「のぼう様のマキャベリズム」のぼうの城 よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
のぼう様のマキャベリズム
戦国の終わりを告げる小田原攻めの傍ら、その支城が500の兵力で2万の豊臣方を相手に戦う。
いかに知略をもってしてもこの戦いの勝敗自体は最初から決まっている。戦いの結果ではなく、そこへ至るまでの関係者の「納得」が映画の焦点となる。
豊臣方に和戦の如何を問われた際の、野村萬斎演じるのぼうの返答は、果たして予想外のものだろうか。主従の関係を第一とする武士としては当然の決定だった思う。
城主が豊臣方に内通しているというお膳立てが漏れかけている以上、小田原城中にいる自分たちの主を守るためには形だけでも豊臣と一戦交えないわけにはいかないのではないだろうか?惚れた女を秀吉の妾にすることが嫌だったなどという青臭い理由で、多くの人命を犠牲にする戦いを始めるほどアホ臭い話でないことを祈りながら、戦後の姫の処遇を待つことにした。
総大将自ら敵城に乗り込んできた石田三成とのぼうの会談は、戦国の世が終わり、農民の生産力を高めることで豊かな社会を築くという政治中心の発想で一致する。この政治の筋を通す三成がさわやかで、上地祐輔が様になっていたと思う。そしてのぼうは、これに応えるように、自らの恋慕の情を押し殺して城主の姫を秀吉に差し出す約束をする。
これ以上の無駄な血が流れ、農地が荒らされる戦争を回避するためにお姫様が新たな権力者に召されることは、その身分にある者としての当然の務めなのだ。その筋を通したのぼうの政治哲学はマキャベリズムにも通じるのではないか。
水攻めの考証、若い俳優たちのあまりにも現代的な演技など指摘すればきりがないが、開戦決定時の私の憂慮が杞憂に終わりすっきりした。無責任で甘ったるい色恋を正面きって排除した、この映画の勇気ある発想を讃えたい。