約束の葡萄畑 あるワイン醸造家の物語

劇場公開日:

約束の葡萄畑 あるワイン醸造家の物語

解説

「クジラの島の少女」で国際的に高い評価を得た女流監督ニキ・カーロが、ニュージーランドの作家エリザベス・ノックスのベストセラー小説を映画化。19世紀フランスのブルゴーニュ地方を舞台に、ワイン造りに全てをかける男と取り巻きの女たち、そしてワインづくりを導く天使が織り成すドラマを描き出す。「ある子供」のジェレミー・レニエ、「マイレージ、マイライフ」のベラ・ファーミガら実力派俳優による競演も見どころ。

2009年製作/126分/PG12/ニュージーランド・フランス合作
原題または英題:The Vintner's Luck
配給:東北新社
劇場公開日:2010年10月23日

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(C)2009Ascension Film Kortex Acajou Films

映画レビュー

4.0ギャスパー・ウリエルは天使になった

2022年3月7日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

「僕は、褒美も罰も与えない。現れるだけだ」。

2022年1月19日にスキー場で事故死。37歳。

とっつきにくくて触れ合うことを拒む天使の面立ちに重なって
若くして散ったギャスパー・ウリエルの、余りに儚い(はかない)この世への出現 と 逝去。
主人公ソブランならずとも守護天使の消失には呆然自失するばかりだ。
いい俳優だった。

・・・・・・・・・・・・

天的存在(悪魔)の力を借りてその才能を爆発させたと言われるのは ヴァイオリニスト タルティーニだが、
ワインのネゴシアンたちもその能才を夢に見て、天使を捜し、醸造の知恵と幸運を天使に懇願するのも当然だろう。

豊作と凶作、
ワインの当たり年と不作の年、
そして人間の努力と挫折の心の揺らぎを、天使の囁きに教えられる映画だ。

目に見える明らかな成功は嬉しい。
それと同時に逆に我々を苦しめる失敗も 僕らの目を引くし、心を捉えてしまう。
しかし
“天国と地獄のはざまに真実が存在する”のだと
男爵夫人が開いたこの本の言葉。僕らの人生のごくごく平凡な真ん中の部分が、人間生活の大切な核なのかもしれない。

天に属さず、黄泉にも付かず、中空を彷徨う天使、
そしてワイン作りに迷い続けるソブラン。

やっと自分の居場所を見つけた天使がその羽を落として(=寿命という人間の運命を受け入れ、地に這いつくばって生きる一生を負う=)農民になった時の、彼の満ち足りた表情の可愛らしいこと!

・・・・・・・・・・・・

ワイン醸造所に勤め、ブドウ畑を歩いた僕としては、たくさんの事を思い起こさせてくれるすてきな映画だった。

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きりん

3.5私は好き

2018年11月12日
スマートフォンから投稿
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みきねこ

3.0カーロ監督の心の中でも打ち消せない疑念に対する懺悔として本作ができたのではないかと思いました。

2010年11月6日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 「シャトー」として、今では高級ワインのブランドになっている産地が、いまの名声を獲得するまでの産みの苦しみを、ワイン作りに心血を注いだ葡萄農家ソブランの半生を描くことにより綴った作品です。
 ニキ・カーロ監督は、ワイン作りを人生になぞらえているようで、「ワインの味は造り手の生き様を表す」という劇中の台詞に表されています。
 主人公のソブランは、幾たびの挫折や喪失を乗り越えて、理想のワインに近づいていきます。ソブランが手掛けるワインもまた、原料の葡萄の土作りからはじまり、台風や気候の障害を乗り越えて実を結び、年月を越えて円熟していく製造過程を描くことで人の人生との相関しているところを描き出したかったのでしょう。
 シャトーのワインは、物語の後半に病害虫により全滅します。南仏ブルゴーニュ地方の葡萄は、19世紀に病害虫フィロキセアにやられてしまい、昔からあった種類の樹は全滅したのです。それによりソブランを含め産地全体の人が破産に近い状態になります。それでも諦めずに、他の産地から病気に強い苗を取り寄せて接ぎ木し、ワイン生産を諦めなかったことが、今日の栄光に繋がりした。「人間万事、塞翁が馬」ということわざどうり、不運・幸運というのは、転々として予測できないし、むしろ不運を招いたことが、のちの幸運を掴む糧になることもあるというところが本作で伝えたかったメッセージだと思います。

 但し本作で異色なのは、堕天使ザスが登場すること。堕天使といってもルシフェルのように地獄へ落ちたわけではありません。ザスは天国と地獄の中間にいるというのです。煉獄でもないようです。小地蔵には、ザスの言っていることが、なんだかよく分かりませんでした。

 人間に極めて近い天使で、羽は背中から生えいることになっているものの、実際は方からリュクサックのように背負っていました。そして登場するとき、天使に必要な光が全くなく、闇夜の空から飛んでやってくるのです。

 ソブランと出会ったザスは、まずワイン造りのヒントを教えまる。そして、土を味わえと命じ、ワインの味わいに必要な鉱物やミネラル分が場所によって微妙に含有量が違うことを伝えて、誰も手をつけようとしなかった荒れ地を自分の農地として耕すことを提案します。そして別れ際、これからは死ぬまで毎年同じ日にここで会おうと一方的に告げて飛び去っていくのでした。

 このあとザスの後押しで、恋しい人に告白もでき、結婚まで進むことができたソブランは、ザスの言葉を信じて、積極的な人生を歩むことになります。その結果、一農夫がやがて、ワイン工場の責任者の地位まで出世していくのでした。

 しかし、父親の死のとき、傍観するだけで、何も奇跡を起こしてくれなかったザスにソブランは疑問を抱きます。そして、最愛の娘の病死で怒りを爆発させました。
 けれどもザスは、人間の運命はありのままを受け入れるもので、自分には変える力もなく、権限もないと冷静にザスを諫めるのです。小地蔵は、サズの言い分が当然と思いました。聖書は熱心に読むソブランなのに、サズと知り合って、あまりに依存し、奇跡を望みすぎていたのでした。
 このやりとりの中で、小地蔵はカーロ監督の信仰上の疑念と罪の意識を感じました。祈りは聞き届けにれるだろうか。そしてその祈りに対して、御利益を神はお示しいただけるだろうか。信仰を持つ者は、いつも弱き自分の特に信仰心の弱さと向き合っています。そして神仏、その信仰心をお試しになられる時があり、人は皆、自力では度し難い逆境を迎えしまうのです。
 信仰は打算ではなく、商売でもなく、ギブアンドテークを交渉するものではありません。神より愛されていることに、感謝していくことが、信じることの本当の意味だろうと思います。
 聖書でも、ヨブという人が登場して、祈りが聞き届けられないことの不満をぶちまける件があります。神はヨブに対して沈黙してしまいました。娘を失って、ちょうどヨブのような心境にソブランがなっていたのでした。それはカーロ監督の心の中でも打ち消せない疑念に対する懺悔として、ソブランに語らせるのではないかと思ったです。

 ザスは、オカマっけもあり、ソブランに口づけを求めたりするのです。イケメンなのところがかえって気持ち悪くなりました、そして、ソブランと和解したとき、頼んで人間にして貰います。その方法とは、羽を切り落とす荒療治でした。天使の羽って、人間の手で切り落とせるものではありません。ザスって何者なんだと再び訳がわからなくなりました。

 それでも、延々と広がる葡萄畑が映し出されていく映像はきれいです。そして主人公渾身のワインができあがるラストには、ソブランが味わってきた辛酸が深く込められていました。

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流山の小地蔵

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