のぼうの城のレビュー・感想・評価
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思っていたのと少し違った
予告編からのぼうの魅力や知力だけで戦局を乗り越えていくのかと
思いきや、まるで関羽や張飛ばりのスーパー武将たちの個人技で勝利する面もあり、その分リアリティが欠けてしまい拍子抜けに。
石田光成が自ら城に乗り込んで開城条件について話すシーンでは、のぼうを尊敬に値するリーダーとして認め、また勝利者といえど奢らず改めるところは改めると約束する点など、かっこよかった。
「よい戦であった」という言葉もよかった。
あと野村萬斎、佐藤浩市は絵になるね。
※小学生の子どもたちと観たのですが、なんのことやら良くわからんようでした。
何故負けなかった?
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でくのぼう(のぼう)が治める城があって、石田光成に攻められる。
圧倒的に戦力差があったがが、のぼうが色々策を施して最後まで防ぎ切る。
結局上からの命令で開城する。
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うーん、計略もあんまりなるほどと思わんかった。
結局たまたま策が当たり、運だけで凌いだだけでは?
結構長く感じた。
のぼう様が言うんじゃしょうがねぇや
Huluで久しぶりに2回目の鑑賞。
原作は既読です。
この面白さ、比類が無い。のぼう様(成田長親)役に野村萬斎氏を配した時点で本作の勝利は確約されたも同然です。
飄々としているように見えて内に硬い意志を秘めるのぼう様を時にコミカルに、時に力強く体現した演技が絶品でした。
「のぼう様が言うんじゃしょうがねぇや」と力を貸してくれる百姓たちへの人望や人を惹きつける魅力を見習いたい。
上映時間が144分と長尺の部類に入るのにテンポが良くて無駄が一切無く、物語に没入出来るエンタメ感が素晴らしい。
アクションや特撮も迫力満点。何故映画館に観に行かなかったのかと悔やまれるシーンの数々に興奮し手に汗握りました。
組織のリーダーや経営者におすすめの映画です。
野村萬斎の凄さを知った映画です。
戦力面において劣勢の状態から、どのようにして戦況を引っ繰り返すのか、試行錯誤しながら乗り越えていく様は、見応えがあります。
「のぼうの城」で、個人的に一番の注目ポイントは、「心理面のかけひき」です。
戦況を引っ繰り返したメインの策は、「人の心理」を活用しています。
序盤では、のぼう様(野村萬斎)として親しまれる主人公が、何もできない気分感情で動く人として描かれていますが、中盤からクライマックスにかけては、あたかも別人かのように、心理戦に持ち込んで戦況を見事に引っ繰り返すストーリー展開になっています。
いち個人から組織のトップとして、立ち位置を変えるとともに、物事の選択の基準も変化させていくところには、学びが多いです。
組織全体の勝ちを優先するために、個人の感情を飲み込む。
映画ではありますが、見事な結末です。
エンドロールに現代の風景が新鮮!
気になってたけど見ないままいつの間にか時間が経ってしまい。。ようやく見ました。
最後にメインの人物達がそれぞれこの戦いのあとどう過ごしたのか、の後日譚だけならよくありますが、城の跡はあるのか無いのか、現代の様子を見せているのは映画なのに大河ドラマのようで新鮮でした!
あの凄い堤の一部だけでも残っているとは石田三成恐るべし、と思い。(いや、豊臣方はお金使いすぎだろう、とツッコミたくなりました。戦い始まってから即座に堤防作らせるとかスケールが違いすぎる!)
でも堤防作らせるに至る戦いがあってのことなので、なるほどそうやって500vs2万の軍勢でもかなりの抵抗を見せた、というのが分かり、また懐かしい俳優さんもいて良かったです。
タイトルの「のぼう」の意味、知らなかったんですが本編を見て分かりました!
姫をすんなり秀吉の元に行かせたのは、秀吉の側室ともなれば少なくとも今よりも良い暮らしが出来るし、姫が商人やら農夫とかにも転職出来ないだろうから、「姫らしい長い裾の綺麗な着物を着て一応無事に暮らせること」を優先したのかな、と思いました。
史実でも本当に田楽を舞ったのかは分かりませんが、うつけと呼ばれる君主は信長とか天璋院篤姫の夫の徳川将軍とか時々居て、たいていうつけのフリをして敵を欺いていることが多いから、この城代もそういう、本当はキレものだったのかな?と思いました。
そして歌や踊りで敵味方みんなつられてコールアンドレスポンスさせちゃうなんてこの城代、アーティストじゃん!って思いました。
この田楽があるので、他の役者さんだと速攻で覚えても上手く出来ないだろうから、だから野村萬斎さんなんだな、と納得しました。
姫の榮倉奈々ちゃんが家臣達をぶんぶん投げ飛ばす強い姫様で、カッコ良かったです!
東日本大震災の影響で津波をイメージするため公開さえも一年遅れてしまった映画
北条攻めも楽勝だと思われていた関白豊臣秀吉による天下統一。北条の支城である忍城(おしじょう)が唯一抵抗し続けたという史実。当初は小田原へと援軍として赴いた城主の弟である“のぼう様”成田長親(野村)も兄の意向により開場する意志だったが、石田三成(上池雄輔)の使者の横暴さに腹を立て、ひるがえして戦う意志を示す。
開戦直後は、佐藤浩市演ずる正木丹波守利英と山口智充演じる柴崎和泉守の豪快な戦いぶりにより石田軍を退けるものの、次なる攻撃は水攻め。その圧倒的なスペクタクル映像により見る者を惹きつける。2万の軍勢に対し守るは500人という大差。しかし、まるでバカ殿様のようなのぼう様を慕う農民たちの士気も徐々に下がり、田んぼを埋められてしまった怒りは侍たちに向けられる。そこで成親は夜中に敵と味方が見守る中、水上にて田楽踊りを始めてしまうのだ。引きつけておいて、水路を壊すのかと思っていたが、堤防はそんなに簡単に壊せるものじゃない。彼はみずから撃たれることによって士気を取り戻そうとしていたのだ。
敵に下った農民たちも堤防を壊し、水は引いて勝敗がわからなくなった頃、小田原城が落ちてしまったと伝えられ、平和的開場へと向かうのだった。
負け戦だと自分を恥じた三成が後年関ヶ原合戦を指揮するなどというオチもついたが、終わってみると何を言いたかった映画なのかわからなくなってしまった。平和を訴える?石田軍=圧倒的な軍事力を持つアメリカ?などと考えてもみたが、結局はバカか天才かつかみどころのない殿様を描こうとしていただけだった。
それなりに面白いのだけど、なんか納得感が得られない。というのも、他...
それなりに面白いのだけど、なんか納得感が得られない。というのも、他のレビューでも語られてるように、田楽踊りで敵陣までも虜にすることで勝機って、そんなアホな。と思ってしまい…さすがの野村萬斎を持ってしてもそこは腑に落ちなかった。ていうか、詰まるところ野村萬斎だのみだよなーと思う。
あと戦いのシーンに入るなり、いきなりグロ描写に力が入り、前半の農民と歌い踊るのぼうとは全く別の映画を観ているよう。狙いというよりは、2人の監督の共同制作ということで我のぶつかり合いでこうなった印象。もしかしたら落差でメリハリをつけたかったのかもしれないけど、個人的にはいきなり始まるグロに普通に引いてしまいました。なんか反則じゃない?って感じ。
のぼう様のマキャベリズム
戦国の終わりを告げる小田原攻めの傍ら、その支城が500の兵力で2万の豊臣方を相手に戦う。
いかに知略をもってしてもこの戦いの勝敗自体は最初から決まっている。戦いの結果ではなく、そこへ至るまでの関係者の「納得」が映画の焦点となる。
豊臣方に和戦の如何を問われた際の、野村萬斎演じるのぼうの返答は、果たして予想外のものだろうか。主従の関係を第一とする武士としては当然の決定だった思う。
城主が豊臣方に内通しているというお膳立てが漏れかけている以上、小田原城中にいる自分たちの主を守るためには形だけでも豊臣と一戦交えないわけにはいかないのではないだろうか?惚れた女を秀吉の妾にすることが嫌だったなどという青臭い理由で、多くの人命を犠牲にする戦いを始めるほどアホ臭い話でないことを祈りながら、戦後の姫の処遇を待つことにした。
総大将自ら敵城に乗り込んできた石田三成とのぼうの会談は、戦国の世が終わり、農民の生産力を高めることで豊かな社会を築くという政治中心の発想で一致する。この政治の筋を通す三成がさわやかで、上地祐輔が様になっていたと思う。そしてのぼうは、これに応えるように、自らの恋慕の情を押し殺して城主の姫を秀吉に差し出す約束をする。
これ以上の無駄な血が流れ、農地が荒らされる戦争を回避するためにお姫様が新たな権力者に召されることは、その身分にある者としての当然の務めなのだ。その筋を通したのぼうの政治哲学はマキャベリズムにも通じるのではないか。
水攻めの考証、若い俳優たちのあまりにも現代的な演技など指摘すればきりがないが、開戦決定時の私の憂慮が杞憂に終わりすっきりした。無責任で甘ったるい色恋を正面きって排除した、この映画の勇気ある発想を讃えたい。
武士道精神にのっとり、正々堂々と戦いました‼負けてもイイ試合でした...
武士道精神にのっとり、正々堂々と戦いました‼負けてもイイ試合でした‼みたいなある意味、青春映画風で良かった。でも戦だからグロ描写もあったりする。キャラの個性が映画っぽくて良い。敵の大将もいい奴すぎるわ。
ぼーっとしてしまった
公開時から大ヒットだったし、なんとなく話題だったので見たいなと思っていた作品。
周りから見くびられていたのぼう様が戦いになると才能を発揮し、強いリーダーとなるというストーリーらしいんだけど。
なんとなく、のぼう様の奇策である田楽踊りによる敵味方とも虜にするっていうのが、
なんとなく「え?」って感じ。
いくらなんでも、あれでいきなりみんながのぼう様大好きってなるのが理解できず。
ラストもあまりすっきりせず、スカっとする見せ場もなく、私はぼーっとして終わったような。
野村萬斎がすごい
長親は戦をするって言ったけど、あれは甲斐姫のためか領民のためだったのかどっちなんだろう。柴田が城の前で敵を追い払うシーンがあってたけど、いくらなんでも無理があると思った。あれだけの兵を持っていて水攻めはひどいと感じた。歴史はけっこう好きなほうやけど、こんな人がいたとは知らなかったな。
ロケ地が地元で星半分は加算(笑)
原作大好きです。
映画も悪くないと思いました。
邦画だけど最後まで見ました。
野村萬斎の怪演が別次元なのと
特殊効果がショボすぎるぐらいが
気になったところです。
野村萬斎の田楽踊りは必見
野村萬斎さんの演じるのぼうがとってもピッタリで抜けた挙動や歌に魅せられました。
しかし、最後まで甲斐姫への思いは明かさず、少しミステリアスなキャラになっていると感じました。
物語ラストで甲斐姫の言った、兵糧には食い下がったくせにわしの事になるとあっさり食い下がった。というセリフがまさにその通りです。
少しくらいのぼうが姫を愛しているという演出が欲しかった・・・。
なんにせよ、見ていて楽しい映画でした。
よき戦にござった
野村萬斎さんがいい。荒唐無稽なキャラでも野村萬斎ならしょうがねえ!と農民たちのように引きつけられてしまった。
戦国時代の侍を『300』のスパルタンのように超越的な存在として描くのかなーと思ったけど、けっこう現代的な科白まわしでしゃべるので白けてしまった。
成田長親が農民の妻を手篭めにした家臣の家族を丸め込むくだりや農民が武器を隠し持っていたところは科白で処理するだけでなく1カットでも画で見せてほしいと思った。お姫様が武芸に秀でているという設定はあんまり生かされないので自分も戦に打って出ようとするとかそういうシーンがあればどうだったかと思った。
史実ならではのちょっと苦味のあるラストがよかった。エンドクレジットで埼玉県・行田市の忍城付近の現在いの映像が出てくるところもグッときた。
人とはこんなものなのか
映画「のぼうの城」(犬童一心・樋口真嗣監督)から。
数年前に原作・同名の小説を読み、映画化を楽しみにしていた。
当時は「のぼう様(成田長親)」に関心が向いていたが、
今回は、なぜか、攻め落とせなかった敵将、石田三成に
私の好奇心が興味を示した。
こちらの兵の数を聞いただけで、相手方は開城するとの噂を
耳にした石田三成が、大谷吉継に嘆く。
「大谷吉継よ、人とはこんなものなのか。
銭と武力で圧倒すれば、これほど簡単に性根を失うものなのか」
「性根」とは「根本的な心の持ち方・根性」とか
「1つのことを長くやり続ける気力」のこと。
もっと人間としての誇りみたいなものはないのか?と、
石田三成は、自分の戦のことより、人間に興味を示した。
大谷は「勝利者のみが抱ける甘美な感傷だなぁ」と答える。
その後、20,000対500(小説では20,000対2,000だった?)でも、
戦うと決めた相手方の動きに、また嬉しそうに反応する。
「わしは、人と言うものに高を括ってしまうところだったぞ」
「高を括る」とは「せいぜいそんな程度だろうときめてかかる」
「みくびる・あなどる」などの意味だから、
「人間、まだまだ捨てたものじゃないな」という、
石田三成の心の叫びが聞こえてくるようだ。
P.S.
先日他界した「夏八木勲さん」が、お坊さんの役で出演していた。
ナレーションは「TBSアナウンサー・安住紳一郎さん」
まじで
共同監督のお二人は、私が高校生~大学生のころ90年代の後半から00年代初頭に出てこられた監督でお二人とも映画を見てすぐに誰が監督なのか気になりました。ひっかかりの有る監督です。
それぞれの監督との個人的な出会いは、
犬童監督は『金髪の草原』、サントラ買いました。
樋口監督は『ローレライ』劇場で見てあとからDVDも借りました。
戦国時代も好きですので自ずと期待は高まります。で感想。
つまんねー。何だこれ、つまんね。
まあ、製作時になにかしらのトラブルがあったそうだというのは何かで見ましたが、いやはや残念の一言。つまんないっす。
とにかく映画の立ち位置が非常に中途半端。
まず、そもそも原作自体ライトな歴史小説ですので、歴史考証が浅く戦国好きにははまりにくい。役者自身の頑張りは感じますが、渋めで固めるのかライトに寄せるのかはきりしない。結果、全体の調和に欠ける。一方は渋く片方はコメディ。主役の一つであるはずの城も難攻不落には見えないし、オンボロ城にしては新しい。
のぼうを中心とした弱きものが強いものに立ち向かう、
勝てないまでも鼻を明かすという肝心のテーマが上っ面でしかなく、
のぼうは有能に描かれ過ぎで石田方は無能すぎる。(歴史的にはこのときの石田はまああんなもんかも。)
大群の脅威もおざなりにしか見せないし、潤沢な予算らしく見せる工夫も無い。
北条方と豊臣方の具足の対比を派手にするとかあるでしょ。せめて皆朱の槍くらいもっと剛毅なものを魅せて下さいよ。あんなもんオカマの旗竿やないか。
農民が突撃して余裕で敵兵を惨殺しまくってました。それならそれでもっとご都合主義的な童話にするのも一つの手なのに、要所要所で血しぶきが飛び味方が死んでいる。とにかく思い切りに欠ける作品。
いっそ戦国無双やんけ。っていうあのシーンで埋めるとかさ。最後に全員で田楽やってもいいでしょう。唯一、いいところは野村さんの田楽。田楽から狂言って派生したんですよね。やっぱ。プロ。巧すぎ。見応えがあります。
本来ののぼうはもう少し純粋な馬鹿さが多く、もっとカッコ悪くないといけないように思います。野村さんがやると巧すぎる。だから俳優をもっと渋い役者で固めてしまい、派手な衣装も甲斐姫とのぼうだけにして周りのレベルを全体的に挙げてしまったほうが良かったのではないかなと。
ぐっさん好きですし、上地さんも悪くは無いんだけど、(というよりむしろ良かった。)のぼう(野村)より弱いものが周囲にいる上に出来るキャラだとねー。どうしても調和が取れないですよ。
というわけで石田堤よりも土台が安定していない作品。
のぼうの城
私は、本編の舞台である行田市隣の東松山市民です。
最初に見たのは地元、行田市産業会館での試写会に当り友人を誘い出かけました。(その前に行田資料館で予習しました。)
二度目は、人生で辛い闘いに望む時、家族を誘い映画館で観ました。
この映画は私が仕事でよく通る地名が数々出てきます。映画を見た後に地図を傍らに置き小説を読みました…。とにかく規模がデカイです。
水攻めの大迫力シーンはなるほど、これは公開延期になると思える凄まじいものでした。かなり大規模にカット&再編集されたそうです。それでも、凄いです。東北の方々にはキツクて無理かも知れません…。
でも、この映画は希望に満ちています。闘う気持ちになれます。
400年前の実話を元にまず脚本書きました→脚本大賞取りました→映画にしたいと熱望する人がありました。(野村万斎さんに主演依頼)→相当金掛りそう→スポンサー付きません→じゃあ、小説化してちょ→小説化しました→直木賞候補に挙がりました→本屋大賞2位になりました→世間の注目を集める超大作となりました→スポンサー付きました→映画化スタート→完成→震災→水攻めのシーンの衝撃を慮って公開延期→大迫力のシーンを泣く泣く一部カット、エンディングの今の地元の希望に満ちた映像を追加しました
夫が本好きで大体の映画化される小説を映画化の企画に挙がる前に読んでる人です。その夫が『これ良い』と勧めてくれる本は これまで全てが映画化、あるいは映像化されています。
でも、私は、すぐには読みません。なぜなら、私は 『映画鑑賞→読む派』だからです。だって、その方が読んだ時の『ワクワク感』が断然大きいからです。
これ、大正解!!『のぼう』はまさにそれ!!かなり本からはカットされていて残念な部分はあるものの時間を考えると至仕方無いのかな…?と思います。
ですが、キャスティングの素晴らしさ、迫真の映像、最後に流れるエンドロールの400年後の今の地元に暮らす人々の姿は人間の『生きる』・『活きる』事へのたくましさ、希望を感じ、震災に合われた方々に気持ちが及び 「人間、捨てたもんじゃない。また、立ち上がれる」と涙が溢れて溢れて止まりませんでした。
400年後の地元を知る者として、これから、何かと闘わなければならない人、権力に踏みつぶされそうな人、理不尽な目に合っている人、悔しい思いに押しつぶされそうな人がいたら特に誇りを持ってお勧めします。きっと、元気になるはずです。
エンタメに徹しよう!
脚本あっての、原作、原作あっての映画だったはず。
それでも、原作より見劣りする部分が多かった。
原作はあまり読みやすい本ではなかった。
ともあれ…
秀吉役の市村正親を見て思った。ギャグだ。
成田長親の野村萬斎。いい味出している。
田楽のシーン。最高!
田んぼのところのもいいし、敵陣に見せるシーンも良い。
実際には、あんな遠くから田楽は見えないと思うけど、演出の一つということでよい。
野村萬斎のpvのような作品と呼べる。
佐藤浩市、あんな役しかできない。
ぐっさん、あんな演技しかできない。
山田孝之、あんな演技しかできない。
基本的にエンターテイメントなのだと思う。
泣かせるとか感動させるとかでなく、華やかな打ち上げ花火的に、人々を驚かせ楽しませればよい作品なのだと思う。
だから、佐藤浩市や山田孝之みたいに、真剣な糞詰まりな表情の演技も必要だったのかもしれない。
そういう意味でも、エンディングに現在の行田市が出てきたのは、悪くないと思う。
ところで、水攻めの時って、あんなに水が勢いよく入ってくるの?
じんわり、ひたひたやってくるのではないの?
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