わたしを離さないでのレビュー・感想・評価
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うわっ!予想とぜんぜん違ってた…
4月6日、日比谷シャンテにて鑑賞。
「女の子2人と男の子の甘酸っぱい青春物語」って感じの映画なのかなと思っていましたが、ぜんぜん違ってました。
冒頭の字幕を見忘れると中盤くらいまで置いてけぼりを食らいます。
おもしろくもなく、かといって駄作でもないと思うし、いろいろ突っ込みどころがあると思いますが、こういう映画って結構記憶に残るようなきがしました。
余命と感情。
原作は読まず(というか知らず^^;)観てみた。
とある映画情報番組で、「これは近過去SFですね。」と言っていた。
…巧いこと言う!!
そうなのだ。描かれている世界、これから為されることは他作でも
描かれているが、今作にはなんとも古めかしい70年代のテイストが
溢れ(もっと昔でも通じそうだけど^^;)その景色の美しさと彼らの
恋愛、命に対する価値観や真相が相まって、泣けてくるのである。
まぁ欲をいえば…観た時期が時期なだけに(震災後)正直辛かった。
映画に文句をつける気はないが…儚く散った命を前にして、それを
引き延ばすための存在が平然と作られている内容に、鬱積を覚える。
しかし本作はその面を強調せず、彼らの日常と規律、恋愛、行動に
焦点を絞り、普通の人間と何ら変わらない価値観を浮き彫りにする。
もちろん…そうでなければならないのだが、彼らがある噂を信じたり、
自身のルーツに興味を示したり、やがて恋愛したり…と、まるで普通
の価値観を持って育ってきたことに、教師達は興味を示し、私達は
より哀しみを増す結果となる。。
平然と職務をこなす校長やマダムに対し、新任の教師はその現実に
耐えきれず、彼らに真相を話して辞任させられる。ごく普通の見解を
改めて否定され、私達観客もかなりショックな展開となる。
しかし…。
この状況で生まれ育ち、外界のことを何も知らないで育った彼らが、
少しずつ真相に近づく過程は、確かに哀しいのだが、観応えがある。
絵画が上手と評判のトミーは、それが自身の愛と能力を示していると
雄弁に語るが、希望を打ち砕かれて大きく泣き叫ぶ。
それを冷静に見守るキャシーも、彼らに割って入ったルースも、皆
運命に逆らうことはできないままなのである。
これが近未来の?SFとなれば、すぐさま反乱!!となりそうだけど、
今作にはそれもない。運命は運命として。受け入れるのが当然の如く。
原題にもなっている「NEVER LET ME GO」
映画ではこのテープを聴きながら、キャシーが枕を抱くシーンが
印象的だが、原作ではもっと心に残るシーンになっているそうだ。
例えば自分の余命がどこかで判明し、もう長くはないと知った時に、
それまでの月日を楽しむか、医療技術に希望を託すか、運命をどう
受け入れるかは様々だと思うのだが、アンチ○○というのはイヤだな
と思うのが私の考え方。流れに逆行して老いや病を止めても、いつか
近いところで頻繁にお逢いすることになる…老いや寿命があるから
人間はいまを大切に生きようと思うのであって、機械ではないのだ。
(この施術が近過去に行われてなくて良かった。未来もやめようね。)
魂は実在する
人間の醜い部分を見せつける映画。
マダムと校長は、臓器移植のために誕生させたクローン人間には、魂がないと結論づけたわけです。
あれほど愛し合い、嫉妬し、泣き叫んだクローン人間に魂がないとはどういうことでしょうか?
愛し合うという行為は、魂が実在している証明にならず、単なる化学反応の一種にすぎないと言いたいのでしょう。
しかし、マダムと校長は厳密に考えての判断ではなく、単に自分達に都合が良くなるように、強引に彼らを魂がないと決めつけたのではないでしょうか。しかも別れ際、優しい言葉をかけ、自分達は良き理解者、善人だとでも言いたいように。利己的な面−自分自身の利益のために他人を欺く、決して相手に直接気付かれないように、なるべく悟られないように、そして自分は善良な人間であると一生自分自身を騙し続けて生きていく。そして大部分の人間は、かわいそうだと言いながら、見て見ぬふりをして生きていく。
人間社会が出来てから今まで決してかわらない人間の本質。
ナニモノにも、なれないから
カズオ・イシグロの同名小説を、キャリー・マリガン、キーラ・ナイトレイといった俳優陣を迎え、マーク・ロマネク監督が映画化。
一見すると、極めて特殊な環境の中にあって激しく燃え上がる愛を描くラブストーリーのようにみえる。しかし、頭を真っ白にして物語に向き合っていくと、本作の意図する世界はそれほど単純ではないことに気が付く。
淡々と、激しい感情を敢えて排除するように構築された静かな世界。それでも、この作品はある一つのポイントを経て、流れが変わっていく。それは、「自分たちが、臓器売買のために作られた商品である」という現実を知らされる場面だ。
明日が当然のように訪れ、友達を作り、恋をする。そんな、自分次第でどんな道でも歩いていける未来を信じていた子供たち。だが、自分たちが単なる他人の延命のため作られた商品であると知ったとき、彼等の世界は変わる。
どんなに笑っても、背が伸びても、髪が伸びても、「未来に敷かれた一本の道を踏み外すことは出来ない」。この前提が幼い魂を支配し、突き進む青春を本人達が拒絶しているように見えてくる。
ここで忘れてはいけないのは、子供たちが恐れているのは「決められた、死」ではないことだ。それは彼等自身がどんな人間にも襲い来る運命だと分かっている。何より恐れているのは「何者にも、なれない」ことである。誰かの姿を借りて、生きる自分。そこには「わたし」はない。道具として管理された「家畜」の如き生物しかいない。何にでも変わっていくという人間の本質的な活力を奪われたとき、そこに残るのは空虚だけだ。
身体は成熟し、臓器を失ってもその空虚な心は満たされない。だからこそ、本作には「死」を残酷に描かず、完了、終了という達成感をもって考える視点がある。今、どんなに苦しくても明日が来て、息をして何かに変わっていくことを許された私達は、どんなに幸せか、明るいか、静かに本作は私達に突きつけてくる。
臓器売買、クローンという特異なテーマに目を奪われがちだが、その裏にあるのは、今を生きる私達の無限の可能性を剥き出しにして提示する沈黙の応援歌だ。
腐るな、愚痴るな、とにかく生きろ・・ナニモノかになれと、歌っている。
何かが足りない気がする
期待が大きすぎただけに何か物足りない気がしました。本当に愛し合った二人には臓器提供の猶予期間が与えられるという部分をもっと膨らませてくれるといいのにな、と思いました。が、それでも後半はずっと涙が止まりませんでした。
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