ブルーノ : 映画評論・批評
2010年3月23日更新
2010年3月20日より新宿バルト9ほかにてロードショー
すべてにおいて「やりすぎる」という初志を完璧に貫いてみせる
サシャ・バロン・コーエンの笑いは独創的だが過激で、危険だ。観客は笑いながらも、つねに居心地の悪い、嫌〜な感覚を味わうことになる。その毒性がたまらないのだが、下劣極まりない! 不適切! 差別を助長する愚作! えげつない! などと怒る人もいる。いや、ごもっとも。だって彼は、あえてそう言われるような映画作りをしているのだから。しかも、すべてにおいて「やりすぎる」という初志を完璧に貫いてみせるのである。
「ボラット」ではカザフスタンのTVレポーターとしてアメリカ中を引っかき回し、リアルな反応を笑い飛ばした彼が、今回なりきるのはオーストリアから来たゲイのファッション・レポーター。「セレブになる!」ため、とんでもない秘策を繰り出していく。
局部を露出して踊らせるのは序の口。レバノンのテロリストに「誘拐して」と頼みに行き、ビン・ラディンについて「ホームレスのサンタみたい」と暴言。イスラエル原理主義のメッカをゲイ・ファッションで闊歩する。SEXビデオを撮ろうと、パンツを脱いで政治家に迫る。セレブの人道的行為をおちょくり、果てはバリバリに保守的な南部の格闘場で、男同士の愛の営みを繰り広げる……。
命がけの悪ふざけと挑発の中に、世界の抱える変な世相や価値観、潜在意識をこれでもかとあぶり出してのける、まさに笑いのテロリスト。「ここまでやるとは」と呆れながらも、ここまでやれば賞賛したくなるし、うっかり「素敵」なんて付け加えたくもなるのだ。
(若林ゆり)