春との旅のレビュー・感想・評価
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【厳しき人生を生きることの素晴らしさを厳しくも優しさに満ちたまなざしで描いた人生賛歌であり哀歌。故、小林政広監督を悼む作品でもある。】
ー 私事で恐縮であるが、故、小林政広監督の作品を初めて鑑賞したのは「日本の悲劇」であった。近隣の劇場で朝、八時からの上映で、今では考えられないが、観客1名で鑑賞した。
衝撃であった。即座にパンフを購入した事を思い出す。
今作は、その後DVDで鑑賞したが、レビューを上げていなかったので、今更ながらに記載する。
◆感想
・小林政広監督らしく、詳細は描かれないままに劇中に没入する。
ー 北海の寂れた海辺のあばら家で、老漁師・忠男(仲代達矢)と孫娘・春(徳永えり)は二人暮らしを続けていた。
しかし、地元の小学校で給食係として働いていた春が、廃校により失職。
老いた忠男の世話を頼むべく、疎遠となった姉兄弟を訪ねる旅に出る。ー
◆感想
・自由に生きて来た忠男を演じる仲代達矢の独壇場映画である。
ー 因みに「日本の悲劇」でも「海辺のリア」でも同様である。-
・忠雄は、自らの兄弟を頼りに回るが、対応は冷たい。
ー 舞台は仙台であると思うのだが、通りの座席で夜を明かす二人の姿は切ない。-
■だが、忠男は春は厳しき状況の中、新天地を求めて、旅立つのだが・・。
<今作では、小林薫、田中裕子、柄本明、香川照之らが脇役で存在感を与える演技をしている。
故、小林政広監督の人柄で有ろうと思う。>
日本映画の総力戦。
タツとの旅。 もっと肩の力を抜いても良いと思うだけど…。
寄る辺なき老人・忠男が、孫の春と共に住まいを求めて疎遠になっていた兄弟たちの下を訪ねて回るというロードムービー。
忠男の弟である幸男の恋人、清水愛子を演じるのは『もののけ姫』『ゲド戦記』の田中裕子。
忠男の弟、中井道男を演じるのは『ウォーターボーイズ』シリーズや『ハッピーフライト』の、レジェンド俳優・柄本明。
春の父、真一を演じるのは『ザ・マジックアワー』『20世紀少年』シリーズの香川照之。
仲代達矢、大滝秀治、菅井きん、淡島千景、柄本明といったレジェンドに加え、小林薫、田中裕子、香川照之などの実力派俳優も出演している日本映画版『アベンジャーズ』。若々しさは全く無いが、自社仏閣のような迫力がある。ついつい合掌して拝みたくなるありがたさ。
重いテーマ、暗い画面、辛気臭い劇伴などが実に邦画的。
何故か邦画界においては、明るくて楽しい映画よりも暗くて重い映画の方が芸術的で良きものとして扱われているような気がする。
仲代達矢や大滝秀治、柄本明が非常にコミカルな演技を披露しているのだから、もっとコメディー要素強めな作品でも良かったと思うのだが…。
物語は現代の「楢山節考」(1956)とでもいうべきか。
孫の春は爺さんを捨てに行く旅の途中で、祖父との絆を再発見する。忠男は疎遠だった兄弟達を巡るうち、頑なで偏屈だった自分を省みる。
物語の展開を考えると、忠男はもっと捻くれていて嫌なジジイとして描いても良かったのかも。
映画の冒頭と、それに続く大滝秀治演じる兄の重男を訪ねる場面では頑固ジジイ感が強めだったが、その後は割と可愛げのある困ったおじいちゃんというキャラクターに変化してしまった様な気がする。
忠男と一緒に旅をする孫の春。彼女のキャラクターはあまり面白くない。完全に忠男に喰われてしまっており個性が薄い。
物語は終盤、春と父との物語に変化するのだが、ここにはちょっと蛇足感あり。自殺した母親のこととかを、台詞で説明し過ぎてしまった感じがある。
クライマックスの忠男の突然の死?みたいなのも、ちょっとわかりやすい悲劇という感じで…ウーン。
直前まで結構元気だったんだけど…?
シナリオはまぁありがちな感じだし辛気臭くてダルいのだが、この映画の魅力はやはり役者陣の演技!名優達のアンサンブルがたまらない!
特に好きなのは仲代達矢と大滝秀治の、長回しでの会話シーン!ルーズショットでのワンシーン・ワンカット。固定されたカメラワークで、ただ2人がテーブルを囲んで会話しているのを映しているだけなのだが、これに引き込まれる!この演技の掛け合いはまさに国宝レベルといって良いでしょう。
このほかにも仲代達矢と淡島千景の喫茶店での会話シーンも良い!仲代達矢と柄本明の喧嘩シーンも良い!というか、仲代達矢が演技するシーンはどれも良い!仲代達矢のアイドル映画というのが本作の正しい見方なのかも。
個人的な好みの問題になるが、やはりこの様なザ・「邦画」という作品は好きじゃないなぁ。喜劇も出来る名優を集めているのだから、もっと笑える映画に仕上げてくれれば良いのに。重くて暗い映画を2時間以上観るのは堪えるね。
がに股
足が悪く、老いぼれている風体の老人忠男(仲代)。伸びた髭をばっさりとそり落とし、孫娘が止めようとするのを制止し、どこかへ向かって歩き続ける風景。一体何の目的で?と最初から惹きつけられる。
最初に訪れたのは長兄(大滝)が婿養子に出て住んでいた大きな家。元々そりが合わない二人だったのだが、忠男の方から「もういい」と諦めて出てしまう。帰り際にホームに入ることが決まってると打ち明けられるのが、なんとも物寂しい・・・
末弟のアパートに向かうものの、彼は刑務所の中。そして姉(淡島千景)のもとを訪ねると、働けない忠男は養えないが、小学校の給食の仕事をしていた春を跡取りとして迎えたいなどと言う。しかし、春は申し出を断る。最後の兄弟は道雄(柄本明)だったが、またもや喧嘩である・・・
当てもなくなった忠男だったが、春に実父に会わせてやろうと画策し、実父(香川照之)の実家へと向かう。そこでは忠男が実父真一の新しい妻(戸田菜穂)から「一緒に暮らしませんか」と言われ、思わず涙する。こ、これは『東京物語』のパターンか?!と、よく考えると、忠男にとっては全く血のつながりのない夫婦なのだ。牧場でのこのシーンだけでお腹いっぱい・・・でも、そのあと二人はこっそり抜け出し、一緒にそばをすするシーンがメイン。「おじいちゃんとはずっと一緒だからね」と、彼女は母を捨てた実父を許すことができなかったのだ。そして、一緒に北海道へと帰る電車の中で忠男は静かに息をひきとるエンディング・・・
血縁関係という薄い人間関係に、孤独と絆をうまく掛け合わせた良作だ。また、春を演ずる徳永えりのがに股がずっと気になるが、これは完全に演技なのです。
安直なシェイクスピアの焼き直し
あまり評判がいいので、今頃になって(つい最近DVDを見たばかりなので)ケチをつけるのがはばかられるが、この手の映画が安易に作られすぎるような気がするのでひと言。頑固一徹、好きな人生を歩んできた元漁師の忠男が、これまで一緒に暮らしてきた孫娘春の旅立ちを控えて、自分の老い先を見てくれる家族を探し歩くというまことに身勝手な動機のロードムービー。その程度の話なのだが、なぜあれほどむきになって歩きまわるのだろう。老人の怒りの理由がわからないし(一応、職を失った春が家を出ていくという状況を提示してはいるものの)、行く先々で喧嘩腰だから、相手もみな怒鳴り声をあげる。全編みな喧嘩腰のロードムービー。もちろんネタ本はシェイクスピア。リア王とコーディリアの悲劇が見事なコメディーになっている。シェイクスピア原作に惹かれたのか出演者は豪華絢爛。小林薫など背中だけで出演しているという贅沢さ。終盤で春が長年音信不通だった父親に会いに行くのだが、その再婚相手が一緒に暮らそうと言ってくれるあたりも、そしてそのせりふ回しも何とも予定調和的。そのあとでの蕎麦屋の場面で春が優しい言葉をかけた時点で、観ている方は、これは忠男は死ぬよりないなと予感するというまことにわかりやすい筋立ての映画。仲代達矢は熱演すればするほどシェイクスピア的になってしまい、身勝手な荒くれ漁師のイメージから離れていく。見ていて痛ましい。何とも安直な映画。
「罪を償う事は出来ないの?」
「罪を償う事は出来ないの?」
映画のクライマックスで、それまで小さな胸を傷め続けていた春の口から、吐き出された言葉です。
人が生きて来た中で、1番価値の在る事とは、一体何だろう?
有名に成る事?
子供を沢山育てる事?
それとも次の世代に続く後継者を育てる事?
色々な形がある事でしょう。
まだ形として残る物を持つ人は良いとして、亡くなった人の人生での価値を量る物事の1つとして、どれだけ多くの人に囲まれて幸せに死んで行くか…。
それも、その人の価値を知る事の1つかも知れません。
しかし、その様な幸せそうに亡くなっていった人とは正反対の様に、どこかの道端で野垂れ死んで行く人も、少なからず存在します。
それどころか、誰にも知られずひっそりと…。
個人的にはそんな死に方はごめんこうむりたいものですが!
だがしかし、そんな野垂れ死んだ人生の最期だからと言って、悲観した人生だった…。
とも言えないところが、人間が生きて行く上で不思議なところ。
沢山の親戚縁者に囲まれて幸せに死んだとしても、列席した親戚関係の人の中には、「あ〜あ、早く死んでくれないかなぁ〜!」と、思わていたりや。周りの兄弟や親戚縁者の顔ぶれを眺めながら、自分の懐にはどれ位の相続が入るのか…。
そんな思いを持たれながら死に至る人だって居る事でしょう。
この作品で仲代達矢演じるおじいちゃんは、若い頃から好き勝手な振る舞いや言動から、血の通った肉親からも疎まれている人物でした。
もしも人間1人1人に生きて行く人生の中で、我が儘を言える回数が決められていたとしたら…。
果たして使い切った方が得なのかどうか?
その結果として、最後に道端で野垂れ死んで行ったとしたら、その人の人生は悲しい最期だったのか?は解らない。
ひょっとしたら、多くの人に囲まれた幸せな最後であっても、死ぬまで我が儘を言わなかった事は、人生に於いて得だったのかどうか?…それも解らない。
全ては、神のみぞ知るところでしょう。
お金だって我が儘と同じなのかも知れません。
沢山の貯蓄をしたとしても、「使い切れ無ければ単なる紙屑同然だ!」と言って、宵越しの金は持たないと決め込む人は少なからず存在します。
尤も子供が居るなら話は別です。自分のDNAを残す子供には、なるべくお金を残してやりたいと考える親は少なくありません。
また、子供が居なくても、ただただ貯蓄の金額が増える事を生きがいにしている人も存在します。
映画の途中で柄本明演じる弟が、兄をなじる場面が印象に残りました。
昔は羽振りが良かったのだが、バブルが弾けてしまい不動産業が傾いてしまった弟。
今は家と土地を売り払い、マンションの狭い一室に妻と2人で慎ましく暮らしている。
それでもまだ不動産王になるべく、夢は捨ててはいない。
今はこんな暮らしでも、新聞は隅から隅まで読んで日本経済の行く末を予想し、「将来に備えているんだ!」と、うそぶく。
おそらく自分でも、それがどれほどの夢物語なのかを知っている筈なのだが…。
彼もまた子供が居なかったばっかりに、宵越しの金は持たない主義だったのかどうか…。
どうやらバブル期の勝負に負けてしまった1人の様です。
そんな彼も「今更どの面下げて…」と言いつつも、最後はお金が余っている訳では無いのに…。その性根の優しさに惚れている妻役の美保純は、春にはっきりと苦しい内情を語ります。
彼もまた、ニシンで失敗した兄と同じ兄弟の血筋を引いている人物だったのです。
振り返って考えると、最初に訪れた大滝秀治と、菅井きん演じる長男夫婦。
長男は次男をなじり倒した挙げ句の果てに、子供達の意見には逆らえない…との本音を漏らす。
おそらくは、将来を子供達に養って貰わなければならない立場に居る弱さを、滲ませているのだと思わせます。
この長男も、次男との話振りを見れば解る通りに、若い頃には自分勝手な生き方をして来たのだろう事は容易に想像出来ました。
血は争えないものだと感じます。
その様にこの映画の内容は、徳永えり演じる孫娘と共に、家族を頼って生きて行かなければならない事を悟ったおじいちゃんと孫娘のロードムービーです。どこか今後益々増え続けるであろう高齢化社会の縮図を見る思いでした。
実は観ている間に、或る1つの日本映画の名作を思い出しながら観ていました。
小津安二郎監督の名作『東京物語』。
血の通った兄弟よりも、血の通っていなかった義理の人物の方が…。
この作品でも最後には、『東京物語』での原節子にあたる人物として、戸田菜穂演じる女性が登場します。
かねてよりフランソワ・トリュフォー等のファンで在る事を公言している小林政広監督だけに。そんなヌーベルヴァーグの映画作家達が、過去の作品にオマージュを捧げた作品作りを、おそらく意識しながらの脚本作りだったのではないでしょうか。
彼女は何故、何の義理も無いお爺さんに対してあんな提案をしたのでしょう?
単に監督自らが書いた脚本上で、『東京物語』へのオマージュとしてだったのでしょうか?
それとも内情を聞いていた事から、再婚した相手を悪く思わないで欲しいと願っての事からだったのでしょうか?
一応セリフでは、父親を知らずに育った過去が有り、再婚相手から聞いた人物像に、これまでの人生で見た事の無い人物では在っても、父親の様なイメージを勝手に抱いていた感じでは有りました。
でも、ひょっとしたら再婚相手と同じ匂いを感じたのかも知れません。
牧場を捨て漁師の娘のもとに行った次期のある再婚相手。
多分出逢った当初は魚の匂いがしていたかも知れません。
そう言えば旅館で春がおじいちゃんに「お風呂は毎日入るんじゃなかったの?」と聞いていました。
「入らない…」と答えたおじいちゃんの一言。、
この言葉で、観客はこの旅に対するおじいちゃんの決意の強さを知る事になります。
訪ね歩く兄弟の家の先々で、窓を開け空気を入れ換えようとしていたのは、その習慣が残っていたからなのかも知れません。
少し匂いの方に脱線しました。
もう1つオマージュに関して言えば、淡島千景演じる姉を訪ねて行く場面で画面構成が不思議なシーンが有りました。
会話が会話として成立していないのです。
映画を観た人全てが、一瞬「あれ?」と思う筈です。
まるでゴダールの『男性・女性』を思い浮かばせるシーンでした。
案外と単純に、出演者達のスケジュール調整が上手く行かずによる苦肉の策による演出だったのかも知れないのですが。
『東京物語』には小津安二郎独特の辛辣な目線が入って入ると思えるのですが、この作品では長男に四男。そして最後に登場する、小林作品での常連俳優香川照之の描かれ方を見ると、小津安二郎の辛辣さに比べてかなり家族の血縁の深さを感じ取る事が出来ました。
突き放す様に見えても、最後には兄弟としての優しさが感じられるのです。
寧ろ1番受け入れ易そうで、常識人的な人物として描かれている姉の淡島が、春に対して仲代を「突き放さなければ駄目よ…」と諭す。
一見すると1番優しい口調ながらも、次男を受け入れる話に対しても「それだけは絶対に駄目!」と言い放つ。
そこはやはり姉と弟の関係で在りながらも、やはり男女の考え方の違いを観て居ながら意識してしまう。
またこの作品では、今までの小林作品同様に、映画全編でワンシーンワンカットが使われていました。
仲代達矢は脚が悪いとゆう設定の為に、終始右足だろうか?絶えず引き摺りながら歩いている。
逆に孫娘役の徳永えりは、絶えずおじいちゃんから「あれしろ!これしろ!」と言われ続けて来たからでしょうか。それまでの人生で絶えず、ちょこまかちょこまかと動き続けて来た事を想像させます。
腕を左右に翼の様に広げ、がに股でちょこちょことペンギンが飛び跳ねている様に、走る場面が多い女の子です。如何にも田舎育ちの女の子らしい仕草でした。
この作品の中で、この2人は一体どれだけの食事を取ったのだろう。うどんを蕎麦を。コンビニのお弁当を、
食堂を経営する田中裕子演じる三男の内縁の妻との触れ合いでは、結んで貰うおむすびを…と。
人間は食べなければ死んでしまう。
食べよう!と言う意識がまだ有る内は、このおじいちゃんに春はまだまだ一緒になって人生を歩いて行かなければならない様です。
最初に記した言葉は、春が長年思っていた気持ちです。
映画の中には登場しなかった人物を想いやっての一言でした。
言いたくて言いたくて溜まらなかった言葉を、やっとの事で振り絞り伝えた春。
その言葉を只黙って聞いていた人物。
その場には居合わせては居ないものの、春の心中を察してか、昔を懐かしむ様に2人で食事を取りながら、「実はな…」と語りかけるおじいちゃん。
ここで終われば、かなり余韻を残す映画の締め方でしたが、映画は更にエピソードが有りました。
その意味は、作品を観た人それぞれがどう感じたかによって解釈が色々と変わると思います。
色々な意味で考えさせられる作品でした。
多少音楽が過剰になる箇所も有りましたが、今回は今までの小林作品の様に、監督自らの歌が無理矢理入る事が無かったのは、良かったと思います(笑)
(2010年6月2日丸の内TOEI 2)
孫娘役の徳永えりが上手くて見所
総合60点 ( ストーリー:60点|キャスト:75点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:70点 )
自分の将来を考えて閉鎖された社会から抜け出すため邪魔な祖父を処分したい孫と、そんな孫の気持ちを察して荒れながらも邪魔者である自分を認めて嫌々兄弟を頼ろうとする祖父の話は、考えてみればせつない。人間関係を見つめなおす旅になるのだけれども、長年密接な交流が無いままに突然訪ねた兄弟たちの身の上と、主人公である祖父の家族の話に距離があるし、老人の老後の世話の話なのか家族関係の話なのかちぐはぐにも思えた。兄弟たちよりも、もっと祖父の家族を掘り下げても良かったのではないか。血縁関係というだけで老人の世話を引き受けるのも難しいのは最初からわかっていただろう。結末に近づくにつれて話が都合よく流れていくのもやや興醒めした。
出演者の演技は良くて、特に徳永えりという若手女優が祖父と暮らす田舎娘を演じて、大物俳優たちに引け目をとらないばかりか互角以上に渡り合っていた。特に父親との場面は上手かった。ただし仲代達矢、人生の賭けに失敗した貧乏で頑固な漁師というにはかなり都会的な雰囲気で、私の知っている漁師像とは異なった。場面場面でさりげなく流れる音楽は悪くなかった。
気が合うんだな、俺たち。
映画「春との旅」(小林政広監督)から。
世の中には、いろいろな事情を抱えた人が、
いろいろな人間関係の繋がりを感じながら、
解き(ほどき)、結ぶ行為を繰り返して生きている。
物語は、仲代達矢さん演じる主人公を通じて、
家族・兄弟・そして祖父と孫という微妙な関係を、
表現している気がしていた。
そして最後に現れたのは、主人公のひとり娘の夫と、
離婚したあとその夫と結婚した妻、言い換えれば、
主人公とは、まったく関係のない女性が、
「できることなら、一緒に住みませんか」と誘う。
驚きとともに、遠慮する主人公に、こう投げかけた。
「他人であっても、人は人。
気が合えば、それが一番じゃないですか」と。
深い繋がりを感じていた、血縁関係よりも、
「気が合う」というキーワードで繋がった他人同士、
それもまた然りだな、とメモをした。
「孫娘・春」と旅をした主人公、最後に気付いたのは、
「気が合うんだな、俺たち。」という関係だった。
気が合う、ウマが合うって関係は、捨てたものじゃない。
そんなふたりの関係に、最後は拍手をしてしまった。
P.S.
冒頭でふたりが降り立った駅名「増毛駅」と
19歳になる孫娘のガニマタ歩きが気になって仕方なかった。
どうみても、意図的な演技たよなぁ、あの歩き方。
名優の共演
人生って。。。
さあ、困った・・・
「白夜」「バッシング」などを世に送り出してきた小林政弘監督が、仲代達矢、徳永えりを迎えて描く、小さな旅の物語。
仲代、徳永の柔らかく、丁寧に思いを描き出していく繊細な演技に心を奪われる。その男と孫の旅を支える、大滝秀治、香川照之、柄本明といった名バイプレーヤー達。そして、戸田菜穂、菅井きんといった男達を静かに見つめる女優達。あるべき場所に、あるべき人がいる。これまでの小林監督のキャリアの集大成ともいえる、重厚な一品に仕上がっている。
が・・困っている。どうにも、私にはこの作品を「くたびれた男と、その孫の、終の棲家を探す旅」と単純に書いてしまうことに抵抗を覚えてしまうのだ。物語は、進む。苦しんでも、立ち止まりそうでも、二人は歩いていく。その中で、男と孫の交わしていく目線が、家族を思う慈愛のそれから、愛する者を、熱を込めて想う愛情のそれに変わっていく。それが、私の言葉を立ち止まらせてしまう。
冒頭、男は寂れた旅館で一杯のカップ酒を震える手でかっ喰らう。それは人生の終わりを待つ、一人の孤独な老人の動きではない。人生を、自分の男としての旗をもう一度挙げようとする情熱と、力強さがある。孫は隣の浴室で、男の気配を感じながら歌を口ずさむ。もう、この一説から物語は、孫が爺を思いやる構図から、女が男を想う世界が浮かび上がってくる。
「私たちは、離ればなれになっちゃいけないんだよ」終盤になり、女は、男に向けて優しさに満ちた美しい眼差しを向ける。血縁を超えて、同情を超えて、そこには一組の男女がいる。小さな家族の物語としての側面を持ちながらも、私には男女の情念を強く謳いあげる世界が強く心を打つ。
さて・・困った。多くの人が家族の姿を描き出す秀逸なドラマを絶賛しているのに、私がこんな視点を提示しても良いものか。しかし、私はこの物語が好きだ。男が、女が、可愛いから。笑顔と愛をもって向き合う二人の未来は長くは無かったかもしれない。それでも、出会えたから、一緒にいられたから・・・それで、いいのだと思える。そんな幸せが、良い。
小林政広監督作品鑑賞4作目にて初の満点!!!
『ワカラナイ』を
わかりやすくしたら
こんな感じになるのかなぁ
小林監督、わかりやすい映画も撮れるんですね(驚&苦笑)
〈 あなたの夢に潰された 〉
〈 人って自分のことしか考えられないの 〉
第一稿を作ってから足掛け9年。
ようやく完成。そして公開。これまで
観てきた3作は、この作品のためにあったのではないか、そんな気にさせられました。
話のわかりやすさだけでなく、
テンポのよさ、なによりも一番驚いたのは
音楽を多用していることと、その音楽が素晴らしいこと。
大好きな手持ちカメラの撮影も
春が仙台でホテルを探すシーンくらいと今回は極力封印。
なにか小林監督にとって一区切りといいますか、
一旦、映画人生でここまでの集大成を製作しました、それくらいの熱い思いが伝わってきました。
◇ ◇
「いつものことじゃん」
そう云われてしまえば反論できないのですが、
私、実はオープニングカットで早々に落涙していました。
仲代達矢さん、徳永えりさん
セリフを交えることなく、喧嘩をしつつ、
歩いたり、座ったり、座る距離を詰めたりする
(これがラストの伏線だったりする。この辺も
巧いというか小林監督作品で、このような比較的
わかりやすい技法を用いられた作品は初めて観た)。
このお互いの距離感、表情に
おふたりの関係のただならぬ
愛情の深さを感じてしまいまして
「これはスゴイ映画になるぞ!」と
スイッチが入り涙が頬をつたってしまいました。
◇ ◇
撮影は順撮り。
役者同士、あまり話さないように
小林監督からは指示が出されたそうです。
徳永えりさんに対しては一番厳しく
接したそうで、某シーンでは一切寝させず、
また撮影をしたにもかかわらず、そのシーンを
カットしたりして、彼女の張り詰めた佇まいを作りあげたそうです。
この辺りは、
『ワカラナイ』の主人公の男に対する演出と同じですね。
ワンシーンワンカットを基本に、
序盤に登場する大滝秀治さんと
相対するシーンなど、超望遠レンズで撮影をし、
役者さんからはキャメラが全く見えない状態で演技をしてもらった。
もうこの時点で、
小林監督が今作にどれだけの精魂を込めたのかがわかる気がしました。
◇ ◇
徳永えりさん。
某大手新聞のインタビュー記事によると
「自分自身も今作の春と同じような体験をしている」とのこと。
体験していることで演じやすかったのか
演じにくかったのかまでは触れられていませんでしたが、
『フラガール』『うた魂!』『ブラッディ・マンデイ』一番存在感があって良かったです。
最初から最後までガニ股だったのは、
そこにどんな演出意図が込められているのか
結局、最後までわかりませんでしたが、順撮りが
功を奏したのか、心の変化、揺らめき、といったものが痛いほど伝わってきました。
そんな中でも、その痛みが最高潮に達したのは、
香川照之さん vs 徳永えりさんのツーショット。
お互いの気持ちの痛さが、あまりにも強すぎて、涙が溢れない。
しかし「どうして許してくれなかったの!!」
徳永えりが泣き叫ぶ、このセリフで強すぎる痛みに
涙腺を破られてしまい、肩を震わせながら泣いてしまいました。
◇ ◇
血の繋がりのある愛
血の繋がりのない愛
家族を顧みず自分の夢だけを追い求めた祖父。
そんな祖父と孫娘との旅は、祖父の我侭から
始まったように見えましたが、愛する孫娘へ
祖父が贈る最期の授業、そのように映ったのは私だけでしょうか。
ラストシーン。
「春、ありがとうな・・・・・・」
我侭で好き勝手をしてきた
祖父に似つかわぬ言葉が、私の耳には、ハッキリと届いてきました。
☆彡 ☆彡
見たくて仕方のない映画だったので
事前に情報入りまくり期待もしまくりでしたが、
軽々とそのハードルを飛び越えてしまいました。
文句なしの5点です(笑顔&感涙)
自分としては、まあまあかなあ
評判がとてもいいので、普段見に行く映画館ではやっていないのに、わざわざ上映している映画館を探して見に行きました。
結果としては、自分としては、まあまあかなあ。たぶん、登場人物と自分とは環境が違いすぎるので、充分に感情移入できなかったのかも。
春を演じた徳永えりという女優さんは、『フラガール』で蒼井優の親友役だった人。その後どうしているんだろうと思ったら、こんなところで再会。
『フラガール』では、蒼井優とフラダンスの練習を始めるものの、父親にバレて、ボコボコに殴られて引越していってしまう役。『春との旅』の春も、なんだかうつむいてばかりで口数も多くない地味な女の子役。薄幸な役が得意なのか…。それにしても、春がガニマタで走るのが気になってしょうがないのですが、あれは演技??
今回行った映画館は、錦糸町の楽天地錦糸町シネマ。シネコンばかり使っている私にとって、久しぶりに行く昔ながらの映画館です。
チケットを買うときに上映時間を伝えたら「このチケットでどの時間でも入れますから」と言われてしまいました。そういえば、昔の映画館ってそうでしたね。で、指定席じゃないので、20分ぐらい前に劇場の脇の通路で並んで待ちました。
待っているお客さんの平均年齢の高いこと高いこと。『春との旅』の客層なのか楽天地シネマの客層なのか。この人達が行列作って待たなくてもいいように、座席指定スタイルにした方がいいんじゃないかなあ。デジタルだの3Dだの、設備の導入は大変だろうけど、チケットの販売方法ぐらいなら変更できそうなものだけど。
見ておいたほうが良い作品!
主役、脇役全て、演技達者、しかも高齢の方々なので、どうしても見ておかなくては!という思いで、ものすごく期待して見に行きました。
仲代さんは上手いけど、あまりの演技の上手さから知性を感じてしまい、役の環境と違和感がありました。
孫娘、春の歩き方は何を意味しているのか、理解できませんでした。(田舎の娘を表わしている?)
ストーリーもあまり共感できませんでした。わがままな老人を、心優しくて肉親が他にいない孫が、捨てきれない。これは、現代の老人問題とは少し違うように思います。
いくつかの違和感はありましたが、すべてのキャストが、数分ずつの登場ながら拍手したくなるほど上手くて・・・。ほんの数行のせりふで十数年の生活を、感情を、表現できる、共感させられる、すごい技術ですね。素晴らしかったです。
やはり「見ておいたほうが良い!」作品でした。
身につまされました
久しぶりに邦画で映画の為の原作・脚本を楽しませていただきました。
人は小さな寄り添いが壊れそうなときに、冒険が始まる。
人の個人個人の事情、家庭の事情を次々と見せてくれます。
訪ねた長兄はもっともらしい話をしているが、別れのときの言葉は、寂しいものがあり、現在の時代の流れを良く表している気もします。
気の抜けない兄弟めぐりの中でホットさせるのは、食堂での場面ではなかろうか...
ほほえましい笑いとペーソスをふんだんに取り入れた見ごたえのある物語になっています。
主演の仲代 達矢・徳永えりも含めて芸達者がそろって見せてくれます。
よくもマア、これだけの芸達者を動員したものだと感心させられます。
(ほとんど年寄りばかりですけど)
年寄りの頑固さと、忠雄老人のわがままを、巧く表現しているとの印象。
祖父は祖父なりに、孫は孫なりにお互いを
いたわり合うことは、お互いに不器用ながら出ていたと思います。
人間は自分の蒔いた種により苦しめられ、自分の蒔いた種により喜びを与えられることが解るような感じに仕上がっています。
面倒を見てくれる孫がいて幸せであり、若い孫のことを考えると....兄弟との関係も..
元義理の息子夫婦との関係で、ほっとしますが出来過ぎのの感もあり...
カメラワークも良く画面画面が巧く構成されて美しく、無駄の無い撮影がされている。
やさしく、シンプルなテーマ曲も映画に合っている。
原作・脚本・撮影・テーマ曲などどれをとってもいい出来だと思います。
ただ、自分の年のことを考えると寂しいものを与えられたような気もします。
人生を見つめる旅路
拙ブログより抜粋で。
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望遠レンズで捉えられたいきなり家を飛び出すセリフのない冒頭に始まり、名優・仲代達矢と対等に渡り合うまだ若い徳永えり、最初に訪れた先の兄・重男を演じる大滝秀治と仲代達矢の長回し撮影の長ゼリフ、と、緊張感に満ちた画面にしょっぱなから引き込まれた。
ときに可笑しくもある市井の人々の生きる姿を優しい視点で拾いながらも、この心地いい緊張感は最後の一瞬まで途切れることがなかった。
映画の中での個々の出会いと別れには大仕掛けなドラマがあるわけじゃない。大変でも辛くても、それでも生きていくことへの真摯なまなざしが、やがて感情のうねりとなって大きな感動を呼ぶ。
訪れる先の家庭はいずれも何かしら問題を抱えている。それは老いの問題だったり、不景気だったり、不器用な生き方だったり。しかし皆、今を生きることに前向きだ。
身勝手に生きてきた忠男を軽くあしらいはしても、厳しさと同時に優しさも忘れない。
オルゴールの音色のような飾りっ気のない人間ドラマが心に響く。
『経済的価値無し』のレッテルを貼られた人間には生きる価値すら認められないのか [各所修正]
リアリティと寓話的な雰囲気とを併せ持ったロードムービー。
仲代達矢演じる偏屈な老人は、長く疎遠になっていた兄弟達に居候させてくれるよう頼んで回るが、次々に拒絶される。
それは彼の身勝手な言動が祟っての事でもあるが、一番の理由は、彼が脚を悪くして働くこともできないからだ。
風の吹き荒ぶ寂れた街並みが、僕自身の故郷とダブって見えた。閉めきった店が目立ち、高齢の人々ばかり目につく街。
いつ食えなくなるかも分からない生活に対する不安や、齢を重ねる毎に強まる孤独感のようなものが、映画全体を重く覆っているように思える。
その日暮らしの生活を送る人間に、働けない者を養う余裕など無い。ましてや今は、近隣住民が助け合って生きていたという古き良き時代でも無い。
そんな時代においては、『社会的(経済的)に不要』とのレッテルを貼られた人間は、最早生きる価値すら認められないというのか。
「それなら俺、生きられねぇじゃねぇか」
寂しげに笑いながら呟く仲代達矢の台詞が、ズシリと重い。
“生きられない”老人と孫との旅は、結果的に『拙いながらも人と人とは繋がっている』という事を孫に伝える旅になった。孤独を埋め合うように生きてきた老人が消えても、彼女はきっと生きていける。物語の結末は、彼女を解放するという意味では最良の結末だったのかもしれない。
と同時に、こんな結末が『最良』となってしまうのが今の時世なのかと思い、やりきれない気持ちになった。
良い映画だと思うが、不満もある。
物語が終盤に近付くに連れ、映画はだんだん人工的な臭いを漂わせ始める。台詞がどんどん説明的になってゆくのだ。
特に香川照之との会話はまるで手品の種明かしでもしているかのようにとにかく喋り過ぎる。皆まで言わずとも観客は分かってくれます。逆にこれでは作り物臭さが増して、夢から醒まされたような心持ちになる。
音楽も主張しすぎだ。良いシーンでここぞとばかりにがなり立てられては興醒めだ。
最後に役者さんについて。
脇役に至るまで素晴らしい演者が配されたこの映画だが、中でも主人公を演じる全キャスト中唯一の20代、徳永えりが頑張っている……物凄く頑張っている。
芝居が一本調子という感じもしなくはないが、仲代達矢を始めとした超大御所の群れを相手に一歩も引かない堂々たる演技。祖父に対する心配と嫌悪とが入り交じった眼差しが素晴らしく良い。今後の期待大です。
<2010/5/22鑑賞>
人生の「春」を探しに行く旅
小林政広監督は、映画作りに貪欲である。近年、「バッシング」「愛の予感」「ワカラナイ」と話題作が続き、今回の「春との旅」。このラインナップをこのペース、貪欲じゃないと身がもたなそうだ。
小林監督は人物を、まずは歩くことと食べることで描写しようとしている気がする。歩き方と食べ方。確かにその人柄がよく出る行為なのだ。忠男の歩き方、春の走り方。これは最初から最後まで延々と繰り返される。それが人間の生命の営みなんだもの、仕方ない。このシークエンスを眺めているだけで、これまでの二人の人生がみずみずしい映像となって頭に浮かんでくるような感触を味わう。この演出、描写力が作品の揺るぎない柱となっている。見事。
奇をてらうこともなく、ひいき目でもなく、批判するわけでもなく、カメラはひたすら2人を追い続けていく。このカメラ(視線)に耐えられるのが、仲代達矢なんだ!と思った。そして徳永えりの芝居も想像以上にかなりいい。イラつき、憐れみ、思いやり、焦燥、慈しみ、それはもうぐちゃぐちゃの感情が入り乱れる旅なのだ。国家にも政治にも世間にも干渉されない、2人だけの旅。生活がかかっている旅。出会う人、すれ違う人は多けれど、やっぱり2人だけの旅。人生の春を探しに行く旅。
「ワカラナイ」に続き、音楽がいい!
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