「ノーランの凄さ」インセプション ミスフライハイさんの映画レビュー(感想・評価)
ノーランの凄さ
わたくしなんぞがこの素晴らしい映画のレビューを書くなんざ300年ほど早いのですが劇場で2時間半の映画を6回(ヒマ+オタク+キ○ガイなんですよ^^)も観たのでどうか記念に書かせてください。
ネタバレしますからこれからご鑑賞予定の方はスルーしてくださいねー。
それからアホな小学生の夏休み読書感想文ばりに無駄に長いのでお忙しい方もスルー推奨でございます。
夢オチを使った映画は掃いて捨てるほどあれど、夢に階層を持たせてこんな傑作が撮れることに非常に感銘を受けた。
まずハナからわたしはクリストファー・ノーランという監督が大好きなのである。
監督・脚本・製作・撮影・編集の5役をこなしたデビュー作の『フォロウィング』で打ちのめされ、弟のジョナサン・ノーラン原案の次作『メメント』で完全に虜になった。
その後は『バットマン ビギンズ』『プレステージ』『ダークナイト』とスケール、製作費がどんどん増大してゆく事に多少の違和感を覚えながらもやはりノーランの虜であることには変わりなかった。
わたしが製作費を気にするのは『メメント』があまりにも素晴らしかったからであり、低予算でここまで出来るのだという映画に対する希望を見出させてくれたせいである。
故にノーランにはインディペンデントで活躍して欲しいと思った。
この辺りはタランティーノも同じである。
(よくあるでしょ?自分の好きなバンドがいきなり大ブレイクすると醒めてしまうような事。わたしだけでしょうか?)
しかしどのジャンルにおいても類い稀な才能を周囲が放っておく筈はなく、ノーランに大きな仕事がどんどん舞い込んだのは仕方のない事だとも言える。
そして『インセプション』。あんな、ハリウッドの申し子みたいなレオナルド・ディカプリオなんか使いやがって、おまけに日本での興行収入を狙っているのか知らんがまたケンワタナベまで使いやがって、渋谷で街頭ジャックだか何だか知らないが誇大宣伝しやがって、ニュース番組にディカプリオ&ケンワタナベとか出しやがって、もういい加減にしろや!と思っていた。
しかもCMでは街がめくれていくシーンを何度も見せられ「はいはい。お金かかってるんですねー」と、実はちょっと楽しみにしている反面、非常にシニカルに受け止めていた。
しかし実際に作品を観て打ちのめされた。頭をシャベルでガーンと叩かれたような気分になった。
物語は人の頭の中に侵入し、アイデアを盗む事ができるという能力を持つ産業スパイ集団のリーダー、コブ(レオナルド・ディカプリオ)がターゲットであるどこぞの大実業家で権力者のサイトー(渡辺謙)に盗もうとしている事に気付かれ、逆にサイトーからライバル企業の跡取り息子であるロバートの脳内に自社を潰すという植え込み=インセプションを行う事を依頼される事から始まる。
コブの仕事は盗み出す=エクストラクト側の産業スパイであり、インセプションという限りなく難しいそのミッションを一度は断るが、サイトーはインセプションが成功した際の報酬としてコブをアメリカに帰国させ子ども達に会わせてやると言う。
コブは妻殺しの容疑で指名手配され自国から逃げる生活をしており二人の子ども達に会えない状態だった。
子ども達にどうしても会いたいコブは成功したら絶対に帰すというサイトーの約束にインセプションを行う決意をする。
難しいミッションである為、相棒のアーサー(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)の他に有能な夢の設計士としてアリアドネ(エレン・ペイジ←テラカワユス)、姿を変えてターゲットを騙すイームズ、夢をもたらす為に薬を作る調合士のユフス、そして成功を見届ける為にサイトーも加わり六人のチームを作る。
リアルの世界は飛行機の中。ユフスが調合した薬でロバートを眠らせ六人でアリアドネが設計したロバートの夢に侵入する。
夢の第一階層はロサンゼルス。しかしロバートが夢の中での盗みを防ぐ訓練を受けていた事が発覚し、とんだ銃撃戦となる。
しかもアリアドネが設計していない列車が突如街中を走り抜ける。サイトー心臓付近を撃たれる。インセプション失敗。
夢の中では死ぬかキック(衝撃を与えられる)を受ける事により夢から醒めリアルの世界に戻る事が出来る。
しかし今回だけはユフスが調合した薬が強いせいでそのどちらでもリアルに戻る事は出来ない。もし夢の中で死ねば虚無の世界に堕ちてゆくだけなのである。
そして夢の第二階層であるどこかの国のホテル。ロバートが夢の訓練を受けている事を知った彼らは敢えてこれが夢である事をロバートにバラしインセプションを試みる。
そして第三階層の雪山へ。ここでもロバートの護衛軍(?)に遭い大銃撃戦となる。インセプション失敗かと思われるがアリアドネの設計によりチームはより深い階層(第四階層)へと潜ってゆく。
アリアドネの設計による最後のシーン、病院にてロバートと寝たきりで死を迎える瞬間の父親を会わせ最後の会話をさせる。
リアルの世界に戻ったロバートは「父の真似はしない。我が道を行く」と言いインセプションは成功したと思われる。
これが夢の階層の本筋。夢は深く潜れば潜るほど時間が延び、第一階層で車が橋から落ちる時間を10秒とすれば第二階層は2分、第三階層は20分という具合に(あ、これテキトーです。実際の時間差は忘れました)。
夢はすべて繋がっている為、第一階層で車が橋から転落すれば第二階層のホテルでは無重力状態となり、雪山では雪崩が起きる。
わたしが特に好きなシーンは無重力ホテルの乱闘シーンと浮かんでいるメンバー達をリアルの世界に残留したアーサーがまとめて紐でくくりエレベータに乗せるシーン、エッシャーのだまし絵のような階段のパラドックスなどである。
それからもう一つ、重要なのがコブのトラウマ。
本来ならばコブが夢の設計も出来た筈であるがアリアドネを設計士に起用した理由がここにある。
彼はかつて、妻・モルと夢の中で暮らしていた。自分達の設計する夢の世界に魅せられどんどん深層へと潜っていった。夢の期間で言えば50年もの間を彼らは夢で過ごした。
そしてモルは現実の世界に戻るのを嫌がり、コブは仕方なく妻に現実の世界を夢だと思わせるインセプションを行っていたのである。
モルは現実の世界を閉じ込め常に自分の居る場所が夢だと思い込み、現実に戻るために死ななくてはならないと思い続けた。
結果、夫婦の記念日にモルはコブの目の前で投身自殺を図る。コブにも一緒に来て欲しかったモルは「夫に命を狙われている」という遺書を弁護士に残し、その為にコブは愛する子ども達と離れなければならない運命になってしまった。
それ以降、コブの夢には必ずモルが出てきて邪魔をしたり子ども達が出てくるようになってしまった為、アリアドネに設計を任せたのであった。
アリアドネが設計していない筈なのに突如出てきた列車はコブとモルが夢から醒める為に線路に寝そべり自殺した列車であり、夢の共有装置には各個人の夢(潜在意識)が現れてしまう為に列車が暴走したのであった。
この作品全編に漂うのがコブとモルの純愛である。これ以上ないほどまでに二人は愛し合い、二人だけの世界を構築してゆく。
しかしノーランはここに安易なキスシーンやラブシーンを取り入れない。コブがアリアドネに秘密を明かす時の表情や夢の深層で老いた二人が手を繋ぐシーン、また、目前でモルが投身自殺しようとした際のコブの演技などで悲しいまでの純愛を描く。
ここがわたしがノーラン監督を好きな要因でもある。
巷には無駄なキスシーンやラブシーンが氾濫し過ぎていると思う。しかしそんな直接的な描写よりも老夫婦のしわしわの手が繋がれるシーンの方が余程純愛を感じさせる。
♪エロもいい グロもいいが 直接的にばかり描いていると 想像力なくなるよ~(♪嘘もいい 苦悩もいいが 言い訳してると~のメロでお願いします)。
また、このインセプションの報酬が金ではなく愛する子ども達との再会という設定も非常に良い。
ここで本領発揮するのがディカプリオ。『ギルバート・グレイプ』で彼を知りその演技力には舌を巻いたものだがその後『タイタニック』とかいうものっそい製作費の大作に出て以来、ハリウッドのただのイケメン俳優に成り下がりおって、とか、何がレオ様だよ、とかわたしは彼を毛嫌いしていた。今でも『タイタニック』は観ていない。もしわたしが食わず嫌い王に出るとしたら絶対『タイタニック』だね!(激しくどーでもいい)
しかしスコセッシ監督の撮った『ディパーテッド』を観て以来(スコセッシ作品だから仕方なく観たのであるが)ちょっとこの人の演技って凄いかも?と思っていた。
今作品ではその演技力に更に磨きがかかっており、妻を目前で亡くす演技は見ものであるし、プライベートでは独身で子どもも持たない彼が二人の子どもを愛する父親役を見事に演じきっている。
人間の持つギリギリの感覚、緊張感、集中力といったものを演じさせたら現時点では右に出る者はいないのではないかという程のキレキレの演技だった。
前宣伝で「ケンは日本の宝だよ」などと言っていたがディカプリオこそ世界の演劇界の宝であると思う。
物語の最後でコブとアリアドネは虚無の世界(第五階層)にいるモルと対峙することとなり、その間にキックが起き、二人は戻らなければならなくなるがコブはアリアドネだけを戻して自らはモルと最後の別れをし、落ちてくるサイトーを一緒に現実に引き戻す為に待つ。
冒頭とエンドの方で老いたサイトーと若いままの姿のコブが対峙するシーンがあり、ここでなるほどと思う。
この第五階層はビーチ沿いに高層ビルが建ち並んでいるのだがそれらのビル群が次々と崩壊していく様はまるで911を思わせる。
そして全員が現実の世界に戻り飛行機の中で目覚める。サイトーはコブが入国できるよう電話をし、コブは無事入国ゲートを通り抜けて愛する子ども達と再会する。
というハッピーエンドかと思いきや、ここにまたノーランの策が仕掛けられている。
劇中、リアルの世界と夢の世界を区別する為にトーテムという小道具が登場する。モルとコブはコマをトーテムとし、コマが回っている世界は夢、止まっている世界は現実と区別する。
リアルの世界を封印したかったモルは止まっているコマを封印し夢から醒めて現実に戻ろうとするコブは回ったコマを封印する。
そして最後の子ども達を抱き上げるシーンではなんと、コマが回っているのである。しかも今にも止まりそう、でも止まらない。
その映像を最後に映画はブラックアウトする。
結局、最後がハッピーエンド(子ども達と再会し幸せに暮らす)なのかバッドエンド(虚無に堕ち魂だけが彷徨い続ける)なのかをノーランは観る者に完全に委ねているのである。
観る者に一瞬の隙も与えない。ほんの10秒ポカンとしていたらちょっと解らなくなってしまう作品。とにかく凄い。
3回ほど観た頃に気付いたのだがコブは夢の世界ではマリッジリングをしておりリアルの世界ではしていない。
わたしはそこでどちらなのか見分けようと飛行機で目覚めてからエンドまでのコブの左手薬指にずーーーっと注目していたがやはりノーランはそこは見せてはくれない。
つくづく憎たらしい監督である。
この作品は過去の様々な名作へのオマージュを感じる場面が多々ある。キューブリックの『2001年宇宙の旅』であったりクローネンバーグの『裸のランチ』であったりウォシャオスキー兄弟の『マトリックス』であったり、とにかく他にも色々な映画のテイストを感じるが実はそのどれでもない。
ノーランは911以降の映画界の宝である。
ラスト、夢か現実かというのはおまけ程度だと思ってましたが、
レビューを読んで、おぉなるほど指輪か、そんな秘密が!と思い見直してみました
良く見てみると、最後パスポートを渡すシーン、指輪をしていないように見えます、
ということは、ハッピーエンドなんですかね、
重箱の隅をつつくようなレスポンスですいません。
それと最後、どうやってサイトーの夢にいったのかがちょい気になる、
なにはともあれ、上位の世界に影響を受けつつもタイムラグをもって進んでいく、
かつそれが夢の世界という、複雑な世界観を描ききった監督には、ただただ脱帽です。
さすがに6回はすごすぎますけど、一度見るともう一度みたくなる映画ですよね~。