マザーウォーターのレビュー・感想・評価
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いいから、一度、転んでみな
映画「マザーウォーター」(松本佳奈監督)から。
まずは第一声、私はこの作品、好きだなぁ。(笑)
絵画や音楽・映画等を鑑賞すると、必ず考えてしまうこと。
この画家・音楽家・監督は何を伝えたいんだろう?
しかし、芸術家によっては、自己表現せず、
この作品から何かを感じてくれればいい、という思いで
世のなかに作品を発表している人もいる。
この作品も同じことが言えそうだ。
事件も何も起こらない生活や、何気ない景色の中に、
自分を見つめ、発見していく楽しみがこの作品にはある。
もたいまさこさんの飄々とした歩き方や話し方は、
私の憧れとするところであるが、なかなか近づけない。
誰とはなく「今日も機嫌よくやんなさいよ」と声を掛け、
若い男性には「なに、ゴチャゴチャ言ってんの?」とか
「分析ばかりしてても、しょうがないんだよ」と叱咤し、
「踊ろうか?」と冗談っぽく誘ってみて、
モジモジしている若者に「本当につまんない奴だね」と
笑い飛ばす、その余裕が羨ましかった。
選んだのは、いろいろなことに迷う若者に向けて発した台詞。
「自分の決めたことって、どうなっても面白いから。
どっちに転んだって、なるようになるよ。
いいから、一度、転んでみな」の一節。
今の若者、転ぶのが怖いんだよなぁ、きっと。
ストーリーも雰囲気も荻上直子監督的映画第2弾
「プール」に続く荻上直子監督的スローライフ・ムービー第2弾。 小林聡美、もたいまさこ、加瀬亮、市川実日子、光石研らお馴染みの面々に加え、小泉今日子が初参戦。 新味を出そうとしているのか分からないが、やっぱり今回もストーリーらしいストーリーは無く、ゆったりとした世界が描かれる。 一応、水と人の共生がテーマらしいが、いまいちピンと来ず。 作品そのものより、男の子の赤ちゃんに癒された(笑)
観客が何を感じとるか、判断を委ねられている作品。ただ『しあわせのパン』のように進化すべきだ。
頑なに『かもめ食堂』のスタイルにこだわり続けるプロデューサーサイドの作品。そのワンパターンぶりは不動です。今回も見事にヤマナシ、オチナシで一本の作品世界をまとめ上げました。ゆるゆるな展開には、猛烈に好き嫌いが激しく別れるところ。説明を極力省いて、観客が何を感じとるか、判断を委ねられている作品なので、小地蔵もおいそれとつまらないとは言いがたいのです。 確かに、本作はよく観察していると製作側のメッセージがかすかに発信されていることに気がつきます。銭湯の脱衣場で「あすもあります」という看板が何気に置かれていて、それが何気にアップされたり、エンディングクレジットの後に、もたいまさこが満開の桜堤を後ろ姿のまま歩いているところなど、「はじまりの春」に向けて、みんなこころに希望をもって前向きに生きている暮らしぶりが、じんわりと描かれている作品なのですね。それがアコーステックの音楽によって奏でられると、とても心地よいのです。 しかし「商会」側と断絶した『かもめ食堂』の荻上直子監督の『トイレット』やいまヒット中の『しあわせのパン』など、この手の作品にも、世界観を壊さず上手くドラマ性を取り入れて成功している作品も出てきています。「商会」シリーズも、次回はそろそろワンパターンを脱して、ドラマ性を上げて欲しいところです。 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」 方丈記で描かれた無常観をそのままに、川の流れの如く、変わるものと変わらないもの、人と人との関係をシンプルに、日常の暮らしにさりげなく重ねて描いた作品であると感じました。セツコとタカコとハツミは、最近この京都の疎水近くの街中でそれぞれ最近「水」に関わる商売をたまたま時を同じくして始めたようなのです。いわば、偶然にこの地に流れ着いた関係。この3人ばかりでなく登場人物のほとんどが標準語でしゃべりるもんだから、全く京都らしくない(^^ゞどこか、住所不定の不思議な場所に見えてきます。 そんな新参者をつなぐ役割をするのが、散歩人のマコト。そしてこの街の不思議なところは、赤ちゃんが街の共有財産になっているところです。 銭湯の主人オトメの子供(孫?)であるポプラは、街中の人が勝手に持ち出しても誰もそれを当然のように受け止めているのです。時には、連れ出しておきながら勝手に他の街の人に預けてしまうことも。さらに預けられた人が、ベンチで佇み眠り込んだから、まるで赤ちゃんをリーレーするかのように、別な人が勝手にポプラをお持ち帰りしてしまうのです。なんか他人に全然警戒しない、そんな街のつながりの深さに、いいなあと思えました。いま都会では、個人のプライバシーばかりが強調されすぎて、隣人と壁が厚くなりすぎていると思うのです。 どこの家でも、ズカズカ上がってくるマコトにかかれば、プライバシーなんてあってないようなものにされてしまいます。でもそのうざったい付き合いが、素敵に見えてしまうから不思議です。そんなマコト自体は、まるで野生のネコのようにひとりで暮らすところに喜びを感じている設定が現代的ですね。 ちなみにポプラの親は誰なのかすら、登場人物の設定に説明がありません。もう少し丁寧に説明して欲しかったです。 全てが水で繋がっている本作。タイトルの『マザーウォーター』とは、ウイスキーの仕込み水に使われる水のこと。やはり気になるのはウイスキーしか置いていないセツコの店の存在。ちなみにウイスキーは、京都だけにサントリーの『山崎』のみ。 例によってフードスタイリストの飯島奈美が、何気なくピュアな水が持つおいしいさを、豆腐やコーヒーや水割りの他、様々な料理で伝えてくれます。サントリーにとっては すごくイメージアップになる作品です。 ただ本作は水のビジュアルな美しさや味わいの他に、何の色も持たず何色でも染まるという無限の可能性にまで、拡大解釈してシンボルにしている感じがしました。 家具職人のヤマノハが、セツコの営むバーに毎日のようにやってくるシーンも淡々として、何も感じずスルーしがちです。でもセツコが一期一会で真剣勝負のようにグラスに氷とウイスキーを入れてマドラーで慎重にとかきまぜる行為は、本人が語っているほどに「適当」ではなさそうです。ヤマノハは、自分の人生と仕事ぶりに渇を入れるため、セツコの店に通っているのではないでしょうか。 無為自然ふうの語り口ながらも、意外とストイックに端正なたたずまいを積み上げていく日常を描いている作品ではないかとも感じたのです。 これまでの常連メンバーの演技ぶりは相変わらず。そこに小泉今日子が参加して、前作よりも華やかさが増したところは良かったと思います。
今日も機嫌よくやんなさいよ
なんか、パンとかウィスキーのCMかイメージビデオみたい。 いまいちでした。 食べたり、飲んだりするシーンが多く、見ているだけで おなか一杯・・・。 もたいまさこさんの「今日も機嫌よくやんなさいよ」が 印象に残りました。 つけていても不快ではないので PCしながらとか見てます。
おもしろくない
京都の人間としては京都らしさも出てないと思うし、 やっぱり面白くないのがマイナス。 ちょっとでも面白さがあればしっかりと見るけど 面白さがないから音声だけしか聞いてない。 若い人向きの映画ではない 中、高年向きの映画に感じますね でもこの映画に対しての怒りとか、イライラ感がでないのが 不思議です。
個人的には好きですが(笑)
個人的には好きです(DVDも買います)が、これは映画ではない、とは思います。なにごともおこらない日常を描いているというより『かもめ』出演者たちの京都らしくない京都でのイメージビデオを撮っている感じです。作中一番の展開が、もたいさんがいつものお豆腐屋さんの前を素通りしていくくらいですからね(笑)映画として評価はできません。 が、ただただこのキャストと雰囲気が大好きな私にとっては、とっても癒やされるイメージビデオでした。
「かもめ食堂」シリーズではない。
まず「かもめ食堂」の名前が出るのは宣伝の為であって、いわゆるのっかり商法と思えます。 「かもめ食堂」のシリーズと言えるのは、「かもめ食堂」「めがね」「トイレット」の3作品だけ。いずれも監督と脚本が、荻上直子さんです。いくらスタッフが同じでも、脚本と監督が違ったらもう別次元のものです。ボクも「プール」を観るまではまったく気がついていませんでした。鑑賞中に何かもやもやしたものが頭から離れず、スタッフロールで「あっ」となったわけです。 「プール」とは監督も脚本も違いますが、やっぱり本作品でも期待は裏切られたように感じられるのがボクだけじゃないのは、評価の点数をみればわかります。 「かもめ食堂」のあの雰囲気と演出の間合いは、やはり荻上監督しか出せないのです。もうシリーズと銘打って観客をだますのは止めて欲しいです。
マザーウォーター
画像と出演者がキレイという印象しか残らなかった。 精神的につかれている人にはいいのかもしれない。 会話それぞれのつながりや意味がわからなくて、私は最後まで見ることができなかった。「毎日同じことを繰り返して」というコンセプトなのかもしれないが、そうだとすればリアリティに欠けので、わかる人にしかわからない映画かもしれない。
山崎、豆腐、パン
実は別にこのシリーズのファンってわけではないが、 小泉今日子、 市川美日子、 に惹かれて観た。 京都の片隅(京都感はないほんとに片隅)で生きるそれぞれの人々。 彼、彼女らが少しずつ交わり生きる日常。 何が起きるわけでもなく、 ただ時が流れて、 自営で、カフェやバーや豆腐屋を営む人々のゆるりとした日常。 邦画らしい映画。 フランス映画みたいなまったり感。 これがある意味、邦画の最もまったりなジャンルのスタンダードな気がした。 邦画らしいPOPさ、 邦画らしいアクション、 邦画らしいミステリー、 邦画らしいダメな恋愛映画などなど、 邦画らしさは色々あるけど、 まったり邦画はこの空気感なんでしょう。 退屈な人には退屈だし、 もしかしたらDVDで観てたら最後まで観れないかもしれない。 チケット買って、映画館で集中して、 暗闇にぼんやり浮かびながら観るのが心地好い。 ゆるりと流れる世界に、 現実の慌ただしさが嘘みたいで。 シンプルに受け止め生きていこう、と元気づけられたりして。 よかった。 久々に良い映画みた感じがしたなぁ。 豆腐が食べたくなり、 山崎が飲みたくなり、 カツサンド?が食べたくなり、 だしまきたまごも食べたくなり、 コーヒーも飲みたくなり、 北欧家具に囲まれたくなる、 そんな映画。 レビューサイトでは賛否両論ですが、僕は好きですー。
同じを繰り返す毎日。
最初マザーウォーターと聞いて、母親の羊水だと思った。
そうしたらあれ、そっか、ウィスキーを割る水のことなのだ。
何かと水に縁のある人々が描かれているが(仕事内容が)
だから水ってスゴイでしょう!?というような話ではない^^;
かもめ食堂、めがね、プールとくれば、あ~あの雰囲気ね。
という具合で、つくりは変わらない。今回は京都が舞台。
豆腐屋、ウィスキーバー、喫茶店、と其々に店を営む3人が
出てくるのだが、何しろこのシリーズにおける無国籍感は
健在で、まったく京都弁など出てこない。主要人物が総て
標準語で喋るというのも異様な感じで、この人達いつから
ここに住んでるんだ?と思った。(そんな説明は何もないし)
どうやら…移り住んできた人々というのがやがて分かるが。
ちなみにエキストラ?かと思われる地元の人々の京都弁は
かなり冴えているので、そちらで堪能v
景色は存分に美しいが、川の流れにも堪らなく癒されるが、
だから風情が楽しめる、という話でもない^^;しかしながら、
まぁ…女性が好みそうな生き方を其々がしており、ひとりで
(一応)ちゃんと自立していて、色恋話(男の影)すらないし^^;
加瀬君・永山君・光石研にもオトコを感じさせる要素がない。
(今作の役回りとして、ね)
昼間から風呂に入ったり、散歩したり、店先で豆腐食べたり、
まぁ~ゆったりしてるというか、これで生活が成り立つなら、
確かにあんな暮らしをしてみたいところである。
こんな暮らしっぷりもこのシリーズのご自慢の?ではないか。
なので…何をどう見るかで感想が大いに変わる作品だと思う。
毎日の暮らし、日々の仕事、たわいない会話、飲み食いする、
散歩して、風呂に入って、おやつ食べて、昼寝する。なんて
だから何なんだよ!という目で観ると、腹が立つ作品になる。
でも、豆腐をさらして、ウィスキーを割って、コーヒーに注いで
という繰り返される水の流れや営みに、あぁ、こうやって毎日
同じことを続けることが案外大切だったり、至福の時だったり、
つまんない毎日だと思えば非常にくだらないかもしれないが、
いいじゃん。自分が気持よく過ごせれば、くだらなくたって。と
この人達を見ていると自分を赦せる気がしてくるから不思議だ。
本当にたいした話ではないのだ。いい話というわけでもない。
おそらく、頑張って忙しく仕事している人や、疲れている人に、
ホラ、あなたの方がすっごく偉いよ。どう、ここで昼寝しない?
と誘いかけるような作品である。でも、タダじゃないからねぇ^^;
もたいまさこや小林聡美はあいかわらず。
初参加の小泉今日子と永山君の演技には初め色があったが、
その色を発揮する間もなく、雰囲気に飲まれていった感あり。
そこへいくと加瀬君など、すっかり常連化した無味無臭ぶり^^;
(なんかこういう系増えましたね。あっち観てもこっち観ても同じ)
食べて歩いて歩いて食べて飲んで飲んで歩いて食べて
かもめ系は一通り観ているつもりでして、何も起こらない、まったりとした、その中の会話を 高尚に楽しむ映画ということは、理解して、覚悟の上で、鑑賞に向かいました。 退屈だと感じたら、それは修行が足りないということでしょう。 が、諸先輩やごく普通の方のご意見を拝見して安心しました。 睡眠不足なら途中居眠りしても全然大丈夫なことは、一緒にいったものが証明できました。 どうせ、 食べて歩いて歩いて食べて飲んで飲んで歩いて食べて といってましたが、まったくそのとおり それは、かもめなんだからちっともかまわないのですが、おじさんが取っても気になったのは・・・・・ ぜ~んぜん京都じゃない。 風景も京都じゃなくても撮影できるごく普通の風景 それにはがっかり 脇役にでも、京女のひとりでも入れていればまだしも、こんな関東弁なやつばかり、おらんちゅ~ねん あかんよこれは 大昔、数年だけ京都に住んでいたおじさんが、折角京都を感じたかったのにそれは踏みにじられました。 このプロジェクト、海外ロケのほうがよいと思います。 ちょっと国内をやるには甘すぎ
衝撃の体験!
11月1日新宿ピカデリーにて観賞。 最終回だったので客も少なかったですが、当然の事ながら女性客が多かった。 または自分のように恋人の付き添いで来ている感の男性もいました。 …この作品のゆるさについていけません。 もたいまさこが出てくる度に笑っている隣のカップルが全く理解できませんでした。 こんな映画は始めてです、これは映画と言えるのでしょうか?これをわざわざ映画にする必要があるのでしょうか?
「かもめ食堂」や「トイレット」とは似て非なるもの
まったりとして癒されるようなちょっと羨ましい生活、そこに「食」を持ち込んだスタイルで、ひとつのジャンルを築いてきたプロジェクトによる新作。 何が起こるというわけでもないお馴染みの展開だが、今作はただひたすら眠くなる。観ていて飽きる。わたしはこの手の映画を脱力系と呼んでいるが、気負わない普段の生活を送る、いわば人々の生態に興味を惹かれるから飽きないのだ。 テーマの“水”だが、ふた通りの要素が描かれる。その土地に馴染む、いわゆる[水に馴染む]と、水と生活との直接的な関わりだ。 水に馴染むという部分が人間模様を反映するわけだが、登場人物7人がまったく同じ流れになってしまっている。河にも速い流れのところと遅い流れのところがある。7人も使って、どこを見ても同じ流れでは、河を眺めていても飽きようというものだ。 水と生活の関わりにしても、水割りだのコーヒーに豆腐屋と銭湯というのは、あまりに安直すぎる。そこに水の音だけ被らせてもドラマは生まれない。水を使って分厚い鋼鉄を切断する工場でも出てくれば面白いだろうが、設定にまったく機転が利いていない。おまけにカメラは左回りにしか動かず、そのワンパターンの映像に睡魔が襲ってくる。 もうひとつのテーマ、「食」に関しては、かき揚げが見た目にも美しく、油のはぜる音が食欲をそそるが、けっきょくいちばん美味そうだったのは豆腐だったというのは物足りない。 小泉今日子と加瀬亮は演技しているというより、ほんとに自然体で、作品の小さな世界に文字通り水のように溶け込んでいた。対して小林聡美は、どこか計算した演技になって鼻につく。もたいまさこは相変わらずの珍獣ぶりで、すっかりシリーズの顔になった。 河の流れの中を、あっちにこっちに行き来して目を楽しませる小さな落ち葉の役を赤ん坊に託したのかもしれないが、川面は描けても川底の営みは伝わってこない。 「かもめ食堂」がなぜ成功したのか、小さな生活圏に人々が集まる楽しさと、人々の思惑が空気のように伝わってきたからだ。「プール」あたりから、計算が先立って、人工的な自然体になっている。「かもめ食堂」や「トイレット」とは似て非なるもの。
なんだかな~
『かもめ食堂』のシリーズです。 今度は京都が舞台。 この手の中で、アタシはドラマの『すいか』が一番好きでした。 『かもめ食堂』も良かったですが。 何気ない日常を描いています。 特段何が起こるわけでもない淡々とした、けれども穏やかな日々。 ・・・と思ったのですが、観進めていくうちに・・・ 何だか心地悪くなっていきました。 ヘルシンキで聞く日本語には違和感なかったのですが・・・ 京都で聞く異邦人3人を含む男女の標準語はなんだか奇妙でした。 それはアタシが関西出身だからかもしれません。 京都が舞台なのに、景色はポストカードのように映し出されていますが、京都の「人」とほとんど交流が無い。 京都に何しにきたんだろう。 水が美味しいところならば、京都で無くても良かったのに。 なんだか、京都に馴染めない異邦人だけでつるんでる感じ。 あと、今回はそこまで「食」がエッセンスになっていないのも残念でした。 確かに美味しそうではあるのですが、そこに絶対必要な、匂ってくるような「食」かというとそうでもない。 ただ美味しそうなだけ。 もたいさんの住まいもなんだかな・・・な。 それこそ京都舞台なんだから町家とかだったら雰囲気でるのに。 俳優さん達は好きなんだけど・・・。 事件は起こらなくても良いし、何気ない日常を描くのも好きなのですが、 何かアタシには違和感の残る映画でした。 でも、ゆったり日々が流れる光景とかは良いですよ。 アタシと合わなかっただけだと思います。 あっ、決して睡眠不足で観てはいけません!!(* ̄m ̄)笑。
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