妻の貌
劇場公開日:2009年7月25日
劇場公開日:2009年7月25日
川本さんというアマチュアの映像作家の方が、ヒロシマにおちた原爆に被爆した妻を半世紀にわたって記録したのがこの作品なのだが、、タイトルの貌とは、被爆者という貌だけでなく、大きく三つの貌で構成されている。それは主人公は、被爆者であり、夫の母の介護に努める妻であり、息子や娘の母であり孫の祖母という貌だ。
ただ、一番大きいのは、被爆しているという重荷を背負っている妻の貌だ。妻は毎週病院に行って甲状腺の検査と薬の投与は欠かせない。それなのに、夫の母を介護せねばならず、さらに子どもたちの母としての家事もこなさなければならない。一日、忙しくしていると、ふっと倒れてそのまま命が消えるかも、という不安と恐怖が突然襲ってくる。そんな恐ろしい日々を過ごす妻を、カメラは実に淡々と追っていく。
その淡々とした撮り方なものだから、ときおり妻はカメラを握る夫に毒づいたりする。そこはそこで奇妙で面白いと感じるのだが、ただ、夫の川本さんは決して面白がって撮っているわけではないのだ。
被爆者の話は、これまでいくつもの小説や映画で語られているように、若いときに突然命を失う、ということもあるし、長生きしても子どもに遺伝して家族が悩むという話はいくつもある。だから、川本さんはいつ妻がいなくなってしまうのか、子どもたちは原爆症にかかっしまうのか、という恐怖と背中合わせでの撮影を日々こなしていた。つまり、家族をいっぺんに失ってしまうかもしれない、という覚悟のうえでの撮影を、日々こなしてきているのだ。そう思うと、カメラでとらえたワンカットずつが、実に愛情があるように思えてくるし、シーンのひとつひとつに川本さんの気持ちがつづられているように感じられてくる。
私の祖父は、パーキンソン病の祖母を長年介護してきて、それがたたったのか、心臓病を患ってしまった一年後、ベッドに伏せる祖母の目の前で先に亡くなってしまった。その一年、祖父はどのような覚悟をもって祖母を介護し、生きてたのか、未だ推し量ることができていない。
だから、この作品の中での製作した川本さんと奥さんがもっていた覚悟は、自分たちには到底理解などできないことなのかもしれない。ただ、少なくとも、介護や子育てをしている妻の貌や、画面には見えてこない撮影している川本さんの顔には、人への優しさ、愛情が込められている。優しさや愛を忘れないように残したい、と常に思っていることが、覚悟なのかなと思うのである。