BIUTIFUL ビューティフル : 映画評論・批評
2011年6月14日更新
2011年6月25日よりTOHOシネマズシャンテほかにてロードショー
ハビエル・バルデムの底光りする存在感に魅了される
情感豊かで、深く心が揺さぶられる作品だ。それはひとえに、ハビエル・バルデムの存在感が「ノーカントリー」や「海を飛ぶ夢」を凌駕するほど、不気味に底光りしているからだろう。だが、テーマ的にとてつもない暗さや重さをはらんでいて、おいそれと他人にお薦めできないのが玉にキズである。
バルデム演じる主人公ウスバルは、スペイン・バルセロナの薄汚れた裏社会で犯罪同然の仕事に手を染め、生き延びている街のチンピラだ。時には死者と交信できる霊能者として小銭稼ぎをする一方で、幼い頃に生き別れた自分の父親の姿を探し求めている。また小さな子どもたちにとっては献身的な父親だが、いまだに苦痛の種である躁鬱病の元妻とも縁を切れないでいる。それでもまだ“受難”が足りないか、彼は末期がんの宣告を受ける。
イニャリトゥ監督は黒澤明の「生きる」にオマージュを捧げながら、ウスバルの“受難”がより際立つように演出。生と死、肉体と精神、罪と罰といった二律背反する要素をくっきりと共鳴させている。それゆえ、子どもたちの未来を模索し、痛みに耐えながら街を彷徨うウスバルの姿は殉教者キリストのようにも見える。しかし、死にゆく彼よりも悲惨な生き方しかできない元妻も、セネガルや中国から来た仲間の不法労働者も、彼は誰ひとりとして救済できない。これがどうにもやるせない。
ウスバルの眼を通じて、誰もが目を背けたくなる悲しい現代社会の歪みが描かれる本作だが、彼が絶望の中に希望の光を見つけるように、観る者の心も最後の最後でようやく自由に解き放たれる。鎮魂歌のように流れるラベル「ピアノ協奏曲」第2楽章が美しくも悲しく響き、胸に突き刺さる。
(サトウムツオ)