「すべては、この手の中に」冷たい雨に撃て、約束の銃弾を ダックス奮闘{ふんとう}さんの映画レビュー(感想・評価)
すべては、この手の中に
「エグザイル/絆」などで知られる香港映画界の異才、ジョニー・トー監督が、フランスの人気俳優、ジョニー・アリディを主演に迎えて描く限りなく美しい男たちのドラマ。
イタリアのネオ・リアリズム映画と呼ばれる作品群は、スタジオを飛び出し、ロケーションから生まれる偶然、アドリブを美徳として描き出す世界である。だとしたら、本作はその真逆の信念を持って作り出された物語と言ってよいだろう。
一人の人間の中に描かれた精密な設計図の元に、数ミリの違いも許さない完成された世界を作り出す。その為に本作に持ち込まれているのは、ジョニー監督の美学である。一発の銃弾にしても、その銃弾のために弾け飛ぶ血飛沫まで、格好良さ、美しさという美学が徹底的に貫かれる。
ジョニー監督作品の常連俳優、アンソニー・ウォンをはじめとした俳優達はその美学を、完成された世界を把握することを要求され、見事に応えている。多国籍なごった煮の印象を観客に与えつつ、そこに裏打ちされた統一感。すべてを自分の手の中で支配し、操る。それは作り手、俳優だけではなく、私達観客もまた同様である。
冒頭、主人公コステロの娘宅にコステロ以下、殺し屋達が押し入る場面がある。そこに飾られている同じ顔の4人の男が空を見上げる絵画。ここに、ジョニー監督の目的、到達点がある。観客も、スタッフも、俳優も、香港映画界も、皆俺に従え。俺について来い。俺を、見ろ。この強烈な自己主張も、本作の力強さと破壊力を支えている。
作家主義を語り、自分の思い通りに作りましたとインタビューで語る映画人がいる。そんな作品に限って、俳優を立て、ロケ地を立て、ヨイショで彩られたものが意外と多い。俺の作品、俺が、好きに作ったんだ。そう、言いたいなら、本作ぐらい徹底的にやって見せて欲しい。これが、作家の手の中にあるということだ。