタリー・ポートマンの演技、情報量の多い映像、
そしてテーマに対する踏み込みのの深さ、全て高レベル。
もう高レベルすぎて鑑賞後の振り回された感がハンパなかった。
僕がこの作品のメインテーマとして捉えたのは「成熟」。
主人公・ニナは重圧に耐えきれず潰れてしまったけど
人が大きく成長・成熟するときは、
広い意味での苦痛が伴うものなのかもしれない。
ともあれ、自省的なストーリーや示唆に富んだ(映像の)隠喩など
すごく純文学的な作品だったと思う。
観てて辛いシーンも多くてエンタメ色は全くないけど、
観て良かったとは思えるのでけっこう高評価です。
ポートマン、演技の極致。
リアル指向のヒューマンドラマ、ではなかった。
サイコスリラーというのでしょうか、そのような要素があり結構怖いです。そして痛い。
ですが、現実と非現実の境が失われて主人公が狂っていくまでの過程がしっかり描かれています。ラスト15分ほどの怒涛の展開には釘付けになりました。
主人公は最後、どうなったのか…
ナタリーポートマン、迫真の演技。努力と才能をフルに使いきった感じ。素晴らしい。
ハラハラドキドキ
ナタリー・ポートマン見たさに鑑賞しました。人間の弱さと狡さと怖さがよく描かれていると思いました。重圧下での人間の心理、自分の生活の中にも当てはめられる部分があるなと。すごく引き込まれました!!
わかるけど怖かった
ウィーンにあるユダヤ博物館に行ったら、この映画の最後の怖い場面が何度も繰り返しモニターでみることができるようになってた。彼女がイスラエルの人だから?その演技にユダヤの何かがあるから?
説明は色々あったけれど、ひたすらその場面のリピートの意味がよくわからなかった。怖かった。
でも、映画そのものは面白い、というか一度は見る価値あるのかなと思いました。あんまりにも痛そうなのでまだ1回しか見ていませんが。
「パーフェクト」って、呟いて
優れた監督は、常に自分にとって新しい作品を撮ろうとする。そして、飛翔する。
だがそれと同時に、同じ話を、何度も撮る。
例えばイーストウッドの『ミスティック・リバー』と『ミリオンダラー・ベイビー』はある意味で同じものを撮っているし、コーエン兄弟の『ファーゴ』と『ビッグ・リボウスキ』もそうだし、クリストファー・ノーランの『メメント』と『インセプション』もそうだ。
これはおそらく、小説にも同じことが言える。かつて村上龍は、『愛と幻想のファシズム』のあとがきで、冬二とゼロとフルーツを『コインロッカー・ベイビーズ』の「キク、ハシ、アネモネの生まれ変わり」であると言った。
ダーレン・アロノフスキーという超絶的に頭のいいこの監督の作品を僕が初めて観たのは十九歳の頃で、作品は彼のデビュー作である『π』だった。
神の数字というアイテムも魅力的だったが、僕が『π』で何より気に入ったのは、天才数学者マックスが作中で唯一笑顔を見せたのが、「神にもらった頭脳を捨てた」後のラスト・シーンだった、という点だった。「何が幸せかなんてわからねえぜ」というその結論はおそらく、天才的な頭脳の持ち主であるアロノフスキーの自意識に他ならなかったのだと思う。
ハッピー・エンドでもあり、バッド・エンドでもあるという、人生そのものの縮図であるかのような両義性。それが『π』という映画の核心であったと思う。
その十年後、アロノフスキーは『π』と同じ物語を、『レスラー』で描ききってみせた。天才数学者のサスペンスと、落ちぶれたレスラーのヒューマン・ストーリーで、全く同じことをやってのけたのである。
そしてこの『ブラック・スワン』を、アロノフスキーは「『レスラー』の姉妹編」であると言った。僕のような素人が外から見ていて指摘するまでもなく、この天才は、確信的な反復を繰り返している。
ストーリーの基本線は、究極の芸術性を求めるが故に墜落し、破滅へと向かうバレリーナの物語である。こう書くと、ちょっと『地獄変』みたいだが。
例えば街を行くナタリー・ポートマンを手持ちカメラで追っかけるブレブレのカメラ・ワークなんかはいかにもアロノフスキーらしい演出で、正直、そういうことをやられると「わざわざそんな撮り方する必要あんのかよ」と思ってしまう僕の趣向には合わないのだが、ただまあ、アロノフスキーはきっと、そういうふうに撮りたかったのだろう。撮りたかったら、撮るべきである。
アロノフスキーらしいと言えば、作品の空気感は、かなり『π』に近い。サスペンスの形態をとったデビュー作で発揮されていた不穏ないかがわしさは、リアルなヒューマン・アプローチの『レスラー』では影を潜めていたが、本作ではその病的な不吉さが全編を覆い尽くす。僕ははっきり言って、こういう圧倒的な映像的予感みたいなものが大好きである。このあたりは、アロノフスキーの面目躍如といったところだろうか。
その一方で、例えばラストのバレエのシーンで見せる、実に映画的な創意と寓意に満ちた、真っ向勝負の「画」としての美しさ。技術を駆使しながら、決して「小手先」で終わらないその力技。
ここに、アロノフスキーの成長があり、飛躍がある。突出した頭脳の中で転がして映画を撮ったような若者が、いつの間にか、本物の画を撮る監督になっていた。
悪魔が舞い降りた瞬間の、鳥肌が立つような刹那の衝撃性。善も悪もとっくに超越して、どうにもならないほど狂っているのに、あり得ないくらいに美しい。
これは、転落の物語であり、破滅の物語である。
でも、阿呆な僕も、ラスト・シーンでようやくわかった。嗚呼、結局この人は、『π』や『レスラー』と同じことをやろうとしていたんだな、と。
これは墜落の物語であり、飛翔の物語だったんだな、と。
それが、アロノフスキーという人の物語なのであって、きっとそれは、永遠なんだろうと思う。
通常の文脈においては対照的に位置する二つの物事が、人生というわけのわからない舞台の上では、ときには手の平に握りしめられた一枚のコインの表と裏に過ぎず、咲いて枯れて、飛んで落ちて、生きて死んで、ひとつのシーンの中に、その全てが、ある。
その二つの極点が同時に見えたとき、人はときに、「パーフェクト」と呟いたりする。
そんな、奇跡のように素晴らしく、狂おしいほど美しい一瞬を、恐ろしいほどの正確性をもって切り取った映画を観たとき、人はときに、「パーフェクト」と呟いたりする。
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